夏、送り出す時
カランコロンと下駄の音がコンクリートの地面に当たって響き渡る。祭りから一足先に抜け出してきた私の後を追って、彼は人を掻き分けてくる。私が和装に慣れているとはいえ、浴衣姿の私に追いつくことなんて容易くて彼はすぐに私の隣に並んだ。
「あの、」
「なぁに、わたるくん?」
「花火、まだですけど」
「分かってないね、人混みから一足先に逃げ出して、路地裏とかから見るくらいがちょうど良いんだよ、花火なんて」
私がそう言って笑うと、困ったように眉を寄せて「そうなんですね」と頷いた。夢みたいだと思う。プライベートで彼の隣に私がこうして立っていることなんて、いつ想像出来ただろうか。彼は、私が手を出して良い存在ではないのだ。今回だけ、そう言い訳して右手をパッと肩の高さに掲げた。
「私の手、空いてるんだけど」
「つまり?」
「迷子にならないようにおてて繋ぎましょってこと」
こんなこと言いながら、心の中では乗ってこないだろうなと半ば諦めていたのに、わたるくんは少し逡巡したのち、ちょっと顔を赤らめて手を掴んだ。ハッと息を飲む。年下で可愛らしい男の子だと思っていたのに、手はちゃんと男の人で、そうだよな。会った時と違って、もう彼は成人して久しいのだから。
「あのね、わたるくん」
本当はきっと誰より彼のことが好きだった。でも、そんなこと口にできないな、と思ってるうちに花火が打ち上がる。周囲の歓声と、花火の音に紛れて本音を零せる気がした。(好きだよ)伝えてはならない、伝える気もない言葉は確かに喉を震わせたけれど、彼には届かない。
何かを言った事に気がついたわたるくんは、感動するように見つめていた花火から目をそらして私の口元に耳を寄せる。
「これからがんばってね、わたるくん」
応援してる、そう告げると彼はちょっと驚いたように目を見開く。それから決意に満ちた顔を綻ばせて頷いた。
どうしようもなく、熱く、込み上げてくる鉄のような味を飲み込んで、恋心だと思ったそれを何処かの奥底へ沈めこむ。許されない感情なんて、ない方が良い。結局、私から離れて、私の知らないところで、私が知る余地もなく生きていく彼の無事を、私は祈ることしか許されていないのだから。