ふりがなさんが書くとこうなってしまう、自由貿易「体制」の小咄
自由貿易主義について少し調べて、何故ここまで、不確かな論調でもって、思想なんてものが形成出来たのかと、誰しもが疑問に思ったりしないのだろうか。
こんにちは、ふりがなです。
今回は戦後、自由貿易「体制」論について、書いていこうかなと思います。
あくまで、こういう話しもあるよという程度の物です。
他の作品で、輸送コストの変動は世界を変え得るなんて趣旨の物を、書かせて戴きました。
さて、関税や規制、そして通貨は、輸送コストの内のただの一要因です。
ここから言えば、関税や規制を、自由貿易と保護貿易の観点で論じた時、即ち、それらは、輸送コストの増減があると、経済はどうなるの?という話だけになったりするのです。
殆どの自由貿易論と保護貿易論で、輸送コストなんて聞いた事ありませんよね?
例えば、石油価格が上がったら?
石油価額が下がったらどうなるの?
こんな話を、家族とした記憶はありませんか?
国家による直接的な産業の育生、補助金や国営企業の在り方を除いた時、自由貿易と保護貿易の対立議論の内容は、実は輸送コストが、上がったか、下がったかというだけの話でしかないという事です。
それが、そんなに難しい話題になり得るのでしょうか?
もちろん、もし、片方だけの石油価額が下がらなかったら等の応用の話はあるのですが。
19世紀から始まったイギリス自由貿易体制について言うのならば、自由貿易だったからその時、各国の経済成長率がどうだっただの、保護貿易の時はどうだだのという論調は、輸送コストで言えば最大でもたがだか2割程度の変動でしかありません。
それまでが弱過ぎた陸運に、鉄道や自動車が世界中で普及していき、冷蔵技術で輸出出来なかった物が輸出出来るようになっていった事の方が、当然ながら、輸送コストにおいては比較になりようのないインパクトを持ってたりする訳です。
※比較馬とかいう闇世紀だからね(テリーマンは除く)
ですから、あくまで輸送コストでしかないハズの、関税や規制を、まるで思想そのものだと見る、今の自由貿易や保護貿易の論争は、貿易の実態に、全くそぐわなかったりします。
輸送コストを指標にした総和でもって、GDPとの相関を見る事には意味はあるけれど、他の輸送コストの変動を無視した、ただが関税とGDPの相関に、何らかの意義を見い出すことには、思想的な価値以外の物はないということです。
保護と自由、それぞれの貿易論については、産業の育生や、補助金、国営企業の在り方の方が、関税や規制よりも、むしろ外せない要因になる事は自明の理でしょう。
例えば日本は、最大の貿易相手となるイギリスと関税において、不平等条約を結びましたが、国家の主導で、富国強兵を成し遂げています。
なんで、貿易面で不利なのに、富国強兵なんて出来たのという話になりますよね。
関税だけが、本当に貿易の強力な要因になりうると思っている日本人って居るのでしょうか?
まず知識とは、自国の歴史を、自己の経験として、組み込めるようにあるべき物だと感じてしまいます。
元はと言えば、自由貿易主義というのは、徹底的な保護貿易で世界帝国にまで成り上がったイギリスが、周辺国を経済植民地として維持するために、アダムスミスやリカードの自由貿易論を利用した思想でした。
これが、第一世界大戦前イギリスの自由貿易圏の本旨です。
先に保護貿易で強くなったイギリスの産業は、自由貿易でやるなら他国に負けない。
だから、相手国に自由貿易を選択させるのだ。
保護貿易を止めてやるぞ、さあ、お前ら、かかってこい。
アダムスミスとリカードを利用し、自由貿易主義を、自分たちは優秀だと信じている自由主義者達に迎合させろ。
幕末日本の日米友好通商条約にも出て来る自由貿易とは、リカードやアダムスミスの論を利用した、他国を開国させ、自由貿易に引き釣り込むための外交カードでした。
因みに、日米友好通商条約の3年後、南北戦争でアメリカは保護貿易へと手のひらを返します。
※もう直ぐトランプ大統領とFTAで同じ事になったりして
当時、自由貿易論を、完全に信じた自由主義者達は、国際分業にこそに、自分たちの未来を見いだしました。
――自分たちはこれから農業さえやってれば上手く行くんだ、それが国際分業だ、だから他の国内産業は保護しなくて良いんだ。市場は自由にすべきで国家は手を出しちゃいけないんだ
実は150年以上前から、この手の自由貿易主義の主張は、なにひとつ変わりません。
重要な部部は、関税ではなく、政府による基幹産業の育生の放棄だったりします。
しかし、噂に聞く自由貿易よりも、もっと賢いやり方を知っていた国民が居たのです。
それは、イギリスの植民地で、イギリスのやり方を最も近くで見てきた、アメリカ国民でした。
――わざわざ自由貿易で世界一の工業大国イギリスと真っ向から戦わなくても、自分たちもイギリスをそのまま真似して保護貿易で成り上がれば良いじゃない?
