第1話「宴会で大乱闘」
侍女さんに案内されたのは竜神山にある神殿の玉座の間。もう一度言おう、玉座の間だ。なぜここなのかと疑問を持たざるを得ない。だってさ、ここは本来厳正な空気が漂う公的な場だ。間違っても楽しい場所ではない。それにも関わらず和気藹々としていなくちゃ困るという訳のわからない事態なのである。
中に入ると希望に反して、しかし予想通りに空気は張りつめていた。一歩踏み出しただけで視線が集まり、もの凄く肩身が狭く感じてしまう。はっきり言って場違いだから仕方ないね。
「ど、どうぞ、こちらが会場になります」
「あー……ど、どうもありがとうございます」
「い、いえっ! あ、あの、ではこれで失礼しますっ!」
この雰囲気と、何より俺という魔王を案内するので完全に委縮し切ってしまっているのだろう。ビクビクとした侍女さんにお礼を言うと、こちらまでビックリしてしまいそうなくらい肩を跳ね上げて、そそくさといなくなってしまった。記憶が正しければ俺は一応主賓のはず。それをこんな入り口で放って行ってしまうのは如何なものか。せめて席まで案内してくれよ。
「何と失礼な侍女でしょう。ねぇ、我が君?」
あぁ、そうだ、触れるのを忘れていた。あの侍女さんの名誉のために言っておくが、この建物に入った瞬間は愛想の良い笑顔で出迎えてくれた。だがそれが気に障ってしまったらしいこの人が、強烈な睨みを利かせてくれたお陰で最後はあんな具合。あれ、そうなると全ての元凶はウロボロスさんじゃないですか。
そんな罪を知ってか知らずか、俺の腕を取ってベッタリとくっ付いてきた。公的な場でもこれかよ。まぁ、強烈な締め付けはない。多少は遠慮してくれているのかもしれない。
それはさておいてどうしたものか。駄目元で竜の文様が入っている招待状を確認してみるものの、当り前だが座席など記されていない。あれか、適当に空いている所に座るのがここの流儀なのか。それは仲間内で集まる時だけにしてくれ。全く見ず知らずよりも悪い、ともするとほぼ全員から睨まれているかもしれない会場ではハードルが高過ぎるぞ。
「あのー……俺の席がどこか知りませんか?」
無駄だと思いつつ近くにいた竜人に尋ねてみる。ジロリと睨まれて終わった。うぅ、胃が痛い。いやね、こうして冷たい扱いをされるのも勿論堪えるんだけど、それ以上にウロボロスさんをなだめるのが大変なのだ。
「おのれ、我が君に対してその態度は……!」
「まぁまぁ、ウロボロス。向こうもどう接していいのかわからないんだって」
冷静に考えてみて欲しい。俺は今、自分を冷たくあしらってくれた奴の命を守るために庇っているのだ。なんだ、この理不尽は。頼まれたから来ただけなのに、どうしてこんな仕打ちを受けなくてはならないんだ。第一予想できたじゃないか、こうなることは。やはり断るべきだったろうか。いや、無理だったろうけども。
先日の話だ。俺は紅竜同盟と和睦したつもりだったのだが、力でねじ伏せた以上どうしてもしこりは残ってしまうらしい。それは仕方のないことだろう。どんな終わらせ方をしても不満は出て来て当り前だろうから。だがそうは問屋が卸さないと、ナディアは直接俺たちの元へやって来て、今後の関係改善に向けた話し合いを持ちかけてくれた。それはいい。俺としてもありがたい申し出だったから。ただ始めてみればやっぱり打つ手は中々出て来なくて、お開きにしようと提案しようとした時だった。ナディアは唐突にこんな質問をしてきた。
「やはり険悪なムードのままでは話が進みません。直ちに関係改善することは必須だと思いませんか?」
話とは、これから先の未来のことだ。これから俺たちは聖リリス帝国へ乗り込むことになる。そこまではいい。しかしその次を考えると、俺は王を目指すことにしたのだから紅竜同盟とは深く関わっていくことになるに違いない。ならばこのままでは支障が出るだろう。
「それはそうだけど……でも、どうするんだ? 消極的に聞こえるかもしれないけどさ、それはもう時間が解決してくれるのを待つしかないんじゃないか?」
