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魔王と配下の英雄譚  作者: るちぇ。
第1章 偽りの騎士
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第6話「怪現象の対策」

 次の瞬間、ぼんやりとした視界がパッと晴れた。見慣れた壁がある。黒曜石で造った壁だ。辺りを見渡すと、どうやら俺はオラクル・ラビリンスの自室に戻ったらしい。隣には真っ青な顔をしたウロボロスがいて、目が合うや否や、大粒の涙を溢しながら思い切り飛び付いてきた。


「我が君……あぁ、我が君! 良かった……ご無事で何よりです!」


 直前の状況を思い出すと、これだけ強く抱き締められても仕方ないだろう。全く未知の現象によりロアたちが溶け出したのだから。

 あれは誰の仕業なのだろう。狙いは俺たちか、ロアたちか、はたまたその両方か。そう考えると、ウロボロスが転移魔法をかけてくれたお陰でたまたま助かっただけかもしれない。今になってから恐怖を覚えて、震えてしまう。


「あぁ……お陰でこうして生きているよ、ありがとう」


 今回ばかりは強く出られないな。命を惜しんで1人で逃げ出してしまっても仕方ない状況だったろうに、カッとなってしまった俺を強引に止めてくれた。そして俺も含めた自分たちの能力を過信することなく、緊急の撤退をしてくれた。だからこそ俺は生きていられる。

 だから、これには甘んじて耐えよう。メリメリ、ミシミシと嫌な音が聞こえてきそうなくらい強く抱擁されているが、安いくらいだ。


「あの……ウロボロス、さん?」


 耐えよう。堪えよう。そう思って頑張っていたのだが、ライフゲージが見る見る減っていき、イエローゾーンを通過し、レッドゾーンへ突入してもなお熱い抱擁は終わらない。むしろ加速度的にダメージが増えていっている気がしてならない。視界が赤く染まってしまった。ライフゲージも残りわずかだ。やばい。死ぬのはやばい。蘇生魔法やアイテムが効くのか試したこともないのに、ここで果てたらどうなってしまうのか。


「ご報告申し上げます。緊急の要件です」


 そんな危機的状況を察してくれた、訳ではないようだ。血相を変えたアザレアが無遠慮に扉を開けて入って来る。そのせいで気分を害されたのか、ウロボロスは般若のような顔をしながらも離れてくれる。

生還の喜びを噛みしめながら、あれ、と気が付く。違和感に。アザレアの表情は演技かと思った。だが、違う。これは本気で焦っているとしか思えない。


「すぐに聞こう。何があった?」


 ふざけている場合ではない。体力を回復してから聞きたいところだが、それすら許されないような空気である。居住まいを正すだけにしてアザレアへ向き直った。


「アデルの村で次々と人間が溶け出しております。いずれも穴という穴からピンク色の液体を垂れ流し、原型を留めておりません」


 ピンク色の液体、溶ける。まさか砦での出来事がアデルの村でも起こったということか。どうなっている。狙いは俺やロアたちではなく、この辺り一帯の全てとでもいうのか。もしも被害者がロアたちだけならば、あの村にロアの言うような災厄に関する何かがあって、ヴェルたちが襲ったことで逆鱗に触れてしまった。そんな突拍子のない妄想でもできる。しかし無差別攻撃となると話は変わってくる。


「……どういうことだ?」


 すぐに原因を調べようとファントム・シーカーたちの様子を確認したが、なぜか被害が出ていない。おかしい。あいつらは敵を察知するため、ありとあらゆる魔法、スキル、アイテム効果を受けるように設計されている。それこそ、子どもが作った底の浅い落とし穴でも喜々として引っかかる性質がある。それなのに被害を受けたという警告が一切無かった。

 こうなってしまう原因はひとつ。ターゲットにされていないのだ、ファントム・シーカーたちが。無差別攻撃だというのに、恐ろしく正確に人間たちだけを狙い撃ちにしていることになる。


