mission18.5 弟子、試験を受ける(後編)
俺が前に進む度に、歓声が大きくなっていくような気がした。
しかし、ファブノフも黙ってはいない。
「調子に乗るなよ、小僧」
ひやりとした殺気が俺を射貫く。
それは見ていた貴族も敏感に察し、息を飲むのがわかった。
俺もそうだが、ファブノフも本気ではなかったのだ。
振り下ろされた俺の木刀に合わせて、大きく弾く。
俺の体勢が崩れたところに、ファブノフの突きが牙を剥いた。
空気を削るように急所へと伸びていく。
なかなかに速い。
中佐という階級は伊達ではなかった。
俺はギリギリを擬装しつつ、高速で打ち出された突きの1本にわざと被弾する。
少々大げさに仰け反った。
俺とファブノフの顔が、審判役であるダンネルに向かう。
ダンネルは顔を振る。
被弾といっても、突きは俺の肩をかすめた程度だ。
一瞬、入隊試験とやらは中断されたが、ファブノフの集中が切れることはない。
むしろ、ここからが本気だとばかりに、苛烈に前へと出てくる。
慌てふためきつつ、俺は奇跡的に躱しているように見えて、ギリギリで剣の軌道を見切っていった。
「ええい!!」
ファブノフが苛立ち、声を荒らげる。
目の前にいる人間が、普通の現役軍人ならば緊張感を切らすことはなかっただろう。
だが、目の前で戦ってるのは、ミズヴァルド学院の生徒である。
しかも準男爵だ。
侮っている相手を捉えきれず、息を乱してしまうのは仕方がない。
同時に剣筋が雑になったのを俺は見逃さなかった。
「おおおおおおおお!!」
珍しく気合いを入れつつ、俺は突っ込む。
まさに準男爵が死中に活路を求めたと、観衆には見えたことだろう。
が、俺からすれば公算あっての策略である。
俺は身体を投げ出すようにファブノフの突きを躱す。
気が付けば、目の前に相対者の顔があった。
慌ててファブノフは剣を引く。
ここで打倒することは簡単なのだが、それぐらいの時間はやった。
俺の狙いはファブノフから1本を取ることではない。
剣を持った手だ。
ドンッ!!
俺とファブノフが交錯する。
前に出かかりすぎて、俺がファブノフに体当たりするような形になってしまった。
半ば俺はファブノフを押し倒してしまう。
「す、すみません」
わざと声を震わせながら、俺はファブノフに謝る。
「愚か者! ここは戦場だぞ!」
俺の下になったファブノフが剣を突きつける。
すると、ポタリと赤い鮮血がファブノフの頬に落ちた。
「待て」
ダンネルが試合を止める。
俺とファブノフを一旦立ち上がらせた。
そして俺の額の傷を確認する。
「派手に見えるが、傷口は浅いようだ。回復魔法の処置を受けるかな?」
「必要ありません。ここは戦場なのでしょう」
「……良い心がけだ」
最後にダンネルは俺の背中を叩く。
行ってこい、というように。
目の前にはすでにファブノフが立って、構えていた。
俺が試合を続行されることがわかっていたらしい。
「お待たせしました」
「戦場はこんなに甘くはないぞ」
「肝に銘じておきます」
額から血を流し、試合続行を望む学生を見て、貴族たちは拍手を送る。
その勇戦を早くも称えた。
拍手をそれぞれの背中で受けると、俺たちは獲物を構え直す。
奇しくも構えが最初とは逆だ。
息を整えている俺が正眼に構え、まだ余力を残したファブノフが剣を下げる。
構えが整った事を確認したダンネルは叫んだ。
「はじめ!」
ダンスホールの床を蹴ったのはファブノフだった。
速い――みるみる距離を潰されていく。
俺は受けを選択した。
渾身の一撃を予感し、それを見切ることに全力を注ぐ。
果たしてその一撃はやって来た。
俺は上から叩こうとしたその突きは異常なまでに重たい。
おそらくファブノフの必殺の技なのだろう。
俺は軌道を少し反らす。
それでも俺に迫ってくる突きに対し、腰を切って紙一重で躱した。
瞬間、ファブノフの剣軌道がぐにゃりと歪む。
横に薙ぐと、俺はかろうじて剣で受けた。
軽い……。
先ほどよりも剣に力はない。
どうやら、俺の策略はうまくいったようだ。
俺は好機とばかりにファブノフの剣を弾く。
相手の体勢を少し崩れたのを見て、俺は踏み込んだ。
連撃を加えると、ファブノフは一転して防戦一方となる。
「くっ!!」
ファブノフの表情が歪む。
それを確認した時、俺は叫んだ。
「もらった!!」
大振りを狙い、身体を反る。
だが、そこに大きな隙ができた。
