第23話「最後の談話」
ウィンドウが空中に表示され、カルマの顔が映し出された。その後ろには関所前が、多数の竜人たちが倒れ込んでいる。近くにアザレアの姿もあった。フェンリスはいない。まだどこかで走り回っているのだろう。
だが、こうして2人が顔を見せてくれたということは、そういうことなのだろう。
「魔王様、戦闘が完了したのじゃ。ご要望通り、死者はおらぬ」
前哨戦は望ましい形で終わってくれたらしい。ひとまずは一安心だ。少しだけ肩から力が抜けていく感じがする。でも、と思い直して気を引き締める。これからだ。この戦いに込める俺の願いは、この先に進んでからが勝負。
「……ありがとう、カルマ。それにアザレアも。後はこっちで何とかする。お前たちは念のため、そこら辺の防衛を頼む。いないとは思うけど、野盗とかモンスターなんかに台無しにされてはたまらない」
「うむ、任されたのじゃ」
通信を終えると同時に、ウロボロスがそっと近寄って来る。流石にここではやらないかと安心したけど、やっぱりウロボロスはウロボロス。しっかりと、がっしりと腕を組まれた。まぁ、今更何も言うまい。それよりも、だ。
「我が君、カルマのところで起きた多少のトラブルについては、如何されますか?」
多少と言葉を濁してはいるものの、俺もウロボロスも思わず苦笑いしてしまう。この最終報告の少し前、カルマ自身の担当分を終えた後の報告によると、紅蓮飛竜隊の末路は酷いものだった。隊長のローレンが縄で縛られており、もはや軍隊として機能できない状態になっていた。あの時は自業自得と思ったが、少し時間をおいて改めて同様の惨状が目に付くと、少しだけ可哀そうに思えなくもない。
「御心を痛める必要はありませぬ」
念のため同行して貰ったムラクモが、俺やウロボロスの雰囲気から察したのか、バッサリと言い切る。あの手の屑は、武人のムラクモからすれば面白くないタイプだろうからな。あいつだけは処刑してくれと言ってこないだけマシかもしれない。
「まぁ、そうだよな。カルマの言う通り、大体あいつが原因だし」
そういう意味では、カルマに任せたのはむしろ正解か。俺やウロボロスだったら、一時の感情に流されてしまったかもしれない。ただ、いっそ一思いに殺された方が幸せなんじゃないかって思ってしまう。あんな目に遭わされるなら。やめよう。ここで要らない同情なんて覚えなくていい。あいつが諸悪の根源なのは変わらないんだ。
「この話はここまでにしよう。それよりも、あとどのくらいで着くのかな?」
さて、俺たちはというと、敵の本拠地の中を堂々と歩いていた。この手の建物はそもそも攻め込まれるなんて想定されていないのだろう。構造はとてもシンプルで、罠はおろか、分岐路すらほとんど無かった。お陰で迷わず進めているのだが、山を登るような形で造られているのだから距離はある。下から見えた神殿のような建物に至るには、まだ歩かなければならないのだろう。
「申し訳ありません。外観から推測できるデータによれば、もう間もなくだとは思うのですが」
「そうだよなぁ……」
元の世界の感覚でいえば、地下通路を歩いているような感じだ。コンクリートみたいな材質のトンネルのような廊下を、真っすぐに突き進んでいる。勿論、途中に全く分岐点が無い訳でもない。トイレや休憩所、そして、スタッフが待機する部屋もあるのだろう。
「こ、これ以上は行かせるか……!」
またしても横道から竜人が飛び出してきたのを見て、またか、と思わざるをえない。腰の引けた、見るからに戦闘に慣れていない者しか来なくて、今もまた同類だったからだ。恐らく本隊は完全に出払っているのだろう。文字通り、総力を挙げて向かって来た証拠なのだろう。それは結構なことだ。俺は魔王。世界を滅ぼしうる存在なのだろうから、防御を考える余裕はなくて当たり前。
ただ、である。さっきから不思議に感じていた。ここの守備隊は戦闘に慣れているとか、慣れていないとか、そういう話で片付く者たちではなさそうだ。まず体付きが違う。武器を楽々と持てるだけの腕力はあるのだろうが、武人とは思えないヒョロヒョロの体躯である。
「退け、こちらに殺意は無い」
