mission15 弟子、信頼を勝ち取る
俺がロヴィアナにコウ師匠直伝の珈琲を振る舞ったのは、偶然ではない。
彼女がコウ師匠のことを覚えているか試すためだ。
カーナック公爵未亡人と、コウ師匠の関係は知っていた。
彼女が話すほど美談には聞かされていなかったが、2人が親密であったことは確かである。
『こんな思い出話も何かの役に立つだろう』
多少冗談っぽく話してくれたが、コウ師匠は非常に思慮深い人だ。
おそらくこういう事態を想定して、俺に珈琲の挽き方とカーナック公爵未亡人との関係を話してくれたのかもしれない。
さすがは俺の尊敬すべき師匠である。
「コウが生きているのかい?」
「はい。今も元気でおります」
「そうか。コウが宦官となり、後に皇帝宮から追放されたことは知っている。だが、風の噂で信じられないことを聞いた。コウが――――」
「ええ……。すべて事実です」
「では、あんたがコウの弟子で、ここにいるということは……。なるほど。そういうことかい」
ロヴィアナは顎を撫でて、考え込む。
何か1人納得すると、口から笑い声を漏らした。
「確認するよ。ブレイド、あんたの目的は?」
「このミズヴァルド学院を卒業し、晴れて正式に貴族となること」
「その後は?」
「その後――――」
ピクリと俺は眉を動かした。
師匠たちの指示では、学院を卒業する事だ。
直接受け取ったわけではないが、まず間違いはないだろう。
しかし、仮にその先があるとすれば……。
すると、カーナック公爵未亡人は手で制した。
「いや、それ以上は言わなくてもいい。あたしの心に止めておくだけにしよう。誰が聞いているかわからないからね」
ロヴィアナは入口の方を振り返る。
外の気配を探るように見つめた。
が、生憎と没落貴族を見張るような物好きはいないらしい。
「どうやら、あたしにもまだ打つ手はあったようだ」
「打つ手……?」
「わかった。お前に協力しよう」
ロヴィアナはいきなりそう切り出した。
さすがの俺も、これには面を食らう。
時間をかけてゆっくりと交渉し、カーナック夫人に協力を仰ごうとは考えていた。
だが名家の公爵が、元平民である準男爵に手を貸すのだ。
あまりにも家柄に差がありすぎる。
コウ師匠との伝手があるとはいえ、交渉は難航すると思っていた。
しかし、ロヴィアナはあっさりと手を組むことを約束してくれた。
多少の誤解はあるような気がしたが、俺は予定していたシナリオを、咳払いとともに頭の隅に追いやる。
ともかく頭を下げて、謝意を示すことにした。
「ありがとうございます」
「礼はいい。それよりもすでに何か困ってることがあるんじゃないのかい? だからここに来た」
さすがの慧眼だ。
コウ師匠が認めるだけはある。
「差し当たって、困っているのは教官の確保です。学院は俺たちにまともな教育を受けさせる気がないようです。このままでは定期試験すら受けられないかもしれません」
「教官か。伝手はないわけじゃないが、こっちはずっと10年間引き籠もってきたからね。当たってはみるが……」
「では、1人優秀な人物をこちらで推挙します。夫人のお知り合いということで、教務課にご推薦いただけないでしょうか?」
「あんたはやらないのかい? コウが認めた弟子だ。相当できるんだろ?」
「不肖の弟子ですので」
俺はやんわりと断る。
すると、ロヴィアナは笑った。
「ふふふ……。その皮肉ったらしい言い方はコウにそっくりだよ」
「恐れ入ります」
「さて2つあたしから頼み事がある」
「俺ができることであれば」
「お前たちの教室に、お姫様がいるだろ?」
俺は一瞬息を飲んだ。
「知っておられたのですね」
「腐っても貴族でね。皇帝宮内で起こっていることは、イヤでも耳に入るのさ」