悪い心象は簡単には変えられない。長い時間をかけて普段の行いを見て貰って、向こうが認めてくれて初めて良好な関係を築くことができるようになるものだと俺は思う。勿論、劇的に変えられる何かがあるのなら、その方が助かるとも思うが。
そんな気持ちが表情や言葉から読み取れたのか、ナディアは嬉しそうに手を叩いてこんな提案をしてくる。
「何とかなりますよ。その第一歩目として、飲んで食べてドンチャン騒ぎして親睦を深めるのはどうでしょうか?」
「ど……ドンチャン騒ぎ?」
ナディアからは想像も付かない単語が飛び出したかとまず思い、飲み会で解決するなら誰も苦労しないと突っ込みそうになって、一旦考えてみる。文化が違うのではないかと。紅竜同盟では特別な意味を持つ宴会を経て仲良くなることがあるのかもしれない。なんて精一杯理解しようと思ったのだが、ナディアの隣にいたレヴィから、
「えぇ……」
そんな困惑した声が聞こえてきた。加えて何とも言えない表情である。そうだよね。万国共通だよね、この感覚は。大体にして飲み食いで仲良くなれるなら戦争なんて起こらないっての。そんな風に言い欠けたのだが、
「大丈夫です、魔王様。大船に乗ったつもりで、ドーンとお任せください」
これまたナディアからは想像も付かない単語が飛び出し、半ば強制的に決定されてしまう。その場で書いた急ごしらえの招待状も押し付けられた。まぁ、かなり自信のある様子だし、そこまで言うならとお呼ばれさせて貰うことにしたのだった。
そして今。来てみたら案の定最初は最悪である。ただそれは俺に対する印象だけだと思っていただけに、こんな風に冷遇までされるとは予想だにしなかった。まぁ、繰り返しになるがその最大の原因は俺の隣の人なんだけども。
「うーん……どうしたものか」
これならまだ会社の強制飲み会の方がマシ。楽しそうなだけまだいい。いい、いいかな。いや、やっぱりどっちも嫌だな。なんて、そんな当たり前なことの確認は置いておけ。それよりも現状を打開する方が先だ。
何度も言うが俺は主賓だ。俺の常識通りならば、つまり社会のマナー的な考えを基にすれば、席は結構いい場所に違いない。入口から遠い部屋の奥の方で、この会場なら玉座に近い方だと思う。そう思う。思いたいけど、あれ、と不安がよぎる。もしも違ったらどうなる。会社の宴会で考えてみろ。下っ端が目上の人の席周辺をウロチョロしたらどうなるか。うぅ、やっぱり想像したくもない。ましてここは玉座の間だ。玉座に近付こうものなら斬り捨てられるかもしれないじゃないか。そうなったらウロボロスさんの堪忍袋の緒はスッパリ切れて、辺り一帯を血の海を化すだろう。第二次大戦の開幕となってしまう。
「こうなったら……俺に取れる手段はひとつ……いや、ふたつ」
ひとつは余りにも消極的かもしれないが、会場の入り口で呆けている方法だ。主賓がいないのに宴は始まるまい。いないとなれば探してくれるだろう。どこをどう探すつもりになってくれるか知らないが、少なくとも会場から飛び出してはくれる。そこで発見して貰うという算段である。
ふたつ目は知り合いを探して聞くという積極的な方法だ。先ほどの目上の人の席に近付くというリスクはあるものの、ひとつ目の方法よりは恥をかかなくて済む。なぜそのリスクがあるかといえば、この会場にいそうな俺の知り合いは2人しかいないからだ。1人はナディアだが、玉座が空なのだ。まだいない確率が非情に高い。つまり本命は2人目、メグである。もっともメグは女性だ。ナディアのドレスアップや何やらを手伝っている可能性はあるが、それは候補から排除した3人目の知り合いであるレヴィの役目だろう。だからこそ、俺は隊長たちが座っていそうな席を探してメグを発見したい。
そうと決めてキョロキョロ見回してみる。うん、簡単には見付からない。というのも、竜人の、特に男性は結構しっかりした体らしい。しかしメグは小柄な少女で隠れてしまっているのだろう。
