第5章「怪現象」
目が覚めると窓から差し込む朝日が眩しかった。こんなにも気持ちの良い目覚めはいつ以来だろう。少なくとも、働いている頃はこの美しさが憎くも思えたものだ。今は違う。力がみなぎってきて、生きているという実感が得られる。
「やっぱり、ここは現実なんだな……と」
隣ではウロボロスが可愛い寝息を立てていた。その胸には、アデルから借りたというこの世界の本が抱かれている。NPCならば俺の命令以外は遂行しないはずで、自分なりに考えて行動しているという証だ。
「よく寝ているなぁ……」
初めて見たウロボロスの寝顔は本当に綺麗で、それでいて可愛かった。本来ならば両立しないはずの感想だろうけど、俺はありだと思っている。例えるならそうだな、美人な娘が成長した姿を見た時に近いのかもしれない。見た目は綺麗だけど、我が子なのだからいつまで経っても可愛く思える。そんな感じかな。それに本を読んでいるのだ。これからも成長していくのだろう。もっと賢く、強くなっていく姿を想像すると、妙に心の中が温かくなっていくのを感じた。
「……じゃなくて!」
のほほんとしている場合か。馬鹿か、俺は。どうしてウロボロスが隣で寝ているんだよ。寝る前は1人だったはずだ。揺さぶって起こすと、ウロボロスは寝ぼけ眼を擦りながら目を覚ます。そしてハッとした顔をしたと思ったのも束の間、すぐにとろけるような笑顔を向けてくれた。
「おはようございます、我が君。申し訳ありません、私の方が早く起きるべきでしたのに」
「それはいいけどさ、これはどういうことだ、ウロボロス!?」
「何が……で御座いますか?」
しかもまた妙に肌の面積が広く見える。要は何も着ていない。そんなウロボロスさんはあくびをかみ殺すようにしながら、ゆっくりと体を起こす。お陰様で完全に無防備な姿が全部見えてしまいかける。思わず目を両手で覆うも、指が言うことを聞いてくれず、ブラインドのように隙間ができてガン見してしまう。
「待て、ウロボロス! 服を着ろ! せめて何か着るんだよ!」
「あぁ、この格好にご不満を抱いておられたのですね、申し訳ありません。殿方が喜ぶと思いましたので」
誰だ、そんな素敵な教えをウロボロスに授けたのは。最高かよ、じゃなくて、俺の可愛いウロボロスに何てことを吹き込んだんだ、このエロ親父め。お父さん代わりの俺が絶対に認めないよ、こんな破廉恥な恰好は。
「喜ぶだろうけど、俺は許さないからね! それに言いたいのはそこじゃないし! お前さ、どうして俺の横で毎回寝ているんだよ!?」
そうだ、問題を見失うな。裸で寝るのは自由だよ。自室でなら開放的になってくれても構わないさ。問題は俺の隣でやられることだ。例え服をちゃんと着ていたとしても、俺のようなうぶな男子には刺激が強過ぎる。誰だ、一体誰なんだ、ウロボロスにそんな設定文をねじ込んだ奴は。くそ、本当にやってくれるぜ。目のやり場に困ってしまうじゃないか、この野郎。
そんな俺の葛藤に全く気付いていない様子で、ウロボロスは心底不思議と言いたげな表情を浮かべ、小首を傾げた。
「どうして……と申されましても。私はオラクル・ナイツ団長として御身を護衛する義務が御座います」
「それはまぁ……いいよ、まだ理解できる。でも隣にいる理由にはなっていないよな?」
あらゆる意味で俺の敗北は確定的だとわかりながら、思わず突っ込んでしまう。寝ている時こそ隙があるもの。最も無防備な時こそ近くにいるべき。うん、大変に素晴らしい理由過ぎて何も言い返されなくなるだろうな。
「私はフィアンセでもありますから。女たるもの、愛する御方の傍にいる事は極上の幸せであると認識しておりました」
沈黙。静寂。間。とにかく、余りに衝撃的過ぎて、思考が緊急停止してしまっていたらしい。我に返って言われたことを反芻してみる。フィアンセ。ウロボロスは今、フィアンセと言っていなかったか。そういえばこの世界で目覚めた直後も言っていた気がする。あれはカルマたちよりもずっと愛しているという誇張表現ではなく、ウロボロスの中では決定事項だったと。はは、待て。待ってくれ。ウロボロスたちの思考は設定文の影響を大きく受けているらしいよな。それじゃあ、え、もしかして、俺がそこまで至る一文を入れたんだっけか。わからない。でも、今確認する隙は無さそうだ。こうなったら、そうしてしまったと仮定して話を進めるしかあるまい。
「そ……そういう話じゃなくて、寝る前、俺は1人で布団に入った。鍵もかけたんだぞ?」
そうだ、こういう貞操観念的な話をするから負けるんだ。まずは物理的な要因を探そう。それさえどうにかしてしまえばウロボロスは入って来られなくなる。寝込みを襲われる心配も無くなるのだ。
この部屋は、アザレア曰くアデルたちに作った部屋とは比較にならないほど完成度が高いらしい。オール木造建築のくせにセキュリティも万全で、入るための鍵を解除するのはATMの暗証番号を割り出す並みに難しいと聞いていた。でも残念ながらウロボロスは隣で寝ていた。まさか、力に任せて押し入って来たんじゃないだろうな。改めて周りを確認するがどこも壊れた様子はない。では一体どうやって。
「あぁ、それでしたら簡単です。ここはアザレアが用意した家ですので、侵入口はいくらでもありますよ」
「いくらでもあるのかよ!」
いつの時代も、時の有力者は内部の人間にやられてきた。だからこそ夜、寝所には必ず護衛を配置したという。そんな有名人たちの気持ちがよくわかった。まさか絶対と信じたセキュリティの製作者が敵だったとは。まぁ、想定できなくもない相手ではあったが。
それはともかくとして、おちおち眠ってもいられな、こりゃ。物理的な要因を排除するのは諦めて別の手段を考えなくては。
「ところで、それならアザレアはどうしたんだよ?」
ふと、その製作者野郎はどこにいるのかと気になった。こんな手の込んだ部屋を作ったのに、当の本人がいないのは余りにも不自然。作るだけ作って機を伺うなんてことはないだろう。ウロボロスがこの調子なんだ。アザレアだって何かしら企んでいるに違いない。
「1対1の戦闘で私に敵うとでもお思いですか? 快く譲ってくれましたよ」
「あぁ……そう。大体話はわかった」
なるほど、全ての辻褄が合ってしまった。まず、護衛役として立派に活躍したウロボロスによって製作者は撃退されたらしい。そして頑張って用意した策は全て掌握されて悪用されていると。
哀れ、アザレア。今回だけは同情してもいいかも。だからといって、その望みを叶えてあげる気にはならないが。
「我が君、コーヒーを淹れましょうか?」
おもむろにウロボロスは巫女服に着替えてエプロンを着ける。なんて素敵な組み合わせだ、眼福。じゃなくて、その足取りを目で追うと、部屋に備え付けられた簡易キッチンへ行って上の戸棚から鍋と茶こしを取り出した。
「あぁ……あるなら飲みたいけど、コーヒーメーカーなんて無いだろ?」
「ふふ、お任せください」
