mission23 弟子、剣となる
霧が濃くなってきた。
普通の霧ではない。
おそらく『魔物のにおい』を使った影響だろう。
俺の周りだけではなく、ダンジョンの1層全体に立ちこめ始めていた。
まだ誰かが散布し続けているに違いない。
主犯はおそらくダリジアという男爵だろう。
それにしても量が多すぎる。
魔導具は基本的に高価だ。
『魔物のにおい』も例外ではない。
広いダンジョン内に散布するほどの量を、男爵位の学生が持っているとはとても思えなかった。
だが、散布することはさして危険なことではない。
1層の魔物はレベル1からレベル3。
囲まれたところで、今の俺たちにどうということはない。
むしろこの視界の悪さの方が俺には気になる。
濃霧の向こうから、魔物ならざる者がいきなり襲撃してくる可能性があるからだ。
「ポロフ……。いつでも【鉄壁】を展開できるようにしておいてくれ」
「え? わかったよ、ブレイド」
ポロフは戦斧を構える。
「マイアも頼む」
「はい」
「ラフィーナ」
「なんだ、ブレイド」
「……気を付けろ。嫌な気配がする」
俺は目で合図を送る。
きちんと俺の意図をくみ取ってくれたらしい。
ラフィーナは抜剣すると、霧の向こうに構えた。
マイアを囲みながら、それぞれ三方を警戒する。
事が起きたのは、すぐだった。
「ぎゃあああああああ!」
悲鳴が上がった。
その声の方向に視線を向ける。
霧の向こうから誰かが来る。
数人の男女だ。
徽章を見る限り、子爵たちである。
「どうした!?」
俺は声をかけた。
子爵たちは俺たちの姿を認めると、走り寄ってきた。
その目にはすでに涙が浮かんでいる。
「助けろ、準男爵!!」
「何言ってんだ!」
「こいつらなんて役に立つ訳ないだろ!」
この期に及んでも、爵位は気になるらしい。
なかなか良い神経をしている。
「落ち着け!」
ラフィーナは一喝した。
落雷のように降り注いだ声に、子爵たちは黙る。
「何が起こったのか正確に端的に述べよ」
ラフィーナの迫力に反論を忘れて、子爵たちは顔を見合わせる。
声を震わせながら、ただ一言叫んだ。
「魔物だ!!」
「魔物なんてどこにでもいるだろう」
俺は目を細める。
子爵たちは頭を振り、訴えた。
「ただ魔物じゃない! あれは――。あいつは――――」
「助けて!!」
叫声が聞こえた。
少女が1人走ってくる。
胸には子爵の徽章。
どうやらこいつらの仲間らしい。
ラフィーナに向かって、少女はしなだれるように縋り付いた。
「お願い、仲間を助けて!!」
涙ながらに訴える。
その直後、途中でかき消された。
喉の奥を圧迫するような重苦しい音がダンジョン内に響いたからだ。
徐々にその音が近づいてくる。
子爵たちはまた悲鳴を上げると、そのまま逃げてしまった。
やがて、あいつは姿を現す。
「でけぇ……」
ポロフが顔を上げて、呟く。
横でマイアが小さく悲鳴を上げて、兎のように震えていた。
ラフィーナは構えを崩さなかったが、額に発汗が見られる。
俺は目を細める。
瞳に映った魔物を捕らえた。
トロルだ。
巨大な人型の怪物。
全身を黒い毛で覆い、巨大な猿のように見える。
ただ普通の猿とは違うのは、こいつの主食が人間だということだ。
すでにその手には生徒が握られ、口元には赤い鮮血が垂れていた。
「嘘でしょ! トロルって確か……」
「レベル5の魔物のはずです。1層にいるのは確か最大でレベル3じゃ」
ポロフとマイアが揃って声を震わせる。
「来たぁ!」
「ひぃいいいい!!」
「殺される!!」
「お前たちは逃げろ!」
ラフィーナは一喝する。
「あなたはどうするの?」