それを逃すほどファブノフは甘くない。
「やめ!!」
ダンネルの声が会場に響いた。
気が付けば静かだ。
俺とファブノフの獣のような息づかいだけが聞こえる。
そしてお互いの剣の先は、急所のわずか手前で止まっていた。
「引き……わけ…………?」
ラフィーナはぼんやりと呟く。
皆がごくりと息を飲み、審判の裁定を待った。
ダンネルが引き分けを宣言しようとした時、俺が先に剣を引く。
「お待ち下さい。この勝負、俺の負けです」
「ん? どういうことだ、ブレイドくん」
質問したダンネルに背を向け、俺はファブノフに手を差し出す。
だが、ファブノフは俺に鋭い視線を向けるだけだ。
俺は強引にファブノフが剣を持った手を握った。
「あうっ!!」
ファブノフの表情が苦痛に歪む。
手の指が大きく腫れ上がっていた。
見ていた貴婦人の1人が思わず「痛そう……」と呟く。
「先ほどもつれた時に怪我をされたのかと。ファブノフ中佐が、万全であれば俺は最後の突きか、その後の薙ぎ払いで1本負けしていたはずです」
「待て! ここは戦場だ! たとえ私が怪我をしようと関係ない」
「ええ。中佐の言い分もわかります。ですが、ここは戦場という想定ではありますが、試験の場でもあったはず。俺の力量を測る試験官が、万全ではない状態で、果たして正確に測ることは出来るでしょうか?」
「なにぃ??」
「フフフ……。アハハハハハハハハハ!」
突然笑い出したのは、ダンネルだった。
豪快な笑い声は広い会場に雷鳴のように轟く。
「か、閣下……」
「ファブノフ。これは我々の落ち度だ。ブレイドくんの力量を測ることができる秤を用意できなかった我々のね」
ん?
俺は若干の違和感を感じた。
だが、その違和感を打ち消すような歓声が上がる。
まさに万雷の拍手が、俺とファブノフの包んだ。
「素晴らしい戦いだったわ」
「学生、惜しかったな!」
「中佐さんも怪我をしてるのに」
「よく頑張った、2人とも!」
善戦を称える。
すでにそこに勝ち負けに対するこだわりはない。
ただ死力を尽くした俺たちを称賛する貴族の姿があった。
どうやら擬装は完璧に機能したらしい。
俺も本気を出していないし、試合展開も理想通り勧めることができた。
これはあくまで俺を測る試験だ。
カーナック公爵家の未来を占うものではない。
そう――貴族たちにも印象づけたか否か、それは貴族の表情が物語っている。
皆が充足感を満たし、勝敗よりも試合の中身について語っていた。
「ブレイド!」
ラフィーナが駆け寄ってくる。
綺麗なハンカチを広げて、俺のおでこの血を拭った。
その表情は今にも泣きそうな顔をしている。
「だ、大丈夫か? かなり血が出ているぞ?」
「問題ない。これぐらいはかすり傷だ」
「今、私が治癒をしてやろう」
「ラフィーナは治癒魔法が使えるのか?」
「馬鹿にするな。これでも元皇家の淑女だ」
「淑女という割りには、お前は勇ましすぎる」
「うるさい! じっとしてろ。――聖なる癒やしよ」
ラフィーナは手を掲げ、魔法で俺の傷を癒やしていく。
Eランクの初級魔法だが、きちんと制御されていた。
みるみる傷口がふさがっていく。
「ラフィーナ。俺が終わったら、中佐を頼む」
「それには及ばないよ」
ダンネルとファブノフが立っていた。
ファブノフの手はすでに治癒されている。
どうやら自分で治したらしい。
表情も元に戻り、ダンネルの背中越しから鋭い視線を放っていた。
「いずれにしても今回は引き分けだ」
「なんだい。怪我していたとはいえ、ブレイドは善戦したんだよ。勝ちってことにしてくれても罰が当たらないだろう」
カーナック公爵夫人が控えめに抗議する。
その横で俺自身が諫めた。
「夫人、ご厚意は嬉しいのですが、これが俺の実力です。ならばミズヴァルド学院で徹底的に鍛えて、卒業したら試験を受けさせてもらうということでどうでしょうか? もちろん、今度は正式に」
「良かろう。待っているぞ、ブレイド」
言葉を返したのは、ファブノフだ。
その殺気を含んだ言葉に、目の前で聞いていたダンネルが笑う。
俺の側まで寄ってくると、そっと耳打ちした。
「楽しみにしておるよ。君の真の力量を測れる日を……」
ダンネルは踵を返し、手を振って会場から去って行くk。
どこまで本気で、どこまで俺の力量を理解したかはわからない。
さすがは伝説といったところか。
やはり食えない老将で間違いなかったらしい。




