mission9 弟子、料理をする
慌ただしい入学初日を終え、2日目の朝はやって来た。
貴族たちの朝は遅く、授業が始まるのも遅い。
それに合わせて朝食の時間も遅れる。
使用人を連れてきた貴族たちは、使用人が作った朝食を食べるが、それ以外は学院の中にある学生食堂で取ることになっている。
俺は朝の鍛錬を終え、身体の汗を拭うと、食堂へ向かった。
1000人は入るという大食堂は、貴族たちでごった返していると同時に、食欲を誘うような匂いが漂っていた。
その中で一際騒いでいたのは、ポロフだ。
カウンターで客を捌いていた店員と口論になっている。
それをラフィーナとマイアが後ろから見守っていた。
「これじゃあ、パン1枚だって買えないじゃないか!!」
とうとうポロフはカウンターを叩く。
それを見て、店員の眉間にも皺が寄った。
「これがうちの価格なんだよ! 貧乏人は帰りな!!」
怒鳴り散らす。
準男爵とはいえ、貴族は貴族だ。
店員は平民の出だろう。
止むに止まれずといったところだが、随分と度胸があるものである。
俺はラフィーナたちに近づいていく。
「あ。ブレイドさん、おはようございます」
マイアが気さくに挨拶をすれば、ラフィーナは少し腫れた目をごしごしと擦り、俺の方を見て遅れて挨拶をした。
「お、おはよう。ブレイド」
「おはよう、2人とも。ところでこの騒ぎはなんだ?」
事情を尋ねる。
「我々が来た時からこうなのだ」
ラフィーナは眉間に皺を寄せる。
その横でマイアがおおよその事情を説明した。
「どうやら朝食を食べるためには、お金が必要なのですが……。安くても、1銀貨が必要なのだそうだ」
なるほど。高いな。
1銀貨もあれば、帝都の大通りに面したレストランなら、お腹がいっぱいになるほど料理を食べられるはずだ。
それがパン1枚しか買えないのは、どう考えてもおかしかった。
俺は視線に気付く。
伯爵の徽章を付けた男を立っていた。
後ろに男爵の徽章を付けた男女3人を侍らしている。
こちらの視線に気付くと、如何にも爵位を笠に着た痩躯で眼鏡の男は、ニヤリと笑った。
その手は、女の肩の上に回されている。
女は抗議するわけでもなく、むしろうっとりとして、身体を預けていた。
伯爵の男は1年上の確かモーリス・ザム・フォランだったはずだ。
彼の父親は珍しい他国の動物を売買する商いをしており、かなりの資産家である。
本来規制されているのだが、伯爵位も借金した貴族の形として巻き上げたと、専らの噂だった。
「貧乏人が吠えるなよ。そんなに金がほしいならくれてやろうか」
硬質な音が食堂に響く。
硬貨が転がる音に、騒然としていた食堂は一瞬静まった。
こちらの諍いの方に意識を向ける。
モーリスが投げたのは銀貨だ。
4枚分――つまり1人1枚パンを買えることになる。
「拾えよ、貧乏人。それはぼくから慈悲だ」
「すっごーーい。モーリス様、優しいー」
隣の女が猫なで声でモーリスを称える。
彼女自身も男爵なのだが、貴族たる矜持は感じない。
フォラン家が売買する珍しい動物のように擦り寄ると、モーリスは「だろ?」と女の頭を撫でた。
「い、いいのか?」
ポロフは尋ねる。
落ちた銀貨を拾うのは、物乞いの行いだ。
それでも銀貨1枚なんて大金が俺たちの手元にない以上、誘惑には抗いがたい。
ポロフはやや警戒しながら、手を伸ばす。
「ただし……。それを手にとったら、ぼくたちの奴隷になるんだ?」
「奴隷? ふざけんなよ! 誰が奴隷なんかに」
ポロフが顔を真っ赤にして怒鳴る。
その瞬間、ややぽっこりと出たお腹からくぐもった音が聞こえた。
まるでポロフの態度を押しとどめるように、腹音が鳴ったのだ。
それを聞いて、モーリスが噴き出した。
周りの貴族たちも身体をくの字にして笑い出す。
「身体は正直だねぇ。やっぱり困ってるじゃないか。心配するなよ。他の貴族たちとは違って、ぼくは優しいぞ。なあ、お前」
「うん。モーリス様はとても優しいの」
「……初やつめ。今日は何が食べたい」
「あっち、海鳥の巣が入ったスープが食べたい。おいしくって、お肌にもいいって聞いた~」
「よし。じゃあ――」
モーリスはカウンターに1金貨を置く。
出てきたのは、白い湯気を吐いたスープだ。
鶏ガラをベースにしたスープに、玉葱、人参、溶き卵が浮いている。
