青波台へ
次の休みの日、芽衣と奏音は電車に乗って青波台に向かった。
そこに着くと芽衣はまず駅前のショッピングセンターでアクセサリーや服を見始めた。
「芽衣…遊びに来た訳じゃないだろう?」
「こういう所は見ていかないとね!」
奏音はため息をついて芽衣の近くに来た。
「はぁ…、全く芽衣って奴は…。」
見るだけ見て結局何も買わなかった芽衣が、次に向かったのは大きな本屋だった。
「あった!『死出山怪奇譚』!」
芽衣は手にとって読み始めた。
「こんなにたくさんある!それに…作者のサインまで!凄い!」
「ここでよくサイン会をしたものですよ。」
すると背後から本屋の緑色のエプロンを着た店長らしき人が現れた。
「そうだったのですか…。」
「もうお亡くなりになられましたがね、いい人でしたよ。」
『闇深太郎』と書いたサイン色紙は額縁の中に納められている。
「この本も全部お書きになられたのですか?」
「ええ…、彼は故郷である死出山について一生追い求めた方ですからね…。」
芽衣は店長の話を聞きながら、本を眺めていた。『死出山怪奇譚』は棚の半分くらいが埋まるくらいあり、買う人も多いそうだ。
「あの方は本当凄いというか…信念に満ちた人でした。」
芽衣が本を閉じて店長の方を見ると、横から誰かがやって来た。その人は女性で、白いシャツに黄緑のストールを巻き、長めのオレンジの袖無しカーディガンを羽織っている。また、下には茶色のスパッツを穿いて、頭はハーフアップにして灰色の帽子を被っている。それから腕にはブレスレットをして、カバンを持っていた。
「あっ、玲奈さん!」
「店長さん、お疲れ様です。」
「玲奈さん?!」
玲奈は二人の方を見て笑った。
「こんにちは、私は渡辺玲奈、二人は芽衣ちゃんと奏音君だっけ?智さんから聞いてるよ。」
芽衣は慌ててお辞儀をすると、すかさず店長がこんな事を言った。
「この子達が興味があるらしくて、ちょうどあなたのお祖父様の話をしていたんだよ。」
「へぇ、お祖父ちゃんの。二人共若いのに興味あるんだね?」
「お祖父ちゃん?!でも、名字が違うじゃないですか…」
すると玲奈はクスリと笑った。
「まさか、あの『闇深太郎』が本名だと思ったの?あれはペンネームだよ?お祖父ちゃんの本名は渡辺茂、ほらここに本があるでしょ?」
玲奈が取り出した本には確かにそう書いてある。
「茂さんは本当に良い方でしたよ。」
店長さんはしみじみとした様子だった。
「二人はお祖父ちゃんの事について興味あるんだね?」
「いや…死出山についてのお話をお伺いしたかったのですが…。」
すると玲奈は二人の肩を持った。
「そうだ、お祖父ちゃんの家に行かない?お祖母ちゃんだったら二人が聞きたい話知ってるかもしれないよ?」
「えっ、良いんですか?!」
芽衣は目を輝かせたが、奏音は不審そうだった。
「芽衣…良いのか?」
「玲奈さん、よろしくお願いします!」
奏音は不服そうにため息をついて、仕方なく芽衣と玲奈について行った。
三人はバスに乗って渡辺邸へと向かった。
「玲奈さんの本、小さい頃読みましたよ!」
「へぇ…そうなんだ。」
「あっ、俺も妹の静葉に読ませました。」
玲奈のカバンには黄緑色のボタンの目が付いた灰色猫のマスコットが付いていた。
「これ、智さんが持ってたのとおんなじですね!」
「そう、私のお手製なんだ。灰色猫はね、それこそ君達ぐらいの時の私をモデルにしたんだよ。」
「そうだったんですか」
「うん、実際今でも灰色猫に似てるって言われるしね。」
絵本の中での灰色猫は人気者だった。ぶち猫と仲が良くて四匹のリーダーでありながら、妹のような存在でもあった。また黒い気に飲まれたり、トラブルを引き起こす事もしょっちゅうあった。その一方で黒猫の秘密を知った後は優しく寛大な心接して、黒猫が戸惑う事もあった。
「それじゃああの黒い気っていうのは…何ですか?」
「あれも現実に起こった事だったな。ただ…実際は狂気だった。」
「狂気?!それって智さんがおっしゃってた……」
「うん、私一時期狂気に陥ってた事があってね、原因は分からない、というか無いんだけど…。私はあまり覚えてないんだけど、梨乃姉ちゃんの話によると『風』を乱したり、死神の話を急にしたりして大変だったらしいんだ。智さんが狂気を断ち切ってくれて、それからは全くそんな事は起こらなくなったんだけど…。私にもなんかしらの力はあるらしいんだよね。ただ…子供がもし生まれたらそのまま全部受け継がれるって言ってたな。」
「そうなんですか…。」
奏音は何を話しているか分からず首をかしげた。
「お祖父ちゃんも狂気に陥ってた事があってね、記憶は残ってるんだけどもう大変だったらしいよ?私の方は全く覚えてないのにね?本当に不思議だよ?」
奏音の言動から察するに、どうやら狂気に陥ってた時の事は覚えていないようだった。
「狂気って一体何ですかね?」
「また、お祖母ちゃんにも聞いてみるよ。」
