動き出す狂気
九泉岳、この地にある山の名前だ。小高い山であるが、ずっと前、それこそ芽衣達が生まれる前からこの山はしめ縄で封じられていた。
原因は誰にも分からないが、芽衣達は幼い頃から大人達に近づいてはならないと教われ、誰も疑わなかった。
「怪しいのがここなんだよね…。」
芽衣は真っ赤に染められ、入り口を封じられた山の鳥居を見て呟いた。
「芽衣…入るのか?」
芽衣は躊躇いもなくしめ縄をくぐり、中へ入って行った。
「お前…命知らずだな。」
奏音もその中に入り、草が生い茂った道とはいえない程の道を歩いて行った。
「鳥居があったって事は、昔は入れたのかな?」
芽衣は草を掻き分け、どんどん進んでいく。空は今日も真っ黒な雲で覆われていて、山の様子と相まって不気味だった。
しばらく歩いていると、道が開け、目の前に石段が現れた。先を見ると、それはどうやら神社らしく、入り口と同じような真っ赤な鳥居があった。
「どうして、こんな所に…」
すると奏音は何かに気づいたらしく、先に行ってしまった。
「あっ、待ってよ!」
芽衣もそれを追いかけ、神社に向かう。そこは変わった造りで本殿はなく、祭殿には十三個の扉があった。
「何これ…」
すると奏音その一つに手をかけ、ニヤリと笑った。
「『十三の扉』か……」
奏音が芽衣の方を見ると、目には正気が伺えず、赤く光っていた。
「アハ、ハハハハハハ!俺は何としてでもこれを開かなければならない!!」
すると、あらゆるものを吹き飛ばすような爆風が吹き荒れ、芽衣は飛ばされた。
「奏音君!落ち着いてよ!」
奏音が触れた扉が開き、黒い靄のようなものが飛び出した。
「なんなのこれは…」
靄は奏音に纏わりついていく。今の奏音には芽衣の声さえも届いてないようだった。
「どうして、どうしてなの…」
なす術もなく戸惑っていた芽衣の横に、黒いフードを被った青年が現れた。彼は奏音を見ると突然何を思ったのか、大鎌を取り出して斬りつけた。
奏音は何事もなかったようにその場に倒れた。
「あっ、あなたは…、」
青年はフードと仮面を外し、芽衣の方を見た。
死神…、まさか、この町で人が死に始めたのってこの為…?!」
恐れと身の危険を感じた芽衣は、青年から離れようとしたが、形を掴まれてしまった。
「とばっちりにも程があるな、死神は生きてる人間を襲ったりはしないさ。」
「えっ…?」
「俺は剣崎智、死神さ。あいつの狂気は一体何だったんだ?」
「それは…、」
斬りつけられた奏音は、動く気配を見せない。
「それは、私も初めて見まして…、よく分かりません。」
智は、奏音の背中や脈を調べていった。
「あいつの狂気は俺が断ち切ったはずだ。これでもう大丈夫…。」
「どうして、死神がこんな所に居るのですか…?」
「最近、この山に魂が登っていってるんだ。前までは別の山だったのにそこは滅んでしまった。ひょっとして、場所が移ったのか…?」
智が神社に目を向けたその時、奏音が急に立ち上がり、さっきの赤い目で智を睨んだ。
「去れ、死神。お前は俺にとって邪魔な存在だ。」
それはいつもの奏音とは全く違う、低く唸るような声だった。
二人を吹き飛ばすような荒れ狂った風が神社から巻き起こる。
「いいから逃げるぞ!」
智が芽衣の手を引いて山を下りる。
「でも、奏音君が!」
「良いから!」
二人は全速力で走って行った。芽衣は突然の奏音の狂気と、黒い靄が何なのか分からず戸惑ったままだった。
そして二人は麓に着いた。芽衣は息を切らしてその場に座り込む。
「奏音君、どうしてなの…。」
「そんな、玲奈の時は上手く行ったのに…。あいつの狂気は何なんだ?」
「玲奈、さんって誰ですか?」
智は小さく仕舞われた鎌を見つめていたが、芽衣の方に目を向けた。
「俺にとって、大切な存在だよ。」
「ひょっとして…、彼女ですか?死神も恋愛ってするんですね。」
智はその言葉が図星だったらしく、フードを被って顔を真っ赤に染めた。
「別に、玲奈はそんな存在じゃ…」
「私も、奏音君の事が好きですよ。」
芽衣はそう言って遠い目をした。
「そうだったのか……。やっぱりお前、玲奈に似てるな?」
「そうですか?」
「何かに対して一生懸命なところとか、大切な人を思ってる事とかかな。」
芽衣は奏音の事を考えて小さな胸が苦しくなった。そこでそれを逸らす為にこんな事を質問した。
「あの…玲奈さんってどういう人なんですか?」
すると智はカバンからあるものを取り出した。
「これは…」
それは、紫のボタンの目が着いた黒猫のマスコットだった。
「これって、黒猫と灰色猫の絵本の黒猫?!」
「玲奈はその本の作家をしてるんだ。」
「へぇ…私黒猫大好きですよ!最初は不器用だけどだんだん灰色猫やぶち猫、犬と打ち解けていくのが良いですよね!」
すると智が頭を掻いて目を逸した。
「それ…俺をモデルにしたらしいんだ。」
「へぇ…そうなんですか…。それなら、黒い気に塗れた灰色猫を助けたのも?!」
「ああ…、多分狂気に塗れた玲奈を助けた時の話じゃないか?」
智が立ち上がって前を見る。
「君は…ひょっとして青波台に行った方が良いかも知れないな。あの子の事といい、この町についての事といいな。俺も一応知り合いに聞いては見るが…、君達も行ってみるといい。」
「あ、ありがとうございます!」
芽衣は深々とお辞儀をした。
「そういえば…君の名前を聞いてなかったっけ。」
「あ、私は山科芽衣、さっきの子は有年奏音君です。」
「そうか…、芽衣、あの子の狂気が本物ならこれからが大変な事になる。だけど、一人で抱えないでくれ、何かあったら俺達が助けに行くから心配しなくていい。また会おうな。」
智はそう言って芽衣の側から離れて行ってしまった。
奏音は未だ帰ってきそうにない。智の事を知って芽衣は少しほっとしていたが、さっきの事が次起きたとしたら、自分ではどう対処したらいいのか分からず戸惑っていた。
しばらく経って…奏音は家に帰って来た。中では静葉が一人で遊んでいる。
「静葉!」
奏音はそう言って静葉を固く抱き締めた。
「あっ…お兄ちゃん?」
静葉は戸惑っていたが、奏音は本気だった。
「静葉だけは絶対死なせない。俺は静葉を、静葉だけを愛してる…。」
外は真っ赤な夕焼けで、家の中は影に包まれていた。