22話 「悲劇の子はなにを見ているか」
ラディカが国内の反乱分子の鎮圧に動いているころ、ミアハは東の森で魔導書を片手にうんうんと唸っていた。
「ここはこっちから編んだ方が早いな……それでこっちは文字じゃなくて図形からで……」
『さっきからうなってばかりだが本当にうまくいくのか……』
手の中で何度も術式を編みこんでは消してを繰り返しているミアハを見かねて、ゼスティリアが訊ねる。
『ああ、大丈夫。この魔導書も三日前に手に入れたものだから、ひととおりは目を通したけど、実際にやるとなるともう少し精査が必要だ』
『三日前だと……』
しかもうち二日はレイデュラントとしての仕事とこのゼスティリアのせいでほとんど時間を使えなかった。
『お前の魔力だって無限じゃないだろう? だから実際に魔力を通して試すのはもう少しおれがこの魔術に慣れてから』
『……』
そう告げたミアハは再び術式を編む練習に戻る。
そんなミアハを見ながらゼスティリアは心の中で嘆息した。
――生体創造術式とは、そうすぐに術式を編めるものだろうか。
否、どんな優れた魔術士でも限界はある。
机上の禁術と呼ばれるだけあって、今ミアハが手の中に編んでいる術式は複雑怪奇だ。
内容を覚えるだけで一週間はかかるだろう。
――たしかに才はある。
それは認める。
しかしそれでも生体創造術式を一人で編みきるには時間がない、というのがゼスティリアの判断だった。
『あと二日でどうにかすると言ったな、お前は』
『うん。もしかしたらこれが役に立つかもしれないから』
『ドラゴン・レースとやらでか』
『まあ、そんなところ。実際に飛ぶのはフレデリク兄さんだけど、本来ドラゴン・レースは三人組のチームで行うものでもある。リーダーとその両翼。代々優勝したチームのリーダーがドラセリアの竜騎兵団団長になるけど、いつもその影には二人の優秀なドラグーンがいた』
右の翼、左の翼。
団長を補佐する副長にあたる。
『お前の兄は一人で飛ぶのか?』
『そうだよ』
『ほかの兄妹は?』
ゼスティリアが訊ねると、ミアハは顔をあげて苦笑した。
『ラディカ兄は竜の背に乗るのが下手だ。地上にいるかぎりは兄妹の中で一番強いだろうけど、ラディカ兄は地の無い場所でバランスを取る能力が決定的に欠けている。本人もそれを自覚していて、俺は竜には乗らねえ、っていつも言ってた。ついでに高所恐怖症』
『なかなか笑える兄を持っているな』
由緒あるドラグーンの家に生まれた者が、高所恐怖症とは。
『おれもそう思う。でもラディカ兄は本当に強いよ。地上にいるかぎり、たとえおれに足があろうと一生敵わないと思う』
『お前がそこまでいうのならそうなのかもしれん』
ゼスティリアはこれまでのミアハとの会話で、ミアハの言葉に一定の信頼を置くことにしていた。
この人間は周りをよく見ている。
片足がなく、美しい方々の景色を目に収められないかわり、身近なものを人より鮮明に観察していた。
今でこそそれを面倒に思ってあえて目を瞑ることもあるというが、かといって今までに培ったものがすぐに消えてなくなるわけではない。
『それで、ルナフレアは竜が嫌いだ』
『らしいな。まあ、当然であるとは思うが』
『だからルナフレアは竜とは空を飛ばない』
『その口ぶりだと竜以外となら飛ぶように聞こえるな』
『ルナフレアは一人で空を飛べるんだよ。彼女はいずれ歴史に名を残す大魔術士になる』
曰く、天才である、とミアハは言った。
『人間もよくやる。たしかにいくつかの竜の部族が狩られるのもうなずける話だ』
竜は生まれた瞬間に強者である。
ゆえに鍛練や研鑽というものを好まない者も多い。
対他種族であれば基本的にそのままでも負けることがないからだ。
しかしそうしてあぐらをかいて数百年、人類の積んできた研鑽がついに竜の喉に届いた。
『とまあ、そういうわけでレイデュラント家はフレデリク兄さん一人。アルマージなら三頭分飛んでも問題ないだろうけど、兄さんの方は少し心配だね』
『ほかの者をチームに加えたりはしないのか』
『しないと思う。もともとレイデュラント家は血族のみでドラゴン・レースに挑んできた。血族がいなければ一人で。というか、むしろ一人で飛ぶことの方が多かったんじゃないかな』
その上で負けるわけにはいかない。
これは大前提にある。
最初は一族の三人でチームを組んでいたという。
しかしあるときから一人で飛ぶようになり、それでもなお優勝し続けたため、徐々に伝統が出来て行った。
一人で飛び、それでもなお優勝する。
だからこその竜騎兵団団長。
ドラグーンの長である、と。
『今回は父様が死んだりでいろいろあったから、さすがにチームを組んだらどうかってムードにはなってるみたいだけど――それでも血族のみでってところは退けないから、兄さんはやっぱり一人で飛ぶ』
優勝すれば鮮明に記憶されるだろう。
没落しかけたところからの劇的な復活劇。
『そのフレデリクという長兄の腕はどうなのだ』
ゼスティリアが訊ねる。
するとミアハは嬉しそうに笑った。
『一番だ。総合的に見て、フレデリク兄さんが一番すごい。おれはあの人の弟であることを誇りに思う』
そのときのミアハを見て、ゼスティリアは「そういう顔もするのだな」と心の中で思った。
それくらい、無邪気な笑顔だった。
『しかし、なぜそうまでしてお前たちは伝統あるレイデュラント家であることを望む。お前たちの父は大きな戦で死に、まだ幼かったお前たちを育てた母もいない。祖父母も戦争で死んだという。これは十分悲劇と呼ぶにふさわしい。いまさらお前たちが竜騎兵団の団長を代々排出するレイデュラント家でなくなっても、誰も文句は言わんと思うが』
