mission4 弟子、友人と再会する
ゴーン、と荘厳な音を立てて、鐘が鳴る。
それとともに集まっていた学生たちが、講堂へと歩き出した。
ようやく入学式が始まるらしい。
「ぼくたちも行こうか」
「先に言っててくれないか」
「トイレ?」
「まあ、そんなところだ」
「では、講堂でまた会おう」
ラフィーナは手を振り、ポロフとともに講堂へと向かう。
俺は手を振り返し、そして表情を引き締めた。
背後に気配を感じたからだ。
木の影の下。
何もないと思われた場所から、1人のメイド服を着た女性が現れる。
肩の辺りで切りそろえた淡い金髪に、白い肌。
鼻梁は美しく、紫色に光る瞳はメイドというよりは娼婦のように妖艶で、さらに恍惚としており、静かに俺の方に向けられている。
規定よりも短いスカートから露わになった太股は扇情的で、エプロン越しにもわかる胸は、男の視線を奪うことに適していた。
「証拠は?」
「もちろん消したわ。使った瓶も綺麗に拭き取って、元に戻しておいた」
「さすがだな、ラドリーン」
彼女の名前はラドリーン・アルベルダという。
俺と同じ暗殺者――もっと言えば、俺の育ての親に当たるラン師匠の曾孫だ。
ちなみに師匠のランという名前は、いわば暗号名で正式な名前は他にあるらしい。 だが、師匠はあまり本名が気に入っていないようだ。
ついぞ俺には教えてくれなかった。
すると、ラドリーンはそっと後ろから俺の肩に手を置いた。
背中に胸を押しつけることも忘れない。
ふくよかな感覚が覚えても、俺の顔色が変わることはなかった。
色仕掛け程度では、ビクともしないように俺は精神修養を受けている。
そんな俺の表情を、ラドリーンは気に食わないらしい。
「こんな美人が迫っているのに……。面白くありませんね、ブレイド様」
「俺が何故、こんな顔をしているのか理由はわかっているだろう」
「もう……。5年ぶりですよ。わたくしがこの時、どんなに待ち望んでいたか、あなたにわかりますか?」
「わかっている。よく頑張ったな、ラドリーン」
俺は肩に置いたラドリーンの手に、己の手を重ねる。
ほんの少しだけラドリーンの表情が緩んだような気がした。
ラドリーンは俺のバックアップのために、5年前から準備してきた。
まずは皇帝宮外に住む下級の貴族の奉公として入り、そこから仕事を覚え、当主に気に入られて、うまく誤魔化しながら皇帝宮に住む上級の貴族へと仕事を紹介してもらう。
ただ紹介されただけでは、皇帝宮に入ることはできない。
知識と教養を審査され、あらゆる身体検査がなされる。
何より重視されるのは、容姿と若さだ。
基本的に25歳以上は不合格だとされ、身長にも制限があるらしい。
特に点数が高いのは、処女であることである。
これがどういった意味合いであるかは、想像にお任せする。
「しかし、面白いことを言っていましたね、あの娘。催眠術がどうのこうの」
「ラフィーナのことか。確かにな」
彼女が言った瞼を使った催眠術は、確かに暗殺術の1つである。
相手の視線を奪い、ある一定間隔で瞬きを繰り返し、人の深層意識を支配する。
【邪眼】と呼び方は同じで、【邪視】という技術だ。
「まさかブレイド様が、そこに乗っかるとは思いませんでしたが」
「あまり詮索されても面倒だからな、ああいう手合いは。正体が不明なら尚更だ。それに俺の説明の半分は真実だしな」
「ふふ……。本当のことを聞けば、なんと言うでしょうか?」
ラドリーンは楽しそうに微笑む。
彼女の悪い癖だ。
ラン師匠もそうだが、暗殺術の1つを遊戯と認識しているらしい。
「ところで毒は何を使った?」
「そんな怖い顔をしなくても……。利尿剤を少々。もちろん、用を足せば証拠が出てこないものです。A級の鑑定魔法士でも見抜けないでしょう」
「そうか」
俺はラドリーンを使って、イリスに毒を盛らせてもらった。
効果は抜群だ。
周りが知れば、卑怯と罵られるかもしれないが、階級を笠に着て、因縁を付けてくる方がよっぽど卑怯であろう。
これでしばらくイリスが絡んでくることはないと思われる。
決闘から逃げたのだ。
それも用を足すためだけにである。
あれだけの衆人環視の中だ。
今頃影で卑猥な渾名が付けられていることだろう。
いつの間にか広場から生徒がいなくなっていた。
そろそろ入学式が始まる。
「ラドリーン、そろそろ俺も――」
俺は1歩足を踏み出す。
しかし、ラドリーンはまるで俺をその場に押しとどめるように、背中に己のおでこをくっつけた。
「ラドリーン……」
「すみません、ブレイド様。少しだけ、10、いや5秒でもいいです。どうかわたくしにご褒美を下さい」
「ご褒美?」
「このままでいいです……。どうか――――」
ラドリーンの声は震えていた。
かすかに鼻を啜る音が聞こえる。
背中に視線を向けることは叶わなかったが、泣いているようだった。
5年という時間は、短いようで長い。
ラドリーンは優秀な暗殺者だ。
俺には尽くしてくれるが、基本的に誇り高い性格をしている。
だが、貴族の世界に入れば、その誇りを捨ててでも行動しなければならない時がある。
己のすべてを排し、そしてようやくラドリーンは俺と再会したのだ。
「わかった。そのままで聞いてくれ、ラドリーン」
「……はい」
「確認だ。お前は、俺が何故この学院に来たかを知っているか?」
その質問にラドリーンは首を振った。
なるほど。
極秘任務のことは聞かされていないのか。
あるいは彼女から聞くのかと思ったが、どうやら違うらしい。
よほど極秘の任務なのか、それとも俺の推察通り、これはあくまで修行の一貫であり、このミズヴァルド学院を卒業することが課題なのか。
ラン師匠がラドリーンに何も言っていないというなら、俺からわざわざ言うこともないだろう。
「わかった。他にラン師匠に言われたことはないか?」
俺の背中におでこを預けていたラドリーンが、ようやく顔を上げる。
涙を払い、顔を整えると、真剣な声でこう言った。
「任務に失敗した場合、あなたを殺せ、と――」
「――――ッ!」
なるほど。
そういうことか、師匠。
たかが貴族の子息が集まる教育機関と思っていたが、少々侮り過ぎていたらしい。
いや、俺が侮ることを予期していたのかも知れない。
さすがは師匠である。
死ぬ気で卒業しろ。
つまりはそう言うことなのだろう。
そもそも俺がこの貴族だらけの世界で、暗殺者とばれれば、死は確実である。
今まで様々な修行と課程を繰り返してきたが、そこに明確な死罰はなかった。
しかし、今回初めて師匠たちは、失敗すれば死が待っていると設定した。
これはおそらく最後の課題。
俺が1人前の暗殺者になるために課せられた試練なのだろう。
「いいだろう……」
「ブレイド様?」
「ありがとう、ラドリーン。少しやる気が出た」
「やる気?」
「そろそろ講堂へ行く。後で落ち合おう」
俺はラドリーンに別れを告げる。
そして貴族たちがひしめく講堂へと歩いていった。