33話 「運命の日」
それぞれの思惑をよそに、ドラゴン・レースの日がやってくる。
その日がドラセリアの運命が変わった日であると、のちの歴史家は語った。
◆◆◆
ドラゴン・レースの当日。
フレデリク・レイデュラントはいつものように身だしなみを整え、部屋を出た。
――母上、ついに今日、私はレイデュラント公爵として空を飛びます。
思い返せばすべてが昨日のことのように感じられる。
母イザベラが死んで、一家を支えなければと思い、必死に駆け抜けてきた。
はたから見れば険しい道だったのかもしれない。
しかし当の本人が一番それを他人事のように感じる。
「どういうわけだろうな」
今こうして四人でいられる。
それは幸せなことだし、少なからず自分たちを支えてくれたほかの者たちに大いに感謝してもいる。
けれどどこかこの状況に冷めた視点を持ち込めるのは――
――私になら、できる。
そういう自負をもって、突き進んできたからだろう。
「だから今回も、私は為すべきことをしよう」
フレデリクは一人屋敷を出た。
◆◆◆
ドラゴン・レースの当日の王都はまさしく盛況だった。
あふれかえる人と物。
お祭り騒ぎとはまさにこのことだ、とフレデリクは馬車の中からその様子をながめる。
「アルマージの調子はどうだ。今日はミアハが朝から留守にしていた。ミアハからなにか聞いてないか?」
「いえ、ミアハ様は朝早くにお屋敷をお出になられて、それきりです」
「そうか」
向かいに座っていた侍女が淡々と答える。
「最近ミアハの外出が多いな」
外に出るようになったのは良いことだ。
無論、体に障らない程度に、ではあるが。
「友達でもできたか」
「あるいはガールフレンドかもしれませんね」
「んっ?」
フレデリクの専属として長い間働いているその中年の侍女は、目をつむったままやはり淡々として言った。
「――あなたは食えない人だ。今だからこそいうが、私は幼いころあなたのことがおそろしくてしかたなかった」
フレデリクはあまり感情を表に出さない。
氷の長兄と呼ばれるゆえんでもある。
しかしこの侍女の眼だけは、いつもごまかせなかった。
「隠しても隠してもいつも心根を見抜かれる。まったくおそろしい」
苦笑しながら言うと、侍女はくすりと微笑を浮かべた。
「あなたは心を隠したがる。そして心を隠すときは、たいてい一人で悩んでいるとき。あなたは昔からなんでもかんでも自分一人で抱え込みたがる。……だからイザベラ様に言われていたのです。『私はあの子の母だけど、だからこそあの子は私に弱音を吐かない。だからあなたが聞いてやって。あの子はとても強いけれど、傷つきやすい子でもあるから』」
母にもそしてこの侍女にも、頭があがらない。
フレデリクはぽりぽりと頭をかいて、それから「まいった」とばかりに肩をすくめた。
「……ありがとう。先日のセバスの件もそうだが、あなたがいてくれたからまだレイデュラント家は消えずにいられる。もしかしたらあなたこそが、レイデュラント家の大黒柱だったのかもしれない」
先日の執事の謀反の件でも、この侍女がたいそう裏で働いた。
彼をたぶらかしていた黒幕こそつかまえられなかったが、人質として囚われていた彼の家族を救出することに一役買ったのだ。
「わたくしは一介の侍女。レイデュラント家を支えるなどおこがましい」
侍女は微笑を浮かべたままそう言う。
それから彼女は、ふとまじめな顔になって続けた。
「――誇りなさい。あなたは誰よりもレイデュラントであらせられた。大黒柱とは、あなたのことをこそ言うのです。きっと天国のイザベラ様も、そしてアルフレア様も、たいそうお喜びになっていると思いますよ」
「はは、そうかな。……そうだといいな」
やがて馬車はドラセリア王城へとたどりつく。
王城の大きな広間が今回のドラゴン・レースの受付会場となっていた。
すでにそこには見知った顔がいくつかある。
交流のある貴族たち。
平民。
あるいは国外の者。
――これがドラセリア最古の式典。
多種多様な竜乗りたちの中で、ドラセリアの民こそがもっともドラグーンとしての資質を持っているのだと世界に誇示する儀式。
「これから私は、空に出る」
「はい」
馬車から下りる間際、フレデリクは中に残った侍女に告げた。
「私が本当に大黒柱になれるかどうかは、この空で決まる」
「――どうか、お気を付けて。そしてどうか、ご無理はなさらぬよう」
とうに無理などしているだろう。
侍女は知っていた。
フレデリクは自分の歩んでいる道を険しいとは思っていない。
それはフレデリクが生来、自分の傷に気づきにくいからだ。
今年、侍女はついにフレデリクと過ごした年数が実の母を越えた。
激動の時を共に過ごしてきたことも加味すれば、むしろ今のフレデリクを最もよく知るのはその侍女だった。
「あなたはけっしてひとりではないことを、お忘れなきよう」
「ああ。忘れないとも」
フレデリクはそう言って馬車の戸を閉めた。
やがてその場にいた者たちがフレデリクの姿に気づく。
『レイデュラント公爵だ』
『あれが氷の子、フレデリク・レイデュラント』
あるいは歓声を。
あるいは懸念の視線を。
そしてあるいは――敵意の視線を。
フレデリクはすべてをその身に受けながら、一歩、大きく王城の門へと歩み出した。
◆◆◆
「兄貴」
王城広間にて受付を終え、参加者の証である竜の牙を模したバッジを胸元につけたフレデリクを、ひとりの優男が呼び止めた。
「ラディカ」
「兄貴、すまねえ、勝手にどっかいったりしてて」
ラディカ・レイデュラントがこうして貴族も集まる公式の場に姿を現すのは久々だった。
かつては社交界の花形としておおいに注目されていたが、ある日国外へと放ろうに出て、戻ってきてからはめっきりこういう場に姿を見せなくなっていた。
「珍しいな、趣旨が社交ではないとはいえ、お前が王城に姿を現すなんて」
ラディカはそのたぐいまれな美貌の上に大粒の汗を浮かべていた。
まるで全速力でここまでかけて来たかのようだ。
またそれを証明するように、ラディカの体の周りにはわずかに雷電のほとばしりが見えた。
「そんなに急いでどうしたんだ」
フレデリクが先を促すと、ラディカは大きく深呼吸をしてからフレデリクの肩をつかみ、言った。
「ドラゴンレースを棄権してくれ、兄貴」
氷の公爵の表情がわずかに曇った。




