第七話 宴と深酒
とある週末の夜、場所は首都のとあるホテルのパーティー会場であった。華やかな雰囲気で、多くの参加者の中に混ざってカセリア氏の姿があった。なぜ彼はそのようなところにいるかというと、出版社の記念事業としての晩餐会に招かれたというわけだった。カセリア氏自身はこういった催し物に参加するのはあまり好きな質ではなく、その都度丁寧に断っていたのだが、今回ばかりは担当者からしつこくせがまれたというわけで、渋々承知したのだった。内容については一度聞かされていたが、ほとんど聞き流してしまっていたので詳しくは知らなかった。なんでも出資者や関係者も集まるということくらいしか覚えていなかった。
壇上では入れ代わり立ち代わり、さまざまな人がスピーチをしていた。カセリア氏はそれらにはあまり注意を払っていなかった。会場の端っこの方の席で、振舞われているワインと料理にちまちまと手をつけながら、周囲に自分のことを気づかれぬよう静かにしていた。
そんななか突然、司会がカセリア氏のことを指名した。
「今夜は、とあるゲストに来ていただいてをります。いま人気上昇中の作家、プロパガール・カセリア氏であります!」
それを聞いた途端、彼に緊張が走って脈拍がわずかばかり上昇したような気がした。やれやれ、何を考えているんだ。スピーチをするなんてこと聞いていないぞ。それになんだ。プロパガールなんて、プロパガアルだ。イントネーションが違うじゃないか、まったく。そんなことを考えならも、一度大きく深呼吸をした。それから、手にしていたフォークとナイフを置き、席を立った。途中、出版の担当者の方を横目でにらんでから壇上に向かった。
壇上に立つとスポットライトの明かりのまぶしさに少し目を細めた。
「あー、どうも皆さま、先ほどもご紹介いただきましたプロパガアル・カセリアです」少々酔いがまわりはじめているカセリア氏はその残っているわずかな思考力で何を話すか即座に考えた。が、率直なことを述べて短く終わらせることにした。下手に取り繕うな。それは彼が日ごろ思っていることだった。「まさか、挨拶の場をいただけるとは思ってみませんでした。私は即興のスピーチというものは苦手でして。事前にわかっていればなにか面白い話でもできたのですが。まあ、とにかく私のような一介の小説家がグダグダと長話をしても面白くないでしょうから、手短に切り上げることにしましょう」会場のまばらなところで少々の笑い声が上がった。
「まあ、皆さん、本日は料理にうまい酒もあることですし、楽しみましょうじゃありませんか」そうして皆が拍手をしている間にカセリア氏はそそくさと元の席へ戻った。
会場にはカセリア氏のような作家は少なく、出版関係者や出資者という人たち、よくわからない学者やら聞きなれない肩書の評論家たちが、入れ代わり立ち代わりカセリア氏のとこへ人がやってきた。
「カセリアさんは、お酒はよく飲まれますか?」
「いや、まあ嗜む程度には…」
「嗜む程度!洒落た言い方をされますな」「またまた、私は大酒飲みだと思ってますよ」「小説で酒を飲みの主人公がいましたからね」「それは別の作家の作品でしょう」「ともかく、今夜は遠慮なく飲みましょう」「プロパガールさん、グラスが空いてますぞ」「さあ、どうぞどうぞ」
周りがどんどん勧めてくるので、カセリア氏の持っていたグラスが空になることはなかった。
翌日、早朝からカセリア氏はトイレで便器と向かい合っていた。はたから見れば抱き合っているという表現が適当かもしれなかった。ひどい頭痛と吐き気に襲われていたのであった。理由は言うまでもなく昨晩の宴会である。要はカセリア氏は普段飲み慣れない量の酒を飲んだということだった。周りに勧められるがままに飲んだので飲まされたという表現もあながち間違いではなかった。とにかく多量の飲酒が原因である。二日酔いであった。
お昼前ごろ「カセリア君、昨日はどうだった?」と、アグア氏がいつものように部屋を訪ねてきた。「カセリア君、いないのかい?」返事がないので再び部屋の中に向かって声をかけた。
「ここに、いるぞ」力弱い声が聞こえた。
「大丈夫かい…」アグア氏はカセリア氏の姿を見つけると、少しばかり引いてる様子であった。
「アグアよ。これをみて大丈夫だと思うかい」
「いや…」
「二日酔いだ!」カセリア氏は喚く様に言った。「まったく昨夜は飲まされたよ。正体を失うまではいかなかったがね。だが昨晩どうやってここに戻ってきたか覚えてない!ほんでもって気づいたら玄関口で寝ていたよ。今朝から吐き気、寒気に頭痛と…自己嫌悪!ずっとこんな調子だ」まだ多少の酔いが残っているせいか、それでも喋る口調ははどこか饒舌な様子であった。
「僕に何かできることがあるかい?」アグア氏はおそるおそる聞いた。
「ああ、頼めるなら蜂蜜を買ってきてくれ」
「蜂蜜?」アグア氏は不思議そうに聞き返した。
「二日酔いには蜂蜜だ。大酒飲みの親父にお袋がよく言っていたんだよ。二日酔いに効くらしい」
「わ、分かったよ」
「君が訪ねてきてくれて助かった」
「ともかく蜂蜜と他にも何か買ってくるよ」アグア氏は外へ向かいながら続けた。「とにかく水を飲むのがいいと思うよ」
「わかってる!」
カセリア氏はまた便器と向かい合った。
「まったく酒を飲んでも、酒には飲まれるもんじゃないな」呻くようにつぶやいた。