ウロボロスはコンロの火を点けた。コンロと言ったがそれは見た目だけで、仕組みはガスや電気に頼ったものではなく、魔法で着火して維持するらしい。アデルから聞いた話ではガスコンロなんてこの世界には無く、この構造が一般的なんだそうだ。それなら作れると、アザレアが10分くらいで完成させた代物だ。
「鍋でコーヒーができるのか?」
「ふふ、少々お待ちください」
水の入った鍋がコンロの上に置かれる。数分かけて沸騰させ、少し冷ましてからコーヒー豆が投入されていく。こんなものでうまくいくのだろうか。色合いや香りはそれっぽいが、味は悲惨なことになっているんじゃないか。
「最後に茶こしで豆を取り除けば……完成です、我が君」
見た目はブラックコーヒーだ。コーヒー特有の独特な香りがする。これはひょっとして美味しいんじゃなかろうか。ミルクと砂糖が欲しいところだけど贅沢はよそう。なにせウロボロスが淹れてくれたんだ。それだけで感涙ものだよ。
「じゃあ、早速いただきます」
さて、思い出に残るであろうお手製コーヒーを一口含んでみる。うん、もの凄く薄い。水にコーヒーを数滴溶かしたような味だ。余りにも薄すぎて、正直、普通の水の方が美味しい気がする。
「如何ですか、我が君?」
「あー……そうだな、えっと」
こんなにも期待の眼差しを向けられては素直な感想は言いにくい。イケメンなら歯の浮くようなセリフがポンポン出るんだろうけど、生憎、俺にそんなスキルは無い。考えて、しばらく考え抜いた結果、あいまいに微笑んでみることにした。
「もしかして……美味しくありませんでしたか?」
駄目だった。ウロボロスなら変に好意的な妄想を膨らませて、勝手に自己解決してくれないかなと思ったんだが、そううまくはいかないようだ。困った。もう飲まなくてもいいならコーヒーなんて苦手だと言えばいいだろうが、生憎と大好きである。それにいずれは美味しいコーヒーに仕上がるに違いない。そんな予感がある。美味しくないと言わずに味を改善して貰う方向で話を進めたい。
「ん? えーと……その、不味い……ことはないんだ、うん。ただな、その……そう、俺はもっと濃いのが好きなんだよ」
「なるほど……我が君は濃い味を好まれるのですね。次からはそのようにしてみせます」
「あぁ、よろしく頼むよ」
口から出任せに言ってしまったが、どうやらうまくいったらしい。よし、女心を傷付けず、こちらの好みに合わせて貰えそうなんてグッジョブだ。俺もイケメンに近付けただろうか。
「我が君、このまま朝食も用意致しますね」
「コーヒーのお礼にさ、それくらいは俺がやるよ」
「いえ、これは私の仕事で御座います。御身はおくつろぎください」
口調もその内容も穏やかではあるものの、やっていることはパワープレイだ。両肩に手を乗せられて、そのまま強引に座らせられてしまった。かなり力んでいるのに全く抵抗できない。観念して力を抜くと、満足気にウロボロスは頷いて台所へ戻って行った。うーん、恐妻というのはこういう感じなのだろうか。それはそうとして、こういう仕事はメイドに任せるべきだと思うんだけどね。というか、少なくとも俺はそう考えて神無月たちをメイドに設定したんだが。どういう訳か最初に顔見せしてくれただけで全く姿を見せてくれないしな。
「我が君、お待たせしました」
ウロボロスが用意してくれたのは、食パンにハムを挟んだだけの超絶シンプルなサンドイッチだった。コーヒーと違って外しようがあるまい。かじってみる。うん、想像通りの味で安心した。無難に美味しい。
「美味しいよ」
「ありがとうございます、我が君」
「そういえば、みんなの様子はどうだ?」
復興作業中なら例え見えなくても、メキメキとか、シュバババとか、ドスンドスンとか、それは本当に建築なのかと突っ込みたい音が聞こえてきそうなものだけど。外はとても静かで、小鳥のさえずりが聞こえてくる程だ。
「思うところはあれども御身のためならばと、誠心誠意、村の復興作業に取り組みました」
ウロボロスが嘘を吐くなんて考えられない。でも豪快な音が全く聞こえないとなると、もしかして少し離れた所でやっているのだろうか。考えてみれば昨日だけで50軒は建てたんだ。必然的に離れた所に建築することになるだろうし、その材料集めだって、この辺り一帯の資材を取り尽くして遠方に足を運ぶことになっているだろう。
「そうか、なら俺も早く手伝いに行かないとな」
「いえ、それには及びません。既に復興は済んでおります」
「……はい?」
昨日の今日でもう直しちゃったというのか。建物だけならそうだろうさ。でも、夜道を照らす光や生活用水を通すための水道や灯りの確保、食料供給方法の検討などやる事は山ほどあるはず。でも、ウロボロスはニコニコとほほ笑んでいるだけ。まさかなと思いながら恐る恐る窓の外を見てみると、寝る前までは無かった街頭が並んでいるのがまず見えた。その下には公園らしきスペースもあって、設置された水道からバケツに水をくんでいる子どもが見えた。その子を目で追うと、近くにあった畑に水をまき始める。何となくちぐはぐに見えるが、とにかく、生きていくために必要そうな要素は揃ってしまったようだ。
「アザレアのゴーレムが夜間も作業を続けたようです。私が休ませて頂く頃にはほぼ完成しておりましたよ」
「……凄いな、お前たち」
「お褒め頂き光栄です。アザレアも喜ぶでしょう」
自慢の配下たちではるが、こう何度も度肝を抜かれるとは。こりゃ、何事にもおおらかな気持ちで臨むようにしなくちゃ身がもちそうにないな。
それは良いとして、今後どうしたものか。もっと復興に時間がかかると思っていただけに何の段取りも立てていない。ひとまずアデルと会ってこの村の居心地を聞きながら適宜修正しつつ、この世界に関する情報収集をしようかな。
そんな風に考えながらサンドイッチを口に入れた時だった。突然目の前にウィンドウが現れて、昨日襲っていた兵士と似た格好の者を映し出す。
「あぁ、これはファントム・シーカーからの映像か」
ドミニオンズで慣れているはずだったのに、いざ目の前に出てくると意外と違和感があるものだな。それはそうと、これは村消失点へ監視に出していたファントム・シーカーからの通信だ。人間を捉えたら自動で映像を送るよう設定している。監視カメラみたいなものだ。そいつらが感知した以上、余り悠長に構えてはいられない。
「もう獲物がかかったのか、早いな」
小さいとはいえ村ひとつを消失させたのだ。いずれは偵察兵が来て当然ではあるのだが、昨日の今日である。首都にある本部に情報が伝わって、そこから様子を見に来たとは考えにくい。たまたま別動隊がいたと考えられる。
「我が君、如何かなさいましたか?」
「あぁ……もう偵察兵が来た」
「たまたま範囲外に他の隊がいたのか、もしくはこうなると予想して離れた所に後詰めの部隊を配置していたのか」
