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カセリア氏の日常  作者: 菅原やくも


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第十七話 帰省

 カセリア氏は自身の暮らしている、アパートの部屋の入り口に立っていた。外套とハット帽子を身に着け、今一度、部屋の中を見渡していた。今、彼の足元には大きめの手さげのトランクケースが置かれていた。部屋の窓はどこも、しっかりと閉めてあり、普段は乱雑に原稿やメモ用紙が置かれているテーブルの上も、きれいに整頓されていた。

「よし、準備は整った」

 彼はちょうど出かける寸前のところだった。それから、アパートの階段を降りてゆき、出口のところで偶然に大家と出くわした。

「おや……カセリアさん」アパートの大家は、カセリア氏の姿恰好を見た。「その恰好ですと、遠出でもなさるのかね?」

「まあ、そうだ」

「執筆のためですか? どちらまで?」

「いいや、大したことじゃない。故郷の空気を、少し吸いたいと思ってね。それに、たまには両親に顔を見せないとな」

 カセリア氏は大陸のずっと向こう、東部にある都市アルサロペの近郊出身であった。

「そうですか。親孝行ですな。どちらもご健在で?」

「まあね。今のことろは」カセリア氏は冗談っぽい笑みを浮かべた。「ピンピンしているよ。しばらくは、くたばることもないだろう」

「はっはっは。それは結構なことで」

「とにかく、しばらく留守になるから。来客や何かあったときは伝言を頼むよ」

「ええ、構いませんよ。では、お気をつけて」

「ああ」

 それからカセリア氏は通りを横切って駅の方へ向かった。だがその途中、思い出した様子で出版社へも立ち寄ることにした。


 出版社の建物は、駅前通りの一角にその姿を構えていた。

 カセリア氏は慣れた様子で、担当者のいるフロアまで迷うことなく進んだ。

「どうされたんです? カセリアさん」

 カセリア氏の専属担当であるレダトーレ氏は書類だらけのデスクで構えたまま、唐突な彼の訪問に、意外そうな顔をみせていた。

「何事です? 原稿のことで何か問題でもありましたか?」

「いや、違う。これからちょっと、帰省するもんだから声をかけておこうと思ったまでだよ」

「ほんとですか? これまた急ですね。こちらは、どれくらい留守になさるんです?」

「たぶん二、三週間。まあ、移動時間を入れても長くて一カ月くらいだろう」

「そうですか……」レダトーレ氏はデスクの書類をひっかきまわしながら続けた。「じゃあ、それで、今はちょっとお時間大丈夫です?」

 そう言われたカセリア氏は、懐中時計を取り出して時刻を確かめた。「うむ。小一時間くらいなら付き合える。先日の原稿の手直しでもあるのかね?」

「そうです」

 そう聞いてカセリア氏は小さく笑った。

「そんなことだろうと思っていたよ。なんとなく予感はしていたから、こうして寄ったんだ」

 そうして、二人は応接スペースで頭をつき合わせるようにして原稿に向かった。

 カセリア氏は手早く修正箇所を直していくと、注釈やメモも加えていった。

「カセリアさんは、時々まめなところがあるから助かりますよ」

「何を言うかね。直感的に行動しているだけのことだよ。今回はたまたま、というやつだ」

 そうして手早く仕事を済ませると、出版社の建物を出て足早に駅へと向かった。


 昼食を買い込んでから駅へと足を向けた。必要な切符は前日までに購入済みだった。首都のアファルソエソル中央駅の駅舎に入ると、真っすぐにホームへと歩いて向かった。連邦中部の大都市クステグまでの長距離列車に乗り込んだ。クステグからは再び列車を乗り換えて東部の街アルサロペまで向かう予定であった。駅構内はそれなりに行き交う人の姿があった。が、長距離列車の車内は比較的、閑散としている様子だった。

 カセリア氏は思った。まあ、時期的にはこんなものか。あるいは、途中駅で続々と人が乗りこんでくるに違いない。

 定刻になってもすぐには、列車は動かなかった。もっともこれはよくあることで、そもそも鉄道員からしてみれば、五分十分程度ならば遅れの範疇ですらなかったし、市民も鉄道はそんなものだ、という認識を持っていた。


 やはり、三等席はやめておけばよかったであろうか。カセリア氏は座席に腰を落ち着け、ぼんやりと駅のホームを眺めながら思った。構内には、機関車が蒸気を吐く音や、乗客や鉄道員の行き交う喧騒が響いていた。

 今座っているのは、三等のコンパートメント座席だった。それに二等席ならプルマン式寝台も備えているものもあるので、そこなら横になって過ごすこともできたはずであった。もっとも、カセリア氏の稼ぎからしてみれば一等個室席の乗車券を買うことなど、造作ないことだった。ただ、そこは作家としての(さが)なのか、人間観察ができそうなところをついつい選んでしまうのであった。

 そのとき、けたたまましい発車ベルがホームに響いた。続けて、甲高い警笛が聞こえた。それからガタンと車両に軽い衝撃が伝わると、ついに列車は動き出した。

「いよいよか。まあいいさ。戻るときは、一等席にすることにしよう」

 すでにカセリア氏は、故郷の景色を頭の中に思い浮かべていた。

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