ただ、体と反して目に宿した決意は並みのものではない。ムラクモに凄まれても誰一人として退くことはなかった。あんなにへっぴり腰なのに、しっかりとこちらを見据えて、その手に力をグッと込めているのである。負けるとわかっていながらも、その恐怖に打ち勝とうというような気迫がこれでもかと感じられた。
「ふ……ふざけるな! だったら素直に投降しろ!」
少しだけしゃがれた声から察するに、この竜人は老人であるに違いない。聞いた話だと、腕に覚えのある者たちは皆、5年前の大災厄に出陣して命を落としたはず。それなのになぜ老人が出て来る。まさか不真面目だったから戦場に出されなくて、生き残ってしまったのだろうか。いや、それはない。もしもそんな性格なら飛び出せる訳がない。では、まさか文官だとでもいうのか。それこそあり得ないだろう。文官が剣を持つものか。わからない。全くわからない。そういう意味で不気味過ぎるのだ、ここの守備隊は。
ムラクモが前に出て、その腰に携えた刀に手をかける。刹那、竜人が震える手で何とか握っている剣を粉々に切り刻む。速過ぎる斬撃だ。いつ抜刀したのか、正直に言うと俺も見えなかった。魔王の俺ですら認識できないのだから、老兵に見えるはずがない。
「あ……あ……」
剣はたちまち粉微塵へと変わり、柄だけになる。その末路が自身に重なったのだろう。竜人は遂に腰を抜かして座り込む。それでも道を開けるつもりはないらしい。ガチガチに震えているというのに、床を這い、ムラクモの足にしがみ付く。その形相は鬼のよう。更に涙や鼻水でぐしゃぐしゃにしながらも、鋭く吊り上がった瞳にはまだ明確な敵意を残している。
「如何されるか?」
ムラクモは刀の切っ先を竜人の首筋に、静かに当てる。俺がやれと言えばその首をはね飛ばすのだろう。俺の一言で生死が決まる状況だ。
チラリと竜人へともう一度だけ目を向ける。明らかに泣いている。恐れを覚えて号泣している。それなのに、だ。命乞いはしない。逃げようともしない。手を離そうとせず、しっかりとしがみついたまま。
「……なぁ、竜人。答えられれば答えてくれ。なぜそこまでする?」
「ナディア様の……ナディア様の……ために……!」
またナディア様のために、か。この問答はこいつが初めてではない。ここに来るまでに何度も、何度も繰り返してきた。何人にも、何人にも聞いた。それなのに答えは全く同じ。一言一句同じで、ナディア様のために、だそうだ。
なんだ、それは。お前たちにナディアの何がわかる。単身で俺と接触し、オラクル・ラビリンスに乗り込んで来てまで和平交渉しようとした。そんなあいつの気持ちがわかっているのか。お前たちが結託すれば、ローレンの1人くらい止められたんじゃないのか。それをせず、指を咥えて見ていただけだろうに。
「……ムラクモ、殺すな。蹴散らすだけにしてくれ」
「承知」
何となくわからないでもない。元の世界と同じだ。基本的にいつも静観して、有能な、もしくは活動的な者が何とかしてくれるのを待つばかり。それなのに最後になった途端に飛び出して来て、騒ぐ、喚く。全く同じだ。俺だって、他人のことを言える立場ではない。
ただ、ひとつだけ違うところがある。人間は最後まで自己保身に走るが、こいつらはナディアのためにと言うのだ。この危機的な状況下で、自らの主を思える奴がどれだけいるだろう。少なくとも元の世界では見たことがない。それなのにこいつらときたら、ナディア様、ナディア様と。あぁ、くそ。竜人たちめ、どうして最初からそうなれなかった。それだけが腹立たしい。腹立たしいが、同時に尊敬してしまう。俺もそうなれたなら、いや、そうなるために魔王になったんだったな。
「我が君、この通路の先に謁見の間が御座います。恐らくそこかと」
ウロボロスはずっと先を指さす。言われて、目を凝らしてようやく見えるかどうかの遥か先に、確かに扉が見えなくもない。
「いやはや、ここは本当に大きいな」
「はい、壁に刻み込まれたこれらには、長い、とても長い歴史があるのでしょうね」
壁には余すところ無く壁画が掘り込まれていた。描かれているのは街や自然の中で、竜人たちが生活しているところや、たまに戦争に見えるところ。これらは紅竜同盟の辿った歴史なのかもしれない。ただの装飾にしては気合が入り過ぎていて、手入れもきちんと行き届いている。所々欠けては修復を繰り返した跡がチラホラ残っていた。
