31話 「伝統と権威」
ラディカの入手した暗号文の全容が明らかになったのは、ラディカがレイデュラント家の屋敷へたどりつくよりも先だった。
「優秀なのはいいが一息くらい置かせてくれよ」
屋敷にいる兄弟たちは無事だろうか。そんなことを思いながら戻ろうとしていたとき。
上層部から『今すぐに戻れ』と厳命をされた。
――くそ、いったいどんなヤバいもんが出たってんだ。
懸念を振り払ってラディカは引き返す。
◆◆◆
「……ありえねえ」
ドラセリアの都市部、その裏通りに面した物静かな酒場で、部下から暗号の解読文を受け取ったラディカはまずそう言ってから絶句した。
「同盟国のスタリスが王女の首を狙うだと?」
暗号文の中身はドラセリアの第一王女、〈セルマ・ドラセリア〉の暗殺計画の全容だった。
「ドラゴン・レースのゴール直前か……!」
ドラセリアはいまだ大国と呼ばれる規模の国家である。
ゆえに当然ながら、その王族は厚い警護に守られている。
しかし、そんな王族が唯一無防備になる瞬間があった。
「だから嫌いなんだ、『伝統』ってやつは」
代々国の一大行事として行われてきたドラゴン・レースには伝統がある。
それは、一つにレイデュラント家が勝利すること。
そしてもうひとつ。
「次のドラグーンの長が決まる瞬間を、ドラセリア王みずからがその眼で確かめる……」
誰が次のドラグーンになるのか。
「このご時世においちゃ、合理的じゃねえんだけどな……」
しかし合理性だけでは説明できない高揚がそこにはあった。
そしてその高揚――言い換えれば『士気』にこそ、ドラセリアの命運がかかっていた。
「次の総大将が決まる瞬間。兵と、国を率いる王が、ひとつの景色に収まるとき」
人は次代を想像する。
この劣勢な国家の情勢を、変えるときがやってきた、と。
次はあの竜騎兵にドラセリア民族の命を預けるのだ、と。
――ゴールの瞬間は神聖なもの。だからドラセリア王とその次代継承者のまわりからは警護が外される。
ゴールはドラセリア王城の目の前に設定されている。
ひときわ高い位置にあるバルコニー。
そこに王と次代の王位継承者のみを置き、神聖不可侵な『儀式』を執り行う。
「俺からすりゃ、本当にバカげてると思うんだがな」
ラディカはため息をつきながら机を小突く。
――わかってはいる。それが必要な儀式であることは。
合理だけでは人は動かないし、伝統というものは一種の権威性を付与する。
だが、この計画書を見てしまうと、今にでもその儀式を壊してしまえないかとよこしまな考えが頭に浮かぶ。
「……間に合うか」
竜影機関の上層部はすでにこの情報を知っている。
であれば、なんらかの措置を講ずるかもしれない。
「どこまで物申せるかな」
竜影機関はドラセリアの合理である。
儀式、伝統、目に見えぬ権威。
すべてを取り払い、ただ純粋に暗部から王家を守ることに特化している。
しかしそうはいっても、ドラセリアの一部であることに変わりはない。
その最高権力がドラセリア王にあるとなれば、最終的には王の命令に逆らえない。
「二律背反だな……」
指揮系統の定まっていない組織は容易に瓦解する。
「おい」
ラディカは隣で普通の客よろしくミルクを飲んでいた部下に言った。
「いまから王女殿下の影に潜めといったらできるか?」
ラディカに訊ねられた部下は、口の端に白いあとをつけながら怪訝な顔をした。
「……いいえ」
「だよな」
影に潜む、とは竜影機関の機関員が使う隠語である。
その名のとおり、あらゆる術法をもちいて対象の近辺に影のごとく潜み、害意から対象者を守る。
竜影機関員の極意であり、斥候、情報収集、防衛、いってしまえばすべての任務はその一つに尽きた。
「王の許可がなければ、わたくしども機関員は王族の影に潜むことができません」
そんな竜の影たちが、唯一潜むことができない影。
それがドラセリア王族だった。
「影に潜むってことは、逆にいつでもその首を獲れるってことだからな」
裏切りという言葉がある。
竜影機関においては最大級の汚点とみなされる。
当然問答無用で処断されるし、機関員にはそもそも裏切ることができないよう相当数の魔術的制限がかけられている。
それでもやはり、王族の影に潜むことは王の許しなくして許されない。
かつて熾烈を極めた戦争のただ中にあっても、王は自分の影に彼らが潜むのを許さなかった。
「国家の元首だ、守られているってのはあたりまえのこと。だが、ドラセリアはその抑止的な力によって繁栄を守ってきた国でもある。王の資質としても強さが求められた。身一つで外敵に立ち向かえるっていう暗黙の権威がやっぱり必要だ」
ドラグーンが隆盛した時代。
ドラセリア王は戦場の最前線をかけていた。
それがドラセリアの存続に必要な最初で最後の賭けだった。
初代国王はそうしてドラセリアを作った。
賭けに勝ったのだ。
王は閉じこもってはならない。
王が王らしくあることが、ドラセリアの民を明日の希望へと導く最大の一手である。
「一応、進言してみるか……」
「首をはねられぬよう、ご注意くださいね」
「物騒なことをいうな」
しかし、それくらいの覚悟は必要である。
自分は竜の影。
すでにその命は竜に捧げている。
「はたして本体は、影の戯言をどこまで聞いてくれるかな……」
【ラディカ・レイデュラントに告ぐ】
「あ?」
と、そのときだった。
ラディカの脳裏に声が響く。
「どうかされましたか?」
部下が首をかしげてラディカを見ていた。
――俺にしか聞こえねえのか。
どうやら自分に限定して竜影機関の上層部が術式通信を入れてきたらしい。
【新たな暗号文を入手した。その内容を告げる】
声は淡々としているが、術式に込められた魔力が妙に濃い。
【今回の暗殺計画の対象となる人物が、ほかにもいた。その者の名は――】