あのエグゾダスの効果範囲は半径数十キロにも及ぶ。連携している部隊があるのなら一緒に壊滅しているはず。でもそう思わせておいて、実際には遠くに一部隊を隔離しておいた可能性は確かにある。だが、果たしてそんなことがあるだろうか。俺がこの世界で目を覚まし、あの村に足を運んだのはまったくの偶然だ。未来予知でもしない限り後詰めの部隊なんて置く必要はないし、そもそも予知できていたのなら壊滅すること自体があり得ない。自然に考えるなら別動隊がいたことになるだろう。もっともここまでの話の前提条件として、エグゾダスから逃れた、もしくは生き延びた奴らがいない場合に限る。高位の魔法対策をしておけば一撃死を免れるのは難しくないからな。この世界に何が潜んでいるのかわからない以上、その点についても警戒しておかなければ。
「いずれにしても放置はできない。すぐに出るぞ。念のためカルマとフェンリスも連れて行く」
そう、警戒はする。でも折角網に引っかかってくれた獲物を見す見す逃がすなどあってはならない。必ず捕まえて目的とリリスに関する情報を吐かせたい。
「畏まりました。すぐに準備させます」
さて、今度の敵はどの程度か。エグゾダスから逃れたかもしれない相手だ。これまでの情報、つまりヴェルのような雑魚ばかりではない可能性も十分に考慮して、過小評価しないように心がけ――
「――る必要なんてなかったね、うん」
現地まで出向いてステータスチェックをしてみたら、ゴブリン以下の戦力しかいなかった件について。本人の能力は勿論のこと、一丁前に剣や盾を装備しているが、その装備すら貧弱だった。これが巧妙な罠だったら敵は天才だと思う。
「見てくれは兵士のナリじゃが、あれではコスプレじゃのう。恐れるに足らんわ」
「しかし敵は敵です。ここで片付けてしまいましょう」
「戦うんですか? 私がやりたいです!」
カルマは少し呆れ気味、それをウロボロスが咎めて気を引き締めさせたところに、フェンリスが楽しそうに名乗りを上げるという、完全に舐め切った状態であった。無理もない。一度ならず二度までも敵が雑魚ばかりでは、いよいよ俺たちはこの世界で敵なしと言えるようになるからだ。それは喜ばしいことだが、まだ囮である可能性が全く無くなった訳ではない。石橋を叩くつもりで慎重に進めるべきだろう。
「ウロボロスの言う通り、非戦闘員レベルだけど無視はできない。最悪のケースを想定して有効活用させて貰おう」
「……戦わないんですか、魔王様?」
フェンリスが見るからに落胆してしまう。これは心にドスンとくるな。フェンリスはとても可愛い女の子だ。ガックリと肩を落とされると罪悪感が凄くて、逆にこっちが絶望的な気持ちになってしまう。
「あれは撒き餌だ。あいつらはきっと本隊に戻るから」
「そこで戦っていいんですか!?」
「え……あ、うん。必要だったらな」
あてがある訳でもないのに思わずそう言ってしまう。すると犬がはしゃぐように金色の尻尾をブンブン振って俺の腕を取ってくる。うん、この方がフェンリスらしくて好きだ。頭をなでると嬉しそうな声を上げてくれた。
「えへへ、魔王様ー!」
あぁ、もう。フェンリスは可愛いなぁ。このままずっと頭をなでてあげたい。でも残念ながらそんな余裕もないか。このままでは偵察兵に逃げられてしまうし、何より、他でもない俺が危険な目に遭ってしまうだろうから。ほら、隣を見てみて。烈火の如く怒りを露わにしているウロボロスさんが強く拳を握り締めているからさ。
「おのれ……フェンリス…っ! 我が君の寵愛を受けるなんて!」
「さ、さぁさぁ、早く行かないと日が暮れちゃうぞっと」
「話を反らさないでください、我が君! これは大変に重大な問題です!」
耳元でやいやいとされる抗議を頑張って無視すると、体を密着させてくるという報復をされる。それに何とか耐えながら奴らの後を追って、道なき道を進むこと約2時間。カルマのまたがるケルベロスが3頭揃ってあくびをしたところで、偵察兵たちの足がようやく止まる。
まだ森の中だ。辺りには開けたスペースなんて見当たらない。茂みにでも隠れているのだろうか。そう思ったが、フェンリスの様子を見れば、キョロキョロしているだけで何も見付けていないらしい。つまり敵はいないということだ。なぜならフェンリスの優れた知覚能力は凄まじく、対象の呼吸や心臓の鼓動すら完璧に認識する。例え森の中であろうとも、それこそ目に見えなくても絶対に見逃さないのだから。
「カルマ、周囲の一斉調査を」
「了解じゃ」
物理的な痕跡が一切ないとなると、魔法で透明化して姿を隠した可能性が考えられる。小賢しい真似をしてくれたようだが無駄だ。魔法の感知すら可能なファントム・シーカーからは逃れられまい。
しかし調査開始から数分後、カルマは渋い表情をして首を振った。
「何も引っかからぬ」
ファントム・シーカーにも引っかからないとなると、余程の高位魔法やスキル、希少なアイテムを使っているのだろうか。
魔法やスキルの痕跡を全く残さないというのはとても難しいというより、ほぼ不可能と言っていいレベルだ。暗殺や密偵の方面に俺クラスまでとことん鍛え上げて、ようやくシャットアウトできるかどうかだから。そうなると戦闘面はおろそかになってしまうから大抵のプレイヤーは鍛えようとは思わない。もっとも、そういう戦闘とは全く関係のない方面の戦力を持つためにも配下というシステムがある訳で、まだ見ぬ敵本人でなくとも、その配下が潜んでいる可能性は十分にあり得る。ただそうなると、俺クラスの敵がこの世界にいるということになるのだが。
「……フェンリスとカルマの二重探知から逃れる敵、か」
基本的に考えにくい。この情報からいる、いないを判断したのではなく、そんな高等技術を持っているのならヴェルの時に相応の抵抗をしてきたはずだ。だが奇襲や暗殺というものは、そういう想定外のことをして初めて成立するのもまた事実か。
頭をこの世界からドミニオンズの最強クラスの戦闘を想定するように切り替える。本気で奇襲をしかけようとするのなら、これまでの常識や正攻法の発展形は勿論、一度でも前例のある奇策はトッププレイヤーには通用しない。上位を走るためにはその手の対策は必要不可だからな。もっとも、奇襲を仕かける側の奴らはそのことをよく理解していて、必ずといっていい程に新種を見せてくれる。魔法やスキル、アイテムをあれやこれやと組み合わせ、これまでの常識を覆してくれる。だからこそ最大級の警戒をするのなら、ここで安堵するなどあってはならない。
「ただ……」
そう、ただ、である。もしも敵がそんな高等な罠を張っていなかった場合、他に考えられるだろう。偵察兵を囮に俺たちをここへ釣り出したのかもしれない。もしもそうなら、せっかく復興した村やオラクル・ラビリンスが攻め込まれる危険があるか。ならばこちらも手を打たせて貰う。
村やオラクル・ラビリンスの防御を固めるためにアザレアへ連絡を入れようとした時、フェンリスが俺の手を掴む。
