悪夢の渦中へ
静葉は奇妙な夢を見た。目の前には幾つもの扉があって、ギィィィッっという重々しい音を立てて開いた。そして、黒い何かが飛び出し、目の前に現れる。
「静葉、こっちにおいで?」
奏音は狂った赤い目をして、神社の石段に立って手招きをしている。
「お兄ちゃん?」
その横には倒れた芽衣が居て、空は禍々しい黒い気が渦巻いていた。
「静葉…、怖くないさ、一緒に行こう?」
奏音は静葉の手を強引に掴んだ。扉は次々と開いて中の怪が二人を取り囲んだ。
「お兄ちゃん!」
奏音は静葉の静止も聞かず、狂った笑みを浮かべていた。
奏音は静葉の横にずっと居た。静葉が何処かへ行ってしまうのが怖くて、そうしているのだ。
「俺は俺が嫌いなんだ。自分が好きな人間も嫌いだ。俺なんかが生きてて何が良いんだ?!俺は…、静葉が居るから生きていけるんだよ…。」
静葉は何も言わずに奏音の頭を撫でていた。
「人は一人の人しか愛せない…。俺は誰にも愛されなかったんだ。だから俺は…、その分を静葉に与えてるんだ…。」
静葉は奏音を心配そうに見ていた。産まれた時から静葉は誰よりも奏音に可愛がられていたが、兄がおかしくなっているのは誰よりも察していた。だが、何もする事が出来ない。
奏音に接しながら静葉は芽衣の事を考えていた。静葉にとって芽衣は、血こそ繋がってないが姉のような存在でよく三人で遊んでいた。奏音には言えない事も芽衣には言えた。
奏音が静葉にこう接するのにはもう一つ理由がある。それは、両親が二人をあまり見てくれない事だった。もちろんご飯も作ってくれるし、着るものもあったが、二人には中々接してくれなかった。仕事が忙しいから仕方のない部分はあるとは思うが…、それでも寂しい思いはあった。
芽衣が学校から帰ろうとすると、智が目の前に立っていた。
「青波台には行ったんだな。」
「はい、玲奈さんとお話して来ましたよ。」
「そうか…、」
智はフード付きの長めの黒いパーカーを羽織り、灰色のシャツに長ズボンといった格好だった。
他の人は二人が話しているのを気にも止めずに通り過ぎて行く。
「死神って、死期が迫っている人間にしか見えないんですか?」
すると智は思わず吹き出してしまった。
「お前……、何と間違えてるんだ?たまに居るんだよなぁ…、死神と幽霊と吸血鬼なんかをごっちゃにしてる人が…。別に俺は能力あるのと冥界を行き来出来る事と寿命以外は普通の人間と大差ないんだよな。壁は通り抜けれないし、誰にでも見えるし、食事も普通に摂るしな。」
「そうなんですか…。」
「それに、死期が迫っている人間にしか見えないって言うんだったら、今芽衣と話しているのも、玲奈達と仲良くしてるのはどう説明すれば良いんだ?」
「あっ、確かに……」
「とりあえず、玲奈と勤と話ついたのが分かったから良いか。」
智が帰ろうとすると、山の方から妙な『風』を感じた。
「なんだ…?」
「ひょっとして…、また奏音君が!」
二人は急いで九泉岳へと駆けて行った。
九泉岳は薄暗く、ひどく霧が掛かっていた。
「懐中電灯持ってくれば良かった……」
すると智はさっとランタンを取り出した。
「『冥土の道標』、これで先が見えるようになっただろう?」
ランタンには青い炎が灯り、霧の先を照らしていた。
「マッチもライターも無いのに火を付けるなんて…凄いじゃないですか!」
「これは魂のランタン、本来は魂を冥界へと導く灯なんだ。この火は俺の魂の一部で、道を阻むものを見せる力がある。まぁ…俺は火の死神だから道具無くても火は出せるけどな。」
二人はランタンの灯を頼りにして山を登っていった。
