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カセリア氏の日常  作者: 菅原やくも
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第四話 旅の青年

 カセリア氏は書きかけの原稿の入った革のケースを小脇に抱え、行きつけのカフェに向かう途中だった。

「あの、もしや作家のカセリアさんですか?」

 横から突然、声をかけられた。

「君は?」カセリア氏は立ち止まり、声のした方へ顔を向けた。

 そこにいたのは見知らぬ青年で、見た目はあまりきれいな恰好ではなかった。が、傍らの自転車と汚れた靴、背負っているカバンを見るに、おそらく旅をしてるのではなかろうかとカセリア氏は推測をした。

「いえ、人違いだったらすいません」青年は自転車のスタンドを下ろしながら言った。

「そんなことはない、青年よ。そうだ、私はプロパガアル・カセリアだ」カセリア氏ははっきりとした口調で答えた。

「はじめまして、自分エルネヘスといいます。エルネヘス・ホークです」青年は自己紹介をした。「あなたの本読んだことあります。それで、あの、差支えがなければサインをいただけますか?」すこし緊張気味の様子だった。

 カセリア氏は首都では名の通った作家であるものの、道端でサインを求められるのは稀なことであった。もちろん出版社企画のイベントなどでサイン会をすることはあったが。いずれにせよ、あまり出かける質ではないということことにも一因があるのかもしれなかった。

「ああ、構わんよ。読者の頼みとなれば大歓迎だ」

 カセリア氏がそう答えるのを聞くと、青年は背負っていたバックを下ろした。そして、本でも取り出すためなのか中身をあさり始めた。

「見たところ、君はどうも旅をしているのかと思うが?」カセリア氏は聞いた。

「わかりますか。そうなんです」

「どのあたりからだい?まさか大陸横断なんてことはないだろう」カセリア氏は冗談のつもりで言った。が、青年は「ええ、そのまさかで東海岸からです」と答えた。

「そりゃすごい、ずっと自転車で?」カセリア氏は本気で驚いてしまった。

「まあ、なんとか。実は、途中で貨物列車にこっそり乗り込んだりも」

「はっはっは、そいつは傑作だ!」カセリア氏は大笑いした。「旅というより冒険じゃないか」

「それから、あなたのことはイルガンのラジオ番組で知ったんです」青年フェルナンドは言った。

 カセリア氏も東部出身であったが、作家として名前が知られているのは意外にも連邦中部から西部にかけてだった。そしてイルガン氏も作家であったが、カセリア氏とは違って連邦西部では無名に近く、むしろ国外で人気があるようだった。そして、なぜか一方的にカセリア氏のことをライバル視していた。お互いに会って話をしたのは一回だけにも関わらずなのに。

「イルガン…」カセリア氏は思い出すように遠くを見つめた。「ああ、確か昔顔を合わせたことがあったな。なんでも噂によると私のことを目の仇にしてるとかなんとか聞くが。ラジオ番組を?」

「僕はたまに聴くだけですけど、いろんな批評をしているみたいです」

「なんだ?批評家もやっているのか。結構なことだ。しかし、私の批評なんかしてどうするのかね。まあ、おかげで私の宣伝にもなっているみたいだが」カセリア氏は軽い笑で流した。

「あまり気になさらなんですか?」

「ん?イルガンの批評のことか。そんなこと気にしてもしょうがないさ。他人には好きに言わせておくのが一番だ。いちいち反論していては相手の思うつぼだ」

「よし、見つけた。これです」青年はバッグの底の方から一冊の本を取り出した。

 本はカセリア氏が世に送り出した二作目の著書だった。カセリア氏は受け取ると、懐かしそうな様子で何ページかページをめくってみた。それから裏表紙を開くと


’良き旅の思い出と、旅の無事を祈って。プロパガアル・カセリア’


と書き記した。青年は礼を言いながらそれを受け取った。

「どうかな?もし良ければ、君の旅の話を聞かせてもらえないだろうか?」カセリア氏は遠慮がちに聞いた。

「別に構いません。まだ首都には来たばかりなんで、予定もないし…」

「これからちょうどカフェに行くとこだ。紅茶の一杯でもおごることにしよう。それとも君はコーヒー派かな?」

「いや、なんか申し訳ないです。いいんですか?」突然のことに少し戸惑っているようだった。

「気にすることはない。これも何かの縁だろう。それにこういうことは滅多にあるもんじゃないぞ。君はついてる。作家とお茶しながら雑談できるんだからな。それに私だって旅人の話なんて聞く機会はそうあるものではない」

 ちょうどカセリア氏は執筆がひと段落し、比較的時間に余裕があるのだった。いつものカフェで、いつもの席に向かうことにした。店に入るとマスターが声をかけてきた。

「珍しいですね。カセリアさん、お連れの方ですか?」

「さっき出会った。この青年ははるばる東部から旅をしてるんだそうだ」

「そうなんですか?それは凄い事ですね」

 カセリア氏はいつもの紅茶、青年フェルナンドはコーヒーを注文した。


 青年は東部の街ウエフの出身で、そこから旅をスタートしたとのことだった。旅の内容は、野宿の時に見た息をのむような絶景の星空の話、エポ高原の真ん中にポツンとある駅とたった一人の駅長の話、クステグの大工場地帯の話、それから道中出会った多くの人々の話などなど幾多にもわたった。それと、青年が道中で撮った写真も見せてもらった。

 旅話を一通り聞いたカセリア氏はこう切り出した。「君の旅話を参考に小説を書かせてもらいたいもんだが…」しかし、そこでカセリア氏は考え込んだ。「あるいは、君自身で書くのがいいかもしれない。いや、そうしよう。君の旅の話は君自身で書くべきだな」

「ええ、でも、自分はあまり文才とかないですし」

「いいんだ。時間がかかっても」

「自分に書けるかな、小説なんて…」フェルナンド青年は少し困った顔を見せた。

「なにも型通りにする必要はないさ」それからカセリア氏は少し考えて続けた。「写真も一緒にしてエッセイ風に書くというのも一つの手だ。それに強制するわけじゃない。単なる一介の作家のアドバイスだ。どうするかは君自身で決断するんだ」

「まあ、少し考えてみます」


 別れ際、「もし書き上げることができたら、またここへ来るといい。出版社にかけあってあげようじゃないか」とカセリア氏は青年に言った。

「どうして、そんなことまで、初めて会ったばかりなのに?」

「実をいうと、私としても単なる思い付きだ。冗談半分というと言葉が悪いかもしれんが。とにかく、なんというか君は将来有望な気がしてな。なんたって東部から自転車旅をするくらいだ。いろんな挑戦をしてみるといい。さっきも言ったが、単なる一介の作家のアドバイスだ。決断は君自身にまかせる」

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