「待ってください、魔王様。あの人たち、魔法陣を展開し始めましたよ」
「魔法陣……? カルマ、解析してみてくれるか?」
「わかったのじゃ」
一体何の魔法を使うつもりなのだろう。転移の魔法だろうか。もしも囮役ならこちらの尾行に気が付いているはずで、時間稼ぎをして逃げるということもあり得る。それならそれで逆に好都合だ。転移魔法の追跡など造作もない。プロテクトがかかっていたら秘蔵のアイテムを使ってでもこじ開けてくれる。
そんな風に色々と考えていると、作業が終わったらしい。魔法陣が色味を失い消滅するのを待ってからカルマは結果を教えてくれた。
「魔王様、解析が終わったのじゃ。あれはワシらの世界には無い魔法のようじゃぞ」
「ドミニオンズには無い魔法か……どんな感じのものだ?」
「多数の文字配列をどこかへ送っておる。恐らく、メッセージ機能じゃろうな」
妙だな。わざわざこんなに歩いてから連絡を入れるだと。確かに危険な場所から離れたいという気持ちはわかるけど、こんな遠くに来る必要があるのか。まさか本当に俺たちを釣り出すことだけが目的だったのだろうか。文字だけで陽動成功とでも連絡を入れているのだろうか。もしもそうなら一本取られた形になるが。
「我が君、メッセージ機能がこの世界には無いのではありませんか? 魔法で代用しているのならば有効範囲があって、ここまで移動したのも頷けます」
ウロボロスがひとつの可能性を提示してくれる。なるほど、有効範囲か。あっても不思議ではないな。だが、そうなるとまたまた好都合だ。その範囲がどのくらいかは知らないが、この近くに本隊がいるのは確実ということになるのだから。
「うーん……どうしたものか」
ただ、結局はどれも想像でしかない。奴らの狙いが何なのかは実際に聞いてみなくてはわからない。それならいっそ、あの偵察兵を捕らえてしまおうか。いや、駄目だ。何らかの非常用の連絡手段があれば本隊に逃げられてしまう。あくまでもあいつらは餌だ。泳がせておかなくては本命に逃げられかねない。
「如何なさいますか、我が君?」
見えない敵への対策と、あの偵察兵の扱いをどうするか決めることが求められている。しかも余り時間をかけていては、奇襲をかけられる可能性があるというオマケ付きだ。
よし、決めた。余り時間が無い場合に限り取る最低の手段。強硬突破だ。見えない敵だろうと何だろうと、敵の得意とするフィールドがあろうがなかろうが、勇んで踏み込んでくれよう。できれば被害を全く出さないスマートな方法で切り抜けたかったが仕方ない。
そこさえ決まってしまえば後はもうトントン拍子である。あの偵察兵は本隊へ繋がっているに違いない。そして有効距離という概念があるのなら、もうこれしかないだろう。
「どうせなら盛大にいこうじゃないか。奴らは偵察兵を出した。よく言えば慎重な、悪く言えば臆病な指揮官が控えているのは確定だ。遊んでくれたお礼に、その度肝を抜いてやろう。カルマ、久し振りにあれを頼めるか?」
大体にして、そもそもの発想が間違っていたのだ。敵がどんな狡猾な手段を取ってきているのか知らないが、そっちがその気なら、こっちも常識では考えられない方法で応えればいいだけの話。向こうが釣り出してくれたのならこちらも釣り出す。それだけだ。
振ったカルマはキョトンとした顔をしたのも束の間、小悪魔のような微笑みを浮かべて頷いてくれた。伝わったか、俺の意図が。
「なるほどのう。ところで魔王様、ひとつ確認したいのじゃが、盛大にと仰られた。それは言葉通りに解釈しても良いかのう?」
「あぁ、是非お願いする」
「うむ、畏まったのじゃ」
カルマはケルベロスの上に立つと、闇色の魔法陣を目の前へ展開する。魔法陣が回転するにつれて文字配列が宙へ流れていき、周囲を走り回っているファントム・シーカーたちの体へ入り込んでいく。
「スレイヴ・オーダー発動。消し飛べ、ファントム・シーカー」
それは、自身の眷属に絶対的な強制命令を与える魔法だ。本来の用途以外でも動かせるように洗脳できるものだが、今回は、周囲に散らばるファントム・シーカーたちを跡形も無く消し去るために使っている。これで呼び戻すために必要な魔力を節約するどころか、眷属が死亡したことでその生成に使った魔力の80%が返還される。時短にもなり、一石二鳥ならぬ一石三鳥である。
「ふふふ、よもや、こんなにも早くこのスキルを使う日が来るとは」
カルマは頬を緩めて、とても嬉しそうに微笑みながら右手の平を上に向けた。すると、先ほどよりももっと小さい魔法陣が現れ、一本の鍵がずるりと手の上に落ちる。その瞬間、鈍い光を放つ古びた錠前がひとつ、そして禍々しい扉が現れた。
扉の大きさは全長20メートルもあり、その表面は腐った肉の皮を剥いで無造作に貼り付けたようないびつなものだった。隙間からは呻き声と、ビチャビチャと何かが、きっと肉の塊が叩き付けられるような音が漏れ出ている。
本能的に察してしまう。あれを解き放ってはならないと。そんな俺の生存本能を逆なでするように、カルマは錠前を手に取ると、ためらいなく鍵を差し込んでガチャリと回してしまった。
「解錠、ゲート・オブ・エデン」
ガチャン、そんな甲高い音が鳴り響いた瞬間、勝手に、勢い良く地獄の扉が開け放たれる。そして這い出てくる、この世ならざるもの。鬼、ゾンビ、霊魂、暗黒騎士などなど、それらによる百鬼夜行が始まった。
あれらは全てカルマの眷属だ。その数は無数と言う他にない。数えたいなら好きにしてくれ、人生を投げ打つ覚悟があるのなら。
「スレイヴ・オーダー。ファントム・シーカー以外は出ること許さぬ」
指定された個体は門へ吸い込まれ、ファントム・シーカーだけが残る。それでも以前の調査など比べ物にならないほどの大群である。しかし、それでは満足しないと言うようにカルマはまた魔法をかける。
「スレイヴ・オーダー。ファントム・シーカーよ、分裂しながら、そして周囲の魔法やスキルを解除しながら臆病者を探し出すのじゃ」
ファントム・シーカーは命令に従い1秒毎に分裂を繰り返し、また魔法やスキル解除の呪いをまき散らしながら這って行く。身の毛がよだつような光景だ。ワサワサ、カサカサと、大量の黒色体が地面を塗り潰していく。ゴキブリの大群を見せられている気分である。ドミニオンズでもそうだったが、この光景は生理的にダメらしい。でも効果は絶大だから、ここでも目を覆ってやり過ごすしかない。
「……ふふ、あぁ、ワシはこんなにも強くなったのう」
当の本人は自分の魔力量に酔いしれて大変にご満足らしい。一瞬、やっぱりやめようと言おうとしたが思い直しておく。何度も言うが効果は絶大なんだ。広大な砂漠に落とした一粒の砂金すら見つけてしまえるくらいの精度である。だから俺が我慢すれば、結果的に俺はハッピー、カルマもハッピーで、誰も損しない。素敵じゃないか。だからさ、ちょっとばかしの我慢だ、我慢。