歴史がある所でピタリと無くなる。その先には扉があった。おあつらえ向きじゃないか。続きはこの神殿の終着にあるということか。
「さて、と。まずはひとつ成し遂げようとするか。俺たちが……俺たちであるために」
「お供させて頂きます、我が君」
ウロボロスと一緒に、竜の紋章が刻まれた所に両手を当てて一気に開け放つ。高さ5メートルはありそうな重々しい扉を開けた先には、玉座にナディアが腰かけていた。王家の正装なのだろう。きらびやかな黄色のドレスに身を包み、様々な紅玉の装飾品で着飾っている。その頭には赤いティアラが乗っていた。
その脇に付き従うのはたった1人だけ。槍を携えた竜人、レヴィがいるだけだった。
「ようこそお出でくださいました、魔王様」
チャラチャラと音を立てながら、ナディアはスッと立ち上がり、深々と一礼。その優雅な、そして全く物怖じしていない態度は美しく、流石は代表と思ってしまう。
「貴方様がここへ来られたということは、決着を意味するのでしょう。開戦から1時間も経たずこれでは飾る言葉すら吐けないというもの」
ナディアの表情はなお変わらない。とても敗戦を悟った者のそれではない。普通の会話をしているだけのような錯覚すら覚えそうだ。まったく、流石はあの若さにして、そこに座るだけのことはある。
「そうだな。勝敗は間もなく決する。お前たちの軍はことごとく壊滅した。残るはお前たちだけだ」
「強大なる王よ、願わくば最期にひとつ、他愛ないお話に付き合って頂けませんか?」
それはこちらも願ったり叶ったりだ。許されるのなら、どうしても確認したいことがあったのだ。この話の中できっと見えてくるだろう。
頷いてみせると、ナディアは微笑み頭を深く下げてから語り出す。
「かつて紅竜同盟は世界最強の軍事力を有していました。私は次代の代表を任される者として、物心が付く前から、身に余る力を与えられました。つまり私の生きた時間は、余すことなく世界に影響を及ぼし得たのです。しかし今の今まで私は……何も成し遂げられませんでした」
ナディアは一旦言葉を区切って、両手を広げて辺りを見るように促してくる。ここは玉座の間のはず。それなのに今は2人しかいない。ナディアとレヴィの2人しか。だからなのだろう。とても広々としていて、酷く閑散としていると思った。
「ここはもっと賑わっていました。ところ狭しと、誇らしい武勇を語る英雄たちがおりました。いわば世界の希望が集う場所だったのです。しかし今はどうでしょう。もはや誰も残っておりません。これが私の成した結果なのです」
それは違うと言い欠けた。だって、あんな戦い慣れていない竜人ですら、死ぬとわかっていながらしがみ付いてでも止めて来たんだ。前線に出るような戦士はもっと強い思いを抱いているだろう。ここが殺風景なのは俺のせい。魔王という存在がいるためだ。
そう言おうとしたのだが、ナディアの目を見て思い留まってしまう。そういう話ではないのだと訴えられているような気がしたから。
「どれだけ力を持とうとも、世界はこんなにも思い通りになりません。教えてください、魔王様。こんな世界で、一体何を成すおつもりですか?」
こんな世界。その一言に、ナディアの思いが、本当の気持ちが込められている気がした。
彼女の成そうとしたことは、敵である俺ですら、後々まで語り継がれるに違いないと思えるほどだった。それを同胞たちに阻まれたことを思えば、いかに聖人に見える彼女であろうとも、毒を吐きたくなるのは仕方ないだろう。やるせなく感じて当然だ。彼女だって俺たちと同じく生きているのだから。
「何を……か、難しい話だ」
本当に難しいよ。世界なんて、誰か1人にどうこうできるものじゃない。出る杭は打たれるし、少数派は弾圧される。そんな弱肉強食の世界なのに、強者でさえ、思い通りになることはそう多くない。ドミニオンズ時代、嫌というほど痛感させられたからよくわかる。
よくわかる、か。本当にそうなのか、と、ふと疑問を持つ。確かに悔しくて泣いたことはあるし、思わず物に当たったこともあった。でも土俵が違い過ぎるじゃないか。俺がやろうとしたのは、俺自身のワガママと取られてもおかしくないこと。でもナディアの成そうとしたことは世界の救済。わかる、なんてよく言えたものだ。
