mission11 弟子、瞬殺する
『処刑人』と言われているらしい。
誰のことかと言えば、ポーラス・ザム・ロートマンのことだ。
俺たちの教官殿のことである。
帝国の暗部で働いていたらしい。
つまりは、俺に近い人間ということになる。
なかなか優秀な部員だったようだな。
平民に対して異常な執着心と嗅覚を持っていたらしく、平民たちが計画した反乱をいくつも潰している。
そのやり方は残虐非道そのものであり、付いた綽名が『処刑人』である。
その後優秀ゆえに第一線から退き、部員を育てるために教官に転身する。
だが、そこで問題を起こし、今年ミズヴァルド学院の教官として赴任したようだ。
「という経歴ですが……。聞いていますか、ブレイド様?」
俺の部屋で軽やかに響いていた声が途切れる。
経歴書を読み上げていたラドリーンは顔を上げた。
俺は閉めきったカーテンを少し開く。
強い昼の日差しとともに、貴族たちが寮の中庭で小さな茶会を開いているのが見えた。
カーテンを締め直し、背後に目を向ける。
俺のベッドに座ったラドリーンが何かそわそわしていた。
「どうした、ラドリーン?」
「え? あ、いえ。その……ここがブレイド様のお部屋なのかと」
「別にお前が世話をしている貴族たちと変わらないだろう。違うのは部屋の狭さぐらいだ」
「そ、そうですが…………その……ブレイド様の匂いが……」
「ん? 何か言ったか?」
「い、いいえ! 何も言ってません!! 良い匂いとか思ってませんから」
「??」
ラドリーンは両手を振って慌てて否定する。
なんだ? ラドリーンの様子がおかしい。
風邪でも引いているのか。
俺の部屋に入ってから、ずっと顔が赤いが……。
「ラドリーン、体調が悪いのか?」
「え?」
俺はラドリーンの額に、自分の額を当てる。
むっ? さほど熱は……いや、おかしい。
どんどん熱が上がっていっている。
どういうことだ?
額を離すと、ラドリーンが目をぐるぐると回していた。
「どうした、ラドリーン?」
「どうしたもこうしたもないですよ!」
「?」
何か怒っている。
俺はただ首を傾げることしかできなかった。
「あーもー。ブレイド様は色々知らなさすぎです!」
「……すまん」
「もう少し乙女のことと、15歳という年齢を考えて下さい。この部屋だって、全然15歳らしくありません」
「普通の学生の部屋だと思うが……」
「ダメです。やり直しです」
「わかった。善処しよう。たとえば――」
「そうですね。小物を置くとか、どうでしょうか?」
俺はメモを取り出す。
15歳らしい小物か。
果たして何がいいのだろうか。
そう言えば、考えたこともなかったな。
今まで、ずっと修練の日々だったから、15歳らしいことは何1つしてこなかったのだ。
後でポロフに聞いてみるか。
「それにあまり目立った行動はなさいませんよう。ポーラスというゲスにお怒りになる気持ちはわかりますが」
「それは心外だ。俺は何もやっていない。あいつが勝手に俺に触って、気絶しただけだ」
「まあ、それなら仕方ないですが……。変に注目の的になるようなことは、慎んでください」
これでも十分気を付けているつもりなのだがな……。
まあ、ここまでラドリーンが親身になって忠告しているのである。
有り難く受けるべきなのだろう。
慣れない環境のせいか。
少し気持ちが緩んでいるのかもしれない。
今一度締め直さなければ。
「わかった。気を付ける」
「そうしていただけると助かります。それで、ポーラスはどうしますか? 消すのは簡単なことですが」
「下手に手を出せば、俺の経歴がバレるかもしれない。腐っても元暗部だしな」
「では――」
「ああいう手合いは、自分で火を付けて、自爆する。なまじ裏社会のことを知っているだけにな。放っておけば、すべてが丸く収まる」
「かしこまりました」
ラドリーンは恭しく頭を下げて、部屋から出ていった。
◆◆◆◆◆◆
「(なんと言うことだ!!)」
ポーラスは表面で冷静を装いつつも、腸は煮えくりかえっていた。
その怒りの矛先は今年の新入生であり、平民上がりの準男爵であるブレイド・アノゥ・ヘルツェルに向けられていた。
教室で気絶したポーラスは、その後医務室で目を覚ました。
そこで突然、自分が気絶したことを聞かされる。
屈辱……。
ポーラスは怒り狂う。
復讐しようと、何度も心に刃を秘め、ブレイドに近づいた。
しかし、その度に返り討ちにされてしまった。
今ではブレイドが怖くて、何もできなくなっていた。
結果的に、準男爵どもに普通に指導する羽目になっている。