「我が君、如何されましたか? 顔色が優れないようですが」
「い、いや、何とも?」
平然とした顔をしたウロボロスに心配され、顔を覗き込まれる。まさか平気なのか、あれが。あのおぞましい光景を見て何ともないと。あぁ、何ということだ。女性はゴキブリ一匹を見付けただけで「キャー」と可愛らしい悲鳴を上げると信じていたのに。それはアニメやゲームの世界の話だったのか。
いや、待てよ。ウロボロスがそうなだけかもしれない。フェンリスは気味悪がっているかもしれないぞ。
「凄いですね、魔王様!」
ところがどっこい、俺の視線に気付いたフェンリスは満面の笑みを浮かべて素敵な感想を言ってくれた。嘘だろ。ウロボロスとフェンリスは全く違うタイプの女の子のはず。それなのに2人とも全然恐くないのか。これはもう、男女という偏見で物事を考えるのはやめた方がいいのかもしれない。人には得手、不得手がある。そういう話で済むのだろう。うぅ、つまりはさ、俺がチキンってことじゃないか。
「と、とにかくだ。これで敵さんは驚くだろう」
そうだ、敵は俺の味方かもしれないぞ。訳のわからない言い分かもしれないが、つまり、敵はあくまでも敵だが、この光景を見ておぞましいと思ってくれるかもしれない。こんな惨状だ。誰か1人くらいは驚きおののいてくれるんじゃなかろうか。そんな期待を込めて偵察兵の様子を観察していると、やっとあの大移動に気付いたらしい。大きな悲鳴を上げて、腰を抜かして後ずさりながらも必死の形相で逃げようともがき出してくれた。
そうそう、これ、これだよ。この反応が欲しかった。まぁ、本当に欲しいのは情報なんだけど、お陰様でちょっとだけ自信が回復した気がする。
それはそうと敵さんは、このファントム・シーカーの大群には何の反応も見せてくれないらしい。こいつを放置したらどこに潜んでいても絶対に見付けてしまえるというのに。例えあらゆる探知から逃れているのだとしても、周囲に散らばる魔法やスキルを強制的に解除する呪いが届かない範囲があれば、そこに潜んでいるとわかってしまう。まぁ、それすら対策されていたらお手上げではあるが。
「魔王様、見付かったのじゃ」
「そうか、いたか」
何も描かれていない地図がウィンドウに表示され、一部分が赤く点滅する。この地図の中央が俺たちの現在地だから、辿ってみると、ここから西北西に50キロの所に星はいるということになる。
50キロか。随分と離れているが何か理由があるのだろうか。勿論、昨日の今日だ。俺の魔法を見て遠くに離れた可能性もあるが、何か別の目的があって距離を置いているのかもしれない。そんな風に思えた、この距離からは。現実世界で考えてみろ。魔法はあるかもしれないが、通信機器や高速で移動する機械的な手段が無い世界で50キロも本陣を離すだろうか。あり得ない。連携が取れないではないか。
「魔王様、こちらが現地の映像じゃ」
ウィンドウに映し出されたのは絵に描いたような砦であった。白っぽい石煉瓦造りの建物であり、どうやら3階建てらしい。くり抜かれたような窓が規則的に並んでおり、そこから騎士の恰好をした者の姿がちらほら見える。よく見ると外周にも警備兵が何人も立っている。とても厳重だ。カルマの言う通り、ここが本命なのだろう。
どうやって攻略したものか。とにかく殲滅するだけならば砦の上空から大規模魔法を一発放って終わりだが、できれば事情を聞きたい。そうなると選択肢は二つ。釣り出すか、乗り込むか、だ。
現実的に考えると、釣り出すのは無しだな。食いついてくれるような餌なんて無いし、あぶり出すのは時間がかかり過ぎる。余計な抵抗を受けるだろうが、乗り込むのが一番手っ取り早いだろう。
「ありがとう、カルマ。後は俺たちがやる。フェンリスと戻ってくれ」
「存分に楽しめたのじゃ。後は見物させて貰うぞ、魔王様」
カルマはそう言うと、全くためらう素振りすら見せずにケルベロスを走らせて行ってしまう。この世界に来てまだ2日目だが、つい思ってしまう。あっさりだなぁ、と。でも落ち着いて考えてみれば、主の命令なのだから素直に聞くのが普通なのかもしれない。これまでがおかしかったんだ。俺を取り合って喧嘩して、俺と一緒にいたいと駄々をこねられていた今までがさ。でも、まぁ、今に限ってはそうなる心配はない。特に顕著な人は同伴して貰う予定だから。
「如何なさいました?」
「い、いや、何でも?」
しまった。ウロボロスが妙に嬉しそうに鼻歌を歌っているものだから、ついつい横顔を見てしまっていた。しかしそれ以上はしてこなさそうだから少しホッとする。これで抱き着いてこられようものなら俺はどうすればいいんだ。
話が脱線したな。早速、敵のアジトに乗り込もうかなと考えていると、目に付いてしまった。涙目になっているフェンリスに。
「……フェンリス?」
「つ、次こそは! 必ず戦わせて下さいね!」
あぁ、そうか。フェンリスも帰ってくれと言ったから悲しくなってしまったのか。しかし、うーん、これがカルマだったら一緒に行ってもいいんだけど、フェンリスに限れば難しい。なにせ、この子は戦闘が大好きだ。敵を見かけたら片っ端から倒して回るだろう。それが例え敵の大将だろうと、いや、むしろ大将だからこそ喜々として倒しに行く可能性がある。だからごめん、と心の中で謝りながら返答する。
「あぁ、いつかフェンリスに相応しい舞台を用意する。ここは俺に任せてくれ」
「わかりました! その時まで一生懸命待っています!」
一生懸命待つってどういうことだろう。忠犬ハチ公みたいに、じっと座って待っているとでも言うつもりか。そんな風に突っ込みそうになったが、ここで聞いてしまえば泥沼にはまってしまいそうだ。折角、自分なりに納得してくれたんだ。その気持ちを大切にして見送ろうではないか。
フェンリスも無事に帰って貰って、ウロボロスと2人になる。敵に勘付かれる前に、そしてウロボロスが変な気を起こさない内に、目的を果たしに行こうかな。
戦闘になることも考えて装備や準備を整えて来たからこのまま転移の魔法で飛んでも問題はない。善は急げとも言うしすぐに出発しよう。転移の魔法陣を足下に描き、ウロボロスを手招きする。
「お隣、失礼しますね、我が君」
慎ましく言ってくれたが、その顔は獰猛な肉食動物みたいだ。目がギラギラ光ってて、食われちゃうかもって恐怖を覚える。昔、動物園に行った時に、檻越しとはいえ熊に襲われそうになった事があるけど、あの時とは比べものにならないほどの恐ろしさだ。
「……と、とにかく、まずは敵だ。行くぞ、ウロボロス」
「はい、どこまでもお供致します」
若干別の意味が篭っている気がしなくもないが、それを聞いたら藪蛇なんて話では済まない。アナコンダの巣穴にどうぞ食べてくださいと手を突っ込むようなものだ。約束された貞操の危機などごめんである。
俺は努めて知らん顔を貫きながら転移魔法を使用した。瞬きする程の一瞬の暗闇を経て、気が付くとそこは、大変にもくもくとした世界だった。