バスから降りた三人は、田園風景を歩いて渡辺邸へと向かった。
玲奈が玄関を開けると、灰色混じった茶色の髪の毛を、上の方で結い上げた女性が現れた。
「玲奈、いらっしゃい。あれ?この二人は?」
「あっ、なんか死出山とか狂気について興味があるんだって。何か話してくれない?」
女性はうんうんと頷くと、畳が敷かれた居間で話を始めた。
「私は渡辺志保、まずは何から聞きたい?」
芽衣はすかさずこう答えた。
「死出山についての話をお願いします!」
「そうね、分かったわ」
志保はそう言ってぽつりぽつりと昔話をし始めた。
「私や茂は死出山っていう所で生まれ育ったの。物心ついた時にはこの町で起こってることが分かっていた。この町は不思議な事に死ぬ人が多かったのよ。茂は父親の顔を知らないし、三年生の時にお祖母ちゃんを亡くしてた。他にも私の親友とか、クラスメイトが立て続けに亡くなったわ。『魂が昇る場所』とか、『生と死の間』とか色々な呼び名があるけれど…この町は本当に特異的だった。
茂はね、ずっとその事について追っていたのよ。元々は小学五年生にある本を拾って狂気に陥ってたから、瞬君と出会って狂気から覚めた後もずっと追い続けたわ。」
「その結晶がこの本なんですね。」
芽衣はカバンから借りてきた本を取り出した。
「そうね…、茂は死出山が滅んでもこの物語を絶やしたく無かったのよ。」
「茂さんも狂気に陥ってたんですよね?狂気って一体何なんですか?」
すると志保と玲奈は考え込んだ。
「さぁ…、ただ狂気の原因っていうのは二つあって、一つは自分の心、もう一つは妖怪とか霊に憑かれたりする事があるの。茂の場合は両方だった。」
「人によって違うかもね。私は何で狂気に陥ってたのか未だに分からないんだけど…、前世とか血筋とかも関係あるのかも知れない。私も、ひょっとしてお祖父ちゃんの血筋でそうなったのかな。奏音君は…、私も考えたけどよく分からない。」
「そうですか…」
芽衣は奏音に目をやった。芽衣は妹を思う兄の気持ちでそうなったものかと思っていたが、話を聞いてみると、ひょっとして別の部分にも原因があるのでは無いのかと考えた始めたのだ。
奏音は今話している事が自分の事だとは理解していなかった。そのせいなのか、他人事のように聞いていたり、窓の外を見ていたりした。
二人は渡辺邸を後にした。
「駅まで送っていくよ。」
玲奈が二人の前を行く。
「芽衣ちゃん、奏音君、また遊びに来てね。」
志保が玄関先で手を振っている。
「今日はありがとうございました!」
三人はバスに乗り、青波駅まで向かった。
「芽衣ちゃんって、奏音君の狂気を何とかしようとしてるの?」
「はい…何か心配で、放っておけないんです。」
「そっか…、何か瞬さんの話に似てるな。」
「その話読みましたよ!でも…、奏音君とはちょっと違うみたいで…。」
芽衣は窓の外に目をやった。田園風景は既に抜けたらしく、店がいくつも並ぶ町が広がっている。
芽衣が奏音の事を放ってはおけないのは確かなのだ。ただ、それを解決する手段が見つからない。
駅に着いた三人はバスから降りて、改札まで向かおうとすると、何者かが三人の元へと駆けて来た。
「あっ、勤君!」
それは、玲奈の同級生の荒川勤だった。
紺色の襟が付いたシャツに灰色のズボンを穿いている。
「あっ、玲奈、こんな所で何してるんだ?」
「この子達の送り出しだよ。」
「ふ〜ん…そっか……、それよりも、梨乃さんが居ないんだ!」
「えっ、梨乃姉ちゃんが?!」
「あの…梨乃さんって?」
芽衣と奏音はその場に置いて行かれた気分だった。
「あっ、梨乃姉ちゃんは瞬さんの姪っ子で、私達のお姉さんのような存在なんだ。」
「へぇ、そうなんですか…。」
三人は下り方面の改札へと向かう。
「私も後で探すから!とりあえずこの子達を送らせて!」
「ああ…分かったよ。」
「それじゃあね、二人とも。また何処かで会おうね。」
「玲奈さん、今日はありがとうございました!」
二人は玲奈と勤に別れを告げ、電車に乗って帰って行った。
「今日は色々な話が聞けたね!」
「ああ…でも、俺達に何の関係があるんだ?」
「奏音君の為だよ!」
すると奏音は顔を曇らせた。
「なぁ…何で芽衣はこんなに俺の事を心配してるんだ?俺は芽衣の何なんだ?芽衣は俺の何なんだよ…。」
「それは……、」
芽衣はそれ以上の言葉が思いつかなかった。
奏音はますます自分の闇に飲まれていく。芽衣にはそれを止める事は出来なかった。
奏音は家に帰ると真っ先に静葉を抱き締めた。
「静葉…俺はお前が居るから生きれる……、お前が居るから俺はどんな事だって頑張ろうって思うんだ…。」
奏音の周囲の黒い気はますます濃くなっている。
「お兄ちゃん…、」
すると、何処からか扉が開く音がした。それも一つではなく何枚もの…。
その時、胸の奥から奏音にしか聞こえない声が聞こえてきた。
「(そうだ…、お前はそれで良い、お前はこのまま妹だけを愛しろ。)」
空は昼なのに夜のように暗かった。