南北戦争をきっかけにしたアメリカの保護貿易主義は、たかが経済政策が、世界の転換点になった好例です。
これによって、アメリカは世界一の覇権国家へと歩み出すのです。
世界で一番影響の大きかった経済政策を選べと言われたら、私はアメリカの保護貿易を選びます。
この時、もしアメリカが自由貿易を選択したら、どのようになっていたか、知っているからです。
同じような時期に、ほぼ同じ条件で、自由貿易を選択した南米の国々は、その後奮いませんでした。
何故両者に、差がついたのか?
第一世界大戦までは、同じように発展出来た両者ですが、どうして現代では差がついたのか。
その原因は、自由貿易論の根拠であるリカードの比較優位論さえ理解出来ていれば、論じるまでもありません。
※もし、リカードの比較優位論を知らない人が居たら、他の所で調べてみよう!むずかしいはなしじゃないぞ、説明はしないぞ
米国のGDPを見て、もし、米国が当時の自由貿易論、即ち国際分業を信じて、一次産業だけをして、他の産業を育生していなかったら、世界一の経済大国になれたのかと考えてみれば良いのです。
もし米国のGDPが一次産業だけになったら……。
これ以上となく、非常に簡単な理屈ですよね。
リカードの比較優位をきちんと理解し、数字さえ読み解ければ、解る話なのです。
※つまり現代で自由貿易論にリカードを出す人は、誰一人としてリカードを理解してないか、他の理由があるという……
南米は、農業だけを選択しました。
一方で、アメリカは、全てをバランスよく成長させたのです。
まさか、それずるい!とか思う人おる?
株式で言えば……
南米は、将来暴落するたった一つの株式銘柄だけを選択し、アメリカは、分散投資をしたのです。
ある程度民間に任せられる分散投資の環境を、国家が守る事こそが、最強の選択である。
これが、本来あるべき経済や、貿易論の結論です。
もちろん、分散投資でないやり方で成功した国もあります。
しかし、それらのハイリスクな投資モデルを、国家の重要な政策として選択するのはどうなのでしょうか?
第二次世界大戦辺りに、南米は自分たちの選択の失敗にようやく気付き始めます。
暴落株である、農業銘柄だけを選択してしまった南米に残された手段は、育生出来る産業が無い故の、先の無い財政政策か、保護貿易への転換しかありませんでした。
しかし、自由主義による過剰とも言える格差の増大は、南米の政治から自由な選択肢、即ち分散投資の出来る土壌を奪っていました。
本来オムツ工場からでも始めなければならない保護貿易を、車や飛行機から作れる、主導するのは偉くて金持ちの俺たちと、国家そのものなんだから。
もしくは、やはり自由貿易しかないと横やりを入れる等、経済音痴のボンボン達が、こぞって政治介入したのです。
これは株式で言うと、素人が株式市場の好調時期だからと言って、マザーズの危険な一銘柄に全力投資したのと一緒でした。
もちろん全力で失敗しました。
そうして、成長させるにも基幹産業に先が無いのに、財政政策で経済政策の失策分、即ちは他国に劣り始めてしまったGDPを穴埋めしようとしたのです。
結果、産業も成長しないのにインフレして、政治的に混乱し、幾つかの国はデフォルトに至りました。
これが、簡単に言った南米の経済史です。
そして、自由貿易論者達はこぞって、この南米の保護貿易主義の転換の失敗を叩きました。
――ほら見ろ、保護貿易主義が失敗したぞ。俺たちの言うとおりにしないからだ
このように、必ずしも自由貿易が正しい訳では無いのです。
そもそも、私から言わせれば自由貿易なんて理屈は存在しません。
中身の敢えてぐちゃぐちゃにしてある、誰にも解らないような闇鍋の中身を、理解出来る者など存在しようがない、としか言えません。
経験が無く、比較対象が無い故に、信じこむ人も居ますが、経済政策における本来の要点とは、選択と集中の在り方だけなのです。
これは、例えば、戦略や軍事関連を得意だと自称している方なら、自ずと気付かなければならない所かなと思います。
それでも、今日、自由貿易「体制」こそが、正しいとされる理由には、従来の学説など関係なく、戦後世界の枠組みづくりに原因があります。
第二次大戦後、各国の植民地は、列強の思惑に反して、独立することになりました。
言ってみれば、これは、戦前列強体制の崩壊です。
当然の事ながら、列強国は危機感を覚えました。
しかし、この植民地独立の危機は、既に列強が体験した物でもありました。
そう、先ほど書いた南北アメリカの国々の独立です。
過去イギリスは、密貿易による関税の無視や、自由貿易主義によって、南米に経済植民地を手に入れていたのです。
――植民地政策という言葉に、自国民が反発するなら、自由貿易という言葉に、置き換えちゃえば良いじゃない?
