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カセリア氏の日常  作者: 菅原やくも


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第二十五話 総会

 カセリア氏はいつものように、行きつけのカフェで執筆活動にいそしみ、夕方にはアパートに戻った。郵便受けをのぞくと、幾つかの封筒が届いていた。その中の一つをみて、カセリア氏は呟いた。

「やれやれ……今年も、そんな時期になったか」

 それは、とある総会への案内状であった。

 カセリア氏は連邦国内に拠点を置く、某大企業の株主の一人でもあった。もっとも、株で儲けようとか、配当金や何かしらの優待が目的というよりは、資産の分散保有という意味合いの方が強かったが。それに加えて、総会の場でいろいろと周囲の人間を観察するということも、彼流の風変わりな楽しみの一つであった。

「まあ、今年も出てみることにするか」

 それから一週間ほどの後、カセリア氏は支度を整えてアファルソエソルの街を発った。


 首都から南へ、鉄道に乗って小一時間のところにある、経済都市トソロコース。


 その市内中心部にある、大きな公会堂の大会議室が今回の会場だった。そして、たいていにおいてカセリア氏は、このような会場では、なるべく後ろのほうで陣取るのが常であった。

 カセリア氏が席に腰を落ち着けたところで、

「お隣の席、よろしいでしょうか?」と、一人の女性が声をかけてきた。

「ええ、構いませんとも」

 カセリア氏はそっけなく応じて、それとなくその女性の挙動を観察してみた。

 その女性は、手帳よりは少し大きめのノートを取り出し、ページを開いて何か書き込んでいた。カセリア氏は横目で、気づかれないようにぞき見してみた。ただ、それが単なる今後の予定だとか買い物メモの類を書いているのではないことはすぐに分かった。見慣れない単語や図式からして、なにかの研究か、学術的な内容であることは見当がついた。

 それから、女性の着ているスーツの袖と裾が、少しばかり粉っぽく汚れているのに気が付いた。それは学生時代に見た、チョークの粉にまみれた大学教授を連想させた。

 カセリア氏はどうにも関心をひかれた。

「失礼ですが、お尋ねしてもいいですかな?」

「はい? なんでしょう」

「貴女は、大学か何かで教鞭をとっておられますか? それとも、研究かなにか?」

 すると彼女は少し驚いた表情を見せた。

「まあ……ええ、しがない研究者といったとこです。どうしてお分かりに?」

「その、スーツが少々、チョークの粉で汚れているように見えたもので」

「私としたこが」彼女は自嘲気味な笑みをこぼした。「実はここに来る直前まで、研究室にいたのです」

「仕事熱心ですな」

「それにしましても、プロパガアル・カセリアさんは鋭い観察眼をお持ちですね」

 今度はカセリア氏が驚く番だった。

「おっと……私のことを知っておられますか?」

「だってこの界隈では、作家先生のことをご存じの人は多いですもの」

「ははあ、それはうれしい限りだ」


 進行役が壇上の隅に立ち、総会の進行が始まった。だが二人は、小声で会話を続けた。


「それよりカセリアさん。私との雑談に付き合ってもらっていいのかしら?」

「なんてことはない。株主という義理だけで、参加してるだけだ。それより貴女のほうこそ、よろしいのですか?」

 彼女は小さく笑った。

「私も似たようなものです。それに、研究室のそとでも研究のことばかりですから」

「そのノートの中身も研究内容ですかな? 失礼、わざと覗き見たわけではないが」

「別に構いませんことよ。どのみちこの分野に関心が無ければ、見ても理解できませんわよ」

 それから、カセリア氏に向けてノートを少し見せた。

「それで、この研究とは、どんなことを? それとも企業秘密ですかな?」

「広義で言えば生物学で、詳しく言えば動物の細胞に対する酵素働きについての研究です」

「ほう。最先端科学とでも言うような感じだ」

 いずれにせよ、カセリア氏がすぐさま理解できるようなものでもなかった。

「どうかしら、カセリアさんは関心がありまして?」

「今のところは、理解するには至りませんな」

 カセリア氏は率直な感想を述べた。じっさい、化学や生物といった分野は得意ではなった。

「それと、私の名前を存じていたということは、貴女も私の本を?」

「ええ、少しだけ。でも正直に言いますと、ファンというほどでもないですし、そもそも小説より学術書に目を通す時間の方が長いものですから」

 それを聞いてカセリア氏は、自嘲とも嘲りともつかぬ笑みを浮かべ、小さく首を振った。

「お気を悪くされたかしら?」

「いいえ、まったく。何かしら研究者が私の小説を読むなど、もしかしたら時間の無駄使いかもわからない」

「さすがに、それは無いと思いますわ」

「ところで、研究者と言えど、肩書はいかがなものです?」

「ある部署で研究主任をしてますの。それと、博士号も」

「つまり博士(ドクター)?」

 カセリア氏は、予想よりも彼女が地位ある役職についていることに驚いた。ただ、彼女の口調からは、自身の立場をひけらかすような感じは受けなった。

「ええ、そうです。でも大したことではありませんわ」

「そう謙遜されることも無いだろう。私なんか、作家といういささか頼りない肩書だ。それくらいしか取り柄がない」

「でも研究所では、私は平凡な研究者の一人に過ぎませんのよ」


 そうして二人が雑談を続けているうちに、総会は滞りなく進んでいった。そして、予定通りの時刻に終わった。


 会場の外へ向かいながらカセリア氏は訊いた。

「そういえば、お名前を聞きそびれていた」

「シャセル・オクルスです」

「うむ、素敵なお名前だ。ところでこの後は?」

「私はすぐに研究所へ戻らないといけないので。カセリアさんはどうかしら?」

「一晩宿で過ごして、朝一番の列車でアファルソエソルに戻るつもりだ」

 そして最後の別れ際に、シャセル・オクルス氏は何やらメモ書きを渡してきた。

「もし、ご迷惑でなければ、お手紙でもいただけないかしら?」

 渡されたメモ切れには、彼女のフルネームと住所が書かれていた。

 恋愛には疎く、そもそも奥手なカセリア氏であったが、それが何らかのアプローチであろうことは、容易に分かった。

「うむ。だが、また次回も総会で会えると思うがね。どうかな?」

「ですが次回もこうしてお会できるとは、限らないのではないと思いますわ。それと文通は苦手ですの?」

「まあ私は、自分でも気難しい人間だと思ってる」と言って、貰ったメモを丁寧に服のポケットへ仕舞った。「小説なら、すらすらと書けるが、手紙は少々苦手でなものでね」

 カセリア氏の言葉に、オクルス博士は少し怪訝そうな顔をみせた。まるで、カセリア氏の言葉の裏に何か大きな意味があるのだろうかとでも言いたげだった。

「いや、手紙は必ず書くよ。時間がかかるだろうというだけの話だ」

「なら、お待ちしてますわ。気長に」


 次の日には、カセリア氏は自身のアパートの部屋に戻った。

 それから、シャセル・オクルス氏から受け取ったメモ書きを取り出して、ぼんやりと眺めた。

 この住所は彼女の住む自宅だろうか? あるいは研究してる場所か? カセリア氏の恋愛らしい経験といえば学生時代の夏、ほんのわずかのことだけであった。

 しばらく逡巡していたが、その日の晩には、便箋を取り出すと手紙をしたため始めたのだった。

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