あぁ、困った。やはりウロチョロするしかないのかな。それともあれか、会場入り口で迷子になってしまうお馬鹿さを披露するしかないのか。と困り果てていると、後ろから声がかけられる。
「魔王様、如何なされました?」
聞いたことのある声がして振り返ると、そこには綺麗に着飾ったナディアが立っていた。
男児たるもの、こんなに綺麗な女性を見たらその美しさをまずは楽しませて頂くのが筋なのかもしれない。でも生憎と、俺はまずこう思ってしまった。助かった、と。仕方ないじゃないか。こちとら、第二次大戦まで視野に入れて行動していたんだから。
それに、こんな理由もあって素直に美しさを直視できない。危ないのだ。なぜなら俺の妄想は、国際問題に発展する危険性を秘めた爆弾のスイッチになりかねない。隣のウロボロスさんの機嫌を損ねるような真似だけは絶対に駄目だ。
でもさ、それでも俺は男だぞ。それも二次元大好きな男だぞ。見ない訳にいくか。竜人の超絶美少女の王女様なんだぞ。正確には代表だけど。
「あぁ、ナディア。今日はお招き頂いてありがとう」
言いながら一礼する。そのわずかな時間、全神経を集中させてこの目に焼き付ける。その見目麗しい姿を。純白のドレスに橙色のオーバースカート。全体に白い雪のような刺繍が施されている。頭には気品溢れる控えめなティアラ、首には反対に豪華なデザインのネックレス。それら全てを着こなしていると言える、本人の美しさが際立っている。
あぁ、声を大にして言いたい。いいか。心の中でなら一言くらいなら許されるか。じゃないと、壁か何かを殴り付けちゃいそうだ。いいよな。せーの、ナディア可愛い。
「我が君、いつまで頭を下げ続けておられるのですか?」
「はいっ、すみません!」
ドスの利いた声を耳元で囁かれ、思わず飛び上がってしまう。危なかった。心臓が爆発したかと思った。じゃなくて、身の安全を喜ぶんじゃなくて、これ以上は危険だ。更に取り乱そうものなら、要らなく色々と想像されて大惨事に発展してしまう。大変厳しく鍛えられた兵士のように、機敏な動きで直立不動へと戻る。
「なぜ謝るのですか、我が君? 何か疾しいことでも?」
「ははは、まさか。滅相もない」
口が裂けても言えるか。俺のため、ナディアのため。果てはお前のためでもあるんだぞ、ウロボロス。要は常世全ての生命を守るため、俺は意地でも口を固く閉ざした。
そんな俺たちのやり取りが面白かったのか、ナディアは口元に手を当ててクスクス笑うと、色々と察してくれたのか手で促してくれる。
「魔王様、お席はこちらですよ」
「あぁ、何度も申し訳ない。ほら行くぞ、ウロボロス」
「……畏まりました」
だからさ、大義名分はこちらにあるんだからさ、そう膨れるなって。というか、その顔は反則だろ。くそ、なんだよ、その微妙に頬を膨らませた拗ねた感じは。可愛いな。普段と同じ巫女服なのにそう見えるなんて、こいつもまた罪作りな奴だ。
「えへへ、我が君。腕を組みますね」
割と今のは本心だったが、どうやら効果てきめんらしい。コロッと機嫌を治してくれた。うーむ、やはり心を読まれているのだろうか。恐るべき読心術だ。
それはそうと、である。ナディアに案内された先を見ると、あれ、と不思議に思う。俺の目は節穴かもしれない。疲れたのかな。目を擦ってみる。変わらない。あの、ナディアさん。そこは何かの間違いなんじゃないの。
「さぁ、どうぞ」
ナディアはさも当然と言うような顔で、やっぱりそこを示している。玉座を。いや、いやいや、そこはあんたの席だから。その隣でも恥知らずなレベルだから。でも他のテーブルは偉そうな竜人たちでほぼ埋まっている。本気らしい。嘘やん。そして、あぁ、そうかと納得する。このピリピリした空気はこのせい。ナディアを差し置いて俺がここに座るのだ。竜人たちからすれば面白いはずがない。
「あのー……一応確認したいんだけど、これは面白い冗談か何か?」
