mission12 弟子、採点する
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「これはどういうことですか、ポーラス教官。持病をお持ちだというなら、最初から申告していただかないと……」
そのよく通る声は薄暗がりの部屋に響いた。
平民の家ならそのまま移築して建てられそう広い個室。
浮かんでいたのは橙色の蝋燭の光である。
吹けば飛ぶような弱々しい光の中で、男女が向かい合っていた。
1人は準男爵の教官を務めるポーラス。
そして、その青ざめた顔を向けた先にいるのは、彼より遥かに年下の少女である。
緩やかに靡く黒髪。蝋燭の明かりの中でも白く輝く肌。
エメラルドに似た光を放つ緑色の瞳は、暗闇の中でもぼうと光っていた。
ローゼマリー・ヴドゥ・キストラニス・ザイン。
現皇帝の孫であり、ミズヴァルド学院の生徒会長を務める彼女が、元暗部という経歴を持つポーラスをこの学院に引き入れた張本人であった。
ローゼマリーはまだ学生だ。
しかし、その権限はミズヴァルド学院の上層部を軽く凌駕する。
学院長ですら、ローゼマリーの手足でしかない。
それほど、皇族という身分は強い。
貴族社会のジョーカーが、自分好みの人事を行うなど造作もなかった。
それを知っているからこそ、ポーラスも手を出さない。
事実、ポーラスはこの娘の前で額から脂汗を滴らせ、青い顔を地面に擦りつけることしかできていなかった。
得意のナイフを繰り出せば、簡単にその喉元を切り裂くことができるだろう。
しかし、出来ない。
こんな小娘でも皇孫女殿下である。
逆らえばタダではすまない。
おそらく死よりも恐ろしい地獄が待っているだろう。
そう容易く想起できるほど、すでに目の前のローゼマリーには覇王としての相が、すでに備わり始めていた。
「し、失礼ながら発言をお許し下さい」
「いいわ」
「私に持病はございません」
「なら何故、2度も平民の前で倒れたりしたのかしら」
「そ、それは恐れながら、あのブレイドという男にあります」
「聞いているわ。そんなにあの男が気になる? まあ、平民の割には、そこそこ顔がイケてることは認めるわ。でも…………ああ、そういうこと。あなたには男色の――――」
「ち、違います」
ローゼマリーの言葉を遮り、ポーラスは説明を続ける。
「ローゼマリー殿下。ブレイド・アノゥ・ヘルツェルという学生は、ただ者ではありません」
「どうただ者ではないというの?」
「ヤツは恐らく私に近い側の人間です」
「あなたに近い側の人間?」
「誰かに雇われた暗殺者かもしれません」
ポーラスは顔を上げる。
眉間に汗を垂らしながら、ローゼマリーに真剣な眼差しを送った。
一瞬の沈黙の後、聞こえてきたのは軽やかな乙女の笑声である。
ローゼマリーが突然お腹を押さえて笑い始めた。
「アハハハハ……。暗殺者? そんな馬鹿な……。あなたに言われて、そのブレイドっていう男の子の経歴を洗ったけど、何も出てこなかったわ。それはあなたも知っているでしょう?」
「はい。ですが、ローゼマリー殿下。我々は暗部の中には、こういう言葉がございます。限りなく白であることは、同時に限りなく黒に近い――と」
ポーラスは暗部時代の言葉を引き合いに出す。
だが、ローゼマリーの受けはいまいちらしい。
よく手入れされた爪の方が気になるらしく、側にあった蝋燭に手を掲げていた。
「ねぇ、ポーラス。あなたから見て、ブレイドとラフィーナちゃんって特別仲が良かったりするのかしら」
「え……? は、はあ……。断言はできませんが、特別の仲というほどではないにしろ、それなりには……。そもそも準男爵同士、団結力が高く――――」
「そう……。なら、ブレイドを殺しましょう」
あっさりと物騒な言葉を持ち出したローゼマリーに、ポーラスは驚く。
クスリと笑った皇孫女殿下の顔は、暗闇の中でひどく歪んでいた。
「よろしいのですか? ここは学院の中ですが」
「遠慮をすることはないわ。ここは私の学院の中なのですから。それとも自信がない? 元暗部のポーラス殿」
「手段を選ばないのであれば……」
ついにポーラスの顔にも笑みが浮かぶ。
恭しく頭を下げた。
「構わないわ。あ――学生寮ごと爆破なんてのはダメよ。狙われたのが、ブレイドだとわかるようにしてほしいの」