「皆は無事か?」


 今は一切手がかりが無いのだから、原因究明は後回しにして現状の把握を急がなければならない。まずはここにいないカルマ、フェンリス、ムラクモ、そしてまだ姿を見せてくれていない奴らはどうなったのか知らなくては。


「はい。カルマ、フェンリス、ムラクモは既にオラクル・ラビリンスへ撤退完了。どこも問題は無さそうですが、念のため、異常が無いかどうか精密チェックを受けさせているところです。御三方とメイドたちについても、今のところ異常があるという報告はありません」

「そうか……それは良かった」


 ひとまずは安心か。それが知れただけで、肩から一気に力が抜けていくのがわかった。でも休んでしまうには早い。顔を叩いて気を引き締める。現状把握はまだ済んでいない。特に、俺たちの安否の次に大切な情報を仕入れたい。


「アデルはどうなった? それと、あの村は?」

「村自体に被害はありませんが、村民には多大な影響が出ています。ただ全員が被害に遭った訳ではなく、アデル含めた大半は未だ健在です。効果の程は不明ですが、念のため守護ゴーレムたちに結界を張らせておきました」

「そうか、良い判断だ。ありがとう、アザレア」

「いえ、勿体無きお言葉」


 そうか、アデルは無事なのか。そしてアデルだけではなく村人の大半も大丈夫とは妙な話である。ロアたちはほとんど溶けたというのに、この差は一体どうして生じているのだろう。いや、咄嗟のことだったから見落としただけで、ひょっとすると溶けていない奴もいたかもしれない。待て、待て待て、あの光景は鮮明に思い出せる。生存者などいなかった。そう断言できるくらいに、誰1人残らず溶けていたはずだ。


「……駄目だな、情報が足りない。まずは現状をもっと把握したい。あれは魔法、スキルの類いか? それともアイテムかわかるか?」

「申し訳ありません。現在、カルマがこの領域全土の一斉調査を行っておりますが、未だ原因の特定はできておりません」

「当然、本人はここにいるんだな?」

「はい。念のため、ムラクモを見張りに付けております」


 カルマは不死だから、やられても大丈夫と言い張って本人も出る可能性があった。あの液状化が肉体干渉のみで生死に関わらないならば、カルマもまた無事では済まないかもしれない。きちんと把握できるまで軽率な行動は取って欲しくないところだ。その点、ムラクモが監視に付いているのなら安心だ。あいつは絶対に軽率な真似を許さないだろうから。


「引き続き情報収集を頼むと伝えてくれるか? あと、フェンリスも大人しくしていろと釘を刺しておいてくれ」

「畏まりました。魔王様は如何なさいますか?」


 言いながらアザレアの視線がわずかにそれ、ウロボロスの方へ向いた。その意図は何となくだが理解できる。よく守ってくれた、もしも俺が変なことをし出かしたら頼む、そんなところだろう。俺がこれだけ警戒しているんだ。皆もまた最大級の警戒心を持っているだろう。俺を守ることは何よりも優先されるんだろうから、誰よりも厳しく見張ってくれそうである。


「そんなに俺が心配か?」


 それは素直にありがたいんだが、余り過保護にされるのもどうかな。なんて思いながらも、過保護か、と失笑してしまう。それを言ってしまえば俺だって慎重過ぎる気もする。現場にカルマを向かわせれば解決するかもしれないのに許さないのだから。しかも、ここですら安全ではないとすら思い始めているくらいである。人のことを言えそうにないな。


「我が君、私共に頼って下さい。我々は尽くしたいのです、御身のために」

「僕も、いえ、誰もがウロボロスに負けず劣らず、魔王様のためにありたいと常に思っております」


 そこまで言われては嫌とは言えそうにない。ただ、何だろう、このふと抱いた違和感は。わからない。言葉で言い表せないが、妙にむず痒いというか、心苦しいというか、とにかくそんな感じがした。気にしてみるとすぐに消えてしまったが、何だったんだろう。ステータスを見ると異常は起こっていないようだが、うーん。過保護でもなんでも、やっぱり何よりもまずは防御を固めて安心感を持つとするか。