「何の話でしょうか?」
もう、そんな無垢な表情で聞き返さないでくれよ。どうしてだ。なんでそんな顔をするんだ。何か言い返すことを求められているのか。試されているのか。この純真無垢な悪意に一矢報いるべきなのか。いや、これだけ多くの竜人たちがいても誰一人として異議を唱えない辺り、全員が渋々納得して今に至っているのだろう。そんな皆にノーと言えるか。どんな図太い神経をしていたら、そんな暴挙ができるのか。だから座るしかないのだ。玉座に。ナディアに代わって。
「……うぐぅ」
玉座の座り心地は最高だ。硬過ぎず柔らか過ぎず、腰に負担が全く感じられない。これなら痔があっても痛くないんだろうな。俺は痔なんて経験ないし、ナディアも無いんだろうけど。と、何を考えているんだ、俺は。この得も言われぬ快楽だけで満足しておけばいいのに、それ以外の全てを無視すればいいのに、それができそうにない。うぅ、座っただけなのに胃がキュウってなっている。
「我が君、少々顔色が優れませんが大丈夫ですか?」
「あー……うん、ちょっと感動? 感激? そんな具合のが強くてさ。気にしないでいいよ」
そう、そんな具合だ。そういうことにしておこう。例え本質が全く逆に振り切っているのだとしても種類的には同じだろうし。ほら、極端だけど座ると立つって、行為という括りでは同類じゃないか。だから感動も感激も絶望も、全て感想という括りでは同類なのだ。
それはそうと、ウロボロスは俺の右隣にいてくれる。というのも、玉座の左右に席が用意されていて、そこに座ったからだ。咎められることもないようだ。これはありがたい。こんな劣悪な環境だからこそ、知り合いが側にいてくれるのは本当に心強い。
問題は左隣だ。こっちにも空席がある。そして先ほども確認したが会場はほぼ満席だ。ここから導き出される答えは、もしかしなくても、すまし顔でナディアが座ってしまう。何なの、この晒し者みたいな状況は。どうして代表を差し置いて俺がここなのさ。
しかも悪いことは続くらしい。ナディアの席にはボトルが乗っている。まさか代表が手酌で飲むのか、なんて馬鹿げた妄想を働かせていると、こんなことを言いやがる。
「魔王様、注がせて頂きます」
俺って、そんなにドMに見えるのかなぁ。どっちかというとSだと思っていたんだけど。
まぁ、今はそんな俺の性癖なんでどうでもいい。問題なのはこの提案だ。乗るも地獄、乗らぬも地獄。乗ればナディアは気分が良く、ナディア以外全員が不愉快な思いをする。ウロボロスは言うまでもない。自分以外の女の子が俺に手を出すなんて言語道断。そして竜人たちは、代表にお酌させるなんてさぞ面白くないだろう。一方で乗らなかった場合、ナディアが悲しい思いをする。それを見た竜人たちは激怒するだろう。代表のお酌が嫌なのかと。満足するのはウロボロスだけだ。
さて、俺はどっちを選ぶべきだろう。決まっている。選択の余地はない。
「お、お願いします……」
ウロボロスには我慢して貰う。それが、最も平和的かつこの宴の目的に合った良い結果になるだろう。
グラスを両手で持っておずおずと差し出すと、ナディアがたどたどしくボトルを傾けてくれた。そりゃそうだよね、生粋のお姫様だもん。注がれたことしかないよね。贅沢だ。刺されても文句の言えなさそうなレベルの状況だ。まぁ、そんな心配をしている場合ではないのだが。
忘れてはならない。この選択には最大級の悪鬼が潜んでいるということを。恐る恐る隣を見ると、非情に笑顔のウロボロスさんがボトルを持っていた。
「我が君、私も注ぎますね?」
良かった、もしかすると不快な思いをしていらっしゃらないかも、なんて期待した俺が馬鹿だった。その様はまさに電光石火。まだナディアが注いでいる側から、ウロボロスも、目にも止まらぬ速さで注ぎやがった。しかもボトルを真っ逆さまにして。どうなるかは想像に難くない。色々とびしょびしょになってしまう。
「では、飲み物をお持ちください」
