mission10 弟子の身体検査
準男爵が学ぶ教室は、他の爵位のと比べて、狭くかつ小汚い。
強く踏み込めば今にも抜けそうな薄い床板。
隙間風が吹き込み、ドアの建て付けも悪い。
皇帝宮の中でも屈指のボロ教室だろう。
狙って作ったと言うなら、なかなかのセンスと建築技術である。
とはいえ、市民出身のポロフやマイアには、特に効果はなかったようだ。
初めて教室を与えられて、呑気に感動の声を上げていた。
問題は教師である。
平民を人間とも思っていない貴族たちだ。
きっと何か嫌がらせをしてくるに違いない。
そう思っていた。
だが、俺の予測は外れる。
その男は言葉通り音もなく現れた。
薄紫色の髪に、愛嬌ある団栗のような茶色の瞳。
如何にも軍隊上がりといった筋肉と、広い背中を持つ男だった。
そいつは何も言わず、教壇の上に立ち、気さくに手を上げて挨拶を始める。
「オレの名前はポーラス・ザム・ロートマン。今日から君たちの教師だ。よろしくな、お前たち」
ポーラスは顔面をくしゃくしゃにして笑みを浮かべる。
如何にも愛想の良い笑顔だ。
しかし、ここまで貴族によって、準男爵は様々な仕打ちをされてきた。
そう易々と心は溶かすことはできない。
ぐっと顔を強ばらせて、壇上というよりは舞台、教師と言うよりは喜劇役者のように振る舞うポーラスを睨む。
警戒している空気は十分向こう側に伝わっただろう。
特徴的な平たい顔を傾けて、言葉を続けた。
「なるほど。君たちはこう思っているんだな。オレが君たちを排除したがっている勢力の刺客だと……。だが、断言しよう。オレはお前たち平民から搾取するだけの貴族とは違う。お前たちにはきっちりと教育を受けさせるし、悩みだって聞いてあげることができる」
すると、ポーラスはマイアの方を向いた。
「マイア・アノゥ・ミルヴァントン」
「は、はい」
いきなり名前を呼ばれて、思わずマイアは返事した。
ちなみにポーラスは教室に入り、俺たちの前に現れてから1度も手元の出欠表を見ていない。
「入学早々、男爵の生徒に絡まれたそうだね。さぞかし怖い思いしただろう」
「は、はあ……」
マイアは気のない返事を漏らす。
青ざめた顔を下に向けた。
あの時の嫌な記憶を思い出したらしい。
さらにポーラスはポロフを見つめた。
「ポロフ……。君はあのイリス嬢に絡まれたそうだな」
「え……。は、はい」
「怖かったろ? よく頑張った」
ポーラスは人懐っこい笑顔を浮かべた上で、親指を立てた。
「ブレイドも、ラフィーナもよく助けに入った。君たちはとても勇敢だ。勇者には拍手を以て応えるべきだろう」
ポーラスは突然手を叩き始める。
皆は惚けるばかりで反応はせず、ポーラスが打つ拍手だけが虚しく響いた。
やがてまた顔をくしゃくしゃにしながら、ポーラスは朗らかに笑う。
「もう心配しなくてもいいぞ。オレが来たからには、他の生徒たちに指一本触れさせないと約束しよう。オレは爵位に屈したりはしない。もし、お前たちが困っていたら、オレに相談すればいい。オレは絶対、お前たちの味方だ」
堂々と宣言する。
その口調、しぐさは大げさに過ぎた。
しかし、人の信頼を勝ち得るには、十分なパフォーマンスだったらしい。
「良い先生みたいだね」
横に座るポロフがすっかりとほだされていた。
マイアもホッと胸を撫で下ろしている。
「さて。君たちを教育するに当たって、先生は君たちの実力を調べたいと思う」
「先生……」
手を挙げたのは、ラフィーナだった。
他の2人とは違って、依然として険しい顔をしている。
明らかに心を許していない様子だった。
「我々の実力は、すでに入試の成績でわかっているはずですが……」
「確かにその通りだ。さすがは入試トップ成績のラフィーナ・アノゥ・アデレシア君だ」
「入試!」
「トップ!!」
ポロフとマイアが揃って声を上げた。
再びポーラスはにこやかな笑みを浮かべて、ラフィーナを祝福する。
またあの拍手を促すと、ポロフとマイアが手を叩いて応えた。
「すごいね。平民という身分なのに、首席なんて……。さぞかし悔しがっているだろうね。他の貴族たちは」
「私の質問に答えていただけますか、先生」
ラフィーナは睨む。
【皇帝眼】は光っていない。
以前であれば、もうこの時には煌々と輝いていたはずだ。
今、光っていないのは、俺が調合した薬のおかげである。
出来ればポロフやマイアには、ラフィーナが皇族であること伏せておきたい。
それはラフィーナ自身の願いであった。
調合した薬のおかげで眼光はいつもより曇り気味だ。
しかし、その鋭さは失っていない。
それはラフィーナが、君主の血を引く者であることを証左に示していた。
これには思わずポーラスも手を挙げる。
「これは失礼……。君の言うとおり、入試の結果を見ればすぐにわかるだろう。だが、旧態依然とした入学試験などでは、人間性まで計れない。生徒の心まで理解してこそ、教師というものだ。うん? オレは何か間違ったことを言っているかい?」
そう言うと、ポーラスは熱弁を振るい続けた教壇を降りた。
俺たちの方に近づいてくると、ポロフの席の前に立つ。
一瞬、ポロフは顔を強ばらせた。
対してポーラスは、甘いデザートのような笑みを浮かべる。