「ありがとう。皆のお陰で、俺も安心して休めそうだ。でもその前に、俺はこれからちょっとばかりお願いに行って来る。アザレアはそのまま陣頭指揮を、ウロボロスは付いて来てくれ」

「畏まりました」


 完璧に揃った返事を聞いてから、俺はウロボロスと一緒にある場所を目指す。目指すと言っても、オラクル・ラビリンスの中なんだけどね。

 テクテクと歩く。歩いて、歩いて、また歩いて。無駄に長く作った廊下を進んで向かうのはここの最深部。ありとあらゆる場面で重宝した祭壇のある区画だ。次第に黒曜石の壁ではなくなり、そうだな、例えるなら夜空のような空間へと変わっていく。星々の煌めきのようなわずかな光に全方向を照らされながら真っ暗な道を進む。


「そういえばウロボロスが来るのは初めてだったか?」

「はい。神聖な場所故に、まだ一度も」


 神聖と言われて、ふっと、思わず失笑してしまう。振り返ればドミニオンズの頃も含めて、ウロボロスたちを連れて来たことはなかったかもしれない。そうなると、ここに入れるのは俺がイチから創造した3人の配下と俺だけか。なるほど、ウロボロスたちからすれば神聖に思えるのかもしれない。


「確かに、ある意味そうかもしれないな」


 実際は阿鼻叫喚の地獄絵図ばっかりだったけど、色々なドラマがあった。思い出せばキリがないから省くが、いくら改築に次ぐ改築をしても、ここだけは残してしまう程に思い入れは強い。

 遂にやって来た。目的地へ入るための最後の扉の前まで。隣にいるウロボロスの体が少しだけ強張ったように見える。畏れがあるんだろうか。まさか、恐れを覚えたりはしていないだろうな。でもまぁ、この扉は恐怖を覚えても不思議ではない様相ではある。なにせ、悪魔や死神といった闇の世界を生きる住人たちが、せっせと、自分たちの好みを全面に押し出したような禍々しい扉なんだ。地獄へ通じていると誤解しても不思議ではないくらいである。

 そんな扉を開け放つと、これまた星々の煌めきのような灯りに照らされながら、真っ暗闇の中にポツンと祭壇と女神像が1セットあった。他には何もない。その一角だけがぼんやりと見えている。


「やっぱり、ここにいたか」


 見上げるほど大きな女神像の下で、一人の天使、いや、堕天使が祈りを捧げていた。肌は雪のように白く、藍色の長い髪と同じ色の目を持つ子だ。最大の特徴は背中にある漆黒色の毛に覆われた天使の翼だろう。

 彼女はゆっくりと立ち上がると、こちらを向いた。突然の来訪だというのに驚く素振りを見せない。いや、感情というものが一切欠落した人形のような表情であった。ドミニオンズの時、つまりNPCだった頃のままであるように見える。でもウロボロスと同じように息をして、瞬きをしている。生きているのだとはっきりとわかる。


「ここは特別」

「あ……あぁ、そうだな」


 綺麗だった。見惚れた。そしてこの上ない程の感動を覚えた。当然だ。俺が全てを創造したんだ。見た目も、性格設定も、能力も何もかも。しかも最初に育てた子で、一番長く戦ってきた最強のパートナーでもある。そんな子がさ、俺の思い描いた通りに動いてくれて、話しかけてくれるんだぞ。これを最高と言わずして何と言う。ぶっちゃけ生返事しか返せないくらいに動揺しているようだ。あぁ、くそ。顔が熱い。きっと耳まで真っ赤になっているんだろうな。


「お久し振りで御座います、ゼルエル様。今までこちらにいらっしゃったのですか?」


 俺が何も言わないからか、ウロボロスが話しかけ始める。やや緊張した面持ち、かつ固い口調だ。俺がこんな風なんだから怒るかと思ったが、2人の関係性を考えればこれが普通だろう。ゼルエルはウロボロスの師匠であると同時に、命の恩人でもあるだろうから。