「……あれ?」
この煙、いや湯気はお湯から出ているのだろうか。気持ちの良い温かみを感じる。少しずつ目が慣れてきて、よくよく観察すると、どうやら俺たちは湯けむりの桃源郷に入ったらしい。ここは、そう、まさに異世界。数々の書物で得た叡知が、決して手の届かない空想上のものでしかなかったそれらが、惜しげ無く目の前に広がっている。
「な、何なの、この変態!」
「いやっ! どっから湧いたのよ!?」
簡単に言うとここは女風呂だった。裸の子たちよりも早くうずくまった自信があるけど、その光景は頭を離れない。焼き付いている。深々と彫り込まれている。忘れようとしてもくっきり、はっきり、細部までばっちりと瞼の裏に蘇ってきてしまう。
でも、でもさ、これは不可抗力だから。こんな所に風呂場を作った奴が神様だ。じゃなくて、悪いんだ。
冗談はさておき、いや、さておいて貰って、座標に間違いはないはずだ。カルマがミスしたなどあり得ない。では、どうしてこんな所に出てしまったのか。
「我が君、この上にいるのやもしれません」
「あ……あぁ、なるほど! 高さ! 高さを失念していたな、うん!」
平地を基準として飛んだからな。ここが1階にあるのだとすれば、幸運なことに、いや、不運なことにここへ繋がってしまったのだろう。窓の外を見れば、地面の近さからやはり1階であるとわかる。
敵の大将はこの上だろうか。見上げると、当り前だがそこには天井があって直通ルートなんて無い。辺りを見渡す訳にはいかず、途方に暮れてしまう。
「では、天井を破壊します。宜しいですか?」
「宜しくない、ちょっと待て」
俺が戸惑っているとわかってくれたのか、ウロボロスはさらりとパワープレイな提案をしてくれた。ここで頷けば、きっと天まで上る程にぶち抜いてくれると思う。でも、そんなことになってしまえばフェンリスを置いて来た理由と全く同じく、要人まで殺してしまいかねないのだ。そして万が一上が男風呂だった場合、これまた取り返しの付かないことになる。
「また飛ぶぞ。ここはできるだけ無傷で手に入れたい」
「そうですね、そうですよね、畏まりました!」
なんでウロボロスが嬉しそうなのかはわからないけど、とにかく、満面の笑み付きの頷きを頂いたんだ。気の変わらない内にさっさと移動しなくては。それに、そろそろ投げ付けられる言葉や物が致命傷になりそうだし。
さて、ウロボロスに引っ付かれたまま次に飛んだ場所は、風呂場と違い厳格な雰囲気が漂う部屋だった。見下ろすと長テーブルの上に巨大な地図が置かれ、偉そうな騎士たちが囲んでいる。
なぜ見下ろしたのか。それは、俺たちが長テーブルの上に現れてしまったからだ。そそくさと床に下りて、何でもない風を装おうように髪をかき上げてみる。
「な……何者だ、お前は!?」
「どこから現れた!?」
結果、駄目だった。まずもって場所が悪かった。この部屋にいる全員の注目をバッチリ集めてしまえる特等席だったからな。加えて唐突過ぎる不審者の登場である。どう足掻いても無理だったよね。
なんて、それは些細な問題か。一番の問題は俺たちという不審者が突然現れたことに違いない。そんな冷静かつ無意味な分析をしながら敵のステータスをチェックする。うん、やはりここにも大した敵はいそうにないな。一番奥に座っている、一際目立つ豪華な甲冑を着た騎士は頭ひとつ抜き出ているが、それでも敵にはなりえない。
「見付かる可能性も考慮したつもりだったが……それにしてもこれは早すぎだ」
その騎士が愉快そうに言う。なぜ面白がっているのだろう。俺たちを舐めているのか、はたまた狂人か。人の並び的にも、外観的にも、あいつが一番偉いのは間違いないはず。ならば狂人であるはずがない。では俺たちを舐めているということになるのかといえば、それもまた違うような印象を受ける話し方であった。
「お前がここの最高責任者か?」
まぁ、何を企んでいてくれても結構だ。俺の目的は情報を聞き出すこと。そのためにはどうしても会話が必要になる。こうして少しずつ聞いていけば、いずれはその企みも暴けるに違いない。万が一わからなくても、最悪の場合、用が済んだら始末してしまってもいい。俺の絶対有利は基本的に揺るがないのだから。
「初めまして。聖リリス帝国四大将軍の1人、ロアだ。そちらは魔王なのだろうか?」
「あぁ、そうだ」
俺の一言で辺りの空気が変わる。剥き出しの敵意は変わらないが、その勢いというか、質というか、とにかく状況が一変する。ロアという騎士の周りにいた者のほとんどが腰を抜かして座り込んでしまったのだ。しかし目だけは反抗的という、なんとも弱腰な状態である。魔王と聞いて、先の俺の魔法を思い出して恐れをなしたのだろう。この様子なら、少し脅せば色々と聞けるんじゃないだろうか。
「一応、警告はしておく。抵抗は無意味だ。先の一戦で、お前たちの脆弱さは十分に理解できた。素直に負けを認める気にならないか?」
この感じ、そうは問屋が卸さないらしい。ロア以外の騎士たちは歯をガチガチ震わせる者までいるというのに、誰一人として降伏しようとしない。余りの恐怖で委縮させてしまったかと心配したが、どうやらそうではないようだ。その視線は一点に、ロアへと注がれている。ロアがどう答えるのか、それに全てがかかっているようだ。
「君を称賛する」
イエスかノーか、それだけ聞ければ十分だというのに、質問と全く無関係な返答がきた。いや、もはや返答と呼べるのかどうかすら怪しいくらいである。言葉通りに聞くのなら、あろうことか敵の、しかも恐らく最恐最悪の魔王である俺を称賛するらしい。なぜだ。こんな状態で歓迎できるなんて、どう頑張って好意的に捉えても無理だろうに。
「やはり素直には受け取ってくれぬか。だが、それでも送らせて欲しい。君は素晴らしいのだから」
戸惑っていると繰り返されてしまった。今まで生きてきて、称賛というものは基本的にされると嬉しいはずのものだった。でも今回ばかりは正反対。こんなにも不気味な称賛があるのだと初めて知ったよ。だからといって気味悪がっていては話が前に進まない。わざわざ称賛と言ったその理由、しっかりと聞かせて貰おうじゃないか。
「……何を言いたい?」
「言葉通りの意味だ。我々の精鋭部隊は一瞬の内に壊滅してしまった。あんなにも圧倒的な差を見せ付けられて、怒りや悲しみを通り越し、ただただ畏怖の念を持ってしまうのだよ」
それでは正真正銘の称賛ではなかろうか。いや、いやいや、俺たちは初対面だぞ。それも、敵として初めましてをした仲だぞ。それがどうしてポジティブな発想になる。恐怖や怒りからくる報復ではなく、どうして称賛になるんだ。まさか、この世界の称賛という単語にはそういう意味が込められているんじゃないだろうな。わからん。こんなにも辞書が欲しいと思ったのは受験の時以来だ。
「……つまり、負けを認めるということだな?」