「残念ながら俺は、はっきり言って王の器は持っていないと思う。だから、そんな俺の拙い理想を語る前に、参考までに聞かせてくれないか。ナディアは……一体何を望んだのか」
ナディアは生まれながらにして王になることを強いられた。正確には王ではなく代表なんだろうが、神と崇められるのだから、同じようなものだろう。そんな言葉遊びはともかくとして、気になる。和平交渉まで取り付けて、俺がうんと頷きかけるところまで持っていきながら、同胞たちの動向に合わせてすぐに手のひらを返された。はっきり言えばショックだった。だからこそ知りたい。その胸の内を。彼女自身が、本当はどうありたかったのかを。
「私は……剣になりたかった。例えまた絶望的な惨劇が起こったとしても、紅竜同盟がある。それが心の拠り所となり、今を明日へと繋げる力が少しでも高まればと、そう、願っていました」
剣に。それじゃあ、俺との戦いは避けられなかったとでも言うのか。それはない。それはないはずだ。だってナディアなんだぞ、和平交渉を持ちかけたのは。
そこまで考えて、あ、と気付く。剣。それは道具ではないか、と。どれほど強力な武器も、担い手次第でどうとでもなってしまう。そういう意味も込められているのだろうか。
「……でもさ、手を取り合えたんじゃないのか?」
「ふふ、そうでしたね。貴方は和平交渉に快く応じてくださいました。その差し伸べてくださった手を……どれほど握り返したかったか」
「それなら……どうして?」
道具なんて言わせない。ナディアは自分自身の意思で、俺とわかり合うために動いていた。ではどうして、なぜナーガたちを罰して和平交渉をやり直してくれなかったのか。礼儀知らずかもしれない。一度決裂した交渉をやり直すなど、普通はできないのかもしれない。でもさ、俺は絶対に受け入れた。ナディアが来てくれないのなら、こっちから出向いてもいいくらいだった。それなのに、返って来たのは戦争をしましょうという返事。
「どうして……また来てくれなかった? 俺は待っていたんだ。手を取り合えるなら、その方がどれだけ良かったか」
「私は紅竜同盟の代表です。それ以上でも、それ以下でもありません。代表とは、皆の総意の体現者。断じて王ではありませんから、あの場はもうどうしようもなかったのです」
「それは逃げだ。代表者なんて言いながら、神と呼ばれているだろうが」
思わず言葉を荒げてしまったが、ナディアは少しだけ驚いたような目をすると、すぐに元の表情へ戻る。そして教え諭すような優しい口調で答えてくれる。
「何が正解なのか決め付ける権利は、例え私が王だったとしても持ちえませんよ。魔王様がどう思われるかわかりませんが、私はローレンのことも好いておりましたから」
好いていた、あんな奴をか。聞き間違いかと焦ったが、どうやら本当にそう口にしたらしい。隣にいるレヴィまでも驚いてナディアの方を向いている。そうだよな、あんな最大級の戦犯野郎を、どうして好きでいられるものか。そもそも、あんな独断専行をするような奴を隊長クラスに据えておくこと自体が間違いだったろうに。
「彼のような力は無くてはなりませんでした。悲しみに暮れてばかりの同胞たちを叱咤激励し、自ら先頭に立ち、ここまで引っ張ってくれたのです。彼がいたからこそ、私たちはここまで急速に立ち直れたと言っても過言ではありません。誇りでした。誇りだったのです……もっとも、その果てにあのように権力に固執してしまって、少しばかり寂しくはありましたが。知らなかったでしょう? いえ、仮に知ることができたとしても、知りたいとすら思わなかったでしょう?」
「それは……凄く驚かされたが、まぁ、わからなくもない。だけど、だから何だって言うんだ? 今回のローレンの判断は間違いと言えないとでも?」
「いいえ、そうではありません。そうですね……例えば、私が強引に和平交渉を進めたら、どうなっていたと思いますか?」
そりゃあ、こんな戦争は起こらなかっただろうな。今回は死者こそ出していないものの、多少の怪我を負う者はいるだろう。それに食料や物資を浪費してしまっている。それらの犠牲を払わなくて済んだはずなのだ。
「魔王様の想像はきっと当たっています。しかし、それは些か視野が狭いでしょうね」