 それにしても、こんな反応をするウロボロスもまた可愛いな。なんて、気を紛らわせる意味でも悠長に眺めていると、


「そうだ。ユウにはお前たちがいればいい」


 ゼルエルの一言で何かが変わってしまった気がした。そんなものはないんだが、もしも空気とやらがガラスのような性質を持っていたとすれば、こう、ピシリと音を立てて、大きく亀裂が走ってしまったんじゃなかろうか。とにかく、隣から体の芯まで凍えてしまいそうなくらいの冷気が感じられる。なんだ、何がトリガーだったんだ。ゼルエルとまだ一言交わしただけじゃないか。さっきのワードの中に、一体どんな爆弾が仕込まれていたというんだ。


「我が君を名前で呼ぶなど……! いくらゼルエル様でも、そのような無礼は!」


 名前で呼ぶ、と聞いて、あぁと納得する。そういえばウロボロスたちは俺を我が君、魔王としか呼んでいないな。ところがゼルエルは呼び捨てだった。俺としては別に普通な気がするけど、どうやらそれが癪に障ったらしい。


「そ……そんなに怒ることか? 名前で呼ぶくらい普通だろ?」

「な、何を仰るのですか!? 偉大なる我が君の名を口にするなど、私には到底許されません!」


 そんな大それたことなんだろうか。俺としては名前で呼んで貰った方が嬉しい気もするんだが。うん、そうだ。さっきはウロボロスが恐ろしくて考えが及ばなかったけど、よくよく考えてみれば名前で呼ばれるのって嬉しいものだぞ。例えばそうだな、先輩と呼ばれるのも嬉しいものだが、彼女になった後輩から名前で呼ばれるのはそそられないだろうか。変態な俺だけかな。

 とにかくだ、俺は大変に幸福を感じられる。余り遊んでいる暇は無いが良い機会だ。ゼルエルとの間に変なわだかまりができても困るし、ウロボロスにも名前で呼んで貰ってみたい。


「試しに呼んでみてくれないか?」


 するとどうだろう。一体何を想像したのか、ウロボロスは耳まで真っ赤にしてしまう。真っ赤というか、灼熱色と言えばいいのか。頭から湯気でも立ち上っていそうなくらいであり、ダラダラと滝のような汗を出し始めもする。見るからに無理そうだ。そんなにハードルが高いのか、俺の名前を呼ぶっていうのは。


「で、で……では私も……ゆ……いえ、やはり、我が君を名前で呼ぶなど……あぁ、しかしフィアンセならばそれが自然で、ですがその一線を越えるのは余りにも……っ!」

「おーい、ウロボロス。大丈夫か?」

「ユウ、壊した?」

「は? いやいやいや、俺が原因か? いや原因か、たぶんそうだよなぁ」


 何やら口早にブツブツと呟いた後、オーバーヒートでもしたのか、突然無反応になってしまう。目の前で手を振ってみたけど全く反応が返ってこない。突いてみる。身をよじりもしない。眉ひとつ動いていない。これはもう決まりだな。まず間違いなくフリーズしている。俺を名前で呼んで貰うのは諦めよう、そう誓った。

 それはいい。早く本題に戻ろう。頭からモクモクと煙を出していそうなウロボロスさんはそっと置いておいて、ゼルエルに話しかける。


「ゼルエル、頼みがある」

「終わった」


 何がだ。何が終わったというんだ。要件のよの字も話していないというのに。まさか、事前にウロボロスから連絡でもあったのだろうか。まぁ、確認したくてもできない状態ではあるが。


「あれ」


 ゼルエルは祭壇の方を指差す。そこには1本の剣が突き立てられていた。ゼルエルに装備させた、剣装備の中では最上級の武器、聖剣レーヴァテインである。その刃の美しさは他に類を見ず、光が当たらずとも神々しく金色に光り輝き続けている。刃先からは藍色の魔法陣が展開されており、よくよく見ると俺の足下を越えて部屋の外へも続いているようだった。


