力の兆し
翌日、その日は珍しく担任の先生が休みだった。朝の会は教頭先生がやっている。その出席確認の時の話だった。
「え〜と、一番浅田、二番池崎、三番は、え〜と……これ何と読むんだ?」
先生は奏音の名字の読みが分からず戸惑っている。
「ありとし…は違うか、ありねん…、あは浅田が居るから無いか…。ゆうねん?にしては番号が早すぎるな…。」
その様子があまりにもおかしく、誰も教頭先生に指摘しなかった。それに痺れを切らした奏音は思わず、机を叩いて怒った様子で立ち上がる。
「だから俺の名前はうね、有年奏音ですよ!」
そしてそのまま座ってしまった。教頭先生は奏音を見てすまなさそうな顔をした。
「あっ、そうか…ごめんな有年君。」
それを聞いたクラスは爆笑に包まれた。芽衣も笑いながら奏音の方を見ていた。
「やっぱり奏音君は奏音君だな。でも、あの時は………」
昨日の奏音は、別人と言ってもおかしくないくらいに豹変していて、狂気に包まれていた。
「私、夢を見てたのかな?でも…、なんで急にこんな事になっちゃったんだろう…。」
芽衣は窓の外を見て考え込んでいた。
「奏音君!」
休み時間に芽衣は奏音に話掛けてみた。
「全く、芽衣は何なんだよ…」
「昨日の奏音君、あれ何だったの?」
奏音は芽衣から目を背けた。
「そんなの覚えてる訳ないだろう?」
「そんな…、ねぇ、どうして最近態度が冷たいの?!昔はもっと…」
「鬱陶しい!」
奏音はそう吐き捨てて、急ぎ足で去ってしまった。
芽衣はその様子を見ていたが、引き止める事はしなかった。
放課後、芽衣は親友の円と帰っていた。
「そっか…そんな事があったんだね。」
芽衣は智の事を除いて、昨日の話をした。
「ずっと奏音君と居るはずなのに、分からない事だって多いよ。」
「うん、私もだよ。」
芽衣と奏音はずっと側に居た。幼稚園に入る前からずっと公園で遊んでいて、静葉が産まれた時も三人で仲良く遊んでいた。その後、三人は円や大我とも仲良くなった。
ただ、奏音は静葉の事を異常なまでに愛している事があった。芽衣はずっと奏音に猛アプローチを食らわせているが全然効いていない。
芽衣は最初奏音の狂気の原因が分からなかった。だが、この町の様子も静葉の事を考えて、恐らく奏音は静葉の事を死なせなくないという思いが強いはずだ。
円も町の異変を感じていた。
「やっぱり…最近おかしいよね?大我君も、町のみんなも…次々死んでってる。町も薄気味悪いよね?」
「うん…、ひょっとして奏音君もそれのせいでおかしくなったのかな…。」
芽衣は九泉岳を見つめた。
「薄々感じてたけど…元からこの町はおかしかった。山は封じられてるし、隣町は遠いし…何か隔離されてる感じもしてね…。」
「そうだね…。」
同じ時間に帰っているはずの奏音の姿が見えないのに気づいた二人は、ランドセルを置いて町を駆け回った。
二人は九泉岳の入り口に着いた。この間は封じられ、しめ縄で括られていたそこは、何かに荒らされていた。
「ひょっとして…またそこに?!」
芽衣は一人鳥居を潜って山の中へ走っていく。
「あっ、芽衣ちゃん待ってよ!」
円もそれを追っていった。
二人は神社の方へ走っていく。前来た時よりも空は黒く気味が悪い。草は伸び切っていて見通しが悪く、木も乱れた髪の毛のように生えていた。
長年人が踏み込んでない山というのはこんなものだった。
路と言って良いのが分からない道を行くと、森が開け、神社が見えた。
そこには一つ開かれた『十三の扉』と奏音が居た。
「奏音君!」
奏音は狂気に満ちた赤い目をしていて、ニヤリと笑っている。
「お前…何で来た?」
「奏音君の事が心配なの!」
「うるさい!」