そんな俺の悲惨な状態に気付いているのかいないのか、ナディアは宴の挨拶を始めようとしている。いいのか、これで。主賓が汚れているのに始めちゃうのか。いやまぁ、ナディアは丁度良いラインで止めてくれた。悪いのは溢れてもなお注ぎ続けたウロボロスだ。でも見ていただろう。仮に速過ぎて見えなかったとしても、ほら、竜人たちの顔が引きつっているじゃないか。察してくれてもいいんじゃないか。
「我が君、動かないでください。染みになってしまいます」
「なんで口を近付けるのかな、お前は……!」
ペロリと舌を出して、まず間違いなくいかがわしい事をしかけたウロボロスを何とか押し止める。まぁ、拮抗なんて本来は無理。きっとこの一瞬の食い止めは、俺の手が当たってときめいたためなのだろう。時期に食われる。
ここは皆と同じようにグラスを持ち、乾杯に参加するしかない。いくら愛ゆえの暴走をしているウロボロスでも、こういう公的な場ということを思い出してくれるに違いにない。というか、他に打開策が思い浮かばない。グラスはベタベタで気持ち悪いけど、気にしたら負けだ。我慢だ。
「正式な式典は済みましたが、あれは魔王様と共に歩み始めるという誓いの儀。これから先の未来を思えば、より良い関係を築き上げていくことは必要不可欠です。ささやかではありますが、この場を通して少しでも親好を深め、その第一歩を踏み出そうではありませんか」
この長い挨拶の間に覚醒しないかと心配したが、どうやら逆に、ウロボロスは本来の目的を思い出してくれたらしい。居住まいを正すと、近くにあるグラスを持って挨拶に耳を傾け始めた。とりあえず一安心か。
それはそうと、ささやかだって。とんでもない。色々な理由で飲み物に気を取られていたけど、お膳は芸術品のように美しい料理ばかりだ。食材も凄い。巨大な海老にプリプリのホタテ。厚切りの霜降り肉。気合い入れ過ぎだろう。
後は、願わくば、その気概を少しでもいいから後方へと回して欲しい。このまま乾杯なんてしたら、
「では、末永い魔王様の栄光と我らの繁栄を願い、御唱話願います、乾杯」
「乾杯!」
やっちゃった。えぇい、ままよ。もうどうにでもなれ。皆に合わせてグラスを上に持ち上げると、また溢れた。仕方ない。なみなみと注がれているのだから。まぁ、今さら気にするまい。もう濡れているんだ。雨だろうが酒だろうが、何でもかかってこいや。
「魔王様、どうぞ」
「えっ!?」
溢して空いたところに、急かさずナディアがお酌してくれる。してくれるだと。いや、正確には隙を突かれただけ。濡れたところをどうしようか悩んでいるところに対する、恐らく善意の追加攻撃である。やられた。やられてしまった。一滴でもグラスに入ろうものなら、
「我が君、私からもどうぞ!」
「ま、待て、ウロ――」
もの凄い勢いで、反対からも滝のように注がれる。もはやこれ、お酌というより体当たりだからね。ほら見て。俺さ、床に背が着いているから。押し倒されているから。しかもね、グラスの中身が胸元から顔にかけて全部ぶちまけられた。ビショビショだ。
「……もう好きにしろ」
本音を言うと、公的な場だからさ、もっと品性のある振る舞いをしたかった。そのはずが、よもや配下に馬乗りされる痴態を晒すことになるとは。こうなってしまえば挽回は不可能。後は野となれ山となれ、というやつである。
「はいっ! 我が君、注がせて頂きます!」
嬉々としてまたまた入れられた。ジョボジョボと豪快な音が聞こえる。これにはもはや濡れ場への発展すら覚悟したが、あれ、と気付く。なぜか溢れない。見ると、ピッタリなのだ。芸術作品のように美しく、寸分の狂いなく、グラスの縁まで満たされている。
これに関してだけは素直に感心した。どうやったら真っ逆さまにしたボトルからこんな風に注げるのか。こんなところで天才振りを発揮しなくてもいいのになぁ、とか思いつつ、念のためチラリとナディアの方を見ると、微笑ましそうにこちらを見ていた。