「念のために聞いておくけど、範囲は?」

「オラクル・ラビリンス全域」


 何も聞かずに、これから俺が頼もうとしていた対応ができたというのか。あり得るのか、そんなことが。心を読まれたのか、はたまた、長い時間を最も共に過ごしたからなのか。いや、待てよ。他の誰かから聞いたに違いない。


「あいつらから何かを聞いたのか?」

「ん、大まかには」


 やはりか。いつまで経っても姿を見せてくれない、俺がイチから創造したゼルエル以外の2人が情報を伝えたのだろう。その片方は10人のメイドを使役して高みの見物をしているだろうから、たぶんそっちだろうな。まったく、この一大事に何を考えているのやら。


「なら、皆無事ってことだな?」

「ユウの想像通りだ」

「そうか、それは何よりだ」


 他でもないゼルエルが断言するのなら、本当に大丈夫なのだろう。そう信じることにして、他の2人の動向についても聞いておくことにする。


「リリスはどうした? ここの管理人はあいつだろ?」


 ウロボロスたちがそうであるように、ゼルエルたちもまた、もはやNPCではなく生きているのだ。何かを考え、何かを望み、何かを目指して行動しているのだろう。だから止めるつもりで聞いたのではない。ただ純粋に心配で知りたいのだ。近況を。メイドを使っているからあいつは大丈夫なのだとわかるが、もう1人、聖少女リリスは色々と訳が違う。

 リリスはイチから創造した配下の内の1人で、一応設定文には、ここの管理者をしていると記してあった。ウロボロスたちの反応から察するに、設定文とは人格や役職を決定付ける大変に重要なものなのだろう。それを無視してどこかへ行くというのはあり得るのか。たまたま席を外していて、ゼルエルが留守番をしているというのなら頷けるが。


「いない。わからない」

「そ……そうか」


 そうか、そうだよな。設定文なんて俺が好き勝手に決めたものだ。それに縛られてくれる理由は無い。むしろ自由奔放に生き生きとしてくれた方が嬉しいはずだ。嬉しいはず、そのはずなんだが、あいつに関しては例外だ。聖リリス帝国という国名を聞いてしまった以上、その足取りや行動は、その一端だけでも知っておきたいところだった。でもわからないとまで言われてしまっては、あれこれ聞いても無駄だろう。


「ところで、ゼルエルはここから出ないのか? お前に出て貰えるとこの上なく安心なんだけど」


 それなら別の話題だ。現状の安全はひとまず確保されたのだから、次に打つ手を考えないといけない。まず、どうあっても外の情報収集は必須だ。これはこちらだけでどうにかなるだろう。その結果、恐らく敵が見付かる。然るべき対策を取って、さて、次は間違いなく戦闘だ。敵の強さにもよるが未知の攻撃を仕かけられた以上、絶対に油断はできまい。できることなら最高戦力を持って臨みたい。最高戦力、それはつまり、ゼルエルのことだ。ゼルエル以上に前を任せられる配下はいない。


「ここを守る。スキルの維持のためにも」

「そうか……まぁ、そうだよな」


 ゼルエルは設定文に記してある通りの行動を取ると言ってくれた。なんだ、結局は俺の望み通りに動かれるのか。それならリリスも俺のためを思って活動しているのかもしれない。すると、目下の敵はあの謎の現象を起こした奴だけとなるか。


「ユウ」


 リリスが敵でないのなら安心だが、敵は未知の攻撃を仕かけてきている。だからこそ本音を言えばゼルエルに出て貰いたかった。いや、もっと素直に言ってしまおう。俺はゼルエルの戦うところが何よりも見たかった。漆黒の翼を広げて、長い髪をたなびかせながら大空を飛ぶ姿。格好いいだろう、可愛いだろう。ゲームの中で見てもそう思ってきたんだ。実際に見たら発狂しかねない。


「ユウ?」


 でも、ふと疑問に思ってしまった。それでいいのか、と。それが、俺が心から望んだことなのか、と。俺は皆に生きて欲しいと思っている。生きる、とは何だ。俺の思い描いた通りに動くお人形になることか。折角得た意思を俺のためにのみ使わせて、尽くさせて、それでいいのか。ふざけるな、いいはずがない。いいはずがないのに、これまでの俺は皆を従わせているだけだったんじゃないだろうか。設定文で、そして命令で。どう足掻いても俺の思い通りにしていたんじゃないか。

