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惟光の憂鬱

 お久しぶりです。このお話は、一応、日本の設定なのですが、近未来というか、現代の日本じゃありません。

 話の中では、我が国は議院内閣制じゃなく、大統領制をとっています。そして、地方は州政府によって治められています。州の下が市町村です。

 政治家や行政マン志望の学生は、そのための勉強をポリティカルスクールで学びます。主人公の藤原惟光は、真面目な政治家志望の学生ですが、就職先がとんでもないところになるということで、お話が動き始めます。

 ただ、政治の話は、あくまでも枕でしかなくて、恋愛小説にしたいのですが、上手くいくでしょうか……。 

 楽しんでいただけたら、嬉しいです。

 二×××年。我が国は、議院内閣制を廃し、国民の直接選挙による大統領制に代えた。


 マスコミが国民をあおった結果起きた怪挙(!)だった。


 二十一世紀の始め、短命な内閣が続いて国政に支障をきたした。政治家の都合で、総理大臣がコロコロ変わった。

 その後に続いた政権は、短命ではなかったものの、その行政手腕は褒められたものではなかった。

 国民の多数に反対される法律を強行採決したり、総理大臣の発言には偽造や隠ぺいに満ちていた。

 さらに、そんな総理に任命された大臣が、失言の末、コロコロと引責辞任した。

 あまりのことに、誰もが、眉をしかめた。



 政権与党の党員でない以上、与党総裁の選出に関与できない。つまり総理大臣の指名に関与できない。

 その結果、国民が歓迎しない与党総裁が、総理大臣に就任することになる。

 それに不満を持った国民が、国民が直接選ぶ大統領による政治を求めたのだ。



 国民の不満とマスコミの攻撃は官僚機構に及び、初代大統領加藤清征は、官僚機構の主要部分に子飼いの学者や息のかかった役人を配することで、霞ヶ関を支配下に置くことに成功した。

 

 以来、野心をもつ政治家は、しかるべき地位に就くことに備え、優秀な人材を陣営に取り込むようになり、逆に、政治や行政の道を志す者は、意を同じくする政治家の陣営に入り込むことに躍起になった。



 政治学上、ネオ猟官主義と言われる現象である。




 我が国では、誰でも公職に就くことができる。

「私は○○になりたい」と手をあげれば良いのだ。

 後は、お約束の選挙を経て、得票数の多い者がその職に就く。

 


 よくあるパターンが、まず、住んでいる地方の市長や知事になって、行政手腕を示す。それから、国会議員を経て、大統領に立候補する方法だ。

 さすがに、初手から大統領に立候補するという豪傑は見たことがない。 



 そのため、政界を目指す者は行政手腕を磨く。

 最初の市長なり知事なりのミッションに成功しないと次がないからだ。




 面白いもので、需要があれば、供給が生まれる。


 英語を必要とする人々が増えると英会話スクールが流行るように、政界を目指す人々が増えるとそういう人間を対象とする学校が流行はやるのだ。


 ポリティカルスクールと呼ばれるものだ。


 これは、主に大学の政治学部や法学部の卒業生を対象としていて、ありとあらゆる行政実務だけじゃなく、マスコミを使った知名度を上げ方まで教えてくれる。

 政治家や行政トップを目指す人々は、ここで、研鑽を積むのだ。



 在校期間は三年。その間に目的を達した者から退学していく。

 授業料も馬鹿にならないし、目的を達して、いつまでも居座るところじゃないからだ。



 

 俺も、とあるポリティカルスクールに入学した。この種のスクールとしては一流と言われるところだ。




 俺が目指した政治家という職業は、安定感という意味では最悪なものだった。


 ポリティカルスクールを出たからといって、就職できるとは限らない。

 要は、スクール在学中の三年の間に、どこかへ潜り込めればラッキー(!)という極めてヤクザな職業なのだ。

 ポリティカルスクールは、どこかの政治家の秘書もしくはブレインとしての採用試験(『オーディション』と呼ばれる)を受けるための、一種の専門学校なのだ。

 