カーナック公爵家は、7大皇家の1つマージュ家の後ろ盾だった。
ラフィーナのことを知っていても、おかしくはない。
「ラフィーナをどうするつもりですか?」
「どうもしないよ。久しぶりに顔が見たくなっただけさ」
「わかりました。2つめは?」
そう言うとロヴィアナは立ち上がった。
部屋の中にあった小物入れに手を突っ込む。
何かを取り出すと、俺に投げて寄越した。
「そいつで、あたしを虚仮にした伯爵坊やを連れてきてほしいんだよ」
俺は手を開いた。
カーナック家の家紋が付いた『家臣徽章』であった。
◆◆◆◆◆◆
俺は扉を思いっきり開いた。
そのまま部屋の中へと押し入る。
「お前――」
立ちはだかったのは、ラーパメント家の使用人バンダルだ。
突然、主の部屋に入ってきた不埒者を成敗せんとばかりに俺を睨る。
最初から光り物を抜き、俺に迫った。
俺はあっさりとかわすと、足を払う。
くるりと回転すると、バンダルは部屋の床に背中を強かに打ち付けた。
受け身が取れなかったのだろう。
激しく咳き込みながら、床の上で芋虫のようにもんどり打つ。
介抱することもなく、俺たちが学ぶ教室よりも広い部屋の奥へと進んだ。
騒ぎを聞きつけたのか。
奥の扉を開けると、ちょうど目的の人物と出くわした。
グレメン・ザム・ラーパメントである
如何にも二枚目といった色男だが、本人からは強烈なヤニの匂いがした。
奥に目を向けると、半裸の女がいる。
乱れた髪を掻き上げながら、俺の方を鬱陶しげに見つめていた。
恐らく貴族の子女ではなく、使用人を引っかけたのだろう。
グレメン学生寮長の女癖が悪いことは、噂で聞いていた。
「なんだ、お前?」
「ブレイド・アノゥ・ヘルツェン」
「アノゥ……? ああ、準男爵か。一体、何のようだ」
「カーナック公爵未亡人がお呼びです」
「はあ? なんで俺様が? さてはお前、何か粗相をやらかしたな。俺は知らねぇぞ。自分のケツは自分で拭け」
「ご心配には及びません、学生寮長。カーナック公爵未亡人は俺の世話係としての仕事に、大変満足しておられました」
「だったら、なんで俺様が呼び出しをくらうんだよ」
「本当にわかりませんか?」
俺の目が部屋の明かりを受けて揺らいだ。
一瞬、鋭く光った目を見て、グレメンは鼻白む。
だがすぐに反撃に転じ、俺の胸倉を捕まえた。
「ああ? 準男爵が調子に乗ってんじゃ……ねぇ…………よ」
グレメンの怒りが急激に冷めていく。
大きく見開かれた瞳は、俺の左胸に注がれていた。
「おい。おいおい……。何の冗談だよ、それ。お前のその徽章……」
「なるほど。それを理解できるほどには、寮長は頭がいいようですね」
「どこで手に入れた!」
「手に入れたわけではありません。戴いたのです。カーナック夫人から」
「な――――ッ!!」
「カーナック夫人は、大事な自分の世話係の務めを、平民上がりの準男爵に押しつけたことについて、ひどくご立腹です。私が言っていることは事実であることはご理解いただけますか?」
わざとらしく戴いた家臣徽章を撫でる。
さらに視線でグレメンを射抜いた。
「即座に召喚に応じることをオススメします。さもなければ――」
「さ、さもなければ……」
「小さな伯爵家を捻り潰すなど、造作もないと仰っておりました」
「ひぃ……。ひぃいいいいいいいいい!!」
グレメンはその場を出ていこうとする。
俺はその手を取り引き留めた。
「お待ち下さい」
「まだ何かあんのか!!」
「これを……」
俺はグレメンにある衣装を渡す。
ついでにちょうど後ろにいたバンダルにも1着投げた。
「な、なんだよ、これ?」
「これを着て、屋敷を訪れろとの仰せです」