 その瞬間、何が起こったのか咄嗟には理解できなかった。電流が駆け抜けるって、こういう感覚なのかな。頭が追い付かない。起こった事をそのまま言ってしまえば、ゼルエルが近付いて来て、背伸びして、顔を近付けてきて、そして。


「いつか、全ての期待に応えよう」


 そっと触れる程度のあっという間の事だった。でも確かに今、俺の頬に、ゼルエルの唇が当たった。柔らかかった。温かった。その光景が目に焼き付いて離れない。温もりはしっかりと残っている。何を考えていたのか忘れてしまいかけた程に衝撃的で、不思議と、心がスッと楽になった気がした。


「ぜ……ゼルエル?」


 ゼルエルは微笑んでいた。他人が見れば、無表情のままに見えるかもしれないくらいわずかに、でも確かに。安心しろ、心配ない。まるで優しく諭してくれているかのような感じがして、俺はすがってしまいそうになる。


「ぜ! ゼルエル様!」


 思わず抱き着こうと手を伸ばしかけた時、ウロボロスが割って入って来た。割って来た、なんて温い表現だっただろうか。昔、車にはねられたことがある。その時のことを思い出してしまうくらいに、綺麗に吹っ飛ばされてしまった。背中に何度かの衝撃が走り、むせ込みながらも何とか顔を上げると、ゼルエルはウロボロスによって胸倉を掴み上げられていた。


「わ、我が君にな、何と破廉恥なことを! フィアンセの私ですらまだなのに!」


 あぁ、なるほど。今は俺の方からもゼルエルを求めそうになっていたからな。相思相愛。これだけは見逃せなかったようだ。無抵抗のゼルエルをガクガクと揺さぶりながら、顔を真っ赤にして、口早に色々と言葉を投げ付け始める。


「何か! 何か言い残す事はありますか!? わ、わた、私の我が君に! あ、あんなことをして! いくらゼルエル様でも、生かして帰す訳には!」

「よ、よよよ」


 自分から言い残す言葉はあるかと聞いているのに、何も言わせないつもりか。口数が少ないはずのゼルエルが何かを言おうとしているのだが、激しくシェイクされ続けているため言葉を紡ぐことができない。


「お、落ち着けウロボロス。何も話せなさそ……う……」


 止めようと試みて、即座に後悔した。目だけがギョロリとこちらを向く。血走り、狂気に満ち満ちているそれが俺を捉えた。戦慄。この感覚はきっと、そういうのだと思う。余りに禍々しくて、恐怖しているのだと理解するまで時間がかかっているのにも関わらず、今の状態を冷静に分析している自分がどこかにいた。分析の結果、直ちに逃げなくてはならない。そう結論付けたのに、頭はこれだけ動いているのに、まるで金縛りにでもあったように指一本すら動かせないことに気付く。


「我が君! ご無事ですか!? あぁ、どうしましょう!? 頬にキスマークが!」


 ゼルエルがなすがままに投げられて宙を舞う。ステータス特化のウロボロスは全配下中最強のパラメータを誇る。赤子が熊から逃れられないように、ゼルエルもまた理不尽な暴力にやられたのだ。

その後は、もう俺如きに止められるはずがない。暴走機関車のように、一直線にこちらへ突っ込んで来る。


「上書き! 上書きすれば万事解決ですね!」


 上書き。上書きって、あのデータを保存する時みたいな感じのか。いや、俺はデータじゃない。生きている。文字通り捉えてみるとすれば、あぁ、なるほど、この頬のキスマークを塗り潰そうと、そういう訳か。何とかその考えに行き着くと、その瞬間、えもいわれぬ寒気が背中を駆け上がり、股間の辺りがキュッとなる。