すると、おもむろにポロフの手を取った。
軽く指先で押し、さらに二の腕をさする。
「ポロフ、君は木こりの息子だったね」
「は、はい」
「君自身もよく家族を手伝っていたようだ。いい筋肉がついている。少々目方は重いが、何――訓練をすれば、そのうち痩せるさ」
「本当ですか?」
「君には天賦の才がある。オレが保証しよう」
「あ、ありがとうございます」
パンと肩を叩かれたポロフは目を輝かせる。
ぐっと拳を握ってガッツポーズを取った。
それは初めて上司から任務を託された新兵のようだ。
続いて、ポーラスはマイアの席に向かう。
くるりと彼女の後ろに立ち、その細い肩に手を置いた。
マイアは「ひゃっ」と小さく悲鳴を上げる。
顔を真っ赤にし、下を向いた。
「緊張しているかい、マイア。心配しなくていい。危害を加えたりしない。君はオレの大事な生徒なんだからね」
「は、はい……」
「君は……平民だがなかなか良いところのお嬢さんだね」
「は、はい。父がドレス生地を貴族に――」
「なるほど。呉服屋の令嬢というわけか」
「れ、令嬢とか……。そんな大したものでは――」
「うん。確かに良い香りだ。良い香水をつけているね」
「――――ッ!!」
マイアの顔が固まる。
ポーラスはマイアの髪をすくい上げると、自分の鼻に密着させる。
匂いを嗅ぐ音が聞こえるぐらい、鼻で大きく息を吸い込んだ。
一瞬にして教室が凍り付く。
だが、ポーラスの凶行は終わらない。
髪に伸ばした手がスルスルと下へと伸びていく。
脇から手が蛇のように這い回ると、マイアのふくよかな胸へと向かう。
「やめろ!!」
椅子を蹴って立ち上がったのは、ラフィーナだった。
その義憤をあの【皇帝眼】にも宿る。
薬の効果を越え、深緑の瞳が光り輝こうとしていた。
だが、その光も一瞬だ。
ヒュッと何かラフィーナの横を通り過ぎていく。
直後、背後で何か刺さったような音がした。
ナイフである。
大人の手の平ぐらいある投げナイフが、壁に刺さっていた。
ぽとりと何かが落ちて気付く。
ラフィーナの頬から血が流れていた。
「誰が立てといった、ラフィーナ・アノゥ・アデレシア」
殺意が込められた瞳で、ラフィーナを睨む。
放ったナイフよりも鋭い視線は、ラフィーナの感情をあっさりと削り取る。
そのまますとんと椅子に落下するように座った。
「な、なにをしてるんだよ、先生!!」
それでも勇気を振り絞ったのはポロフである。
「さっき言ってたろ。『オレは搾取するだけの貴族とは違う』って。心配しなくていいって。そう言った先生が、何をやっているんだ!」
ポロフが激しく抗議すると、またポーラスの顔が変わった。
先ほどまで浮かべていたにこやかな笑みを浮かべる。
だが、決してマイアから手を離そうとはしない。
肩の辺り、擦過音を立てて触っていた。
スリスリと気味の悪い音が、マイアの心そのものを擦っているように聞こえる。
「ああ。その通りだ、ポロフ。貴族たちに指一本を触れさせやしない。お前たちは、オレの大事な生徒だからな」
「げ……ぼ、く?」
「オレは教師だ。生徒はオレの言うことを聞く下僕だろ?」
「そんな……」
「この教室でオレに逆らうことは許さない。だけど、心配するな。オレがお前たちを守ってやる。お前らが、オレの生徒である限りな。良いことだろ? 貴族からお前達を守ってやるって言っているんだ」
「貴様!!」
怒りで正気を取り戻したラフィーナは、再びポーラスを睨んだ。
すると、ポーラスはようやくマイアから手を離す。
戯けるように両手を上げて、ラフィーナを挑発した。
「おーおー、怖いお嬢様だ。わかったわかった。お前、オレが構ってくれなくて、寂しいんだろ?」
「な! ふざけるな! 人を侮辱するにもほどが――」
「じゃあ、お前を身体検査してやろうか? 首席生徒の身体をくまなく調べてやろう。マイアより胸は小ぶりだが、形は良さそうだ。ブレイド。君もそう思うだろう?」
そしてポーラスは俺の肩に手を置いた。
「な――――ッ!!」
その瞬間、ポーラスは絶句する。
足を止めて、教室の真ん中で固まった。
顔がみるみると青ざめていき、全身が震え始める。
『な、なんだ! この筋肉は……。鋼のようにしなやかでいて、何重にも編んだ鋼線ように絞り込まれている。一体、どんな修練をして鍛え上げればこうなるんだ? わからん……。天賦の才? ――いや、そもそもこいつ……』
本当に人間なのか――か?
瞬間、俺とポーラスの視線が交錯する。
「ぎゃああああああああああああ!!」
突然ポーラスは発狂する。
悲鳴を上げて、教室の床に沈んだ。
白目を向き、泡を吹いて倒れる。
皆が一様に目を丸くした。
ラフィーナが少し責めるような目で、俺を睨む。
「ブレイド、何をした?」
「さあな。見たままだ。俺に触れたら、勝手に先生が倒れた。何か持病を持っているんじゃないか?」
俺が肩を竦める。
椅子から立ち上がり、倒れたポーラスの脈を取った。
一応意識はあるようだ。
馬鹿な男である。
何者かは知らないが、俺の身体を調べようとするとは……。
殺してください――と言っているようなものだ。
さて、こいつはどう排除してやろうか。
とうとうランキングから追い出されましたが、
頑張って更新していきたいと思います!




