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カセリア氏の日常  作者: 菅原やくも


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第十話 競売会

 カセリア氏はここ何日か、執筆中の物語の展開に悩んでいた。今朝も紅茶を飲みながらペンを手に取っていたが、あまり集中できていない様子であった。

 そのとき、表の通りから聞き覚えのある馬車の音が聞こえた。

「これは、」カセリア氏は一人つぶやいた。「アグアが来たようだな」

 しばらくすると、玄関ドアをノックする音と、聞き慣れた声がした。

「やっぱりな」そう言って玄関に向かい、ドアを開けた。

「おはよう、カセリア君」アグア氏はいつもと変わらぬ様子だった。

「ああ、おはよう。今朝はえらく早いじゃないか?」

「今日は競売会に行こうとしててね。よかったらどうかなと思って、誘ってみようと」

「そうか、」カセリア氏は少し迷ったが、どうせ今日もあまり執筆ははかどらないだろうと思った。「それじゃ、気分転換について行ってみるとしようじゃないか」


 会場では始まる前、競売の出品物が長机の上にきれいに並べられて展示され、参加者たちは思い思いに眺めて吟味しているようだった。

 様々な絵画や骨董品の類、書籍、オワム大陸のものと思われる訳の分からない民芸品なんかもあった。そんななか、カセリア氏はある古びた小さな冊子に目がとまった。

 彼はそれを目の前に立ち止まり、じっと見つめた。

「どうしたの?気になるものがあった?」

 アグア氏が聞いてきた。

「ああ、」カセリア氏は指をさしながら言った。「見覚えのある冊子だ。どうしてここにあるんだ?」

「どういうこと?」アグア氏は聞き返した。

「まさかな、これには私が学生時代に書いた短編が載っているはずだ。無名時代の作品がオークションにかけられるとは、思ってもみなかった!」

 その声には驚嘆の響きが含まれていた。

「学生時代の作品って?本当かい?」

「ああ、文芸部で作った、いわゆる同人誌というやつだ。みんなで短編集を持ち寄って一冊にまとめて仕上げたものだ」

「どうするの?」

「大金はたいても、買い戻すまでだ」カセリア氏はきっぱりと言った。

「ただ、私はこれだけしか持ち合わせがない。ここで買い物をする気はなかったからな」カセリア氏はポケットの中から紙幣一枚と小銭を出して見せた。

「アグアはいくら持っている?」

「バトラー?」アグア氏は後ろに構えていた執事に聞いた「いくら用意してるの?」

 その問いかけに執事は小声で答えた。「はい、おそらくは出品物の三分の一を買い取れる額は用意しております。それに小切手もありますので」

「じゃあ、決まりだな」カセリア氏はそっけなく言った。

「カセリア君…」アグア氏はあきれた様子だった。

「払った分は後でちゃんと返すさ。心配するな」


 競売会のプログラムは順調に進んでいた。

「この中に、ファンがいるのでしょうか?」司会者は相変わらず仰々しいようすだった。「お次は、あのプロパガール・カセリア氏が、学生時代に書かいたという作品が載っている短編集です。出品者は、同じく作家として東部でご活躍されているイルガン氏であります」

「まさか、出品者がイルガンだって?」

 イルガン氏も作家であったが、カセリア氏とは違って連邦西部では無名に近く、むしろ国外で人気があるようだった。そして、なぜか一方的にカセリア氏のことをライバル視しているようだった。

 とにかく、熱心なファンがいる様子で、開始早々次々と入札が入って白熱した。途中からはカセリア氏と、いかにも成金な感じのご婦人との一騎打ち状態だった。

「おい、この男はカセリア氏本人じゃないか!」

 突然、会場にいた一人が叫ぶように言うと、ちょっとした騒ぎが起きた。

「なんだ?著者本人だって?」「自分の作品を落札しようとしているのか?」「ほんとに作家のカセリアなのか?」「後でサインを貰わないと!」

「静かに!皆さん、お静かに!」司会役が叫んで、その場を沈めた。静かになった会場を睨むように眺めると続けた。「よろしいですか、皆さん?再開したいと思います」

 ともかく最終的には、無事にカセリア氏が落札するに至った。


「まさかと思ったよ」カセリア氏のもとにやってきたイルガン氏は声をかけた「買い手が、著者本人だなんてな」

「まあ、滅多にあることじゃなさそうだ」

「まあね、私からすれば高値が付くなら誰でも構わないが」

「そう言えば、聞くところによると君は、東部でラジオ番組を持っているらしいじゃないか」

「ああ、最近気が付いたのさ。私は書くことより、話す方が向いているんじゃないかってね」

「まあ、君の好きなようにするがいい」

 イルガン氏は疑問の面持ちで聞いてきた。「一つだけ聞かせてくれ」

「なんだ?」

「君は、どうしてそこまでして自分の作品を買い戻そうと?」

「なに、大したことじゃない。これに載っている作品を世に広く知られるべきではないと思っただけだ。中途半端な作品を公開することになるのは気が引ける」

「そういうものかい?」

「ああ、私にとっては重要なことさ」

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