第六話 戦場とルガ帝国
カセリア氏が目を覚ました時、自身が仰向けに寝ているということだけはわかった。ただ自分がどこで何をしてるか、皆目思い出せなかった。ぼんやりとした視界…、そして次に土塊と火薬のようなにおいが鼻についた。
まわりにぼんやりとした人影があることに気づくと同時に声が聞こえてきた。
「おや、気が付いたみたいだね」聞き慣れたアグア氏の声だった。
「まったくおどかしやがるね」作家仲間のデルフト・シュリフステーラー氏の声も聞こえた。
「軽い脳震盪だよ。取り合えず命に別状はなし」再びアグア氏の声。「今しばらくは座って休んでるといい」
「さすがは我々の衛生兵であるな」今度は知り合いの画家エスクリビー・ジーザス氏の声も聞こえたようだった。
目をしばたたかせているうちに、はっきりとものが見えるようになった。心配そうに三人のが自分のことを囲んで見下ろしていた。周囲に目をやると、そこは、幅二メートルあるかないかくらいの土を掘った深い溝の中だった。まるで、戦時中の塹壕のようだった。
「ここはどこだ。私はなんでこんなところにいる?」ゆっくりと起き上がりながらカセリア氏は尋ねた。
「おい、プロパガアルのやつ頭を打ったせいで記憶が飛んだみたいだぞ」シュリフステーラー氏が茶化すようにして言った。
「しっかりしてください。この塹壕のほんの少し先にはセトハウサの連中が機関銃や大砲を構えているんですよ」ジーザス氏も付け加えるようにして言った。
よく見ると、みんな先の尖がった帽子をかぶって深緑色の軍服に身を包み、長いライフル銃を手にしていた。それからアグア氏だけは銃ではなく、大きな救急箱を片手に持ち赤十字マーク入った腕章をつけていた。そしてカセリア氏も自分がみんなと同じ格好をしていることに気づいた。
そうだ、ここは戦場なんだ。我が方のルガ帝国と敵国セトハウサとは戦争中だった。そして先ほど近くにばかデカい榴弾が一発落ちてその爆風に押し倒されたんだった。おぼろげながらそのような記憶が頭の中を巡った。
「ああ、そうみたいだな」確かめるような口調でぼそりと言った。
「そうみたいじゃなくて、そうなんだよ。ほんとに大丈夫か?」
「頭が痛む」カセリア氏は頭をさすりながら続けた。「できるなら一杯飲みたいね」
周りはドッと笑いにつつまれた。
「まだ昼です。一杯やるには早いですね」
「それに飲めるにしても、気の抜けた不味いビールだけ、悪酔いで頭痛がひどくなっちまうぜ」
そこでまたみんな大笑いした。
「よし、おふざけもここまでにしよう。みんな持ち場に戻ろうぜ」デルフトは言った。それからカセリア氏の方を向くと「ほら、お前さんの銃だよ。一緒に吹っ飛ばされたてたが、どうやら使えそうだな」と言って拾い上げたライフル銃を渡してきた。
自身の背丈と同じくらいの長さがあるそのライフル銃はあちこち傷だらけだった。
「ああ、すまないね」カセリア氏はまだ頭をさすりながら言った。
「それと、これ」そばに落ちてた尖がり頭の帽子も拾い上げて渡してきた
「そうだな。また頭になにかぶつかったんじゃシャレにならんな」カセリア氏は付いていた泥を払い落として形を整えると被りなおした。
「一時はひやひやしたぜ。ポーカーで負けた分をまだ取り返してないからな」
「そいつは傑作だな。これで君の負けがかさむこと間違いなしだ」
「どうかな?今度は取り返してみせるさ」
戦線は膠着状態で毎日やることは判を押したように決まっていた。交代で寝起きをし、銃を撃ち、大砲が飛んで来たら身をすくめて塹壕の底で耐えるのだった。いや、砲弾が飛んでこなくても塹壕の中では耐えるという状態が普通だった。
「それにしても、いつまで続くんだ?こんな戦い」カセリア氏はぼやく様に言った。
「さあね。そいう最初のころはよく賭けをしたな。いつ終わるか」デルフトはその言葉に答えた。
「一週間、一カ月、二カ月、半年、どれも外れだったな」
「おい!今どのくらい経ったかわかるか?」
「ええっと、たしか三年と一カ月くらいであります!」デルフトの問いかけにジーザスが答えた。
「へぇ、もうそんなに経つのか。こりゃ永遠に終わりそうもないな…」
「そんなことはないだろう。さすがに」
「どうだかね」デルフトはイラついたように唾を吐いた。「最初のころは塹壕を掘り進めて、敵の陣地奪い、そしたら今度は奪い返されてを繰り返して」
「まあ、そうだな。それにここの辺は、たしか最初にいたところだ」
「だろ?進んだと思ったら戻ってきたんだ。時間と多く兵士を犠牲にしてな」それからデルフトは傍にあった木箱に腰掛けると、タバコを取り出してマッチの火をつけた。「ここに来る前のこと覚えてるか?」
「さあ、すぐには思い出せん」
「だろ?こりゃ果てしないぜ」デルフトは大きなため息をつくように一服した。
その時だった。ドンッドンッドンッと連続して大砲の音が遠くから聞こえてきた。それから間もなく頭上で咳き込んだ蒸気機関車のような音がどんどん大きくなった。
「クソっ!またか」「こりゃマズイ」
「榴弾だ!!」呟くと同時に誰かが叫んだ。
榴弾がすぐ近くに前に落ちてくるのがスローモーションとなってカセリア氏の目に映った。そして炸裂した。あたりは真っ白になった。
「うわーっ!」
カセリア氏はそこでベッドから飛び起きた。
カセリア氏はそこで自分がいつものアパートの寝室にいることを自覚した。汗びっしょりで心臓はバクバクしていた。落ち着いて意識がはっきりするにつれ、先ほどまで見ていた景色の鮮明さは失われていった。窓の方へ目をやると、外は明るくなり始めているところだった。
カセリア氏はどうも夢を見ていたのだった。先日、図書館で読んだルガ帝国末期の戦争体験記のせいだろう。そう思いながらベッドから出た。当時のセトハウサとの国境をめぐる戦争だ。なんといっても塹壕戦というものが初めて行われた戦争だった。今はパラムレブ連邦の時代だ。ルガ帝国は先の大戦末期で崩壊してしまった。
「あるいはどうだろうか?今の世界の方が実は夢の中で、現実ではいまだに塹壕に籠って戦いが続いているのではないだろうか。まさかな、そんなおかしなことがあるのだろうか」そんなことをつぶやいた。
しかし、意識がはっきりしていくうちにそうした考えもどこかへ行ってしまった。