mission13 弟子、お世話をする
雌鳥が鳴く声が、皇帝宮の中にある畜産小屋から聞こえる。
白々と東の空が明け始め、濃い青へと色を変えようとしていた。
俺は朝の訓練を終え、学生寮へと戻ってくる。
自室の前に来ると、やや眠そうな顔をした男子学生が立っていた。
俺の方を見ると、「チッ」と舌打ちする。
薄い色の金髪を背中まで垂らし、陰険なタレ目をこちらに向けた。
その胸には「伯爵」の家臣であることを示す徽章がついている。
「家臣徽章」と呼ばれるもので、家臣を使って貴族に願い出る時などに、主の庇護にあることを表している。
つまり、この男自体は平民だ。
しかし「家臣徽章」を付けている限り、主の爵位に相当する権限があることを示していた。
中身は平民でも、準男爵とはいえ貴族の端くれである俺に、不遜な態度をとれるのは、その「家臣徽章」のおかげなのだ。
デザインからして、グレメン・ザム・ラーパメントの使用人だろう。
グレメンは2年上の先輩で、学生寮の寮長を務める貴族だ。
入寮の挨拶の時に、1度だけ顔を合わせている以外、あまり接点はない。
おそらくその主はまだベッドの中だろう。
貴族がこんな時間に起きられる訳がないからである。
代わりに家臣が俺の前にやってきたというわけだ。
「ブレイド・アノゥ・ヘルツェルだな」
「はい。ラーパメント家の方ですね」
ほう、グレメンの家臣は唸る。
胸の「家臣徽章」を軽く指で撫でた。
「よく家臣徽章だけでわかった。ふん。勉強はしているようだ」
「恐縮です」
「私の名前はバンダル。察しの通り、グレメン伯爵閣下の家臣のものだ。ここには、お前に渡す物があってやってきた」
バンダルは持っていた何かを俺に投げる。
受け取めると、それは服だった。
「これは?」
「制服みたいなものだ」
「制服? 俺には女給の服にしか見えないが?」
俺は渡された服を広げる。
質素な黒のワンピースに、対称的な真っ白なエプロン。
エプロンの裾にはフリルまで付いている。
どう考えても、女物だった。
「ぷくくくく……」
バンダルは堪えきれず笑う。
タレ目がさらに垂れると、より下品に見えた。
そして俺の質問に答えず、話し始める。
「ミズヴァルド学院の学生は、持ち回りで皇帝宮に住む家門の当主の身の回りの世話をすることになっているのは知っているな」
「はい。もしかして、俺にその役目を果たせと?」
「そうだ」
「ですが、その役目は男爵以上と聞いております。俺は準男爵です。学院の中でも、平民と罵られているのに、そんな方々の身の回りの世話をすれば、気を悪くするのではないのですか?」
「それを言うなら、私も平民だぞ。それでもグレメン様にお仕えできているのは、その仕事ぶりを評価されてのことだ。立派に務めを果たせば、貴族様たちは正当な評価をお与えくださる」
バンダルは口角を上げる。
何かを企んでいることは明らかだ。
大方、貴族の世話係をやらせて、準男爵の俺に恥を掻かせるといったところか。
断るにしろ、受けるにしろ――どちらも面倒そうだな。
「わかりました。世話係をお受けさせていただきます」
「よろしい」
「それで俺は誰を担当すればいいのでしょうか?」
「カーナック公爵未亡人だ」
俺はわずかに眉を顰める。
「準男爵のお前にとっては、天上の彼方におられる方だ。その身の回りの世話をできることを有り難く思え」
バンダルは俺を労うように肩を置き、その場を去っていく。
そのまま廊下の向こうに消えるかと思ったが、唐突に立ち止まった。
「ああ。そうだ。くれぐれも公爵家の方々に粗相を起こすなよ。あの方々の前では、準男爵の命などその辺の雌鳥よりも軽いのだからな」
捨て台詞を残し、バンダルはまだ朝の空気が漂う学生寮の闇に消えていった。
その姿を見送った後、俺は自分の部屋に入る。
机の上に渡された女給の服を広げた。
ロヴィアナ・セイン・カーナック公爵未亡人。
今のカーナック公爵家の当主だ。
元々強い勢力を誇り、ある皇家の後ろ盾だった。
ある皇家とはつまりマージュ家である。
マージュ家が後継者争いに敗れて以降、同時に当主も死去。
カーナック家の栄華も次第に廃れていった。
今では爵位こそ公爵であるが、社交界にも顔を出さず、近づく者もいない。
公爵未亡人も、家に引き籠もって、浴びるように酒を呷る日々だという。
典型的な没落貴族だ。
そんな厄介者を世話を、準男爵の俺に任せたのである。
「とはいえ、公爵は公爵だ」
俺は鋏と糸を取り出す。
作業に取りかかった。
◆◆◆◆◆◆
ロヴィアナ・セイン・カーナックは元男爵家の令嬢であった。
その姿は10代の頃より美しく、常に社交界の注目の的だったという。
容姿に加えて、頭もよく、ダンスのセンスもいい。
口を開けば美声を発し、舌を動かせば男顔負けの舌戦を繰り広げる。
