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カセリア氏の日常  作者: 菅原やくも


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最終話 孤島にて

 ラレイユ大陸での、国境紛争を発端とした世界大戦は、六年目――もっとも、正確な年月は歴史家によって見解が別れるところだろう――に終結した。しかし、ラレイユ大陸は街も山も野も荒れ果てた。人々の払った代償は、あまりにも大きかった。


 カセリア氏は数カ月ぶりに新聞を手にしていた。サモ公国の新聞社が発行したものだった。記事には停戦会議の様子や、各国の惨憺たる都市の姿について書かれていた。


《停戦会議糾弾、賠償と責任所在をめぐり各国が応酬》

《各国の都市、復興は先が見えず》

《世界平和に向け、世界協調委員会が設立される》


 カセリア氏はため息をついた。

「アファルソエソルはどうなったものか。考えたくはないが、酷い状況にでもなったかもしれん。アグアは無事でいるのだろうか……」

 それから、窓から見える海へ視線を向けた。今日の海は波も低く、非常に穏やかだった。窓際のテーブルに視線を落とすと、タイプライターはうっすらと埃をかぶっていて、ペーパーウェイト代わりに石が乗せてある原稿用紙が目についた。どの用紙も、まっさらのままだった。ここ長らく、ペンを手にすることもしていなかった。


 ただ、世界の果てのような島でさえも、戦時中は無関係ではいられなかった。軍艦が海上を進んでいく姿、空に軍用飛行機が飛んでいるのが見えることもあれば、稀に兵士達が偵察のために、わざわざ上陸してくることもあった。

 しかし戦略上、なんの意味も見いだせない島であることが幸いした。大陸で行われていたことと比べれば、はるかに平和だった。

 西大洋諸島の各地にも、それなりの数の人々が暮らしており、本島では万人単位の人口があった。だが、その中でも、カセリア氏の住む島は小さく、諸島の一番端に位置していた。


 玄関先からの呼び声に、カセリア氏は物思いから現実に引き戻された。


「先生! カセリア先生!」


 呼び声の主は、最寄りの島——といっても、それは水平線の向こう側だが——から時折やってくる、アマルという名の青年のものだった。彼はカセリア氏を師と仰ぐ読書好きで、地元漁師の息子でもあった。

 そして、この島への郵便配達員も兼任していた。島に立ち寄るときは、漁で獲れた魚介を分けてくれることもある、親切な若者だった。


「はいはい、今行くぞ」

 そう言ってカセリア氏は、ゆっくりとした足取りで玄関口へ向かった。

「こんにちわ。先生」

「やあ、こんにちは。どうしたんだね? 新聞は先日受け取ったぞ」

「速達のお手紙です」

「なんと、手紙か。わざわざすまないね」

 そう言いながらカセリア氏は手紙を受け取ったが、すぐに中身をあらためたりはせずに、ズボンのポケットにしまった。

「どうだい? 休憩がてらにお茶でも」

「いえ、僕はこれで失礼します」

「どうも今日は、忙しいみたいだな」

「はい」

「では桟橋まで、見送りに出るとしよう」


 島の桟橋から、アマル青年の乗る小船が離れると、今度は帆をいっぱいに張ったヨットが一隻、島に近づいてきた。

 かなり大型のヨットだった。そして、巧みな操舵で桟橋の横へ着いた。

 それで、舷側に人の姿が現れると、もやい縄を投げ出してきた。その人物はなんと、カセリア氏の長年の友人であるアグア氏だった。その後ろには、彼の細君であるアリア氏の姿も見えた。


 カセリア氏は、陸にある自作のボラードにもやいをくくりつけながら、驚きの声をあげた。

「まさか、アグアじゃないか! そっちは大丈夫だったのか?」

「なんとか、まあね。屋敷は少し被害を受けたけど、こうして元気でいるよ」

「それりゃ良かった。さあさあ、とにかく家に案内しよう」

 そうして二人は島に上陸した。

「お出迎えをどうも。手紙は読んだの?」

「手紙?」

 それからカセリア氏は、ついさっき受け取った手紙のことを思い出した。

「さてはこれか」そう言ってポケットから取り出した。

「どうやら、読んでないみたいだね」

「そりゃそうだ。つい先ほど受け取ったばかりだ。封を開けてもない」

 アグア氏はクックと笑った。

「ずいぶん昔にも、似たようなやり取りをした気がするけどな」

「まあ、昔を思い出して懐かしむとしよう」


 三人は島の小道を進み、カセリア氏の家に向かった。


「家は、それでも、立派なようですわね」アリア氏が少しあきれぎみに言った。「カセリアさんは、手紙も届くのが怪しいこんな辺鄙な島に、よく暮らしていらいらっしゃいますこと」