逃げてきた女子生徒が尋ねた。
「私はこうするのだ」
ラフィーナは地面を蹴った。
真っ直ぐトロルに向かっていく。
「馬鹿か、あの女!」
「おい。逃げようぜ!!」
「行くぞ!」
「待って、仲間が……」
女子生徒は腕を引かれ、仲間たちとともに逃げていく。
一方、ラフィーナの動きは素早い。
あっという間にトロルの足元に取り付く。
トロルは手を振り回し、迎撃した。
が、ラフィーナは軽やかに躱し、足の後ろに回り込んだ。
人間で言う踵骨腱を切り裂く。
トロルの態勢が揺らいだ。
膝を突いたところをラフィーナは見逃さない。
そのままトロルの手首を切り飛ばす。
「すげぇ!!」
「さすがラフィーナさんです」
見事だな。
膂力だけでトロルは切れない。
例え名剣を持っていても、ラフィーナの細腕では難しい。
おそらく魔法付与を使ったのだろう。
「マイア! 生徒の容態を見てくれ!!」
ラフィーナは飛ばした手首を指差す。
自分はまだ致命傷に至らないトロルに向かい合った。
トロルも必死だ。
まさに鼠のように動き回るラフィーナを残った片腕で潰そうとする。
今はラフィーナ優勢だが、1発当たればそれで終わりだ。
「ポロフ、マイアを守れ」
「ボクも戦う」
「戦いは俺に任せろ」
ポロフの肩を叩く。
微妙に震えていた。
情けないとばかりに、ポロフは項垂れる。
「守りは任せた。しっかり、マイアを守れ」
「うん」
ポロフはマイアとともに、トロルの手首に捕まった生徒の元へと急ぐ。
俺は手負いのトロルに苦戦を強いられるラフィーナの方へ走る。
懐から取りだしたのは、例のトランプだ。
念を込めると、すかさず投擲する。
ラフィーナを追いかけるのに必死なトロルの左目に刺さった。
「があああああああ!!」
耳障りな悲鳴が響く。
トロルは大きく仰け反った。
その瞬間、俺もラフィーナも見逃さない。
ラフィーナは剣を返し、俺もナイフを取り出す。
同時に悶絶するトロルに襲いかかると、頸動脈を切り裂いた。
魔物の黒い血が飛び散る。
トロルの目がぐるりと周り、ごめんなさいとばかりに頭を前方に垂れた。
ようやくトロルは絶命する。
この魔物の一番の特徴は体力だ。
急所を狙わない限り、しつこく動き回り、相手を追いつめる。
再生能力も高く、切り傷ぐらいならものともしない。
ラフィーナは一旦剣を収める。
ホッと胸を撫で下ろした。
「すまない、ブレイド。助かった」
「無茶をするな、ラフィーナ」
「いや、トロルぐらいならまだ――」
俺は突然ラフィーナの手を取った。
かすかだが震えている。
おそらく怖かったのだろう。
「初撃までは良かったが、その後のことを考えていなかったな」
「すまん。生徒の姿を見たらつい――」
ラフィーナは素直に反省する。
俺はともかく、この歳で冷静になれというのは難しいか。
「誓ったはずだ、俺はお前の剣だと……。お前は皇帝になるのだろう。ならば躊躇なく俺を使えばいい」
「そうだな」
ますます落ち込む。
おっと……。あんまり追い込むのも悪いか。
無茶は過ぎるが、それもまた君主の度量のうちでもあるしな。
「教えた魔法付与は見事だった。2日前に教えたばかりなのに、もうマスターしているとはな」
ラフィーナはぎこちなく笑う。
「先生が良かったからな。助かった。あれがなければ、斬りつけることもできなかった」
「そう思うなら、無理はするなよ」
ラフィーナのおでこをこつりと叩く。
「それよりさっきの生徒は?」
俺とラフィーナはポロフとマイアに駆け寄る。
トロルの手から救出した生徒を、マイアが回復魔法で癒している最中だった。
出血がひどい。
握りつぶされていたからか、肋骨が皮膚を突き破っていた。