「視野が狭い……? どういう意味だ?」
「魔王様を脅威に感じればこそ、ローレンは強硬に主張していたのでしょう、戦争しかないのだと。そんな彼らの思いに蓋をして成り立つ和平条約……果たして、どれほどの効力があると思いますか?」
「それは……魔王と竜神様の太鼓判が押されているんだから、納得するしかないんじゃないか?」
「無理に納得させられた条約……それで黙るはずがありません。世界の平和を強く願い、また、それを成しうる力を持っているのなら。魔王様、心当たりはありませんか?」
無い、とは言えなかった。俺は抗った。魔王と蔑まれながらも抗ったから、ウロボロスたちと一緒にいられるんじゃないか。馬鹿か、俺は。俺自身がそうなのに、どうして他人なら納得するなんて思えるんだ。
「人は皆、違うのです。生まれつき力の強い者、賢い者、周囲に恵まれた者などにばかり目が行きがちですが……私は知っています。誰もが何かを思い、日々努力を積み重ねていると。各々に様々な程度の差はあるでしょう。もしかしたら、全てにおいて劣る者もいるかもしれません。しかし、だから何なのですか? 誰も、自ら不幸を望むはずがありません。明日を、より良い未来を求め、自分なりに最善と信じた道を突き進んでいる。その歩みを守り、まとめ、代弁する。それが代表なのです」
「……でも、それで開戦してしまったら……生きたいと願う人たちの思いはどうなる?」
「はい。それが懸念していたことでした。だからこそ、代表という立場を蔑ろにしてでも私なりに動きましたが……ふふ、本当に、同胞たちの力は私の予想の遥か上をいってくれますね」
そうか、そうだったんだ。代表という立場に苦しめられて、それでも足掻いて、人々の命と意思、その全てを守ろうとしたんだ。ナディアの戦っていた相手は俺ではなく、この世界そのものとでも言おうか。土俵が違うなんてレベルじゃない。次元が違う。世界が違う。見ているもの、考えていること、そのどれもこれもが全く異質。ズレていた。同じものを見ているつもりになっていただけだった。
「じゃあ、これからどうするつもりだ?」
「決まっています。我らにはあの大災厄をはね除ける力は無いと、世界に知られてしまいました。そして今また、魔王様に負けようとしています。全く新しい希望が生まれなくては、この荒れた世界は落ち着かないでしょう。それこそ、今のすがるしかない仮初めの希望が、手も足も出ないほど粉々に砕かれる程に明確であるべきです。この戦は、その証明にもなります」
まさか、だから戦争を容認したとでも言うんじゃないだろうな。それじゃあまるで国を挙げた心中。竜人たちの命や意思を見捨てることになるんじゃないのか。
「自ら踏み台になろうって言うのか?」
「彼らの意思の果てにある結末は結局のところ変わりません。しかし、この世界は別です。他種族の未来をも思えば、私たちに残された道は、古き時代に幕を引くことでしょう。この戦にかけた私の願いはそれだけです」
他種族のことも、だって。まさか、竜人だけに留まらないのか、ナディアが守ろうとしたものは。それはもう、彼女の代表としての立場を越えた願いではないか。そうか、そう言っていたな。紅竜同盟がある。それが心の拠り所になれば、と。なんて奴だ。本当に少女なのか、ナディアは。今、心から理解できた。竜人たちがあれほど慕う理由が。わかるよ。俺もわかる。こんな人になら、命をかけて仕えたくなる。
「さて、こちらの腹の内は包み隠さずお伝えしました。魔王様、次は貴方様の思いをお聞かせ願えますか?」
一方で、これまでの俺は屑だった。アデルの時もそう。ひょっとすると、ローレンの件もそう。ただその場、その場に流されただけなのかもしれない。そうとしか思えない。ナディアの覚悟を聞いた後では。
そうやってここまで来た俺に、ナディアのような崇高な理念を語る資格は、本当は無いのかもしれない。
「……本当に駄目だな、俺は」
ふと、自分の行動を振り返ってみて、改めて理解する。なんて自己中心的だったろう。一時の感情に流されて、大した思いも無く、人の気持ちを踏みにじるだけだった。
「ウロボロス……聞かせてくれないか」
