24話 「それぞれが向かう先」
ミアハ・レイデュラントは風に愛された子どもである。
「……なるほど」
その日、ミアハは外へ出ようとしたところで、風が運んできたとある匂いに気づいた。
「ミアハ様?」
馬車を用意していた侍女が首をかしげてミアハを見る。
「いや、なんでもない」
ミアハは片手で答えて、すぐに歩き出す。
一歩、杖をつき、二歩、残っている方の足を前へ。
三度ほどそれを繰り返したあと、ふとミアハは侍女の方を向いて告げた。
「今日は少し回り道をしてくれ」
「かしこまりました」
侍女が深々と礼を返す。
――そろそろ潮時かな。
また風が香りを運んでくる。
甘く、それでいて清々しい香り。
家の中、彼女が通ったあとの廊下はいつもこういう香りがした。
「いざというとき、腰を抜かさないといいけど」
ミアハ・レイデュラントには秘密がある。
すべてを失って絶望し、その後人知れず再起し、やがて命を懸けて不可能に挑もうとした稀代の天才児。
――今はもう、ただの人。
いや、もともと空に憧れていただけの普通の子どもだった。
だから夢を叶えるためには地道に進まねばならない。
――おれはいずれ、みんなより先に逝く。
そういう道を、選んでいる。
かつて望んだ憧れを、憧れのまま終わらせないために。
――ならせめて、夢を叶えてから逝こう。
もう誰に止められても止まるつもりはない。
だから、今バレたところで道行きに支障はない。
けれど、それを少し申し訳ないと思う気持ちもあった。
「ミアハ様、出しますね」
「――うん」
考え事をしていると、いつの間にか出発の準備が整っていた。
「いつもの場所へ。今日は少し長くなるかもしれない」
「かしこまりました。時間についてはお構いなく。わたくしはいつまでもお待ちしておりますので」
「本当に、物好きな侍女がいたものだよ」
「主様に似たのでしょうかね」
ミアハは思わぬ返答に苦笑した。
◆◆◆
ラディカ・レイデュラントは〈竜の影〉として反逆罪に問われた貴族の館に来ていた。
先行している機関員はいない。
〈雷のラディカ〉と呼ばれるラディカ以上に、速さという点で勝る者はいなかった。
「さて、さっさと片付けちまうか」
隠密術式を起動し、音と姿を隠す。
その状態のまま屋敷の周辺をぐるりと見て回ったあと、手早く中へと侵入した。
ドラセリア国内にある屋敷の錠前など、ラディカにとってはあってないようなものだった。
「きなくせぇな」
ラディカは屋敷の中へ入り、扉を一つ一つ音もなく開けていった。
一切の物音を立てず、されどすばやく屋敷内を散策していくラディカは、稀代の大怪盗と言ってもさしつかえない。
「気配がねえ」
しかし、うまくいきすぎていた。
屋敷の中に人の気配がない。
そのことにラディカはきなくささを覚える。
――すでに撒かれたあとか?
それは少しまずい。
貴重な情報をみすみす逃がすようなものだ。
それからさらに屋敷の中を回り、ようやく三階に移ろうというところで――ラディカは妙に散らかった部屋を見つけた。
中へ入ってみると、床にいくつもの書類が散らばっている。
書斎の机を急いでひっくり返した、という感じだった。
――事業計画書か。
ドラセリアの区画整理事業について記された書類を拾い上げ、なんともなく内容を読み込む。
そこでラディカは違和感を覚えた。
――あ?
暗号だ。
しかもドラセリアで開発されたものではない。
――この暗号形式はヨルンガルドのもんか……。
〈竜の影〉として夢に出るほど叩きこまれた知識の中に、書面の暗号形式と合致するものがあった。
その時点でこの貴族がクロであることをラディカは確信した。
――問題は内容だ。
ラディカはヨルンガルド製の暗号式を思い出しながら暗号文を解読していく。
暗号というものは同じ国のものでも短期的に仕組みが切り替わるため、さすがのラディカも全容を暴くのには時間が掛かった。
――くそ、魔術隠蔽まで加わってやがる。
今目に映っている文章がそもそも本当のものかどうか確かめるためには、紙に刻まれた術式を解かなければならない。
ラディカは戦闘に関しての魔術であればレイデュラント家随一と言われているが、こういった細工染みた術式を解くのはあまり得意ではなかった。
――こういうのはミアハに頼むに限るが……。
できるだけミアハを国の暗部に関わらせたくはない。
だが、その知識を借りる必要が出てくるかもしれない。
ものによってはドラセリアを震撼させる一大事だ。
「ラディカ様」
と、そこで近くから声が聞こえた。
声の方へ視線を向けると、すうっと人の姿が浮かび上がる。
「どうだった」
「……すでにもぬけの殻です」
同じ〈竜の影〉の機関員だった。
同部隊の部下にあたる。
姿を現したということは屋敷内に人が残っていないことをたしかめたのだろう。
「そうか……。とりあえずこいつを転写してくれ。んで、残りも全部回収。機関本部の暗号解読班に回す」
「はっ」
「ああ、この一枚だけ俺が別途調べる。そっちでなにかわかったらすぐに知らせろ」
ラディカが手に持っていた書類を渡すと、部下は一瞬のうちに書類の内容を別の紙に術式転写し、ラディカに返す。
ラディカはその紙を受け取って屋敷を出た。
――いったん家に戻るか。
胸騒ぎがしていた。
ラディカは体に雷を纏い、雷光のようになってドラセリアの王都を人知れず駆ける。
ラディカの抱いた嫌な予感が形となって現れるのは、それからわずか数十分後のことだった。




