mission16 弟子、乙女心を学ぶ
「ラドリーン・アルベルダです。よろしくお願いします」
頭を下げた瞬間、凜と金髪が揺れる。
姿勢を戻し、柔らかな笑顔とともに女性の色香が教室に漂った。
一瞬にして教室にいた準貴族たちを魅了する。
特にポロフは顔を赤くし、熱烈な視線を見窄らしい教壇に立ったラドリーンに向けていた。
彼女を紹介した俺は1歩進み出る。
「ラドリーンは俺の知り合いの娘だ。皇帝宮に務める使用人で、どこかで会ったことがあるかもしれないが、こう見えて彼女は貴族の教養にとても深い知識の持っている。貴族たちが雇う家庭教師よりも、ずっと優秀だ。学ぶことも多いだろう」
「教員の免許も持っておりますので、ご安心を」
ラドリーンはこれ見よがしに手の平サイズの教員免許を掲げた。
「「おお!」」
ポロフとマイアの目が輝く。
前任者が前任者だっただけに、喜びも一入だろう。
すると、ラフィーナの手が上がる。
「ブレイドの紹介というなら安心できるが、魔法はどうするんだ? 魔法は使えないのだろ?」
なるほど。
ラフィーナの言うことはもっともだ。
ミズヴァルド学院は貴族がその教養と魔法を正しく運用する方法を学ぶ場である。
そのカリキュラムの大部分が、魔法学習に割かれているため、教師はその手本となることを求められるのだ。
ラドリーンの知識、武術は申し分ない。
だが、貴族でない以上、ラフィーナの指摘通り魔法を使うことができなかった。
「その点はあまり心配していない。貴族についている教師も、必ずしも魔法が使えるわけじゃない。魔法の実戦感覚は学び取るのではなく、感じ取る部分が大きいことは、ここにいるものならわかっているんじゃないか?」
魔法学習というのは、才能を引き揚げるという類いのものではない。
一般的に開示されていない情報を公開し、解釈を説明することが主な学習内容になる。
魔導書を読んだから、魔法を使えるわけではない。
魔力を感知する能力は、個々の感覚に由来する。
自分自身が鍛冶師となり、研ぎ師となって研磨するしか、魔法の上達は見込めないのだ。
「確かにな」
ラフィーナは俺の説明を認めたが、どこか釈然としない様子だった。
ムッと頬を膨らませ、腕を組んでいる。
何故か午前中は、一切目を合わさなかった。
◆◇◆◇◆
昼休みになり、俺たちは学食へと向かう。
カーナック公爵未亡人が声をかけてくれたおかげで、学食を気兼ねなく利用できるようになった。
ラドリーンの件といい。
カーナック夫人は、今や俺たちにとっては心強い味方だ。
喜ばしいことなのだが、ラフィーナの機嫌は直っていなかった。
「何を怒っているんだ?」
「別に怒っていない」
ぷいっと俺から目を背ける。
まるで子供が駄々をこねてるみたいだ。
やっぱり怒ってるじゃないか。
すると、向こうから口を開いた。
「私は聞いてないぞ」
「何が?」
「ラドリーン殿のことだ」
「ん? ラフィーナは反対か?」
「そうじゃなくて……。あんな美人と知り合いなんて、私は知らなかったぞ」
「美人……? ラドリーンがか。まあ、否定はしないが――――ん? どうした? ラフィーナ。顔が怖いぞ」
「当たり前だ。怖い顔をしているからな。悪かった。ラドリーン殿のような――」
「わたくしがどうかしましたか?」
声に気づき、ラフィーナはようやく振り返る。
ずっと彼女が後ろにいたことに気付かなかったらしい。
ラドリーンもラドリーンだ。
何故か、気配を消して、ラフィーナの話を聞いていた。
ラドリーンのルックスの良さは認めるところだが、ラン師匠譲りの意地の悪さは、俺も舌を巻くほどであった。
「聞いておられたのですか?」
「はい。ずっと……。んふふふ」
ラドリーンは大人の余裕を見せつけるかのように微笑む。
口惜しやとばかりにラフィーナは肩を震わせた。
「す、すみません」
「いいんですよ。気持ちはよくわかりますから。ね、ブレイド君」
何故、そこで俺を見る?