現在も、体力を付けさせるという名目で校庭を走らせ続けていた。
その姿を見ながら、ポーラスの脳裏に一計が浮かぶ。
「お前たち、集まれ」
準男爵が集まってくる。
他は息を切らしているのに、ブレイドだけはケロリとしていて、ポーラスの次なる指示を待っていた。
「(今に見ていろ、ブレイド。吠え面をかかせてやる)」
ポーラスは鼻で笑い、余裕を見せる。
そして次の指示を出した。
「次は君たちの実戦適性を見極めさせてもらう」
「実際には何をするのだ?」
ブレイドは尋ねる。
慇懃無礼な物言いに、ポーラスは今にも飛びかかりたい気持ちをぐっと堪え、袖口から1本のナイフを取りだした。
「オレと1対1だ。武器あり、魔法あり。君たちのすべてをぶつけてくれ」
「そ、そんな!」
「武器有り。魔法ありなんて」
「危険すぎる」
ポロフ、マイアは顔を青ざめさせ、ラフィーナは眉を顰める。
「何を言う? ここは貴族様たちのお茶会会場ではないぞ。魔法を正しく使うために実践的なカリキュラムが組まれている。遅かれ早かれ、武器を持って戦うんだ。それが今だというだけだよ」
「教官の言うとおりだ、ポロフ、マイア、ラフィーナ」
意外にも賛同したのは、ブレイドだった。
手を後ろで組み、澄ました表情を浮かべている。
その態度がなおさらポーラスの怒りに火を付けた。
が、顔に浮かんだのは笑みだ。
「そうか。では、まずブレイドからにしよう」
「わかりました」
大人しく進み出てくる。
「(馬鹿め。のこのこ出てきやがって。今から事故を装って、死ぬとは知らずにな)」
ポーラスの得意技は、ナイフ投げである。
その早撃ちは目に映ることすら能わず、平民たちの命を狩ってきた。
事故を装うことも造作もない。
たとえ訴訟を起こされたとしても、ポーラスのバックには貴族が付いているから、心配ない
ポーラスは「くくく」と声を漏らす。
やがて両者は配置に付いた。
「ルールはどうしますか?」
「そうだな。オレに一撃でも食らわせることができれば、君の勝ちでいい」
「一撃ですね」
「そう警戒するなよ。あくまでこれは、君たちのポテンシャルを計るだけだ」
「わかりました。ああ。その前に、教官。水を取ってもよろしいでしょうか?」
「構わねぇよ。先ほどの持久走で汗を掻いたんだろう」
ポーラスは許可を出す。
ブレイドが水を取っているのをじっと見つめていた。
「(せいぜい味わうといい。それがお前の最後の晩餐になる)」
用意が整うと、いよいよ実戦形式が始まる。
審判に立ったのはラフィーナだ。
ポーラスとブレイドの間に立つと、手を挙げた。
「はじめ――」
フッ……。
鋭い音がした。
次の瞬間、ポーラスの身体がぐらりと歪む。
白目を剥き、そのまま前のめりに倒れた。
「え?」
とぼけたラフィーナの声が、一瞬だけ戦場だった校庭にかすかな余韻だけ残して消えていった。
◆◆◆◆◆◆(ブレイド視点)◆◆◆◆◆◆
鋭い光が見えた。
凶器――ナイフである。
ポーラスが今まさにナイフを投げようとしているのを、俺はゆっくりとした時間感覚の中で、捉えていた。
ポーラスのナイフ投げはもはや芸術の域にある。
ノーモーションに見えるのは、身体を動かす部分が極端に絞られているからだ。
基本的に下半身は動かさず、上半身もほとんど動かない。
動くのは腕から先だけである。
下手投げのように肩を回し、肘関節と手首のスナップだけで投擲する。
腕を上げた時には、すでにナイフが発射されているという訳だ。
振りかぶって投げるより遥かに難しく、この方法であれば間違いなく早い。
この距離から概算し0.35秒後には俺の肩にナイフが刺さっているだろう。
瞬きし終わった瞬間には、すでに俺に届いていることになる。
だが、俺からすればたかが0.35秒だ。
俺が発射した見えない刃は、「はじめ」と言い終えた瞬間に、ポーラスの顎を撃ち抜いていた。
鋭い衝撃はポーラスの頭を揺らす。
一瞬にして意識を刈り取った。
自慢のナイフを取り落とし、ポーラスは前のめりに倒れる。
しん、と静まり返った。
ラフィーナとマイアが息を飲む。
ポロフが口を開けて固まっている姿が印象的だった。
俺が使ったのは、あくまで暗殺術だ。
先に口に水を含んでおき、「はじめ」と同時に水弾を打ち出す。
勢いよく発射された透明な弾をかわすのは困難だろう。
初見ではほぼ無理だ。
ポーラスも周りも、何故ひっくり返ったのか、理解すらしていないはずである。
「ブレイド、今のは一体……」
「知らん。また先生が勝手に倒れた。やはり、何か持病をお持ちなのだろう」
俺は何食わぬ顔でポーラスの脈を取るのだった。