ただ、ひとつだけ言えることがある。称賛にどんな意味が込められていようとも、畏怖の念を持った結果生じた感想ならば、それはつまり負けを認めることに他ならない。回り道をさせられたが、結局のところ、最初の質問に対する返事はイエスだったということか。
そう結論を出して聞いたのだが、なぜかロアは首を横に振る。
「いいや、断じて否だ。なぜなら私はまだ生きている。こちらが望むのは対話だ。君も同様ではないか?」
なるほど、向こうも話し合いが目的でわざわざあんな言い回しをしたのか。確かに興味を引かれてしまった。必要な情報を貰ったらさようなら、とはいかない気持ちになっている。やるな、この男。素顔は兜で見えないものの、きっと相当な修羅場を越えて来たのだろう。話術に優れた人と話し合いなんてして長引こうものなら、どうあっても俺が不利になるに違いない。違いないが、だからといって急ぐ気にはもうなれそうにない。駄目だ、駄目。せめて相手のペースに乗らないようにしなければ。
「まぁ、そういうことでいいさ。それで、辛うじて繋ぎ止めた命をもって、何を聞く?」
完全に誘導されてしまった形であるが、せめてもの抵抗で高圧的に聞いてみる。もっとも、有効なのは周りの騎士たちだけだ。この一言で肩をビクリと跳ね上げる者が多数いたが、肝心のロアは全く無反応で、淡々と問いかけてくる。
「逆に、それは君たちの願望ではないかな?」
しかも俺から引き出すような質問であった。確かに、俺はこいつに聞きたいことがある。まさに俺の願望という訳だ。えぇい、もう誘導されたからどうとか、言わされたからどうとか、深く考えるのは無しだ。初心に返ろう。俺はこいつらから情報を引き出したかった。それ以上でも、それ以下でもない。それさえ済めばこいつらを始末してしまってもいいとすら考えていたくらいなのだ。どうして悩む必要がある。どうして悔しがる必要がある。忘れるな。優位なのはあくまでもこちらだ。俺の聞きたいことに答えてくれればそれで良いじゃないか。
「率直に聞く。なぜあの村を襲った? いや、そんな生易しい話じゃないな。どうして虐殺なんてした?」
「あそこには悪魔がいるだろう?」
唐突な単語が飛び出したな。悪魔か。文字通りの凶悪な奴がいるのか、それともデビル系統のモンスターが巣食っていたのか。そのどちらも考えにくいけどな、あんなにも一方的な惨劇を見せ付けられては。むしろそれはお前たちではないか、と言い欠けて、そんな不毛な言い合いは無意味だとやめておく。知りたいことを聞き出すのに集中しろ、俺。
「悪魔……なるほど、全く理解できないな。それよりも、こちらが聞きたいのはあの虐殺の目的だ。正統性があるなら言ってみろ」
「あると言えばある、無いと言えばない」
曖昧な答えだな。こちらが強引に聞き出したのならふざけた返答もあるだろう。でも、今回はロアの方からも話し合いを求めてきているはずだ。しかも周りの騎士を見れば、猿でもどちらが不利なのかわかるはず。なぜ、こちらの神経を逆なでしかねない言い方をするんだ。馬鹿なのか。いや、こちらを惑わすことが狙いかもしれない。冷静にならなければ。
「そう考える根拠を教えてくれないか?」
「いいだろう。かつて起きた災厄……その根源があの村にあるのだ。一方で、それ自体の解決策にもなりうる可能性もある。ただし、それはこちらの仮説が正しい場合に限った話だが、我々はそう確信している」
初めて聞くな。災厄か。詳しい説明が無いということは、ひょっとして、この世界の住人なら誰もが知っているレベルの話なのだろうか。でも生憎と俺は知らない。チラリと横を見るが、ウロボロスも知っている風ではない。このまま話を進めれば何も見えなくなってしまうだろう。ならばここで聞いてしまってもいいが、要らない隙は隠した方が無難か。とりあえず、ここは確実に突ける不審な点から。
「……つまるところ確証も無いままにやった、そういうことだろう?」
奴の言葉は明らかに不自然だった。妙な言い回しをしてくれたが、要約すれば確信しているだけではないか。どれ程のものか知らないが、ここで証拠を見せないのであれば、きっと憶測の延長線上でしかないだろう。むしろ解決策になりうるのであれば、そもそも滅ぼしにかかるのはちゃんちゃらおかしい。
「証拠が全く無い訳ではないのだ。詳しくは機密事項故に語れぬが、そもそも考えてみて欲しい。あの村を狙うメリットが果たしてあるだろうか?」
まぁ、その原因や解決策とやらを抜きに考えてみれば、あんな小さな村を襲撃する目的なんて普通は無さそうである。それにここは聖リリス帝国の領土なのだ。極めて重大な理由が無くては、自国の村を滅ぼすなんて常識では考えられない。だからこそ何らかの重大な目的があるはずだと言いたいのだろう。
「それを知るために話をしていると思っていたんだがな」
そこまでは察してもいい。だが、その内容まで推測してやる義理はない。俺が想像して、それを確認するために聞いてしまえば、嘘でも肯定されて要らない誘導をされかねない。こんな見え透いた罠に引っかかってたまるか。
ただ懸念点がひとつあるとすれば、災厄の程度によっては、俺たちが無知だと言ってしまったことになる。もしもあの村にある何かを破壊しなければ明日にでも世界が滅亡するのだとしたら、もう言い逃れできない。
待てよ、俺は止めたじゃないか、こいつらの聖戦とやらを。ならばもう無知だと公言したも同然だろうか。だが、それはあくまでも最悪の場合を想定した話。齟齬を無くすため慎重になっている風に装えれば当然の要求になりうるか。
「ふふ、そうであったな。失礼した」
ロアは少しばかり笑った後、間を置いてきた。あの兜の下は見えないが、熟考しているような感じはする。
何を考える必要がある。ここまできたんだ。もう素直に腹の内を聞かせてくれてもいいんじゃないのか。まさか、まだ何か仕かけてくるつもりか。
「多数の兵を動かせば兵糧を食い潰す。本国の守りも薄くなる。そこまでして攻め入るのは我ら騎士が守るべき、国を支える大切な民の暮らす村だ。こちらにはメリットが皆無なのだよ。特別な理由が無ければ、な」
「その特別な理由ってのが、例の災厄に関する事って訳か。あの小さな村に、か。随分と非現実的じゃないか?」
こうなったらと、こちらから仕かけてみる。この言い方で察してくれるだろう、俺たちが災厄とやらを知らないのだと。このまま堂々巡りにされるくらいならいっそ露見させて話を進めてしまってもいい。要らぬ嘘を掴まされる恐れはあるものの、後で裏付けをきちんと取れば問題ない。
「確かに、荒唐無稽に聞こえても仕方がない。当然だ。私とて、初めは耳を疑ったものだ」
「ならば答えろ。一体、何がお前たちの背中を押した?」
「やはり貴方は、この世界のことを把握していないようだ」
かかった。あれこれと遠回しに言っても絶対に伝わらないのだとようやく理解してくれた。もはや隠す必要もないが、一応形だけでも惚ける振りをして話を進めて貰うとしよう。