「ブレイドが狙われたことを――ですか?」
「そう」
ローゼマリーは目を細め、うっとりするぐらい蠱惑的に微笑む。
誕生日にプレゼントをもらった時の子どものように、無邪気に喜んでいるように見えた。
再びポーラスは頭を下げる。
そして闇の中へと消えていった。
ローゼマリーは窓外を望む。
真っ暗闇の皇帝宮の中に、ミズヴァルド学院本校舎が沈んでいた。
その姿を見ながら、ローゼマリーの口角が歪む。
「大切なご学友が死んだら、あなたはどんな風に悲しんでくれるのかしら」
不敵の笑みもまた、皇帝宮を包む闇の中に沈むのであった。
◆◆◆◆◆◆
『暗殺稼業は因果である』
これはサイ師匠の言葉だ。
どれだけ気配を消し、感情を消し、痕跡を消しても、人を殺すという因果は自分のところに周り回って戻ってくる。
まさしく死のブーメランだ。
故に暗殺者というのは、自分の命を守ることに、仕事以上に気を遣う。
だから俺は自分の部屋のカーテンを全開にしたことはないし、あてがわれたベッドの上で寝たこともない。暗がりの中で潜み、ベッドよりも硬い床の上や、かび臭い天井裏に寝転がり、熟睡することなく身体を休めるのが常だった。
今日もいつも通りベッドの上に丸めた訓練用のマットを置き、その上に掛け布団をかける。
感触を確かめると、俺はベッドと壁の隙間に潜り、瞼を閉じた。
端から見れば、無駄な警戒と思われるかもしれない。
だが、今日はその努力が報われた日であるようだ
俺がその気配に気付いたのは、それが部屋のある4階のフロアに侵入した時だった。
不細工な気配の消し方だ。
足音もかすかに聞こえる。
身体に隠したナイフが袖を擦る音がダダ漏れだった。
漲る殺意からして、誰かを殺すつもりであろう。
そしてその標的は一目瞭然であった。
つまりは、俺だ。
暗殺者は俺の部屋の前で立ち止まる。
何の警戒もなく、鍵の解錠を始めた。
俺はため息が出そうになったのを、ぐっと堪える。
相手は学生と油断したのか。
いや、ヤツには十分俺がただ者ではないことを知らせたはずである。
なのに、気配の消し方もダメ、警戒心もない、加えて解錠にかかる時間も遅い。
これがかつて裏社会に生きた者というのだから、呆れてため息すら忘れてしまう。
仮に俺が師匠たちの前で同じ事をすれば、サイ師匠に目を突かれ、ムン師匠に足を折られ、ラン師匠に耳から毒液を飲まされ、コウ師匠の情報工作によって闇に葬られたことだろう。
だが向こうにとっては、順調そのものようだ。
解錠し、扉を開けると、意気揚々と部屋の中に侵入してきた。
標的を見ても、息を乱さないのはいい。
しかし足の運び、扉の開け方、進入経路――減点箇所を上げればキリがない。
これが元教官なのだから、この国の暗部は余程人材難なのだろう。
いよいよベッドに辿り着く。
暗闇の中でナイフを振りかざすと、躊躇いなく突き立てた。
白い掛け布団に血が広がっていく。
それで心のたがが外れたのであろう。
侵入者はベッドの上に跨り、さらにナイフを何度も突き立て続けた。
今まで我慢していた息や筋肉、感情を解放し、狂ったように刺しまくる。
ベッドが軋み、1人虚しく男の荒い息が響いた。
丸めたマットは、人体を刺す感触とそっくりに作っている。
加えて、血糊を混ぜて、それっぽく擬装していた。
それなりに精巧に作ってはいるが、まがい物であることは確かである。
それを見破れないことも、三流以下であることの証左であった。
獣のようにナイフと殺意を叩きつける横で、俺はゆっくりと起きあがり、そして本物の殺意というのを浴びせてやる。
「動くな……」
それだけでポーラスの動きは止まった。
悲鳴も叫声も上げることはない。
意識だけはかろうじて保ち、視線を動かし、「何故?」と目で問いかけた。
俺はその質問を無視し、率直に尋ねる。
「雇い主は誰だ?」
「た、頼む。こ、殺さないでくれ」
「お前次第だ。もう1度聞く。雇い主は?」
「ろ、ローゼマリー様だ」
なるほど。
あれだけ脅してやったのに、懲りない女だ。
とはいえ、ポーラスが私情で動いた部分も多いだろう。
「さて、これで俺がどういう人間かわかっただろう。お前の生殺与奪は、俺にとって造作もないことだ」
「頼む。……頼むよ」