卑怯とわかりながらも、自分自身の背中を押すために、隣のウロボロスを見る。するとどうだろう。待っていましたと言うように、ニコリと笑い、幸せそうな笑顔を浮かべて肩に頭を預けてきた。これだけで強く確信を持てるほどであるが、それでも、つい聞いてしまう。
「お前は……幸せか?」
「はい。我が君と出会えて、共にあれて……私は世界一の幸せ者です」
「そうか……安心した」
俺のやってきたことは、リアルでも、そしてここでも、たくさんの人の興を削いだだろう。悲しませただろう。それでもウロボロスの笑顔を見ていれば、少なくとも間違いなんかじゃない。そう胸を張って言える。皆の笑顔こそ俺が魔王になった理由だから。俺がこれまで歩んできて、そしてこれからも突き進むべき道はこれなのだと、胸を張って言おう。
「笑ってくれてもいい。誰も一方的に虐げられず、弱いからと見捨てられない。そんな世界に俺はしたい」
「ふ……ふざけんじゃないわよ!」
これまで黙っていたレヴィが、激昂して割って入って来る。当然だ。そうされるだけのことを俺はしてきたって、今ならよくわかるから。甘んじて受け入れよう。その罵言雑言を。
「あんた、何様のつもり!? これだけ圧倒的な戦力差を見せ付けたあんたが……よりにもよって、そんなことを言う!? メグが……ナーガが……どんな気持ちで出陣したと思っているのよ!?」
「……矛盾しているように聞こえるか?」
「当たり前じゃない! 力でねじ伏せてきただけのあんたに、そんなことを言う資格は無い!」
資格はない、か。酷い言われようだ。でもその通りだ。全くその通りだよ。我ながら矛盾していると思っているから。そもそも俺が目指したのは王じゃないんだ。目の前で繰り広げられる悲劇が見過ごせない。ただそれだけだった。だがそんな言い訳を言っても何にもならない。ならないが、これだけは言い返させて貰おうと思う。
「……いつの時代、どんな世界でも、力ある者が常に正義だ。弱い犬ほどよく吠えると言うが、俺に力が無ければまさにその状態。結局は誰も救えない。ウロボロスも、皆も、面白おかしく殺されていた。お前だって、俺が弱ければ一方的に蹂躙したんじゃないのか?」
「はぁ!? そんな訳ないじゃない! 勝手に決め付けないでくれる!?」
「決め付けもするさ。戦争を仕かけてきたのはそっち。止められなかったのもそっち。これで負けていたら、お前ら、俺たちをどうした? 殺しただろ? こうして、ナディアと話をすることもできなかっただろうさ」
でも、誰かが悪いって訳じゃない。この世界のシステムがそうなんだ。弱肉強食。石器時代はおろか、人が人になる前から脈々と受け継がれてきた生物のメカニズムだ。弱者の言い分など通用しない。耳も傾けられない。当然、命乞いですら聞き流される。だからこそ俺はあえて声を大にして言おう。強者で良かったと。こうして面と向かってナディアと話ができて、自分自身を見付けることができたんだから。
「それは……ローレンの奴が……!」
「あぁ、そうかよ。これならローレンの方がよっぽどマシだ。そうやって、責任転嫁していれば綺麗でいられるんだからな。逃げるなよ、自分の犯した罪から」
それは自分にも言えることだ。この世界に首を突っ込み、かき回した以上、知らん顔はもうできない。俺の目の前だけを、なんて、甘えたことは言えなくなった。だから来たんだ。ここに来れば、きっと大切な一歩目を踏み出せると信じて。
「その通りです、レヴィ。魔王様の仰ることは正しい。えぇ、全く反論の余地はありませんよ」
「でも、ナディア! こいつのせいで私たちは……!」
「私たちは争う道を取りました。そこには必ず勝者と敗者が生まれます。私たちに文句を言う資格はありません」
レヴィもそれはわかっているんだろう。悔しそうにこちらを睨み付けるだけで、もう何も言ってはこなかった。今にも噛みつきそうな勢いではあるが。だから口には出さないが、せめて心の中で謝罪して宣言する。俺はこれから、その矛盾にケリを着けると。
「さて、魔王様。ご存知の通り、何かを成すには力が要ります。正しき統制、正しき治世。なるほど、言うのは簡単です。しかし正しさとは何かと問われれば、民衆が納得するかどうか。その根底にあるのは、定めし者の力に依ります。そのため、この戦いの勝者は王として君臨せざるを得ないでしょう」