 ポリティカルスクール二年目の冬。


 今年度のオーディションも公務員試験も、ほとんど終わっていた。


 俺は、あちこちにエントリーシートを出したが全敗だった。

 教師の間では優秀だとの評価をもらっていたのにも関わらず、だ。何しろ、夏休みの課題で書いた論文がスクールの論文集に掲載されるほどだったのだ。


 うちの論文集に論文が掲載された学生は、国会議員や州知事の政治秘書に採用されることが多いという暗黙のお約束があった。

 それなのに、なぜか面接で落とされるのだ。


 もはや面接恐怖症だ。


 政治の道を諦めて、民間企業に就職しようかとも思っても、民間企業の内定だって終わっている。


 ため息しか出ない。



 普段、さほど注目されることもない俺だが、なぜか夏休みの課題で書いた論文が校長のお眼鏡にかない、スクールの論文集に掲載されたのは、まぐれだったのだろうか。

 あれがなければ、政治の道を諦めて民間企業に就職したのに……。

 あの論文集に載ったとき、就職は決まったと思ったのに……。




 俺が政治家か行政トップになりたいと言ったとき、親兄弟はもちろん、友人達からも反対された。

 今時、天下国家を論ずるのは流行はやらないと言うのだ。


 昨今の普通の人々は、天下国家を論ずるよりも、個人の幸福を追求する。先人達が命がけで天下国家を憂えたのは、昔語りなのだ。


 しかし、周りから変人呼ばわりされても、俺はこの国を変えたいと思った。



 若者が都会を目指したため、忘れられていく地方の行く末を何とかしたい。

 親会社の都合で振り回される中小企業を何とかしたい。

 そして、自分(俺)なら何とかできる、と思ったのだ。




 だが、俺はポリティカルスクールに入学早々失敗に気付いた。


 政治家になるには、有名人か、親族が政治家であるものに限られていたことを見落としていたのだ。

 


 確かに、無名の一般人パンピーの中にも志のある青年はいる。

 中には、幾多の有名人や政治家の子弟より優秀な人材もいる。

 だが、残念なことに、そういう人材は選挙になじまないのだ。


 

 選挙。



 俺は、このお約束のシステムを軽く見過ぎていた。


 政治家になるには、単に行政手腕に長けるだけじゃなく、選挙に勝たなければならないのだ。しかも、選挙に勝つには、必ずしも行政手腕があることを必要としない。

 有権者に政治を任せたいと思わせれば良いのだ。


 

 我が国では、大統領や国会議員、州知事そして市町村長のような首長、それに国会議員、州会議員、市町村議会議員まで、しょっちゅう選挙をしている。

 

 そうして、当選するのは、有名人か政治家の近親者に限られていた。でなきゃ、土地の有力者だ。


 時々、無名の人が善戦するが空しいことだった。

 



 こういう傾向が広まったのは、いつ頃からだろう?



 どこかの州でお笑い芸人が知事に当選したのが切っ掛けだったと思う。

 前後して、国中のあっちこっちで俳優や作家といった有名人が当選するようになった。ごく最近の州知事選挙では、投票時間が終わるやいなや、タレント候補の当確が報じられた。


 有権者は、政治なんて誰がやっても同じだと思っている。だったら、せめて、投票用紙に、知っている名前を書きたいのだ。



 大統領選挙でさえ、直接選挙で行われるのだ。


 選挙は、候補者の知名度で左右される。

 マスコミに対する露出度ですべてが決まると言っても過言ではなかった。



 ひどい話だ。



 大統領制の創設以来、大統領、知事等のトップは、当選すると、行政の中枢を自分のチームのメンバーと入れ替えるようになった。

 つまり、当選者の意向を受けて動きやすい人々で構成するチームで政治を行うのだ。




 ネオ猟官制度と呼ばれるこのシステムは、政治学者によれば、行政の継続性に難点はあるが、トップの目指す政治を効率的に行うという意味でも、官僚による硬直化した政治を避けるという意味でも有効なものだという。



 とどのつまり、この国では、票が取れれば誰でも良いのだ。


 優秀な人材を大勢チームに引き込んだ、名前の売れた票の取れる人物。それが、トップの必要十分条件なのだ。





 知名度がない。




 俺には絶望的なことだった。



 一時期、テレビに出て名前を売ろうとジタバタした。だが、オーディションの第一審査で落ちてしまうのだ。


 テレビでは、政治評論家と名乗る人々が勝手なことをほざいている。だが、彼等はオーディションで選ばれるのだ。

 

 その基準は、テレビ局の趣味で決まる。


 何度もオーディションに落ちた後、どうやら、顔やスタイル、それに家柄を重視していることに気が付いた。



 結局、俺に残された道は、ただ一つ。

 誰かのブレインとなってチームの一員として行政に関わることだった。


 

 


 それは、ポリティカルスクールに在籍する無名の学生が目指す最も無難な道でもあった。




 ポリティカルスクールで学んで政治を目指すのに、道は二種類ある。

 一つは、自らが議員や首長あるいは大統領となって、国や地方の政治を行う道(『トップコース』と呼ばれる)、もう一つは、前者のブレインとなって、チームの一員として行政を担当する道(『ブレインコース』若しくは『ゴーストコース』と呼ばれる)だ。



 俺のように、名もなく金もない貧乏人は、誰かのブレインとなって、政治に関わることを目指すしかないのだ。


 それが、現実だった。 


 




惟光氏の前途は多難です。

お話が進むと、もっと大変なことになる予定です。

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