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カセリア氏の日常  作者: 菅原やくも


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第十一話 悩み事

 自分の人生はこれでよいのだろうか?


 カセリア氏の心の内に時折、浮かんでくる思いだった。午後の昼下がり、空は快晴で、風もない穏やかな日だった。今いる場所は、アパート近くにあるカフェだった。いつもの窓際のスペースに陣取り、テーブルの上には書きかけの原稿、執筆用のノートとペン、アイデアのメモを書き留めてある紙切れがいくつか並べらていた。紅茶とサンドイッチは運ばれてきたばかりで、ティーカップからはほんのりと湯気が上がっていた。そして、ハーブの香りがかすかに漂っていた。

 外に目をやると、市場も開かれない日の通りは閑散としていた。店内も珍しく、カセリア氏以外の客はいなかった。人通りが途切れて誰も視界にいなくなると、彼はまるで自分が一人ぼっちのように錯覚した。時々思う孤独感が自分の人生に疑問符をつけるのだろう。カセリア氏はそのように自己分析していた。もっとも鋭い指摘でもあった。ともあれ、友人のアグア氏もいるし、バー’ソノリテ’に行けばマスターや飲み仲間のデルフトやエスクリビーもいる。実際問題として考えるには、自身が孤独であるというのはやや的外れでもあった。要は認識や思い込みの問題であった。それに仕事上では出版社にも知人はいる。カセリア氏は一人ぼっちではない。だが、家に帰ればどうだろう?アグアやデルフトには細君がいるし、エスクリビーは兄弟姉妹がいる大家族だ。私はどうだ、アパートに戻ると一人ぼっちだ。もちろん、故郷ならばまた話は違ってくる。まだ両親は健在だったし、学生時代の友人もいる。だが、それが永遠に続くわけでもないことは、カセリア氏も分っていることだった。

 人生はいつか終わる。誰でも。私は先のことや、考える必要のないことまでくよくよ考えすぎだろうか。あるいは想像力が過ぎるのだろう。だから小説家になったわけだ。そして成功した。なにも文句はないじゃないか。つまり、この人生はなるべくしてなったのだ。感謝はあっても文句を言うべきじゃないのだろう。カセリア氏の頭の中に、種々雑多な考えや思いがぐるぐると渦巻いていた。

 もっとも、こうした思いが出てくることは極稀なことであった。特に今は執筆が立て込んでいるわけでもなく、どちらかというと時間を持て余しているという感じだった。

「はぁ、どうも今日は手につかん」カセリア氏はペンを置くと、ひとり呟いて紅茶に手を付けた。

 今回ばかりは、あまりカフェインの助けも役に立ちそうになかった。紅茶を飲み終えると、ペンと原稿を片付けた。

「マスター、ご馳走様」カウンターに代金を差し出しなが言った。

「もうお帰りですか?珍しいですね」

「なんだか手につかなくて」カセリア氏は肩をすくめてみせた。「いや、今日は気分が晴れない感じだ。天気はこんなにいいのに」

「なにかお悩み事ですか?」

「まあ、そんなところだ」

「よろしければ、相談に乗りますよ。もっともできることは多くないかもしれませんが、話を聞くくらいなら」

「そうだな。自分の人生について、」そこでカセリア氏は言葉を止めた。「いや、ありがとう。気遣いだけいただいておくよ」

「一つよろしいですか」店を出ようとすると、店主は声をかけた。「アドバイスというほどではないかもしれませんが、人生は例えるなら、旅のようなものです。紆余曲折は外せません」

「なるほど。面白い例えだ」

「立ち止まって悩み続けるよりも絶えず進み続ける。そうすればおのずと視界がひらけるはずです。まあ、私はそう信じている、というだけですけどね」

「そうか。まあ、意見は参考にさせてもらうことにしよう」

 カセリア氏は店を出ると通りを歩き始めた。以前、アグア氏に言われた言葉が思い出された。

「カセリア君は恋人とかいないの?」これはまだマシな方で、「カセリア君って、あまり交友関係が広くなさそうだね」と面と向かって言われたこともあった。

 カセリア氏は歩きながら苦笑した。

「まあ、率直に思ったことを言ってくれる友人がいるというだけで、人生は幸福と呼んで差し支えないのだろう。おそらく」口に出してつぶやいた。

 カセリア氏は自宅アパートではなく広場のある方向へ足を向けていた。


 広場に着くと、ベンチの一つに腰かけた。景色を眺めながらぼんやりとしていると、遊んでいた子供たちが絡んできた。

「おじさん、何してるの?」

「お、おじさんとな!?」カセリア氏は唐突におじさん扱いされたことにたじろいだものの、すぐに苦笑した。「そうか、少年たちよ。君たちからすれば私はおじさんか」無意識に口髭にさわった。

「おじさん、たまに見かけるけど、何してるの?」「ふつう、大人なら仕事してる時間だよな」「もしかして、無職だ!」

 少年たちは好き勝手なことを言い始めた。

「ま、待ちなさい君たち。こう見えて私は物書きだぞ」

「ものかき?」

「小説だ。本を書いているんだよ」

「でも今は何もしてないじゃん」

「そりゃ、書くのは自宅かカフェでだよ」

「ほんとに?」

 子供たちは疑い深そうに聞いてきた。

「ほんとさ。今日は少々ストーリーを思い悩んでね。こうして公園にでも来て、いろいろ考えているんだ」

 それでも子供たちはなんだか理解できていないような、納得していないような雰囲気だった。

「まあ、君たちも将来小説家になればわかるだろう」それからカセリア氏はひらめいた。「そうだ。今度私が来るときに著書をもってきて見せようじゃないか。どうだ?」

「じゃあ、約束だぜ。おじさん」

「ああ、そうだな」

 そろそろ子どもたちの興味は別のことに向き始めた様子だった。

「そうだ、名前なんて言うの?」去り際に一人が聞いてきた。

「私はプロパガアル・カセリアだ。覚えておくといい」

「えー、変な名前!」

「みんな、聞いてよ。おじさんの名前‘ぷろぱがーる’だって変な名前だよね!」

 遠めに子供たちのやり取りを聞いいた。

「ええい、」カセリア氏はムッとした顔をしたがすぐにいつもの顔に戻った。「まったく、子供と言うものは無邪気なものだ」それから「まあ、そういう純粋無垢な心もどこかに忘れずにいたいものだ」とつぶやきながら立ち上がると、自宅アパートの方へ向かって歩き出した。

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