圧巻なのは、お湯に戻した海鳥の巣だろう。
繊維質でいて、如何にも健康食材と言ったそれは、スープの中で一際輝き、さらにぷるんとした食感を想起させる。
鶏ガラスープからは、刺激的な香りが漂っていて、直接お腹に響いた。
見ているだけで、お腹が空いてくる。
如何にも食いしん坊という体型のポロフは、再びお腹を鳴らしていた。
「どう? ぼくの奴隷になる気になったかい?」
モーリスは目を細め、また誘いをかける。
ポロフは堪らず溢れてきた唾を飲み込んだ。
地面に膝を突き、落ちた銀貨に手を伸ばす。
「断る」
だが、その前に立ちはだかったのは、ラフィーナだった。
モーリスにその翡翠に似た緑色の瞳をぶつける。
明らかに興奮しているが、その瞳は輝いていなかった。
「ポロフ、拾わなくていい。いや、拾っては駄目だ」
「で、でも――ラフィーナ」
「お前も、あのような貴族になりたいのか?」
ラフィーナはモーリスの取り巻きを指差す。
「貴族の誇りどころか、他者に心も人生も委ね、人間ですらなくなっている。お前は、そんな奴隷になりたいのか、ポロフ」
「そ、それは――――」
「ヤッダー……。なにそれぇ。まるであっちたちが人間じゃないって言われてるみたいじゃない」
「その通りだ」
ラフィーナは断言する。1歩も退かなかった。
元は皇族だからだろうか。やはり肝が据わっている。
その迫力に、周りの貴族たちもただ遠巻きに見ていることしかできなかった。
だが、モーリスは怒り心頭という様子だ。
始めから血色の悪い顔が、オーガのように赤くなる。
「ぼくの仲間たちを侮辱するなんて」
「仲間? 奴隷じゃないのか?」
「うるさい!!」
モーリスは取り巻きに銀貨を拾わせる。
踵を返すと、最後にせせら笑った。
「ここでは爵位の前にお金が物を言うんだ。貧乏人はさっさと退場するんだね」
「もう行こう、モーリス様」
「そうだな。……ああ、そう言えば親父が珍しい動物を送ってくれたんだ。見る?」
「うっわ! マジ! ちょー見たい!!」
終始騒々しいまま、貴族たちは食堂から出ていった。
俺たちも一旦食堂を出る。
中庭にある芝生に寝っ転がった。
何もないが、ずっと料理の匂いを嗅いでいるよりはいい。
皆が芝生に尻を付ける中、ラフィーナだけは元気だった。
ぐるぐると芝生の上を歩いては、地団駄を踏む。
案外、元皇孫女殿下は根に持つタイプのようだ。
「ゲスが……。あのような子どもにしか育てられない親が、辺境の領地を収めているかと虫酸が走る」
「でも、ラフィーナ。このままボクたちは飢え死にしちゃうよ」
「……確かにな。皆の財政状況はどうだ?」
「すみません。わたしも持ち合わせがなくて。今日は大丈夫でも、明日からが」
「かくいう私もそんなところだ。ブレイドは?」
ラフィーナが尋ねる前に、俺は立ち上がる。
その場を後にしようとした。
「ブレイド? どうした?」
「俺もあまり持ち合わせがない。だが――」
「「「だが?」」」
「食べる物がないなら、狩りにでも行こうと思ってな」
「今から狩りをするの? ここは皇帝宮だよ、ブレイド」
ポロフが慌てて反論する。
皇帝宮は広い。とてもつもなくだ。
だが、いくら広いと言っても、緑生い茂る山野も、海産物豊かな海もない。
その上で俺は獲物を狩ると宣言する。
「知りたければ、黙って付いてこい」
俺はそれだけを言うと、皆を連れて歩き出した。
◆◆◆◆◆◆
「お前ら、何をやっているんだ?」
たまたま俺たちの側を横切ろうとしたのは、モーリスだった。
お馴染みの取り巻きたちも同じだ。
蔑むような瞳で、俺たちの方を見ている。
ラフィーナとポロフは鋭く眼光を光らせたが、その前に俺がモーリスに対し口火を切っていた。
「見ての通りだ。枯葉を集めて、焚き火をしている」
「焚き火? くははははは……」
モーリスは突然指差しながら笑い始める。
顔面を歪め、本人は何も思っていないだろうが、若干面白い顔になっていた。
「焚き火って? 焚き火でお腹が膨れるのかい? ああ。そうか。君たちは元は平民だったね。そうか。平民は鼠とかヤモリを焼いて平気で食うような野蛮人だったことを忘れていたよ」
ラフィーナの拳にぐっと力を込められるのがわかる。
ポロフの怒りも爆発寸前といったところだろう。