「それよりもお二人にお渡しせよと、カーナック夫人より承ってきました」
ラドリーンは各1通、手紙を渡した。
カーナック公爵家の判が押された封を切り、手紙を広げる。
社交界の誘いだった。
◆◇◆◇◆
「うふふ……。ブレイド様には、まだまだ理解できないかもしれませんね」
部屋にある姿見で俺は襟締の位置を確認していた。
その背後にラドリーンは勝手に授業を開いている。
テーマは「乙女心」だ。
襟締の位置を整え終えると、最後にロヴィアナから届いた社交界用の礼服の上着に袖を通す。
採寸はぴったりだ。
この時のためにわざわざ俺用に作ってくれたのだろう。
「理解できていないとはどういうことだ?」
「そのままの意味ですわ。こればかりは経験……いえ――一生わからないかもしれませんね」
「一生わからないままなのは、困るな」
「あら……。それはどうしてでしょうか?」
ラドリーンは少し詰問口調で俺に尋ねる。
考えてみたが、確かに困るという表現はおかしい。
いや、必ずしもおかしいわけではないが……。
「それよりも、ラフィーナの方は大丈夫なのか?」
「あっちはマイアさんにお任せましょう。彼女は仕立屋のお嬢さまのようなので。わたくしよりも慣れてるかもしれません。それにお忘れですか? ラフィーナさんは、元とはいえ皇孫女殿下ですよ」
「忘れていたわけではない。少し気になっただけだ」
「ふふふ……」
「何故、そこで笑う、ラドリーン?」
「いえ。何でもありませんわ。いってらっしゃいませ」
準備が整う。
腕時計に目を落とすと、開場時間が迫っていた。
部屋を出る前に、ラドリーンは最後のレクチャーを行う。
「ブレイド様、この世に不機嫌な女性をなだめることができる魔法の言葉なんてありませんわ」
「それは残念な知らせだな」
「ただ女が求めることは、ただ1つです。誠実であること……。お心のままに話しかけてあげて下さい」
「……わかった。ありがとう、ラドリーン」
礼を言って、俺は社交界へと向かった。
会場前には意外と人だかりができていた。
俺は素直に驚く。
仮にも没落貴族といわれるカーナック公爵家が主催する社交界だ。
もっと人が少ないと思っていたが、まだまだ公爵位というのは、世に通じるらしい。
俺は入口の前に立つ。
あちこちで大人たちが挨拶を交わす中、突然「おお」と声が上がった。
綺麗な歩き方だ。
皆の視線を奪っていくのもわかる。
高いヒールを物ともせず、静かに上品に俺の方に近づいてきた。
俺の前に現れたのは、ラフィーナだった。
大胆に肩を露出したワンピース型のドレス。
色は青。けばけばしさがなく、必ずしも華美なデザインではないが、胸元がチラリと見えるほどには魅惑的だった。
白い肌の二の腕をさらし、薄い生地のスカートはシュッとして、細い足首が見えている。
着ているドレスに派手さはない、それでも男たちが好奇の視線を注ぐのは、それだけ着ている者に合っているという証拠だろう。
何より驚くべきは、そんな好色な視線を受けても、ドレスを着た者が一切動じる様子がないことだ。
見慣れた制服姿ではなく、こうしてドレス姿を見ると、彼女が一国の皇孫女殿下であったことを、否応にも再認識させられる。
「な、なんだ、ブレイド? あまりジロジロ見るな」
これだけ好奇の視線にさらされているのに、何故俺だけが叱責を受けなければならないのか――軽く理不尽に思いながら、俺は口を開いた。
「すまない」
「べ、別に……。謝るほどでは……。確かにドレス姿は見慣れ――」
「いや、そういうことではない」
「……え?」
「ラドリーンの件。お前に何の相談もなく決めたことは謝る」
「え? え? い、いいいいや、別にそれも謝ることはないぞ。お前がよかれと思って手配してくれたのだ。わ、私の方こそすまなかった。少し――いや、かなり大人げなかったと反省している」
ラフィーナは今日初めて俺に目を合わせた。
怒っているわけではない。
若干顔を赤くしながら、ちょっと困り顔を浮かべていた。
俺もまた平静を装いつつ困っていた。
どうやら俺の謝罪は空振りに終わったらしい。
てっきりそのことについて怒っていると思っていたのだが……。
しかし、違うというのに、何故ラフィーナが反省するのだろうか。
全く辻褄が合わない。
これがラドリーンが言う乙女心というヤツか。
なるほど。彼女が言うように、一生理解できないことかもしれないな。
「そ、そろそろ中に入らないか」
「ああ……」
俺は手を差し出す。
エスコートするためだ。
ラフィーナは少し逡巡した後、俺の手を取る。
屋敷のある階段をゆっくりと登り始めた。
「そう言えば、言い忘れていたことがある」
「なんだ、ブレイド?」
「そのドレス……似合っているぞ」
きゅ~。
ん? なんだ、今の音は?
俺は周囲を探ったが、何かまでは掴めなかった。
ただ目の前に、顔を真っ赤にしたラフィーナが立っている。
その手が小刻みに震えていた。
繋いで手が急激に熱くなっていくのを感じる。
まるでまた――。
「ラフィーナ、やはり怒っているのか?」
「おおおおお怒ってない!!」
激しく否定する。
俺の手を振り払い、そのままスカートを摘まんで、足早に屋敷の中へと入っていった。
俺は呆然と立ち尽くす。
整髪料で固めた髪を撫でて、肩を竦めた。
やれやれ……。
どうやら俺はラドリーンの乙女心講座を、再履修しなければならないようだ。
甘酸っぱいんじゃ~。




