第十四話 タイプライター
アグア氏はいつものようにカセリア氏のアパートを尋ねた。部屋のドアも窓も開け放っていて風通しのよさそうななか、カセリア氏は普段以上に険しい表情をしながら原稿に向かってペンを走らせていた。
「どうも、忙しそうだね」一歩部屋に踏み込んで聞いた。
「今日はちょっと立て込んでいるからな。まあ、黙って雑誌でも読むなら止めはしない」
「分かったよ」
アグア氏は部屋なかに進んだ。それから、本棚にある雑誌を手に取ると、いつもの定位置となっている安楽椅子に座って読み始めた。
しばらくの間、お互いは黙ったままに各々のすることに没頭していた。
「ああああ、どうにも駄目だ!」
カセリア氏は唐突に言うと、手を止めて机の上にペンを放り出した。
「どうしたの?」アグア氏は雑誌から視線を上げた。「行き詰ったのかい?」
「いやいや、まったくその逆だ。ペンが追いつかない。次々と湧いてくるアイデアやストーリーを書きとめるのに。しかも脈絡がないったらありゃしない! ダメだダメだ。話がまとまらないな」
喚くように言ってからため息をついた。
「ずっと根詰めても大変じゃないの? 一息入れたりすれば?」
「ああ、それもそうかもしれない」
カセリア氏は立ち上がり、両腕を上げて軽く伸びをした。「あーあ、紅茶でも飲むとするか。少し頭の中を整理しよう」
それからキッチンへと向かった。
アグア氏は読んでいた雑誌を本棚に仕舞おうとして、ふと、その上の方に視線を向けた。そこには何やら白い布をかぶせたものが置かれていた。
「カセリア君、あの棚の上にあるのは何だい?」
「ん?」
キッチンで紅茶の用意をしているカセリア氏は背中を向けたまま聞き返した。「本棚の上に乗せているやつのことか?」
「そうそう、あの布を被せてあるやつ」
「ああ……タイプライターだよ。興味があるなら別に降ろして見てもかまわん」
「ふーん。それじゃあ、拝見してみようかな」
アグア氏は慎重に本棚の上から降ろした。それから机の上に置き、被せてあった布を取った。
「なかなかな物じゃないかな?」
少し観察してから、試しにいくつかのキーを軽く叩いてみた。カシャンカシャンと、部屋に音が響いた。
「それで、執筆に使ってるの?」
「いや、実はな……」カセリア氏は紅茶の用意を整えて持ってきながら答えた。「壊れているから使っていない」
「やるねカセリア君、速記にでも挑戦して壊しちゃったのかい?」
「違うさ、私じゃない。編集部でもらったんだ。同じように布を被せてホコリをかぶってたのを私が見つけてね。その時から壊れてた。壊したのは、どうにも速記が得意な記者だったらしい」
「そう。それで、そんなもの持って帰って、どうするのさ?」
「ものは試し。というやつだ。自分で直せるかやってみようと考えたのだよ。そうすれば、タダでタイプライターが手に入ることになる」
「カセリア君らしいね」アグア氏はクックと笑った。「それで? 試みの結果はどうだったの?」
「それがな、」カセリア氏は自嘲気味に答えた。「まだ、試みをはじめてもないんだ。まあ結局のところは、手書きの方が好みだしな……」
「そうかな?」
二人はそれから他愛ない雑談をしながら紅茶を飲みかわした。
お茶を飲み終えてから、アグア氏はぼんやりとタイプライターを眺めていた。片づけを終えてキッチンから戻ったカセリア氏に訊いた。
「少しの間、このタイプライター借りていってもいいかな?」
「まったく構わんよ。なんだ? アグアも修理を試みようというわけか?」
「まあね。どうかな、直せたら食事を奢ってくれるかい?」
「よし、その賭け乗ったぞ。直せなかったらアグアが食事を奢ってくれ」
「えぇ、なんだかなぁ。それはフェアじゃなくない?」
「そうか……じゃあ、アグアが修理をする間に私が短編を一つ書くというのはどうだ?」
「うーん」
アグア氏はそれでも難しそうな顔をしていた。
「よし、テーマを絞ろう。タイプライターをお題に一つ短編を書く。これでどうだ?」
「じゃあ、それで乗るよ。期間は今日から一週間でどうかな?」
「いいぞ。それで行こう」
それから一週間の後、この勝負は結局のところ決着がつかなった。アグア氏はタイプライターの修理を断念し、カセリア氏はタイプライターをテーマにした短編を書き上げられなかったのであった。