唯一マイアだけが、事の趨勢をオロオロしながら見守っていた。
「食べることもあるでしょう」
「ほらね」
「ですが、それは暗に貴族たちの統治能力がないことを示したものでしょう。民あっての領地……。それに必要最低限の食糧すら供給できないのは、統治側に問題があると言わざるえないはずだ」
「なんだと!!」
「ああ……。それと、そこに立っていると危ないですよ」
「は?」
その瞬間だった。
モーリスの周囲に大きな影が広がる。
最初に気付いたのは、取り巻きたちだった。
空を見上げて、慌ててモーリスを放り出して、脱兎の如く走る。
男爵位の女もモーリスを突き飛ばして逃げる始末だ。
そのモーリスも空から真っ直ぐ落ちてきたものを見て、度肝を抜く。
まるで犬のように地面を掻くと、その場から逃げ去った。
轟音がミズヴァルド学院の校庭に響き渡る。
一時校庭は騒然となった。
その巨体を見て、皆が唖然とする。
それはラフィーナたちも同様であった。
「まさか……」
「これって……」
「ど、ドラゴンではないか!?」
ラフィーナは叫び、目を丸くする。
それは長い首と鎧のような肌。
蝙蝠に似た翼をした巨躯の魔獣――ドラゴンであった。
「スカイドラゴンだな」
「な、何故ドラゴンが皇帝宮の上空から落ちてきたのだ!?」
時々声を裏返しながら、モーリスは尋ねる。
全身が面白いぐらい震えており、さっきから何度も眼鏡をかけ直そうとしているが、いずれも失敗していた。
「知らないのですが? スカイドラゴンは目をよく凝らさなければならないほどの高度の高い空に生息するドラゴンなんですよ」
「だ、だ、だからといって、何故そのドラゴンが落ちてくる? き、貴様……何をやった?」
「何もやっていませんよ。俺たちは見ての通り、学院に許可を取って焚き火をしていただけです」
俺は木の枝を焚き火の中に突っ込む。
しばらく中をかき回すと、現れたのは程良く表皮が焼けた芋だった。
麦酒芋という芋で、熱を加えると甘みが増し、栄養価もなかなか高い。
街の屋台の定番料理だが、貴族のご婦人方にもファンが多い食材の1つである。
「ポロフ、ほら……」
「え? あ、あつ! あつつ!!」
俺はお腹を空かせていたポロフに焼き芋を放り投げる。
ポロフは受け取ると、手の平の上でポンポンと転がした。
手が熱さに馴染んでくると、芋を割る。
ほわりと湯気が立ち上がった。
現れたのは、麦酒のような見事な黄金である。
本来なら繊維質で硬い芋が、熱を加えられたことによって、蜜のように溶けていた。
「ごくり……」
喉を鳴らしたのは、モーリスの取り巻きの女だ。
その輝きと程良く熱が通った芋を見て、目を輝かせる。
先ほど食べていた高級そうなスープとは、また違った反応をしていた。
「い、いいの、ブレイド?」
「心配するな。人数分あるぞ」
俺は次々と焼き上がった芋を取り出す。
ラフィーナ、マイアにも渡した。
2人とも、取り巻きの女と同じく目を輝かせる。
あまり口には出さなかったが、2人もお腹が空いていたのだろう。
「「「いただきます」」」
焼き芋に口を付ける。
瞬間、3人の頬が幸せいっぱいに膨らんだ。
「おいしいぃいいいい!」
「甘みもあって……」
「蜂蜜を食べているようだ」
絶賛する。
その3人の顔を見て、また取り巻きたちがお腹を鳴らした。
それを聞いて、モーリスは怒り出す。
「何を反応してるんだよ! さっき食ったばっかだろ」
「だ、だってモーリス様。ぱ、パン1枚じゃ、僕らも」
「うるさい! うるさい! 黙れ!! もう行くぞ!!」
モーリスはその場を後にする。
女はモーリスではなく焼き芋にご執心の様子だったが、引きずられるようにして、他の取り巻きと共に立ち去っていった。
「さてと……」
俺は立ち上がる。
食堂から拝借してきた包丁を取りだし、落ちてきたスカイドラゴンに向き直った。
「ブレイドくん、そのドラゴン、どうするの?」
指に残った芋の残骸を舐めながら、ポロフは質問する。
「決まっている。スカイドラゴンを食べるんだ」
「「スカイドラゴンを食べる???」」
マイアと揃って、ポロフは素っ頓狂な声を上げる。
だが、ラフィーナの反応は違った。
「ドラゴンの肉は珍味といわれるがおいしいぞ。意外と栄養価が高い。国の君主がこぞって食べたがるほどにな」
「君主がって……」