 逃げないとヤバい。あのままの勢いでキスなんてされたら、俺のひ弱な頭なんか軽く吹っ飛んじゃうぞ。仮に首の皮1枚繋がってくれたとしても捕まったら最後、そのままの勢いで俺の純情は散らされるに違いない。それ自体は願ったり叶ったりなところもあるが、もっとロマンチックでなければ駄目だ。だから頼む、動け、動け、動いてくれ。今逃げなくちゃ、今走らなくちゃ、一生後悔するんだよ。


「では、失礼をば!」


 でも現実は非情だった。今ならよくわかる。ニュースでたまに見て、いつも疑問に思っていた。痴漢などの被害に遭う女性たちが、なぜされるがままなのか。抵抗すればいいのに、と。今ならわかる。動けないんだ。余りの恐怖に支配されて、声すら出せないというのに、どうして逃げることができるだろう。無理だ。受け入れるしかないのだ。常軌を逸した暴力を目の前にしたら、例えその先にどんな絶望が待っていようとも、黙って眺めていることしかできないのだから。

 まるでスローモーションのように、ウロボロスの手がゆっくりと俺の襟首へと回り込もうとしている。その瞬間。足下から藍色の光が発生する。これはまさか、対象を指定するタイプの転移の魔法か。そう理解した途端、視界が真っ白に染まる。一切の過程をカットして即時発動したらしい。


「……こ、ここは」


 気が付くと、目の前にウロボロスはいなかった。どうやらここは玉座の間らしい。その玉座に俺は座っていた。

 ひとまず安全。助かったらしい。そうわかった途端一気に力が抜けて、体がぐにゃりと曲がってしまう。

 一体誰が助けてくれたのか、考えればすぐに答えがわかった。あの展開速度、この飛ばされた位置、そして藍色の魔法陣。ゼルエルしかいない。念のために持たせていた緊急退避用の指輪を使って守ってくれたのだろう。まさに間一髪だった。


「どうされました?」

「悪鬼が……いや、ウロボロスが暴走して……」


 心配そうに声をかけられたから思わず答えたが、あれ、と不思議に思って振り返る。いつからそこにいたのか、アザレアが玉座の隣に立っていた。なぜここにいる。こんな所には何の施設も無い。人が溶け出す怪現象の調査に乗り出してくれたのなら、ここにいる理由はないはずだが。


「あのさ、ここで何をしているんだ?」

「優先されるべきは魔王様の安全と安寧です。そのためです」


 その説明だけで納得できるものか、と言おうとして、あ、と気が付く。アザレアめ、こうなると予見していたんだな。俺とウロボロスがゼルエルの所へ行けば、痴情がもつれて俺にとばっちりがくると。そして必ずここへ俺が逃げて来ると。なにせ、ウロボロスは強敵だ。戦闘時ならいざ知らず、日常生活においてはゼルエルにとってもあのステータスは脅威だろう。俺を引き剥がせないのは確実なんだから、捕まる前に避難させてしまえ、と。なるほど、冷静になって振り返ると、ここまでの流れは十分に予想できるものかもしれない。


「こうなるとわかっていたんなら、忠告してくれても良かったんじゃないか?」

「目でウロボロスに自重するよう言ったのですが、当の本人が理解するよりも早く、魔王様がご理解されたと思いましたが?」


 そんなことがあったか。振り返ってみると、あったな。アザレアの視線がウロボロスに向いてさ、俺が「そんなに俺が心配か?」と聞いた。勝手に意図を曲解しての返答だったが、確かに、これでは言い逃れできない。やらかしたのは俺だ。


「とにかく、幸せの代償と思って今はお逃げください。あぁ、何なら僕の私室に来ませんか? そこならば絶対に守りきる自信がありますよ」

「いや、俺の問題だ。自分でどうにかする」


 そこだけはキッパリと断って逃げ出した。そうだ、今は一時的に避難できただけに過ぎない。ウロボロスさんが落ち着いてくれるまで真の平和はあり得ない。この非常時に何を馬鹿なことを、と情けない気持ちになりながら、3時間以上かけて逃げ続けたのだった。

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