「くそ! ば、馬鹿にしやがって!! あのババア」
グレメンは衣装を広げると、表情を大きく歪める。
すると、俺はまた胸に手を置いた。
「今のは公爵未亡人に対する暴言でしょうか?」
「グレメン様。今は堪えてください!」
すでにバンダルは衣装を着始めていた。
俺が追加したカチューシャを頭に載せる。
涙目になりながら、グレメンも渡された衣装を着始めた。
そのまま2人は学生寮にある自分の部屋を飛び出す。
メイド服を着て、学生寮の廊下を走る2人の男を見て、嘲笑が浴びせられた。
グレメンとバンダルがカーナック公爵未亡人の屋敷に向かったことを、俺は窓外を見て確認すると、学生寮の入口にラフィーナが立っていることに気付いた。
ラフィーナはグレメンとバンダルが去っていった方向を見ながら、寮を出てきた俺に話しかける。
「騒ぎが外まで聞こえていたぞ。本当にカーナック夫人は、メイド服を着た男をご所望なのか?」
「なに……。せめてもの礼だ。俺とカーナック夫人を引き合わせてくれたな。あの姿を見れば、夫人も無茶なことはしないだろう」
「ブレイドがカーナック夫人と知り合いなんて初めて聞いたぞ」
「正確には共通の知り合いがいただけだ。知り合いではない」
俺は肩を竦めて、返答した。
あっさりとした答えがお気に召さなかったらしい。
ラフィーナは少し頬を膨らませて、俺を睨む。
俺は仕方なく話題を転じることにした。
「カーナック夫人に何を言われた?」
質問すると、ラフィーナは急にしおらしくなった。
神妙な面もちで疑問に答える。
「ブレイドは信用できる男だと……」
「俺を信用していなかったのか?」
「そうではない。しかし、お前には色々秘密がありすぎる……気がする。カーナック夫人のことだって」
「それは言ったはずだ。共通の――」
「そうじゃない。一言ぐらい相談してくれてもいいじゃないか。こういう時のために、我々は準男爵同盟を結んだのだろう?」
ラフィーナは顔を赤くしながら、俺を責めるように睨んだ。
ああ。なるほど。
そういうことか。
ラフィーナは俺とカーナック公爵未亡人の関係を疑っているわけではない。
彼女の世話係を押しつけられたことについて、自分に相談しなかったことを怒っているのだろう。
駄々をこねた子どものようにだ。
確かに夫人とラフィーナは既知の仲である。
相談すれば、きっとラフィーナから解決に導いてくれたかもしれない。
「それとも、そんなにお前の未来の皇帝は頼りがいがないか」
俺は首を振った。
「わかった。今度からは一考しよう」
「必ずだ。必ずだからな!」
ラフィーナは念を押す。
「他に何か言ってたか?」
「直接謝罪を受けた。父と母を守ることができず、すまないと」
ロヴィアナにとっても、マージュ家の滅亡は無念であったに違いない。
本来なら、彼女がラフィーナを守るべき立場であったはずなのに、結局それすら公爵家は果たすことはできなかった。
存外、ラフィーナが始皇帝の庇護にあったのは、ロヴィアナの嘆願によるものなのかもしれない。
ロヴィアナは一時期社交界で名を馳せた貴人だ。
始皇帝の覚えがあっても、何ら不思議ではない。
「お前なんと返したんだ?」
「お前たちを守ってやれなくてすまない、と……」
「そうか」
「今は誰かに頭を下げることしかできない。だが、いつかきっと……。皆とともに、頭を上げて笑い合える国を作りたい」
顔を上げて、ラフィーナは誓う。
その横顔を見ながら、俺もまた誓約する。
ラフィーナを皇帝にする、と――――。
自粛延長ということなので、もうちょっと頑張って毎日更新しますね。
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