「ふふ、お酌はウロボロス様にお任せするべきなのでしょうね」
そうか、遂に察してくれたか。良かった。本当に良かった。このままでは一口も飲めないところだったし、何より、各方面から睨まれることがなくなる。押し倒されることもなくなるだろう。ようやくつかんだ平穏に安堵しつつ、後はどうやってウロボロスに退いて貰うか考えようとした時だった。
「では、私はこちらを……」
次にナディアが手を付けたのはスプーンだった。あろうことか熱いスープをすくうと、息を吹きかけ冷まし始める。まさかそれは「ふー、ふー、あーん」とかいうやつではなかろうな。無い。あり得ない。止めろ。止めろよ。その手はどうしてこちらに伸びて来るんだ。
「魔王様、あーんしてください」
このド天然が。火に油を注ぐんじゃないよ。ほら、感じないか。目の前にいるだろ。見えるだろ。そろそろ気付いてくれよ。俺の上にさ、殺人的な愛のオーラを放つ奴がさ、いるだろ。
「わ、我が君! 私が食べさせてあげますから!」
ボトルを放り投げ、ウロボロスは器に持ち替えた。熱い。中身の液体が少し胸に降ってきた。おいおい、まさか。それは駄目。止めて。頼むから止めて。そう言うために口を開いた瞬間、そのまま押し付けられた。
「あっつい! ウロボロス、待って! 火傷する!」
「あ……あぁっ!? 申し訳ありません、我が君!」
このままじゃ身がもたない。愛に殺されかねない。助けを。誰かに助けを求めないと。そうだ、そろそろわかっただろう。流石に理解したはず。そう信じ、助けを求めてナディアの方を見ると、何やら驚いた顔をしている。硬直している。駄目だこりゃ。
「レヴィ! レヴィはいないか!?」
今日はムラクモがいない。ていうか、ウロボロス以外は誰もいない。こちらに止められる人材がいない以上、頼れるのは常識人ぽいあいつだけ。そう確信して声を張り上げたというのに、返って来たのはナディアの声だけだった。
「レヴィでしたら、今日は遠征に出ております」
「え、遠征に? なんでまた?」
「彼女は紅蓮飛竜隊の隊長になりましたから」
紅蓮飛竜隊。あぁ、ローレンが隊長を務めていた部隊か。その後を引き継いだのね。大規模な人事異動があったと聞いたけど、まさかレヴィまで動いたとは。
「じゃあ、親衛隊はいなくなったのか?」
あと、この状況を打開できる人材はいないのか。ほら、親衛隊ってさ、ただ守るだけじゃなくて補佐する役割もありそうじゃん。主賓が死にそうなんだ。宴に誘っておいてそれは最悪の事態。だから助けてくれないだろうか。そんな思いを込めて尋ねると、
「レヴィは未来永劫、親衛隊の隊長ですよ。兼務して貰っています」
ニコニコ笑顔で言われてしまう。違う、そうじゃない。今更お前たちの絆を確認したかった訳じゃないんだ。大切なのは親衛隊がいるかどうかなんだが、待てよ。ここまで事態が悪化してもなお現れないということは、仮にいたとしても俺の望みを叶えてはくれないに違いない。
こうなったら、あいつしかいない。頼れるかどうかは未知数だけど、たったひとつ残された可能性だ。俺は賭ける。
「それならメグだ! メグに来て貰いたい!」
玉座に一番近い席にいたメグと目が合う。「仕方ないですね」と聞こえてきそうな溜め息の後、トコトコと来てくれた。おぉ、神よ。救世主よ。どうか、このか弱い子羊をお救いください。
「こんなに汚して……見ていられませんよ」
どこから取り出したのか、布巾で溢れた液体を拭いてくれる。慣れた手付きだ。強過ぎず、弱過ぎず、適度な強さで服に染み込んだところを念入りに綺麗にしてくれた。
「はい、手も出してください」
そして今度はおしぼりが出てきた。言われるままに手を差し出すと、これまた丁寧に指の間まで綺麗にしてくれる。ベタベタが取れてすっきりした。
「メグ様、新しいグラスに御座います」
「ありがとうございます。下がってください」