「なんか…迎えが来たみたいですね。」
「俺の仕事でも迎えに行く事があるけどな。」
芽衣が以前来た時よりも霧は濃くなっている。ランタンはあまり眩しくなかったが、霧の先の景色を照らし、神社までの道を導いた。
そして、二人は神社に着いた。扉はもう半分も開いていて、黒い気に包まれた怪が二人を取り囲んでいる。
「お前ら、また来たのか。」
奏音は神社の石段の頂上に居て、二人を見下ろしている。
『十三の扉』はもう半分以上開いていた。
「奏音君!」
だが、芽衣の声は奏音には届いていなかった。
「いい加減迷惑なんだよ!」
奏音の声に反応するかのように怪は動き出し、芽衣を襲おうとした。
「『審判の炎』!」
智が放った青い炎は一瞬にして怪を焼き払ったが、また湧き出してしまった。
「死神の力で我々が倒せるものか、」
「『冥裁』、冥王様の裁きの能力は逃れられない。おまけに、罪の大きさによって下される技の威力は変わる。お前…、とんでもない罪を犯したそうだな?」
「お前に分かるものか、」
怪は低く唸るような声を上げていた。
「あいつの狂気は、怪と繋がってるのか?」
怪は黒い気を纏った腕で智を襲ったその時、背後から強烈な風が吹いた。
「まさか…梨乃さん?!」
茶色のジャケットを羽織った女性は御札を持って怪の方を見た。
「智君、あなたの鎌じゃ奏音君の狂気は断ち切れない。」
怪は梨乃の方に目を向けた。
「お前は…、『風』使いか……」
「『旋風砲』!」
梨乃が放った『風』は一直線状に吹き、怪を一瞬にして薙ぎ払った。
「中々やるな……、だが!」
一人残った怪は芽衣のいる方に飛びかかって行った。
「あっ、危ない!」
芽衣がペンダントを握り締めると、石が光を放ち、怪は居なくなってしまった。
「あっ、あなたが芽衣ちゃん?」
梨乃が芽衣に近付いて来る。
「あなたは……、」
「私は風見梨乃、突然やって来てごめんね。」
「まさか…、勤さんが探してた人?!」
「まぁ、そうだね。勤君いっつも追い掛けて来るんだよ…。」
すると、智が梨乃に近づいて来た。
「梨乃さん、どうしてこんな所に……」
「うん、気になる事があってね。」
梨乃はしゃがんて芽衣のペンダントを見た。
「この石…、ひょっとして霊水晶じゃない?」
「えっ、霊水晶って何ですか?」
「霊水晶っていうのは、霊や霊力が込められた水晶の事なんだ。これは…、多分お母さんの魂か何かが込められてると思うけど…、何処で手に入れたの?」
「えっと…、お母さんの形見ですね」
「そっか…」
梨乃の目線の先には、石段に倒れた奏音の姿があった。
「奏音君、どうしてそうなったんだろ…」
梨乃は何も言わずに芽衣の頭を撫で、一緒に山を降りていった。
「あの『十三の扉』と奏音君の思いが共鳴して、そうなっている…?」
「それで怪がどんどん現れてるっていうんですか?!」
「うん…」
梨乃と智は心配そうに山を見つめた。空はますます暗くなり、果たして今が昼なのか夜なのか全く分からなくなった。
目を覚ました奏音は、静葉が待つ家に帰って来た。
「静葉…、俺から離れるな」
「えっ…」
奏音は静葉の肩を持った。
「お前が俺の全てなんだ。」
「お兄ちゃん……」
「どんなに人が死んでも、静葉だけは絶対に死なせない。何があろうとも、どういう手段を取ろうとも守ってみせる。」
奏音は震える手で静葉を抱き締めた。
「静葉さえ居れば俺はそれでいい。」
その時、奏音の胸の奥から声が聞こえた。
「そうさ、お前はそれでいい。」
何処かで扉が開く音が聞こえた。奏音の身体からは更に黒い気が出ている。だが、誰にもそれは見えていなかった。