「もしかして皇帝陛下も……」
国の君主が食べるような料理を、平民である俺たちが食べる。
これほどの贅沢はない。
とはいえ、俺はよく食べていた。
山でのサバイバルでドラゴンほどのご馳走はない。
採り方も簡単だ。
ドラゴンだけに効く痺れ薬を、焚き火に混ぜるだけである。
上昇気流と共に薬は煙と一緒に空へと向かい、空高い場所に飛んでいるドラゴンの動きを止める。
いくら硬い皮膚に覆われていても、高々度から落下すれば一溜まりもない。
ここは平地なので俺はこっそり生活魔法を使い、上昇気流に力を加えて薬を空に送ったのだが、標高の高い山岳地帯で使うならば魔法を使わなくても、ドラゴンを仕留めることが可能だ。
「衛兵が来る前に、ある程度肉を削ぎ落としておこう。夜はドラゴンステーキだな」
「「「ド、ドラゴンステーキ!!」」」
3人は魅惑の言葉に、魅了されるのであった。
◆◆◆◆◆◆
2日目はオリエンテーションだった。
広いミズヴァルド学院の施設と、その使い方のレクチャーだけで終わる。
3日目には、いよいよ授業開始だ。
その3日目の朝。
ポロフは唇を舐める。
昨日食べたドラゴンステーキの余韻が残っているらしい。
大げさに身振り手振りを交えながら、一緒に食堂にやってきたマイアとラフィーナとともに、肉の味を思い出していた。
「さて食堂に来たものの、どうしたらいいのか?」
「ラフィーナさん、あれ!」
マイアが何かを見つけて、指を差す。
その方向を見て、一同は驚いていた。
「お前たち来たか」
俺は声をかける。
その立っていた場所は、カウンターの向こう。
つまりは炊事場だ。
料理人たちや配膳係が忙しそうに動き回る横で、俺は料理を作っていた。
「ブレイド……。お前、料理を作れるのか?」
「昨日、ドラゴンステーキを作ったのは誰だと思っている?」
「いや、あれは焼いて食うだけだったから」
ラフィーナはカウンターを乗り出し、調理場を覗き込んだ。
俺の前に置かれた鍋を見つける。
その中には野菜や肉などがバランスよく入っていた。
「もうそろそろだな」
俺は味見皿で味を確認し、最後に食材に熱が入っていることを確認する。
人数分の椀を盛りつけ、カウンター越しに皆に渡した。
「今日の朝食だ。食べるがいい」
「おお……。おいしそうだ」
「良い香りですね」
「早く食べよう。お腹と背中がくっつきそうだよ」
3人は椅子に腰掛け舌鼓を打つ。
「うっま!」
「おいしいです」
「うん。素朴な味だが、逆にそれがいい」
大絶賛する。
特に元皇族のラフィーナの感触が良いようだ。
「これもドラゴンなのか?」
「いや、違う。さすがに毎日ドラゴンを食べるのも飽きるだろう。今日は俺が皇帝宮内で取ってきた鳥を使っている」
「そうか。鶏か。なるほどな。昨日、ドラゴンステーキとは違う意味で、身がプリプリして柔らかい。それに独特な旨みがあるな。ああ……。噛んだ瞬間に溢れてくる脂も絶品だ」
味付けは魚醤と酒、塩を少々。
シンプルだが、素材がいいので、これで十分なのだ。
「しかし、これは本当に鶏なのか。それにしては、随分と脂が出ているようだが……」
「ラフィーナ、早く食べないと授業が始まってしまうぞ」
「あ、ああ……。そうだな」
3人は完食する。
満足した様子で、ポロフは腹鼓を打っていた。
その直後だった。
食堂に随分と遅れて、モーリスの取り巻きがやってくる。
だが、モーリスだけがいない。
何か女の方は辟易した顔で、やさぐれていた。
「まったく! あのバカ伯爵、一体どうしたっていうのよ。いきなり部屋に引き籠もりやがって……。マジむかつく!!」
「し、仕方ないよ。昨日見せてもらった雉がいなくなっちゃったんだから」
「しかもおじさんに何も言わず持ち出したんだろ。いなくなったなんて言ったら殺されるって言ってたぞ」
そしてパン1枚を頼んでいくと、そそくさとその場を後にした。
話を盗み聞いたラフィーナ、マイア、ポロフの顔が青ざめる。
ダラダラと汗を掻き、やがて俺の方に向き直る。
「ぶ、ブレイド……。ま――まさか……この鶏って……」
「さて、何のことかは知らんな。俺は皇帝宮で我が物顔に飛び回っていた1羽の雉を撃ち落としただけだ」
研いでいた包丁を洗い、最後に水分を拭き取る。
鋭い刃は、差し込んだ朝日を受けて光っていた。