いつの間に頼んでいたのか、グラスまで用意してくれていた。なんて面倒見の良い子なんだ。メグがいてくれて良かった。その調子でこの上に乗っかったままのウロボロスさんも何とかしてくれないかなぁ、とか期待の眼差しを送ってみると、ある意味で想定できる、しかし今の俺には全く想定外の方から声がした。
「何という高い侍女技能でしょう……私も見習わねば!」
ウロボロスもまたどこから取り出したのか、布巾でこれでもかと念入りに、気合を入れて拭いてくる。痛い。摩擦で着火するんじゃないかってくらい痛い。
「あの、ウロボロスさん。もう汚れていないよ?」
「いえ、ご覧ください! この裾の所にはまだ染みが御座います!」
見るからに乾燥してきている所を指さされる。これは俺でもわかる。もう洗わないと取れないんだよなぁ、と。でも、ものは考えようだ。さっきまでは実害をただひたすらにもたらしてくれていたが、今は服を拭いてくれているだけだ。大した被害は出ない。しかも、傍から見ても変な行動に見えないかもしれない。まぁ、馬乗りという一点に目を瞑って貰い、加えてさっきまでの痴態を忘れてくれないと駄目なんだけど。とにかくだ。俺としてはウロボロスが満足なら平和だし、しばらく任せておいてもいい気がしてきた。
「魔王様、このままでは事態が悪化する一方です。何としても打開し、以降は手酌でお願いします」
「う……うん、俺もそう願いたい」
なんて甘い考えが許されるはずもなく、ジト目のメグに注意されてしまった。そうだよね、願うんじゃなくて、きちんと結果を出さないと。
それにしても、こんな小さな子に怒られるなんて俺たちってなんて駄目な大人なんだろう。でもね、俺は最初からこんな大そうな接待なんて期待していなかったから。端の方で穏やかに、安全に、チビチビとやりたかっただけだから。なんて、誰に対しての何の言い訳だ、これは。
「ナディア様もわかりましたね?」
「え、駄目なのですか?」
両手にボトルを持ったナディアが、既にグラスを狙っていたらしい。危うく第2ラウンドが始まるところだった。うぅむ、この先見の明は流石だな、メグ。
「ふーふー、あーんも禁止です。ナディア様はあくまでも会話でもてなすべきかと」
「むー……厳しいですね、メグは。魔王様、私は控えるべきなのですか?」
うぐ。そんな悲しげな目で見られると困る。俺さ、そういうのに弱いんだよ。男として、こんな可愛い子には笑顔でいて欲しいんだよ。
「失礼、魔王様」
いつの間に回り込まれていたのか、メグに頭ごと視線を動かされる。それで気付くことができた。会場からは、殺意の籠った視線がこれでもかと送られていた。
「ナディア様もそうですが、ウロボロス様も大変にお美しいのです。そんな美女2人をこのように扱っては、本当に殺されかねませんよ?」
「ひ、否定できない」
思い出した。これは紅竜同盟と交流を深めるための会。大切な第一歩目。そんな出だしから関係に亀裂を入れる訳にはいかない。何とかしてこの場を丸く収めなければ。気持ちを入れ替えるために咳払いしてから、まずはウロボロスの肩を叩く。
「ウロボロス、もういいぞ。下がってくれ」
「しかし、お召し物が駄目になってしまいます」
服なんかどうでもいいから止めてくれ。俺が駄目になる。何よりも本末転倒になる。なんて言っても通じないだろうから、それっぽいことを言って何とか離れて貰おう。
「今更な気もするけど、ここは宴であると同時に公的な場。品位ある態度で臨んでくれ。俺の顔を立てるためにも」
「我が君の……御顔を……」
元々は賢いウロボロスだ。こんな今さら感あふれる話でも理解してくれたのだろう。居住まいを正すと、優雅な仕草で隣に座ってくれた。
「これで宜しいでしょうか、我が君?」
心なしか、口調まで上品になっている。着ているのはいつもの見慣れた巫女服なのだが、余りに美しく見えてときめいてしまった。そして思ってしまった。それができるなら、最初からやってくれよ、と。
「あ……あぁ、調子で頼む」