「そうか……覚悟はしていたつもりだけど、やっぱり、嫌な世界だな」
「えぇ、本当に」
2人で失笑し、話は終わる。残されたのは結末のみ。そう思ったのだが、レヴィは納得がいかないと、槍を構えて立ち塞がる。立ち塞がる、だって。そんな悠長な話でもなかった。ナディアが止める間もなく突進して来たのだ。
「ナディアが殺されるくらいなら――!」
「――不粋な真似を」
しかしそれは、ウロボロスによって防がれる。魔法もスキルも、武器すら使わない。素手で槍の刃を弾く。たったそれだけの防御行動だが、ステータスの差は段違いだ。レヴィは余程強く槍を握り込んでいたらしく、大規模魔法でも食らったように槍共々吹き飛んだ。
「あ……ぐぅ……」
壁に大穴が空く程の衝撃に、レヴィは吐血し倒れ込む。起き上がらない。しかし諦めはしないようで、這いずって槍に手を伸ばす。無情にももうポッキリと折れてしまっている槍へと。
こいつはたった1人、ナディアの側に残っている。最も信頼されているのだろう。それに応えようという執念も凄まじいのだろう。きっと、俺なんかじゃ想像もつかない程に研鑽を積んでいるはずだ。それがなんだ、このあり様は。まるで羽虫でも追い払うように、あっさりと勝敗が決した。
「ナディア……馬鹿……じゃないの……。そいつは魔王……汚い手段を……取るかも」
ナディアはこちらには目もくれず、レヴィの所へ走る。そして破片が散らばる床にしゃがみ込むと、血でドレスを汚すのも気にせず、その体を抱き締めた。
「なに……背中……見せてんのよ……」
「大丈夫です。大丈夫ですから」
まるで赤子に聞かせるように、優しく、穏やかにナディアは繰り返す。やがてレヴィも落ち着いてきたのか、それとも勝機が無いと悟ったのか、表情が柔らかく、そして悲しげになっていった。
「お願い……魔王様……」
レヴィはナディアを押し退けるようにして、こちらを見つめてくる。懇願される。悪いのはこちらだというのに、
「ナディアを……どうか……殺さないで」
そう言い残して、気を失った。自分自身の命については一切触れず、ただナディアを助けて欲しいと、終始それしか言っていない。
なるほどな、と思った。俺はやはり魔王だ。こうすることしか知らない存在なんだ。力でねじ伏せていくんだろう。これから先もきっと。まさに邪道。王道ではない。懺悔はしよう。後悔もしよう。でも、立ち止まることは二度とない。あってはならない。
「ウロボロス、何としても助けてやってくれ。どのアイテムも魔法もスキルも、好きに使ってくれて構わない」
「畏まりました。必ずや、ご期待に沿ってみせましょう」
レヴィは大丈夫だ。この世界には過ぎた俺たちの技術があれば、例え髪の毛一すら残っていなかったとしても救える。命だけは助けられる。
問題があるとすればその先だろうな。叶わないと知りながら、でも、それが目指すものだからこそ願ってしまう。この戦いが最後の蹂躙になって欲しいと。こんな光景は二度とごめんだ。
「お待ちくださいませ、我が君」
ウロボロスがギュッと、俺の手を握り締めてくる。その瞳には手に負けないくらい強い力が宿っていて、一瞬、怒られるのではないかと恐くなってしまった程だ。仕方ない話なのかもしれない。ウロボロスは俺の安全を何よりも第一に考え、俺を単身ではどこへも行かせてくれなかったから。
「本当ならば付き従い、御身をお守りしたいところではありますが……今に限っては無粋というものでしょう」
「……は、え?」
聞き間違いじゃないかと疑ったが、どうやらそうではないらしい。手を離されると、膝まずいて頭を下げられる。
「ご武運をお祈り致します。いってらっしゃいませ」
「ウロボロス……あぁ、行って来る」
嬉しい。素直にそう思った。認めてくれたような気がしたから。俺の魔王として進みたい道を、他でもないウロボロスが。だったら、やはりもう迷う必要はない。正々堂々と俺の目指す道を突き進ませて貰おう。
「参りましょうか、魔王様。この世界に知らしめましょう。新たな時代の幕開けを」
「あぁ……行くか。大将戦だ」
まずは終わらせよう。この戦いを。全てはこの勝敗から始まるから。俺はナディアと一緒に外へと向かって歩き出した。




