32話 「誰かの記憶」
「――さて、これで準備は整った」
「……」
「どうした?」
「お前は、おそるべき人間だな」
ミアハとゼスティリアは魔術翼の生成実験を終えたあと、一息ついて会話をしていた。
「その意志は苛烈にして熾烈。おのが目的のためにすべてを捨てようとする追及者の意志。正直わたしはお前を壊れていると思う。それは生物の本能から逸脱した、忌むべき意志の強さだ」
「……」
魔術翼の生成実験は、ひとまず成功した。
しかし、完璧な成功ではなかった。
竜の大翼を生み出すにあたって、ゼスティリアの竜の絶大な魔力をもってしても、生成時間がさして多くは稼げなかったのだ。
そのときゼスティリアは言った。
『これ以上は無理だ、ミアハ。一度翼を消せ』
『だめだ。こんな短い時間じゃ、役に立たない。大丈夫、もう一つ試したいことがある。実験を続けよう』
そういってミアハは懐から一冊の魔導書を取り出し、行動を起こした。
そしてその行動こそが、ゼスティリアにミアハに対する生物としての畏怖を覚えさせた。
「お前は、どこへ向かおうとしているのだ……」
「どこ?」
まっすぐな、それでいてどこか自分を憐れむような目で問われ、ミアハは改めて考える。
天を仰いだ先に、蒼穹があった。
「わからない」
ミアハには自分のこの衝動がどこから来るのか正確にはわからない。
小さなころ母に連れられて見上げたあの空の光景に、憧れている。
大軍を引き連れ、竜と共に空を往く父を格好いいと思った。
ドラグーンになれといった母の言葉を守りたい。
すぐに思いつくものはいくつかある。
けれど――
――本当に、ただそれだけなのだろうか。
もっとなにか、得体の知れない思いが腹の奥底でうごめいている気がする。
たしかにその熱を感じるのに、ミアハにはその輪郭がつかめない。
いつもそのことについて考えをめぐらせようとすると、決まって頭の中にもやが掛かる。
「空を、飛びたい」
【なんのために】
「おれはまだ、飛べる」
【悲劇の子に、なにができる】
「できるとも」
【己が欲望のためだけに、お前は飛ぶのか】
「……」
違う。
「おれは、もう一度飛ばなきゃならないんだ」
頭にもやが掛かった。
なにか大事なことを忘れている気がする。
【――『ミアハ』】
「……くそぅ」
ミアハは白い髪をぐしゃぐしゃと掻き乱してしゃがみこんだ。
頭の中のもやはまだ消えてくれなかった。
「……つかぬことを聞いたな」
「……いや、いいんだ」
良い機会だった、とミアハは小さくつぶやいた。
それからミアハは顔をあげ、逆にゼスティリアに訊ねた。
「おれも聞かせて欲しい」
金の瞳がゼスティリアを見つめる。
「お前は、どうしてここにいる?」
◆◆◆
ゼスティリアにもミアハと同じように得体のしれぬ腹の底のうごめきがあった。
輪郭を捕えられず、しかしそこにたしかにある衝動。
「同じ言葉を返すようで悪いが、わたしにもそれはわからない。ただ、ここにいなければならないと、思っていた」
理由がわからないことが気持ち悪いといえばそのとおり。
しかしゼスティリアはそのことにあまり悩まなかった。
片翼を失ったあと、気づいたときにはここにいた。
「お前はどうして片翼を失ったんだ」
今まで何度か訊ねられた問い。
ゼスティリアはこれまでその問いに答えることを避けていた。
理由がある。
しかし今はもう話すべきだと、なんとなく感じていた。
「別の竜と、争ったのだ」
「別の竜――」
ミアハがなにかに勘付いたように目を見開く。
逆にゼスティリアは静かに目を閉じた。
「黒い鱗の竜だ」
あの戦いのことはいまでも鮮明に覚えている。
熾烈だった。
原点にして頂点となった黒竜は、白竜が人間との共存を選んで竜としてのまっとうな進化をやめたあとも、着実に力を蓄えていた。
「ちょうど、今から十年ほど前か」
それはミアハが悲劇の子となった時期と一致する。
「……ゼスティリアは負けたのか」
「同士討ちといったところだな。わたしはあの黒竜の尾を切り取った」
目を開けなくてもわかる。
ミアハは今、驚きと郷愁と、そして大きな怒りに表情を歪めているだろう。
ゼスティリアはそう思っていた。
「……そうか」
そして――
「やるじゃないか」
意をけっしてミアハを見る。
その少年は、屈託のない笑みを浮かべていた。
そのときゼスティリアは、生まれてはじめてたじろいだ。
「よくやった。それでこそおれが乗るに値する竜だ」
ミアハは嬉しそうに笑いながら、ゼスティリアに近づきその前足をぽんと叩いた。
それは本当に無邪気な笑顔で――
「どうして……」
思わずゼスティリアの口からそんな言葉がもれていた。
「どうして?」
「お前、わかっているのだろう? お前が足を失ったのは――」
もちろん、わかっている。
そういうように、ミアハは微笑でうなずき、それから首を振って、ゼスティリアに言った。
「ひとつお前に訊きたい」
「……なんだ」
「そのときのお前には、守りたいものがあったか」
「……」
なかった――といえば嘘になる。
けれど、堂々と胸を張って『あった』ともいいがたい。
それは形のないもの。
すでに失ったものを追いかける無様な郷愁の念が取りついた、輪郭のないもの。
「……記憶と、そこから生じる思いだ」
「記憶と思い?」
「そう。私の中には記憶がある。そしてこれが私自身の記憶ではないということも、わかっている」
白竜はなにかの生まれ変わりとして竜の灰から生まれてくる。
「忌むべきは、私自身の前世の記憶があいまいなこと。それがわかればもっと別の生き方をできたかもしれない」
「その体の記憶に引きずられたことを後悔しているのか?」
「――いや」
後悔はしていなかった。
「これはこれでよかったのだと思っている。この体に宿る記憶と、私の自我は、おおむね同じ種類の思いを抱いている。――私はドラセリアを守らねばならない」
それがゼスティリアの意志だった。
「そして白竜の貫いてきた矜持を汚してはならないとも思っている。すでに黒竜たちに負けていることもわかってはいる」
この世界には自分以外の白竜がいない。
それはつまり、滅んだということとほぼ同義だ。
「だが」
それでも、譲れないものがある。
「白竜の選択は、けっして間違ってはいなかった」
白竜が選んできた道。
それを実際にこの自我で体感したわけではない。
それでも体に宿る記憶は鮮明で、そして輝いていた。
――見よ。
「人と共存することを決めた竜の意志が、まだこのドラセリアには息づいている」
ゼスティリアはそう言って空を見上げる。
「……いしずえと呼ぶのはおこがましいかもしれん。それでも、ドラセリアの竜はまだ生きている。そしてこれからも彼らは生き続けるだろう。人と共存し、それぞれに互いの力を分け合って、ドラセリアは生き続ける」
ゆえに自分は、白竜である自分だけは、屈してはならない。
たとえ最後の一頭だとしても、いつか命が果てるまでは、貫かなければならない。
黒い竜がドラセリアを害するというのであれば、この白い鱗の矜持にしたがって、誰に見向きされずとも、
「私はこの国を守る」
そのときゼスティリアの中で二つの声が重なった。
自分の声。
そしてもう一つ。
――そう、ドラグーンであるわたしこそが、この国を……。