「何のことだ?」
「……語るよりも、まずは実際を見て貰おうか」
ロアの両手が兜にかかり、ゆっくりと引き上げられる。
絶句した。文字通り、絶句してしまった。目が離せない。何か超常のものに魅入られたとでもいうのか。しかし心は理解を拒否している。
俺はこれでも普通でないものに耐性があると自負している。別に特段グロテスクなものが好きだとか、そういう仕事をしているとか、そんな話ではない。魔王を名乗っているのだ。この世界では考えられない超常的な力を持っているのだから、異形なものへも免疫があると思っていた。でも、そんな自信が粉々に崩れてしまうほどにそれは異形だった。
兜の下に隠れていた素顔は形容し難いくらいに禍々しい。重度の火傷を負ったものかと思ったが、それだけでは説明が付かない。無理矢理例えるならキメラだ。ゾンビのようなボロボロの肌の上に、無秩序に目が、口が、鼻が、砕けたように、粉々になって点在していた。
あれは本当に人なのか。モンスターじゃないのか。そんなあり得ない考えすら持ってしまう。ステータス画面には、確かに種族は人だと書かれているというのに。
「我が君、大丈夫ですか?」
「あ……あぁ、ありがとう。もう大丈夫だ。主として、情けないところを見せてしまったな、反省だ」
ウロボロスに手を握られ、ハッと我に返れた。そうだ、こいつが何者かなど関係ない。いくら言葉を失い、意識すら奪われかけた顔であろうとも些細な問題じゃないか。俺が知りたいのはロアの過去ではない。あの村を襲った理由。まずはそれだけだ。
それにしても、よりによってウロボロスにこんな不安げな表情をさせてしまうとは。上の立場に立つ人間は、いついかなる時でも、堂々としていなければならないのに。
「いいえ、私は御身のためにありますから。お望みとあらば、御心を惑わしたあのゴミ屑、掃除して参りますが?」
「いや、まだ聞きたいことが山程ある。ロア、あえて肯定しよう。俺はこの世界の住人ではない。かつて別世界で魔王と呼ばれた者だ」
さぁ、その顔を見せてくれたお礼に、俺もきちんと名乗ったぞ。魔王だと。しかも別世界の魔王だと。普通なら頭に蛆でも湧いたのかと逆に心配されそうな名乗りだが、盛大に村ごとお前たちの部隊を葬っている。この世に存在しないはずの超常の存在は俺なのだと絶対に信じてくれるさ。
「ほぉ……別世界の魔王か。文字通りの意味ではなさそうだが、違いないか?」
「さて、それはどうかな? それよりも本題に戻ろう。こちらの納得できる理由があるならば正直に言え。さもなくば、これ以上は時間の無駄だ」
少し脅しをかけるために、無意味に闇色の魔法陣を足下に展開してみる。本気で放つ気はない。しかし全力で使う演技をしてみせよう。魔法がある世界だ。この魔力量はさぞ恐ろしく見えるだろう。普段火を使っていながらマグマを恐れるように、規模も威力も違い過ぎるのだから。
これでダメならどうしようか。カルマを呼んで洗脳して貰おうか。そんなことを考えていた。そのためか、何が起こったのか理解するのに時間がかかった。見たままに言えば、突然、目の前にウロボロスが血相を変えて飛び出して来たのだ。
「わ、我が君! お下がりください!」
「お、おい、ウロボロス? 一体どうし……」
一言で言えば不快だった。まず、気持ち悪い音が聞こえてきた。まるで、泥をこねくり回して床に叩き付けるような、ぐちゃぐちゃ、ぐちゃっていう音が。
何が起きたのか見てみると、その音源が何なのか理解した。それは人であり、肉の塊であった。体中の穴という穴からピンク色の液体が溢れ出し、ドロドロに溶け出している。まるでアイスが溶けて落ちてしまうように、腕が、足が、頭すら体から崩れ落ちる。兵たちは必死にそれを元の位置に戻そうと血相を変えてもがくも、血の涙を流しながら崩壊していった。
「何だ……これ。何だよこれは! おい、ロア……っ!」
俺じゃない。チラつかせた魔法だってただの広域殲滅魔法だ。発動すれば一瞬で辺りが灰燼になるだけで、こんな凄惨な光景には絶対にならない。ウロボロスも違う。カルマだって、アザレアだって、勿論魔法に長けないフェンリスやムラクモだってそうだ。何なら、未だに姿を見せてくれないあいつらだって、こんな酷い魔法やスキル使えない。だから俺たちでは断じてない。
それなのに騎士たちは俺に向かって、もはや聞き取れない呪詛のような何かを吐きながら死んでいく。
「もう時間が無い、か」
部下の凄惨な死を見たロアは諦め切ったように呟いた。ロアもまた例外ではなかったのだ。その足先からドロドロと溶け出し、徐々に小さくなっていっている。ある者は泣き喚き、ある者は狂った笑い声を上げる地獄絵図の中で、彼だけがただ1人、冷静に自らの体から目を離すと真っすぐにこちらへ顔を向けてきた。
「気を付けるのだ。敵は内に潜んでいる」
内に。まさか、ウロボロスたちのことか。いや万が一にもあり得ない。さっきも言ったが、皆はこんなことをする手段をそもそも持たない。仮にあったとしても、俺との出会いを大切に思っていてくれるなら、こんな真似は絶対にしない。そう確信が持てるだけ、何年も一緒に戦ってきた絆がある。まさか、俺がロアに抱いた疑問のように、そもそもの確信とやらが間違っているのか。嘘だ、そんなこと、あってたまるか。
「我が君、ここは危険です! ただちに撤収しましょう!」
「待て、ウロボロス! まだ聞きたいことが山ほどあるんだ!」
ウロボロスの静止を振り切ろうとするが、できない。がっしりと掴まれた腕は紫色に変色している。それでも必死に力を込めるが、圧倒的なステータス差によって、ただの一歩も前へ進むことができない。
そうしている内にロアはどんどん溶けていく。もう胸から下、両腕は無くなって、遂に頭が落下した。
「皆、付き合わせてすまなかった。だが賭けたかったのだ。この世界を救いうる救世主に」
「待て! まだ逝くな! 詳しく聞かせろ!」
もうロアは一言も発さない。ズブズブと、音を立てて液状になっていく。
そうだ、魔法かスキルだ。何かあるはずだ。この状況すら覆せる何かが。俺は魔王だ。ありとあらゆる魔王、スキルに関する知識を持っていて、その中でも選りすぐりのものをいくつも習得している。アイテムだって高価なものをいくつも揃えている。だからあるはずだ。あるはずなんだ。何かが、何かが。
「我が君、お早く!」
ウロボロスに後ろから引っ張られて気付く。そうだ。ウロボロス。ウロボロスは大丈夫なのか。後ろを見ると、その姿は既に消えかかっていた。溶けているのではない。これは魔法による影響だ。転移魔法で既に飛ばされ始めている状態だった。
そう認識した次の瞬間、俺もまた転移魔法で飛ばされてしまったのだろう。視界が真っ白になり、どんどん、不愉快な溶ける音が遠のいていく。その最中で、俺は聞いた気がした。
――アデルに気を付けろ、と。




