第二十二話 社会評論的な
カセリア氏は手直しをした最新の原稿を出版社に届けて戻ってきたところであった。これでまた、しばらくは原稿に向かって頭を悩ますこともなかった。
「さてさて、一息つこうかね」カセリア氏は手もみをしながらキッチンへ向かった。
少しのあいだ、紅茶を飲みながらビスケットをかじって、ぼーっとして過ごした。
「さて、久しぶりにあの続きでも書くか」
カセリア氏は棚に近づくと、書類ケースの一つを取り出した。
それはカセリア氏が、個人的に書き溜めている原稿の一つだった。とりたて誰に言われてるわけでもないが、小説家としての活動を始めたころから、少しずつ書いているものの集積だった。未発表作品や書きかけの原稿、概要だけのメモ書きなどというものはたくさんあった。出版されて、人々が読んでいるものだけが、彼の作品のすべてということではなかった。
彼がその中から取り出したのは、未発表作の中でも、最も文量が多いものだった。十分に発表に耐えられるだけの内容でもあったが、彼自身は不十分だと感じていた。それにまだしばらくは、この作品を世に出す気はなかった。
遠い未来、政府による国家統治は衰退し、その代わり、世界規模に展開した大企業が統治を行なうという内容の話だった。人によってはディストピア世界のようにも感じとれる筋書だが、カセリア氏自身は将来あり得る社会形態の一つして肯定的な見方をしていた。もっとも、国家という概念が衰退せずとも、それに近いような状況になるのではないかと考えていた。
そして、それにはモチーフもあった。他でもない、カセリア氏がかなりの株を持っている、国内の某大企業であった。とはいえ、それが近いうちに現実になるかどうかということは、まったくもって考えられなかった。しょせんは、カセリア氏の空想の話である。
カセリア氏は原稿をパラパラとめくって、ため息をついた。
「あぁ、今日はもう、書く気力は湧かんな」
それから原稿を書類ケースに戻すと、棚へしまった。
紅茶の二杯目をカップに注ぎ、なにも考えずに飲んでいると、アグア氏が部屋を訪れた。
「どうも、カセリア君」
「これはどうも」
アグア氏は部屋を一瞥し、紅茶のセット以外にモノが置かれていないテーブルを見てから訊いた。
「今日は、何もしてないの?」
「いや、午前は原稿を出版社に持って行ったところだ」
「ふーん。じゃあ、執筆はひと段落って感じ?」
「そういうことだ」
それからカセリア氏は、アグア氏が小脇に新聞を抱えているのに気が付いた。
「それで、今日はなにか、面白い記事でも見つけたのか?
「あれ、カセリア君は、まだ今日の新聞読んでないの?」
「そもそも私は、毎日のように新聞に目を通すことはない」
「なんと、今日のトップ記事は」そう言ってアグア氏は新聞を広げてみせた「今選挙の結果は、社会改革党が圧勝のようだったみたい」
「なんだって?!」
カセリア氏は思わず紅茶をこぼしそうになった。
「ほんとうか?」
「だよ」
それからカセリア氏は新聞を受け取り、文面に目を通した。だが、すぐさまため息を漏らした。
「記事をよく読みたまえ。数字を見たら何とか法案を通せるだけの、ギリギリの議席を確保したにすぎん」
「でも、それだけでも圧勝じゃないの? どのみち政権交代だよ」
「ああ、そうだな」カセリア氏はやや不満げな様子だった。「だがまるで、その言い方では、議席のほとんどが埋まっているかのような印象だ。新聞は大げさな表現が好きだな。それに、政治家はしたたかではあるべきだが、演説で人々を惹きつけようというだけなら、舞台役者で十分だ」
「へぇ、演説聞いたことあるの?」
「ああ、一回だけ街頭で喚き散らしてるのを、たまたま拝聴させられたものだ」
それから、そのときの社会改革党の演説の締めくくりを、党首の口調をまねながら言った。
「こうだったかな、“市民の一人一人が、小さな一歩を踏み出すことによって、国家は大きく前進するのです!”だとか、なんとか」
アグア氏はくすくすと笑った。「なかなか、カセリア君もやるねぇ。物まね芸を目指してみたら?」
「いや、けっこう」
カセリア氏は新聞を返すと、アグア氏もあらためて新聞に目を通しながら呟いた。
「なんだか、いろいろとやるみたいだよ。労働環境だとか医療体制の改革に、女性参政権の拡充、ほかほかいろいろと……禁酒法の可能性にも言及だってさ」
「まったく、禁酒法だと?」カセリア氏は思わず眉をひそめた。「過去にエテク共和国が同じことをして、どんなことになったか知らないようだ。私なんぞは週に一回程度、バーで少し飲むだけだぞ。だいたい、そういうささやかな楽しみまで奪うのが、くだらん法律なのだ。どこまで社会を改革する気だ?」
「でも、なにをどこまで実施するかどうかまでは、まだ言ってないみたいだよ」
「そうかそうか、でも連中のことだ。やりたいことは、全部やる気でいるんじゃなかろうか」
カセリア氏のいつもの言い草に、アグア氏は半ばあきれがちな笑みをこぼした。
「まあ、とにもかくにも、そこまで言ってもね。もう決まったことだよ」
「ならばこれから、社会改革党の政治手腕のお手並み拝見と言ったとろだな!」