『そうだね。誰も文句は言わないだろう』
ミアハもゼスティリアの言わんとすることはわかる。
『でも、やっぱりおれたちはレイデュラント家なんだ。おれたちはドラセリア王国が好きだ。竜と人が共存し、緩やかな繁栄を築こうとしているこの国が。別に竜騎兵団の団長になるのがレイデュラント家の人間でなくても構わない。けれど、今のおれたちにさえ勝てないような者が竜騎兵団の団長になっても、ドラセリアは強い国との戦いに勝てないだろう』
今のドラセリアは弱っている。
かのヨルンガルドとの一戦で衰弱した。
かろうじて勝ち取った薄っぺらな和平を拠り所に、次の衰弱――言ってしまえば滅亡への対策を整えている状態だ。
誰もがそれを知っていて、誰もが見て見ぬふりをしている。
敵としてのヨルンガルドは、あまりに大きくなりすぎた。
『最終的には、なぜ争うのか、という根本的な問題に行き着く。――資源が有限だから。隣の国が他国を食わねば生き永らえられないから。単純に今以上の繁栄のため。隣の国の思想が気に食わないから。……この世界ではそれぞれがそれぞれの理由で戦争をしている。おれはどうしたら戦争がなくなるのかなんてことを追求するつもりはないし、かといってさらなる繁栄を求めて戦争をしたいとも思わない。けれど、生き残るための戦いは必要だと思ってる』
『ふむ』
『だから』
ミアハは魔導書から視線をあげてゼスティリアを見た。
『おれたちはドラセリアを守るために、やっぱり全力でドラゴン・レースに挑む。それが結果的にドラセリア国内の力をあげることに一役買う。そしてこれは、レイデュラント家にしかできないことだ』
ミアハの眼の中には、至極理性的な光が灯っていた。
『ドラセリア国民の士気をあげるためにも、レイデュラントの名は必要なんだよ。おれたちは悲劇に見舞われた。そんな中でフレデリク兄さんは周囲が十分に認めるほどの力を発揮してきた。竜乗りとしても目を見張る実力を見せつけている。だからおれたちが勝てば、再びドラセリアのレイデュラントが蘇ったと民衆は喜び、おれたちが全力でやって負けたとしても、新たな英雄の誕生だ、と民衆は高揚する。これはレイデュラントという名が彼らにとって特別だからこそ起こり得ることだ』
『――なるほど』
ゼスティリアのうなずきを見たあと、ミアハは人差し指を立てて続けた。
『だから、できるだけレイデュラント家らしく、それでいて全力で。これがなによりも重要になる』
『レイデュラント家はレイデュラント家として、最後まで空を飛ぶ必要がある、と』
ゼスティリアは眼をつむっていくばくかの間考えたあと、空を見上げた。
『難しいものだな。民衆の心というのは』
『心の動きがわかるうちはマシさ。本当に世の中がめちゃくちゃな騒乱状態に陥ったら、こんなに悠長に人の心の機微を観察している余裕はない』
よく見ている、とやはりゼスティリアは思う。
ミアハは自分を、貴族として国政に携わらず、学園にも通わないでひっそりと隠棲するレイデュラント家の置物と称したが、実際のところはそうではない。
むしろ、社会の派閥に加わっていないからこそ全体を客観視する機会を得、そしてそれを行うだけの明晰な頭脳を持っていた。
『とにかく、おれたちはレイデュラント家として全力でドラゴン・レースでの優勝を狙う。おれたちが勝ったらこれからも大変な道のりが続くけど、国を守るためならフレデリク兄さんはその道を走れるところまで走り続けるだろう。そしておれたちはフレデリク兄さんがレイデュラントの名を背負って走り続けるかぎり、それを支える。それがおれたちの兄妹としての絆だ。――もうおれたちは誰も失いたくない』
国を守るためには飛べるうちは飛び続ける必要がある。
飛び続けることで兄妹が危機にさらされることが増えるだろう。
ゆえに飛び続ける者を周りの兄妹が支える。
『おれたちは国と兄妹、二つの間で揺れ動きながら進み続けている』
『国がなくなればお前たちは自由になるのだな』
『……そうだね。でもそれは悲劇だ』
どちらに転んでも。
『この国が平和を享受できるようになるまでは、おれたちはずっと天秤の狭間を飛び続けるだろう』
ゼスティリアはミアハたちの状況を知った。
しかし一つまだ納得できていないことがあった。
『お前自身はどう思っているのだ?』
ミアハはこれまでレイデュラント家として自分たちの置かれている状況を語ってきた。
しかしゼスティリアには、今のレイデュラント家としての動機がミアハ個人の願望とは食い違っているという予想があった。
ほとんど勘に近い。
けれどその勘は当たっているだろうという確信もあった。
『おれは――』
このミアハ・レイデュラントという少年はどこかが壊れている。
レイデュラント家としての悲劇と一緒に、もっとも重い悲劇を個別に与えられた子。
『おれには、命を懸けても成し遂げたい夢がある』
薄っぺらな言葉ではない。
この少年はこの歳にして決死の覚悟を身に着けている。
『おれはこんな状態だから、兄弟たちにこう言われたんだ』
お前は、自分のやりたいことをやれ。
『おれはその言葉に甘えることにした。だからおれは、なんとしてでもおれの夢を叶える』
この人間の子は壊れている。
足と一緒になにかを捨てた。
その切れ口はひどく鋭い。
『おれは――竜の背に乗って空を飛びたいんだ』
それが唯一にして最大のミアハの夢。
青空を往く竜の大群が、見えた気がした。




