第二十七話 言論
先行き不透明な世情だった。パラムレブ連邦国内では威勢のいい声も聞かれていたが、いっぽうでは、どこか悲壮感漂う人々の背中も垣間みえるような気もしていた。
ボズロジデニア共和国との国境紛争は全面戦争に発展していた。いまや周辺国も巻き込み、世界大戦が始まりつつある様相を呈していた。
そんなある日、カセリア氏の住むアパートの部屋へ、珍しく担当編集のレダトーレ氏が訪れた。
「カセリアさん。このままだと、まずいことになりそうです」
レダトーレ氏は、単刀直入にはっきりと言い放った。
「なにが美味しくないって? どこの店の料理の話だ?」
つぶやくように答えて、カセリア氏は読み返していた自身の原稿から顔を上げた。
レダトーレ氏はあきれた。
「カセリアさん、ふざけてる場合ではありませんよ! 我々編集社としても、今のままでは擁護するのも限界がきそうなのです」
どこの国にも漏れず、戦時下が続くとあっては、出版や刊行物の規制強化が行なわれるのは当然の成り行きだった。つまりは、治安当局による検閲である。少なからず予見されていたといえ、多くの出版社にとっては衝撃的なことだった。
「冗談だよ。もちろん分かっている。皆、私の小説が気に入らなくなってきたわけだ」
「そうではないですが……」
レダトーレ氏は声のトーンを一気に下げた。「治安当局が、市民の集会のみならず、出版物に関しても取り締まりや検閲を始めたという、その噂くらいはご存知でしょう?」
「まあ、当然だといば当然だろうな」
「とうとう我が出版社にも、影響がおよびはじめたということです」
「まったく……とんでもない世の中になったものだ」
「ええ、ほんとうですよ」
「それで、私の仕事が無くなるわけか?」
「それがですね、そうでもないです」
「なんだって? どういうことだい?」
レダトーレ氏は持っていたカバンから、一枚の書類を取り出した。
「こういう内容の書物を、ぜひ書くべきだという“文化人への指針方針一覧”なるものが政府から通知されました。どうやら、私どもの出版社だけでなく、多方面に、新聞社やラジオ局なども同様らしいです」
カセリア氏はその紙を受け取ると、ざっと目を通してみた。
つまり、無事にこの事態を乗り切るには、政府が要請した内容に沿うもの、国民の士気を煽るよう派手なプロパガンダ的小説を書く必要があるということだった。
だが、当の本人にそのつもりは毛頭無かった。
「ははあ……私を利用しようということか? 私に、政府にとって都合のいいようなプロパガンダ小説を書けということか?」
「まあ、分かりやすく言えば、そういうことでしょうね」
「どうして、政府にとやかく言われる筋合いがあるというんだ」カセリア氏は呆れた。「まったく……他人が書く文章が嫌なら、自分たちで書けとでも言い返してやれ」
「そんなこと、簡単にはできませんよ」
「ならば、私は小説家を辞めることを宣言する方がマシだ」
「そういうわけにも、たぶん……いきませんね」
カセリア氏は鼻を鳴らした。「逃げようとすれば、いわば罪状付きで、豚箱にでも放り込まれるとでも?」
「そこまで予想できているなら、協力してくださいよ。私たちの出版社そのものだって、これからどうなるか分からないんですから」
カセリア氏は大きくため息をついた。「あるいは……ならば私が、ノイローゼになったとでも周囲に吹聴することだ」
「最悪の場合、ほんとうにノイローゼになりますよ、きっと」
「とにかく! こんなのでは書けたもんじゃないし、書く気も失せる! どのみち、ここ最近はペンを持つ手が重くて、気分も順調とも言えん。適当な理由……病気で休載ということにでもするんだ。こうまでされては、たまったもんじゃない!」
「では、ほんとうにそうしますよ」レダトーレ氏は観念した。「しばらくは、それで誤魔かすことにしますよ。体調不良で病気療養ということにして」
「ああ、それで頼んだよ」
そうしてレダトーレ氏は、部屋を後にしたのだった。
しばらくして今度は、入れ替わるようにしてアグア氏が部屋を訪ねてきた。
「ご機嫌いかがかな?」
「ああ、どうも」
そっけなく答え、カセリア氏はキッチンに向かい、紅茶の用意を始めた。
そして憤りの混ざった口調で「もう辞めることにしよう」と呟いた。
「えっ!」
アグア氏は、カセリア氏の唐突な一言に驚いたようすだった。
「突然、どうしたんだい?」
「政治に関心を持つことは、やめだ」
「なんだぁ、てっきり本を書くのを止めるのかと。それにしても、また急に?」
「気付いたんだよ」
「何に?」
「所詮、政治というものは、政治家と役人たちによる、眠くなるくらいの面白味のない舞台演劇みたいなものということだ。それに今は戦争で死人が出ている。まったく笑うこともできない」
「またまた、極端な物言いだなぁ」
「無論……議員の連中の全員が、とまでは言わない。だが結局は、彼らは市民に対する関心が薄いのだよ。まったく、ならばこちらも、関心を持つのはやめにする」
「君はいいとしても、それじゃ……皆がそんな風になったら、民主主義の危機じゃないの?」
「もういいさ。どのみち戦時体制の政府に、民主もなにもあったもんじゃない」
カセリア氏はため息をついた。「皆、戦争なんてして欲しいとは本気で望んでないだろう。だが問題なのは、そう思っている人たちの大半が“でも、自分はたいして関係ない”と思っていることだ。声に出さないからな」
「沈黙の多数派ってやつだね」
「まあ、そういうことだ。ほんでもって、その横では、一部の好戦的な開戦派が大声で戦争を叫ぶから、政治家たちは戦争を始めようと思うんだよな。つまりそういうことだ」
「政治家は声なき声は聞こえないってことだね。それで、自分は関係ないと思っていた人たちが、結局は犠牲になるのかな?」
「そういうことだろうよ。だがある側面から見れば、それも自業自得というものだ」
「イエスでもノーでも、しっかり声を上げないといけないわけだね」
「端的に言えば、そうだ。だが、政治なんてそんなもんだ。聞こえた声しか聞かないのだ。だが私は、もう面倒になった。それに今となっては、声を上げるのもままならん」
「皮肉だね」
「まったく! 洒落にもならん皮肉だ」