奏音は突然怒って芽衣の事を睨んだ。
「俺の邪魔をするな」
すると二つ目の扉が開き中から食手がついた大きな怪が現れた。
「奏音君!芽衣ちゃんの事をいじめるのはやめて!」
円が芽衣の前に立って庇おうとしたが、怪は円に向かい、そのまま喰らわれてしまった。
「円ちゃん!嘘、だよね……」
「次はお前の番だ」
続いて怪は芽衣を襲おうとする。突然の事で驚き、芽衣の足は竦んで動かなかった。
「また大切な人を失ってしまった……。やめて…こんなところで死にたくない!まだお母さんのところにはいきたくない!」
芽衣がペンダントを握り締めたその時、填められていた水晶が光り、結界が現れた。
「あっ!」
その光によって怪も消え、奏音はその場に倒れた。
「奏音君…」
奏音はしばらく起き上がりそうになかった。芽衣は奏音を背負ってゆっくりと山を降り、町へ戻った。
空は相変わらず曇っている。
静葉と出会った芽衣は、一緒に奏音の家に入り、居間に寝かせておいた。
「お兄ちゃん……」
「ねぇ静葉ちゃん、最近奏音君おかしくない?」
静葉は頷いた。
「なんだろう…優しいんだけど…、怖い。」
「突然笑いだしたりしてない?」
それに対しては首を振った。
「そっか…奏音君の事よろしくね。」
静葉はそう言って自分の家に帰って行った。
翌日、芽衣は一人町の図書館で調べ物をしていた。
九泉岳の事や神社の事について知る為だった。郷土文化や歴史のコーナーにある古い本を片っ端から読み、関係ある事を書き出していった。そんな中、分かった事があった。
町名であり山の名前である九泉というのは冥界の別名である事。この町には怪が居て、山の麓に降りて悪さをしていた事。それから、あの神社は怪を封じる為のものである事だった。
「そっか…昔からそんな事があったんだ…。」
芽衣が本を棚に返して、図書館を出ようとしたその時、ある本に目が移った。
「『死出山怪奇譚』?ホラーはあんまり読んでなかったなぁ…」
それは、シリーズになっていて様々な本があったが、どれも死出山という場所に関係あるものだった。芽衣は試しに一冊手にとって読んでみた。するとそこには、かつてのその場所で起きた惨劇や、死に対する人々の思いが描かれていて、これは小説などではなく、現実に起こったものかと思わせるくらいだった。そして、実際それは現実で起こっていた。
「死出山…、まるで今の九泉岳みたい…。」
死出山という地名は今は存在しない。本の最後には既に滅んだと書かれてあった。だが芽衣は、この物語と今の町のの状況が似てる事が偶然ではないと考えていた。
「やっぱりこの町は……、」
芽衣はその作者に話を伺ってみたいと思ったが、その人は既に故人となっていた。
「この話、何なんだろ……。」
すると、この前の智の言葉を思い出した。
「そうだ…、青波台!そこに行けば何かあるかも知れない!」
芽衣はその本を借りて、かけっこのように家へと帰って行った。
その途中で奏音に出会った。
「奏音君!何処に居たの?心配してたんだよ?」
すると奏音は眉間に皺を寄せ、哀れみの目で見た。
「なぁ、何で芽衣は俺の事をこんなに心配してくるんだ?」
芽衣は迷いもなくこう答えた。
「それは奏音君が大好きだからだよ!」
「何で芽衣は俺の事が好きなんだよ?」
「それは…、格好いいし、勉強も出来るし、運動神経も良いし、優しいから…」
すると奏音は自分で自分を嘲笑った。
「俺なんかが格好いい?別に俺は芽衣の事はただ鬱陶しい奴だと思ってるよ。」
それから俯いて去っていった。
「俺は、惨めで、醜くて、どうしようもない奴だ。俺なんかが愛される訳ないし、生きてる価値もない。」
奏音の身体からは黒い気が滲み出ていた。