これこそが、戦後の自由貿易「体制」の正体です。
資本主義陣営に残った、元植民地の国々は、経済成長出来たでしょうか?
その実は、経済植民地と、呼び名が変わっただけだったのです。
そして、旧植民地を、経済植民地のまま維持するには、自由貿易思想を、世界に蔓延させなければなりませんでした。
引っかからなかった国は、豊かになった経験のある、体制の思想に騙されなかった国々です。
「体制」と呼べる物は、過程の理屈はめちゃくちゃでも、世間体上、常に正しくあらなければならない物でした。
ですから、貿易論では、関税は、たかだか輸送コストでしかないという話や、産業育生のための集中や選択、分散投資の話は外れされ、戦争に結びつくという本来無い政治的な無駄な話や、関係の無い共産圏の失敗をつけ足されます。
石油価額が変わったから、戦争になる。
こう書くと、どう見ても陰謀論ですよね。
「体制」に刃向かったから、戦争になる。
こう書いて、貿易論の対立とは、あくまで体制の対立の話でしか無いんだと解ります。
そして、現代の自由貿易「体制」は、かつての戦後の自由貿易「体制」から変質したようです。
1991年のソ連崩壊による冷戦の終結は、旧列強国から見て、旧共産圏という新しいフロンティアを生み出しました。
言ってみれば、アメリカ大陸の再発見みたいなものになるでしょう。
速やかに占領し、開発するには、かつての原料、銃、奴隷のような三角貿易のような利益構造が必要となります。
旧列強国は、自由貿易を掲げて旧共産圏に、開国を迫る事になりました。
経済植民地にするためです。
しかし、その目論見は外れる事となります。
ソ連崩壊から遡る事2年前に起きた、とある出来事でのその混乱は、まさに、戦後の自由貿易「体制」の目論見が、失敗する前兆と言える物でした。
とある出来事とは、1989年ベルリンの壁崩壊です。
ベルリンの壁崩壊は、東西ドイツの統一を意味しました。
そうして経済的にうまくいっていた西ドイツの国内市場には、既存の物とは比較にならないほど、安価な労働力がある日大量に現れ、それまで無かった急激な格差が現れたのです。
ドイツの政治経済は混乱する事になりました。
韓国と北朝鮮が統一した場合には、この手の混乱への対策に、非常にコストがかかるだろうと言われています。
東西ドイツ統一の教訓から、格差の激しい二つの国を一つにした場合には、非常にコストがかかることが知られています、
これを否定する人は、現代にはまず居ないでしょう。
日本の歴史から言えば、226事件にも繫がった、大陸産の安価な米の流入による豊作飢饉、米価暴落が起こったようなものです。
そして、戦後の自由貿易「体制」の下で行われた旧共産圏の市場開放では、この東西ドイツ統一の時のような、経済、そして、政治的な混乱が、ゆっくりとですが、まさに世界規模で起きたのです。
ここで起きた現象の内、混乱をもたらした物は、グローバリズムの問題として提起されました。
つまり、現状を鑑みるに、グローバリズム問題の解消は、既存の知識からして、経済植民地を安価に手に入れられる自由貿易などではなく、むしろ非常にコストのかかる代物のようなのです。
グローバリズムは、混乱でもって旧列強国に牙を剥きました。
それでも、どうも厄介な事に「体制」は、未だに、植民地政策を諦めきれないようなのです。
戦後の自由貿易「体制」は、旧植民地を経済植民地として維持しながらも、無闇に旧共産圏と一緒になったせいで、その半ばがその目的を失う所か、逆に旧列強国に不利を呼ぶ物になってしまいました。
その大きな問題とは、産業の空洞化や、技術の流出、移民問題です。
しかし、列強国は今さらその体制を捨てる事は出来ません。
仮に今自由貿易論を捨てても、既にある経済植民地を失うだけだからです。
この中々治らない怪我をして、矛盾を抱えてしまった欠陥思想が、戦前の自由貿易「体制」が変質した、現代の自由貿易「体制」です。
150年以上前から生き続ける旧世紀の化け物が、断末魔の声を上げているのが、現代の自由貿易「体制」と言えるのです。
こういう見方もあるよという参考程度の話です。
簡単な歴史の積み重ねですから、誰でも書けそうですが、見当たらないので書いてみました。
多分これを読んで皆さんが疑問に思うのが、3次産業の成長の話になるんですが、サービス業は農業と相性が悪いので、つまりは論外となります。
ただし、労働集約型の農業は除く。