さて、問題はナディアの方だ。散々煮え湯を飲まされて嫌というほど理解した。この人は超が付く程の天然である。それでいて可愛いのだから質が悪い。ようやくまともになってくれたウロボロスも、その一挙一動で再び暴走してしまいかねない。しかも悪いことに、ウロボロスと違ってプライベートで話した事が無いから、どう持っていけば上手くいくのかわからない。判断材料が無い中でのチャレンジとなる。
「あのさ、ナディア。これは俺たちの親好を深めるための宴だろ? こんな一方的にもてなしてくれるんじゃなくてさ、もっとこう……今後のためになる話でもしながら楽しませてくれないか?」
これまでの流れから、ナディアは、俺たちが紅竜同盟に受け入れられるようにしたいと強く思っているのは確定的。だからこその暴走。そう考えれば、こちらからも歩み寄りたいというこの提案を蹴るはずがない。食いつく、絶対に。そう信じて反応を待つ。
「わかりました。それが魔王様のお望みとあらば」
内心で泣きながらガッツポーズを決める。いやね、本音を言うとナディアとイチャイチャしたいという気持ちが無い訳でもない。ただほら、もうたくさんだからさ。ここは涙を飲んで全力を出させて貰った。その結果が実ったのだ。悔し涙を流しながら喜んで何が悪い。
「及第点ですね、魔王様」
耳元でささやくと、メグはウインクしながら離れて行った。これ以上どうこうできたのかよ。くそ、これだから頭の良い奴は苦手だ。
そう心の中で毒づいたのも束の間、その意味をすぐに理解することになる。
「有意義な話との事ですが、魔王様が知りたい情報はそう多くはないでしょう?」
ナディアから聞かれて、確かにと思った。俺が今最も欲しい情報は大きく分けて2つ。5年前の大災厄の実際とリリスの素性だ。紅竜同盟に関しては、悪いがその後の話になる。くそ、よく考えてみればすぐにわかった事じゃないか。なるほど、それでか、及第点なのは。そう思ったが、どうやらそれでは済まないらしい。
「恐らく、それらにお答えする準備は整ってあります。御期待くださいませ。では、今は何のお話をしましょうか?」
完全な失敗を悟った。聡明なナディアなら、そのくらい準備していて当たり前。そうとは露も思わず、有意義な話と言ってしまっている。馬鹿か、俺は。こんな賢い子とアドリブで有意義っぽい話ができる訳がないじゃないか。
「えーと……そうだなぁ」
頭の出来が違い過ぎる。ならばここは考え方を変えてみるしかない。そうだな、いっそこの場を合コンとでも仮定してしまおう。そういう経験が全くない俺は、当然、何をどう話していいのか皆目見当も付かない。でも何かを話さなければならない場面。頼れるものは何だろう。決まっている。知識だ。いつだか本で読んだ、その内にきっと役に立つと信じて、しかし全く日の目を見ることのなかった知識だ。思い出せ、女の子と上手に会話できるようにと読んだ心理学の本の内容を。確か、女の子は話をするのが好きだったか。なら、ナディアに延々と語って貰えばいい。それにはまず話を引き出すんだ。興味のありそうなところを突っついてみよう。
「俺はこの世界の事をよく知らない。色々と聞かせて欲しい。そうだなぁ、紅竜同盟の歴史とか」
「よ、宜しいのですか!?」
予想以上の食い付きだった。よし、これで急場は凌いだ。後はこの話題が尽きてからどうするか考えながら相槌を打つだけ、そう思ったのだが、どうやらその必要は無さそうだ。その暇すら無いと言っていい。嬉々として語り出したナディアはもう止まらない。何も食べず、飲まず、ノンストップで話してくれる。紅竜同盟の起源、歴代の竜神たちの人柄や成した偉業などなどを。
よし、これでいい。理解が追い付く前に次の話題にポンポン移っていくから何ら実りは無さそうだけど、相槌を打っているだけでこの宴すら乗り切れそうだ。心なしか、メグがこっちを見て溜め息を吐いた気がしたけど、気のせいにしておこう。
そうして、俺は本当にそのまま約3時間にも渡って頭を縦に振るだけの人形を演じ続けたのであった。