芽衣は学校でも何処か落ち着かない様子だった。
「奏音君、どうしたんだろ…」
奏音は学校に来ているが、話はしなかった。
その一方で九泉岳の人々は死んでいった。
「奏音君も、町もおかしくなっていく…どうすればいいの…?」
奏音は静葉と一緒に部屋に居て、紙風船で遊んでいた。
「お兄ちゃん、外行っていい?」
「駄目だ、」
奏音は少し怒っているようだった。
「そんな…、お散歩に行くだけだよ?」
「嘘だ、また芽衣の所に行くつもりだろ?」
「なんで芽衣姉ちゃんと一緒に遊ぶの駄目なの?!」
「なんで俺じゃなくて芽衣なんだよ?!」
静葉は少し考えてこう答えた。
「それは…、優しいから?」
「俺が優しくないっていうのかよ!と言うか静葉は結局どっちが好きなんだよ?まさか…、俺よりも芽衣の方が好きなのか?!」
「どっちも大好きだよ!だけど…、今のお兄ちゃんは好きじゃない。なんでおかしくなったの?!」
「うるさい!」
「お兄ちゃん!」
芽衣は奏音にも追いつけないくらいに速く走り、家を出て行ってしまった。
「あっ…、静葉……」
奏音は静葉に残され、少ししぼんだ紙風船を見つめた。
「俺、静葉にも嫌われたら、どうやって生きれば良いんだ…?」
奏音は人知れず涙を流し、虚ろな目で畳の目を見ていた。
静葉は公園で一人、ブランコを漕いでいたが、芽衣の姿を見ると駆けて行った。
「芽衣姉ちゃん!」
「静葉ちゃん!どうしてここに居るの?」
「お兄ちゃんが何か怖くて…逃げて来た。」
「そっか…、奏音君…。」
二人以外に、この小さな公園に人は居なかった。
「お兄ちゃん、どうしておかしくなったんだろ…」
この小さい静葉にも考えるものはあるらしい。芽衣は静葉の手を握った。
「静葉ちゃん、大丈夫だよ。私が必ず守るからね…」
「芽衣姉ちゃん…。」
しばらく公園で遊んで、心がすっきりした静葉は、芽衣と一緒に家に帰ったが、中には誰も居なかった。
「お兄ちゃん!」
「そんな、まさか…」
芽衣は山の方を見た。
「またあそこに?!」
芽衣は一目散に走っていく。
「そんな…待ってよ!」
静葉は慌ててそれを追い掛けて行った。
神社に着くと、そこには狂気の目をした奏音が居て、石段の上で手招きをしていた。
「静葉…、こっちにおいで?それから…、芽衣、君には生贄になってもらおうか?」
黒い気が腕のように伸び、静葉だけを拐った。
「あっ、芽衣姉ちゃん!」
「静葉ちゃん!」
静葉は奏音の側に連れられた。
「そんな……、どうして私は?!」
「俺は静葉だけ居たらそれで良いんだ!」
扉は後二つになり、怪の量も桁違いのものになっている。
怪は食手で芽衣を縛りつけ、動けなくした。
「この前みたいに喰っても良いんだぞ?」
表情といい、言動といい、今の奏音には人間としての正気が全く伺えなかった。
「そんな…、やめてよ!」
「お前に俺の気持ちは分からない!…このまま果てろよ?どうせそうなる運命なんだろ…?」
「これ以上、大切な人が消えて溜まるもんか!」
芽衣は縛られてる腕を何とか動かし、ペンダントを握り締めた。
「お母さん……、私はまだそっちには行けない、行きたくない!だから……」
すると、霊水晶が光り、怪の拘束を解き放った。その光で周囲の怪も消え、奏音は倒れた。
「静葉ちゃん!」
「芽衣姉ちゃん!あっ…」
奏音は虚ろな目で静葉を見つめた。
「静葉…、お前しか俺を分かってくれる人は居ない…。お前が居ないと俺は生きていけない…………。」
「お兄ちゃん……。」
静葉は悲しそうな目をして奏音を見つめていた。