だが、幸いにも意識はある。
このまま帰還して高レベルの治療師に任せれば、助かる見込みはある。
『があああああああ!!』
再び吠声が聞こえた。
トロルの声だ。
同時に、重たい足音が空気を震わせている。
その度に、人間の悲鳴がセットになって聞こえてきた。
「まずい……。これってまずいよ」
「落ち着け、ポロフ」
俺はラフィーナに尋ねた。
「ラフィーナ、1層から2層に行くにはどうしたらいい?」
「確か1層の奥に2層へ続く階段があるはずだ。ただそこは分厚い封印扉で厳重に施錠されているはずだが……。それがどうかしたのかブレイド?」
「このトロルは2層の魔物たちに違いない。封印扉は突破された。魔物にこじ開けられたか、それとも――」
「誰かが手引きしたか――か?」
ラフィーナは下を向く。
ギュッと拳を握った。
多分自分のせいだと考えているのだろう。
いくら準男爵が邪魔だからと言って、他の貴族がいる中で、2層の扉を開くような無茶をするヤツはいない。
考えられることは1つしかない。
騒ぎに乗じて、ラフィーナを狙うつもりか、あるいは事故に見せかけ殺すか。
2つに1つしかない。
俺は再び気落ちしたラフィーナの肩を叩いた。
「ラフィーナが何を考えているかはわかる」
「ブレイド……」
「だが、今は振り返る時ではない。今は手を伸ばして届く範囲のことやるしかない。違うか?」
俺は視線を落とす。
苦しそうに息を繰り返す怪我した生徒を見つめた。
ラフィーナもその姿を見て、今一度己を奮い立たせる。
「その通りだ、ブレイド」
「よし。なら俺に命令しろ」
「命令?」
「何度も言わせるな。俺はお前の剣だぞ」
「では、ここにトロルたちを……」
俺は首を振る。
「いや、それはお前に任せる。今、問題なのはこの魔物たちをダンジョンの外に出さないことだ」
俺の言葉にラフィーナはハッと息を飲んだ。
「確かに……」
「レベル5であれば、お前と他の生徒たちと連携して、なんとか対処できるはず。衛兵や皇帝宮に詰める宮廷魔導士が来るまでの時間を稼げ」
「なら、お前も……」
「わかっているだろう、お前なら。俺という戦力の使い道を」
「まさか、ブレイド。お前――」
「命令しろ、ラフィーナ。今、お前は俺に何をさせたい」
ラフィーナは喉を鳴らす。
1度乾いた舌先を濡らし、深い緑色の瞳を俺に向けた。
「ブレイド、この事態を収拾しろ」
「……いい命令だ」
俺はすっくと立ち上がる。
踵を返して、俺は走り始めた。
後ろからポロフの怒鳴り声が聞こえる。
そのすべてを無視して、俺はダンジョンを風の如く走った。
今まさに俺は抜き放たれた剣となる。
そこに制約はない。
ただ1つの命令と、立ちはだかる敵がいるだけだった。
前方にトロルの群が見える。
俺は足を止めない。
周囲を警戒する。
すでに貴族たちが退避した後らしい。
気兼ねなく全力を出せるだろう。
いや、全力はよしておこう。
レベル5程度の魔物に、全力を出したとあっては師匠たちに笑われる。
俺はナイフを仕舞う。
拳を握り込み、そこに念を込めた。
武器はこれで十分だ。
飛び上がる。
そのままトロルの鼻先まで跳躍した。
「飛べ……」
我ながら冷たい言葉が、ダンジョンに響き渡る。
瞬間、トロルが吹き飛ばされた。
ただそれだけに終わらない。
錐もみ状に飛ばされると、他のトロルを巻き込んでいく。
そのままダンジョンの壁に突き刺さった。
えぐれた地面を見ながら、俺は呟く。
「少しやりすぎたか……」
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