男女問わず、憧れの的であった。
そんな彼女の心を射止めたのが、亡くなったカーナック公爵家の当主だ。
一回り年は違ったが、ロヴィアナは自分にない包容力と落ち着いた印象を持つ当主に惚れ、当主も若く活力のあるロヴィアナにぞっこんだった。
その2人の盟友とも言うべき家門が、マージュ家だ。
次第に熾烈になっていく後継者争い。
それに疑問に思ったマージュ家の後ろ盾となり、盟友を支えた。
だが、結局マージュ家は後継者争いから脱落。
見せしめとばかりに、カーナック公爵家当主は暗殺された。
こうしてロヴィアナは友人と当主を1度に失い、残ったのは皇帝宮内に建てられたやたらと広い屋敷だけだった。
当然ロヴィアナは失意の底に沈み、そして10年の月日が流れる。
『宝石』と湛えられた美貌は鍾乳石のように垂れた皮下脂肪に代わり、社交界一のステップを踏んだ足は、蕪のように膨らんでいた。
喉は酒によってしゃがれ、口を開けば相手を罵倒する言葉しか出てこないという有様だった。
当時の彼女を知る者が今の姿を見れば、社交界を騒がせたあの絶世の美女とは誰も思わないだろう。
そんなロヴィアナの朝は遅い。
本当ならもっともっと寝ていたかった。
ずっとずっと永遠にだ。
瞼を開けた時、新しい朝の始まりの期待感よりは、また今日も生きてしまったという後悔だけがあった。
10年溜めた怨念が棲み付く巨躯を起こす。
すっかりロヴィアナの身体は、横に広がってしまった。
「おはようございます、ロヴィアナ様」
聞き慣れない声に、ロヴィアナは一瞬反応する。
「あんた、グレメンじゃないね」
すぐに今日がミズヴァルド学院の学生の世話周りの日であることを思い出す。
こんな身体にはなったが、忌々しいことに記憶力だけは若い時のままだった。
1度見聞きしたことは、なかなか忘れない。
だから、今でも昔のことは鮮明に覚えている。
自分が愛した人間の死に様もだ。
「全く……。あのガキめ。サボったのかい? まあ、あたしはなんでもいいけどね。とりあえず酒を――――」
ロヴィアナが言い終わる前に、ずっと閉めきったままだった部屋のカーテンが開かれた。
朝ではなく、容赦のない昼の光が入り込んでくる。
強い光はロヴィアナの目を焼くと、創作物に出てくる怪物のように陽の光に抗った。
「まぶし! いきなり開けるんじゃないよ!!」
ロヴィアナは怒声を発する。
だが、次の瞬間絶句した。
「え――――ッ!!」
陽の光とともに、ロヴィアナの視界に飛び込んできたのは、ある意味異様な光景であった。
きちんとワックス掛けされた床。
柱ですらピカピカに磨かれている。
床に放りっぱなしになっていた空瓶は捨てられ、まだ残っている酒は綺麗に磨いた上で、酒棚の中に丁寧に仕舞われている。
異様な匂いを放っていた食い散らかしも掃除され、落ち着いた香水の香りがかすかに鼻を衝く。
側には瀟洒な1本足のサイドテーブルが置かれ、酒ではなく、カットした青檸檬が入った水差しが載っていた。
自分の部屋であることは、すぐに認識はできたが、もはや別世界である。
ロヴィアナの部屋はもはやゴミ屋敷に近かったはずだ。
なのに綺麗に掃除されていることはおろか、内装も若干変わっている。
そもそもベッドの位置が変わっていた。
友人と夫が暗殺されて以降、ロヴィアナの眠りは浅い。
どれだけ深酒をしても、ちょっとした物音で目を覚ましてしまう。
側で掃除をし、家具を動かせば、絶対に気付くはずである。
それは即ち――今目の前にいる男が、何の物音も立てず遂行したことに他ならない。お伽噺に出てくる小人の犯行だと言ってくれた方が、いっそ清々しいだろう。
いずれにしろ公爵夫人が寝入る寝所に侵入したことは間違いない。
世紀の蛮行である。
しかし、そんな怒りを吹き消すほど、部屋の中は完璧に整っていた。
今、ロヴィアナは約十数年ぶりに感動していたのである。
「あ、あんた、何者だい?」
ロヴィアナはベッドに座ったまま、謎の学生に視線を向けた。
黒い髪に地味な顔。だが身体は程良く鍛えられている。
特筆する箇所は少ない一方で、妙な雰囲気を持っていた。
床に刺さった1枚の刃のように部屋に佇んでいる。
その割にはへんてこな恰好がおかしい。
薄地の黒のスーツに、袖口のデザインがやたらと派手で、フリルのようなものがついている。
一体どう形容すればいいか悩んでいると、学生は恭しく頭を下げた。
「お初お目にかかります、カーナック公爵未亡人。私はブレイド。ブレイド・アノゥ・ヘルツェンと申します」
名乗った後、学生はさらに言葉を付け加えた。
夫人に最高のおもてなしをするために、やって参りました。
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