「お前には3つの道がある。今ここで死ぬか。雇い主のところに戻って消されるか。それとも……何も見なかったことにして、この皇帝宮から去るか」
「皇帝宮から去る? ……そ、そんなことできるはずが」
「できる。お前は持病持ちだと思われている。それを理由に引退すれば、向こうも納得するはずだ」
「た、確かに……」
俺は殺意を引いた。
敏感に察したポーラスはくるりと俺の方を向く。
30前半の溌剌としていたポーラスの顔は、一気に30歳以上老けてみえた。
この顔を見せれば、持病と言っても誰も疑うことはないだろう。
「1つ聞かせてくれ。何故、オレを殺さない。オレはお前たちにひどい言動を……」
「お前がここで死ねば、俺が疑われる。それだけだ」
飄々と答えてやると、ポーラスは数瞬沈黙した後、「そうか」と息を吐き出した。
そのまま口を開くことなく、俺の部屋を出ていこうとする。
肩を落とし、やたらと広かった背中は小さく萎んで見えた。
「ブレイド……。すまん」
ポーラスは最後にそう言って、部屋を出ていった。
それは俺に言ったのか、それとも生徒に言ったのか。
はたまたポーラス自身が殺してきた平民に言ったのか。
終ぞ俺にはわからなかった。
◆◆◆◆◆◆
ポーラスの引退は拍子抜けするぐらい、あっさりと受理された。
もちろん自分とローゼマリーの関係は一切口外することのないように、念書まで書き、ようやく自由を手にした。
皇帝宮の門が閉じられた音を背中で聞く。
もうあの中で起こったことなど、振り返りたくもなかった。
今後どうするかなど決めていない。
故郷に戻ることも考えたが、もうないことに気付いた。
不安が大きかったが、久しぶりに嗅ぐ市中の空気はやたらとうまく感じる。
今にも背中から翼が生えてきそうなほど、身体と心は軽かった。
闇雲に走り出し、初めて帝都に来た若者のように生きていることを喜んだ。
大通りに入るとポーラスは人にぶつかった。
見れば老人である。
やたらと顔色が悪い――と思えば、灰鼠族だ。
耳と尻尾がなく、人間の老人と大差がない姿をしている。
「おい。じじい! ぼうっと歩いているんじゃねぇ。こっちの気分がいい時によ」
「やれやれ……。そっちからぶつかっておいて、最低な言いぐさじゃのぅ」
「なんだ? 文句あるのか?」
「ない。ただ――――」
お主を殺す理由はある……。
灰鼠族の老人はポーラスの胸を軽く突く。
すると突然、ポーラスは道ばたに倒れ込んだ。
すでに意識を失っていた。
一瞬のことであった。
老人がポーラスとの距離を詰めたのも、その胸を軽く突いたのも、ポーラスの心音が止まったのも、そして老人がその場を後にしたのも……。
老人は悲鳴が轟く事件現場を背にして離れていく。
「微かな血の匂い、身体に仕込んだ投げナイフ……。そして我が弟子ブレイドの匂い。何者かは知らぬが、我が弟子に接触した事は確か。今、あの弟子のことを知られるわけにはいかぬ。何者かは知らぬが、悪く思うな」
老人は雑踏の中に消えていった。
◆◆◆◆◆◆
俺は横で焚き火をしながら、空を見つめていた。
すると、不審な狼煙が上がっているのを発見する。
どうやら師匠がうまくポーラスを暗殺してくれたらしい。
皇帝宮の壁は高く、さらに魔法にも強い。
矢文や魔法による意志疎通も阻害される。
唯一狼煙だけが、外部との連絡手段だった。
しかし、狼煙が送れる情報量は少ない。
入学当初、何故か師匠が躍起になって狼煙を上げていたが、ついぞその意図をくみ取ることはできなかった。
おそらく弟子の俺に「励め」とエールを送っていたのだろう。
今回はこちらから狼煙を送ったが、師匠は俺の意図をくみ取ってくれたようだ。
さすがは俺の師匠である。
「ブレイド、そろそろいいんじゃない?」
食いしん坊なポロフが涎を垂らしながら尋ねた。
他のラフィーナとマイアも、期待に胸を膨らませ、側の焚き火を見ている。
焚き火の中を漁り、1本の麦酒芋を取りだした。
程良く火が通り、2つに割るとふわりと芋の香りが鼻腔を衝く。
その言いしれぬ甘い香りに、一同はうっとりと眺めた。
1度作ってからというもの、すっかり焼き芋にハマってしまったらしい。
人数分が行き渡ると、夢中で頬張り始めるのだった。
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