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魔王と配下の英雄譚  作者: るちぇ。
第2章 暁の竜神
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第22話「ナディアの本音」

 全部隊が敗走した。その事実は瞬く間に、戦争に赴かなかった高官たちにも伝えられる。彼らは負けるなど微塵も思っておらず、前祝いと称して宴を開いている始末だった。そんな最中の出来事だ。初めは何の冗談かと笑ったが、通信兵の怯えきった態度に加えて戦場の映像が送られ、否定しようのない現実と直面する。


「こ……これは……夢か?」

「嘘だろう……そうに違いない。そうでなければ説明が付かない……」


 それでもなお理解できない者も多く、如何に自分たちの能力を過大評価していたのか、また慢心し切っていたのかがよく表れていた。

 これを受けて、ナディアが緊急の会議を開くと決定した。それを伝えに来たレヴィは醜い豚共を見て吐き気すら覚える。しかしこの一大事。更にナディアからのお願いを聞かない訳にもいかない。レヴィは肥溜めに身を投じる思いで、彼らの前へと進み出る。


「な、何だお前は! この有事になぜこのような所にいる!?」

「そ、そうだ! 兵ならば前線に出て敵を討ち取って来るのが義務だろう!?」


 鼻息を荒くして詰め寄る老害たちに、レヴィは抜刀しそうになるのを堪える。こんな奴らでも、ナディアは気にかけている。その思いを踏みにじることだけはできないと、唇から血を流す程に噛み締めて耐えた。


「……ナディア様の命令を伝えます。直ちに玉座の間へ来るように」


 これ以上は無理。殺してしまいかねない。そんな感情に身を委ねてしまう前にと、レヴィは足早に部屋を出て行く。初めは歩いていたが、次第に早足になり、終いには脇目も振らずに走り去る。誰もいない。ナディアの暮らす神殿だというのに、ここにはもう誰もいない。閑散としていて、それがまた悲しくて、悔しくて、遂にレヴィは泣き崩れた。


「こんなの……無いよ」


 廊下の壁に拳を打ち付け、それでも足りずに頭もぶつける。ナディアやメグ、ナーガたちがあんなにも苦心して、それでもこの負け戦に出向くしかなかった。それなのに、こちらの言い分を聞きもせず開戦を強要したあいつらは、暢気に飲んだくれているなんて。


「あんな屑共に……皆の気持ちが弄ばれるなんて……!」


 ナディアは口々に言っていた。竜人は互いに助け合う誇り高き種族だと。どこに敬うところがあるのか。これならば、まだ自分の発言に責任を持って、自ら前線に出たローレンの方がマシではないか。


「腐っている……! 紅竜同盟はもう……!」


 滅びてしまえ。そう口にする直前、レヴィは肩を優しく叩かれる。振り返ると、そこにはナディアが立っていた。いつから聞いていたのか知らないが、その目は微かに悲しげで、でもその表情には一切の感情が無い。長く公私共に付き合ってきたレヴィだからこそわかる、極僅かな変化であった。


「余りにも戻らないので心配しましたよ。さぁ、行きましょう」

「行くって……どこに?」

「玉座の間に決まっているではありませんか」


 もう大半は聞かれてしまっているだろう。それでも、レヴィは自分の気持ちをぶちまけるのが躊躇われた。こんな状況でも、ナディアはまだ務めを果たそうとしているのだから。しかし、しかしだ。あんな奴らとまた顔を合わせるなんて、いくらナディアの頼みでも到底聞けるものではない。どう断ろうか。自然と、反射的に考え出してしまう。


「どうか隣にいてください、レヴィ。私には貴女が必要です」


 驚くほどわかりやすいくらい顔に出ていたのだろう。何か言い返す前に先回りされて、他でもないナディアからお願いされては、レヴィも観念せざるを得ない。それに冷静になって考えてみれば、こんな時にナディアを1人にしておくなんて、死んでも後悔してもし切れないだろう。結局は、どう転んでも付いて行くしかないのだ。


「……わかっている。そんなこと、言われなくても」


 レヴィは乱暴に目を擦りながら立ち上がる。その時、袖に血が付着したのに気付いた。額から血が垂れているらしい。さっき壁へ叩き付けたためだろう。触った感覚だとそこまで深くはないが、切れているようだった。これなら放置しても問題はあるまいとして、むしろ溢れそうになる涙の方を隠しながら、レヴィはナディアの後を追った。

 玉座の間には既に高官たちが集まっていた。普段の澄まし顔はどこへやら、誰もが額に冷や汗をかき、それを拭う余裕も無さそうに震え上がっていた。


「やっと来たな、親衛隊!」

「遅いぞ! この一大事に我らを待たせるとは何事か!?」

「ナディア様が……お見えになりました」


 レヴィは湧き上がる怒りや悲しみを精一杯に胸の内にしまい込み、努めて平然を装いながら役目を果たそうとする。何もできることはないけど、せめて傍にはいてあげたいから。だから、至って平然としたようなナディアの横顔から目を背けずに、しっかりと見据えて、皆の前へと行かせた。


「皆、よく集まってくれました。既に知っていると思いますが、全部隊が壊滅しました。ここも間もなく攻め込まれるでしょう」

「何か……何か手は無いのですか?!」

「そうだ、リリス様に助力を請うべきです! ナディア様が要請されれば無視はできないはず!」


 この期に及んでも、いや、むしろこんな状況になったからこそ、彼らはナディアの言葉を遮って好きなように言い始める。あぁしろ、こうしろと、好き放題に。しかしどれもこれも現実的ではない。中にはナディアの魔法で辺り一帯を焦土にしろ、なんて物騒な意見まで飛び出す始末だ。その中で、比較的まだまともなものに対してのみ、ナディアは淡々と返答していく。


