第二十話 独身貴族
いつものごとく、アグア氏がカセリア氏のアパートの部屋を訪れた。すると、カセリア氏がなにやら机の端に軽く叩きつけているのが目についた。
「カセリア君、それなに? パイプ?」
「ああ、そうだ。たが灰が詰まる」
「ふーん。それにしても、いつからパイプなんてふかすようになったんだい?」
「なんてことはない。インスピレーションを得られるかと思って、最近始めてみただけのことだ」
「煙草も吸わないのに?」
「別にいいじゃないか、そんな細かいこと」
「まあ、それで?」
「だからな、すぐに灰が詰まる。まだ、きちんと吸えてない」
「じゃあ、普通に市販の紙巻タバコにでいいんじゃない?」
アグア氏の質問に、カセリア氏はニヤリと笑みを浮かべた。
「だがな、ニコチンを摂取して肺をタールで染めようということが目的ではない。パイプを使い、自分の手でジャグを詰めてタバコを吸うという、この手順この過程を経ることが、今回の目的なのだ」
「相変わらず、小難しことを言うね」
「いずれにしてもここまでなると、パイプを詰まらせるためにふかしているのか、ふかすために詰まらせているのか分からん」
「あるいは、パイプが自分で詰まらせてるのかもよ」
それを聞いてカセリア氏は笑った。
「センスあるジョークだ。もしそうなら、これは傑作だ」
それから、カセリア氏はタバコの葉を入れて火をつけた。つづいて、ほんの少しばかり吸ったところで、ゲホゲホと大げさな咳をした。
「んん、あぁ……やっぱり、ダメだな」
「結局は、向いてないんじゃないの?」
「ああ、そのようだ」カセリア氏は再び咳き込んだ。それから火を消し、灰を捨てるとパイプを机の上に放り出した。
「さてさて、」そう言ってカセリア氏は立ち上がった。「自分の肺に煙を入れるのはこれくらいにして、胃に紅茶を入れることにしよう」
それからキッチンに向かい、手早く準備をすると、再びテーブルのところまで戻った。
「ところでなんだけどさ。」アグア氏はカップに注がれる紅茶を見つめながら、つぶやいた。
「なんだ?」
「僕は、独身貴族をいよいよ卒業だよ」
その一言にカセリア氏はあっけにとられ、危うく紅茶をこぼすところだった。
「なんとまあ、結婚するのか?」
「うん。まだ婚約の段階だけど。まあ、そいうことだね」
「まさか……政略的な結婚じゃあるまい」カセリア氏は冗談じみた声で言った。
「あながち間違いじゃないかも」
アグア氏はその言葉に気を害するわけでもなく、どこか自嘲的な笑みを浮かべていた。
「だとしたら、ますます驚きだ」
「でも、自由主義の浸透しはじめた一般大衆ならいざ知らず、って感じだし。僕の知る世界は、そんなものだよ」そう言って肩をすくめてみせた。
「なるほどな。上流階級も、それはそれで大変そうだ。いよいよ結婚したら、おいそれと私のところに遊びに出るのも難しくなるんじゃないか?」
「さあね、どうだろう……先のことは、そのときだね」
「とはいえ、それで私たちの友情が消えるわけでもないだろう」
「それはもちろんだよ。案外、君が僕の屋敷に遊びに来る方が増えるかもね」
「かもしれないな」
「彼女がカセリア君のことをどう思うかな? 反応が楽しみだよ」
「ところで、どんな相手なんだ?」
「うん、名前はアリア・モントブレチア。連邦中部の出身で、僕より少し背が高いんだよ。髪はブルネットで、たぶん、少し気が強い性格じゃないかと思ってる」
「ほう……どちらかとアグアは物静かな方だが、それで気が合うのか?」
「さあね。でも案外、うまくやっていけるんじゃないかと思うよ。上流階級はふつう、お淑やかな女性の方がモテるけど、僕はズバリと物言う女性の方も悪くないと思っているから」
「いずれにしても、私が横からとやかく言う必要はないな」
「ところで、カセリア君のほうは、家庭を持とうとか思わないの? この歳にもなって、まだ独り身を続けそうな気配だけど」
「ご心配をどうも。」カセリア氏は苦笑して、パイプを再び手に取るともてあそんだ。「たが私には、女性と一つ屋根の下に暮らすなんて想像できん。どっちにしたって、他人じゃないか。四六時中、とまでは言わんだろうが、朝も夜も一緒に暮らす? 考えたくもないね」
「そうかい? 相変わらずな物言い」
「無論、恋をしたことはある」
「へぇ」アグア氏は意外そうな顔をした。
「だが、所詮まやかしだ」
「また君は、そうやって極端なふうに考えるねぇ」
「それに、愛とはなんだ?」
カセリア氏は再びパイプを手にすると、コツコツと軽くテーブルを叩いた。
「出た出た、いつもの哲学的思考かい? うーん、互いを思いやるとか? ちょっと違うかな……自己犠牲を払ってでも守りたいとか、そういう考えとか? 僕は言葉で上手く説明できないよ」
「なるほどな……」
「どのみち僕は、あまりくよくよと考えないほうだから。人それぞれだよ。こういうのは」
「そりゃそうだ。いずれにしても、興味がないわけじゃないが、私自身に関わることならどうだっていいさ」