 その言葉に、カセリア氏は軽く笑って答えた。

「まあ、確かに不便だ。だが、ここでの生活がつまらないと思ったことはない」

 それからアグア氏も、部屋を見るなり驚きの声をもらした。

「これって、アファルソエソルのアパートの部屋そっくりじゃない?」

「そうだとも。アパートを引き払うときに、部屋の間取りをそっくり図面に移していたんだ。おかげでほぼ再現できた」

「凄いね」

「窓から見える景色も、海に様変わりというわけだ」

「不便じゃないの?」

「そうだな……まあ、ガスも電気もない。料理で火を使うには薪を燃やすし、夜の明かりはランタンかローソンだ。不便といえば、そうかもしれん」

 それからカセリア氏は、お湯の用意をはじめた。

「さて、ティータイムとするとしようか」

「そなに気を使わなくてもいいよ。夕方には、本島に戻るつもりだし」

「いいじゃないか。昔に戻ったみたいだろう?」

 カセリア氏は手際よく準備を進めた。


 待っているあいだに、アリア氏が窓辺に近づいて景色を眺めた。

「ここから見える景色は、素敵ですこと」

 それから彼女は、ホコリをかぶっているタイプライターと原稿が目について、そのことを指摘した。

「あら、カセリアさん。この原稿、それとタイプライターもホコリをかぶってますわよ」

 アグア氏もその言葉に、近づいてみた。

「ほんとだ。もしかして、書くの辞めたわけじゃないよね?」

「ああ、今は気が向かないだけだ」カセリア氏はそっけなく答えた。「早くも隠居生活といったとこだからな。とりあえず今は、島の家庭菜園と魚釣りに、ほかには鶏の世話もな。そうだ、ほかにはオレンジやリンゴの木も植えたぞ! これからヨット作りにも精を出そうと考えてるところだ。小説を書く暇なんてないな。なんとか生きていける」


 そうしてカセリア氏は、お茶と軽食の用意を整えて、テーブルにおいた。


「この香りは、ハーブティー?」

「そうだ。できれば、普通の紅茶も作ってみたいところだが、ここじゃ、茶葉は上手く育たん。仕方ないから、自生しているハーブを使っている」

「へぇ、なんとなく自給自足してるの?」

「ざっくりと言えば、そんなところだな。足りない物は、本島から取り寄せている。もちろん、紅茶が飲みたくなった時もね」


 しばらくは、他愛のない世間話で時間が過ぎていった。そして、カセリア氏は、恐る恐る切り出した。


「どうしても訊きたいのだが、」

「何について?」

「その、アファルソエソルの街はどうなっている?」

「ああ……そうだね」アグア氏は少し眉をひそめて、遠くに視線を向けた。「市街地は、ほんの少しだけしか見てないんだけど……ほんとうに、酷いありさまだったよ。まるで瓦礫と廃墟の街になってしまった。君のアパートなんかは、何処にあったかすら分からなかった」

「そんなに酷かったのか」

「うん。たった一回、一発の爆弾であんなことになるなんて信じられないよ」


 アファルソエソルも、この戦争の犠牲から逃れられなかったのだ。エテク共和国が開発していると噂されていた新型兵器が実戦に使われたのは、間違いなさそうだった。


「それと東部も、けっこう酷いありさまらしい。それでも、連日の爆撃を受けた中部の都市に比べたら、マシかもしれないけど……ともかく、連邦軍も充分にやり返したみたいだから、五分五分かもね」

「それで、この戦争はどこが勝ったんだ? 新聞はどれもあいまいな書き方しかしてない」

「さあね」アグア氏はため息をもらした。勝者なんていないよ、たぶん……。それと僕は、父親も兄弟も亡くしてしまった」

「それは、お悔やみを」

「でもまあ、悪いことばかりじゃないよ」アグア氏は自嘲気味に笑った。「今やカリエンテ家は、僕だけが正当な後継者ってわけ。それでも、途方に暮れるというのは、このことかという実感もしているけど……」

「気持ちはわかる。私もいくぶん前に、母と父を亡くした」


 それから夕方には、アグア氏とアリア氏の二人は島を後にした。


 夜のとばりとともに、島に静寂が降りてきた。

 カセリア氏は、燭台で揺れるロウソクの明かりのもとに、白紙の原稿用紙をみつめた。

「アグアとアリア夫人が見聞きしたこと、大陸で起きた最悪の経験を文章に書かねば……」

 それからペンを手に取り、原稿のほこりを払った。

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