「リリス様からの援軍が到着するよりも早く、ここは落とされるでしょう」


 ナディアがそれらに回答を終えると、高官たちは項垂れた。彼らは基本的に賢い。取り乱して適当なことを言ってしまっただけで、諭されれば、すぐにどれもこれも無理だと理解できる。しかし、それでは何も変わらない。このままでは結局のところ座して死を待つだけである。死を恐れ、高官たちはナディアへ縋るようにして尋ねる。


「では、どうされるおつもりか?」

「そ……そうですぞ。この戦の責任を取って頂かねばなりません」


 レヴィは耳を疑った。今、こいつらは何と言った。聞き間違いに違いないじゃなければ、責任はナディアにあると言いやがった。どの口がそんな妄言を吐けるものか。あり得ない。許せない。いや、許してはならない。でも耐えなくては。まだ、ナディアは頑張っているのだから、それを邪魔するのだけは駄目。レヴィは胸の中に湧いてくる様々な感情を必死に押し込むので精一杯になっていく。


「皆さんは直ちに民を連れて本国へ向かってください。恐らく狙いは私だけのはずですから、逃げ延びる時間くらいは稼いでみせましょう」

「そんな保証がどこにあるのです!?」

「第一、由緒正しい紅竜同盟が敗れるなどあってはなりません!」

「ナディア様には我々を守る義務があるはずですぞ!?」


 ナディアの横顔はまだ、いや、きっとずっと変わらないだろう。これだけ理不尽なことを言われようとも、代表としての役割を全うしようとしているのだから。でもレヴィだけは気付いていた。その目は、とても、とても悲しそうだということに。


「あんたたちは……」


 それが決定打。抑圧していた感情が決壊する。ここで与えられた役割を演じるだけなら、ナディアが苦しんでいるのを見て見ぬ振りをするくらいなら。そして何より、こんな世界で生き続けることに甘んじるくらいなら、せめて、ナディアのために一矢は報いたい。その結果、ここで無意味に殺されようとも構わない。そんな理性も恐怖も超越したレヴィの願いは、その口と足とを自然に動かした。


「退け、親衛隊風情が!」

「我らはナディア様と大切な話をしている!」


 レヴィが前へ移動すると、たちまち罵られる。これには流石のナディアも呆気に取られたのだろうか。直ちには止められなかった。お陰でレヴィは前にのみ集中すれば良くて、臆することなく、胸の内をぶちまける。


「言いたいことはそれだけ……? この悪魔共がっ!!」


 その一喝は室内を大きく揺らす程で、額に青筋を立てていた高官たちですら一瞬怯む。その隙を見逃さず、レヴィは捲し立てる。


「ナディアがどんな思いでいたのかも知らずに好き勝手やって、ここまできてから責任転嫁!? 誰が戦争を望んだのよ!?」

「わ……我々に向かって何たる言い草だ!?」

「あんたらこそ、ナディアを何だと思っているのよ!? 代表なんでしょ!? あんたらの竜神なんでしょ!? それなのに、どうしてナディアの気持ちを察してくれないのよ! あんたらみたいな自己中心的な奴は消えろ!」


 高官たちを護衛する兵たちは、レヴィを取り囲むようにして動き出す。剣を抜き、指示があればいつでも斬りかかれる状態になる。それに対し、レヴィもまた槍を取り出して構える。まさに一触即発の状況となってしまう。


「皆、剣と怒りとを収めなさい」


 大変に混乱した状況の中、ナディアの凛とした声が響く。叫んだ訳ではない。特別、声色を変えた訳でもない。普通に一言、そう口にしただけ。たったそれだけで、高官も、護衛の兵たちも、怒りで我を忘れたレヴィでさえも少しだけ冷静になって耳を傾けてしまう。


「私たちは敗北しました。この事実、しかと受け止めなくてはなりません。しかし今最も大切なのは、責任の所在ではなく民の命。それには勿論、貴方たちも含まれています。私は殺されるでしょう。しかし、竜人が滅亡することだけは何としても避けてください。各々の命を明日へ繋げるために行動すること。それが、私からの最後のお願いです」


 何かが落下する音がする。剣だ。まず、護衛の兵たちが泣き出した。次に高官たちが床に伏し、はばかることなく大声で泣き始める。彼らは竜人だ。紅竜同盟の一員だ。例えどれだけ性根が腐ってしまっても、栄光ある歴史を背負って立っていた自負だけは忘れていなかったのだ。だからこそ、紅竜同盟が滅亡するなど認められず、また差し迫る危機を直視できなかった。そんな自身の愚かさをようやく、正しく認識できたのである。


「忘れないでください」


 ナディアはこうなると信じていた。いや、知っていたという方が正しいだろう。口々に言っていた、竜人は決して隣人を裏切らず、互いに助け合える誇り高き種族、とはこういう意味なのだから。例え道を少しばかり踏み外してしまったとしても、必ず戻って来られると知っていたから。


「竜人は決して隣人を裏切らず、互いに助け合える誇り高き種族です。貴方たちは間違いなく竜人なのだと、私はいつまでも信じておりますよ。さぁ、行きなさい。そして生きるのです」


 そこまで言われては黙っていられるはずもない者もいる。いるのだが、ナディアは絶対にそれを認めない。許さない。そう言っているような厳しい目を皆に向けてから、さっさと踵を返して立ち去って行く。一般の竜人はおろか、隊長クラスの者ですら立ち入ることを許されない場所へと。


「ナディア、ちょっと待って――!」


 その後を追う者はレヴィだけであった。竜人であることを捨てきれない彼らに、その神聖な領域へ上がり込むことはできなかったから。

 2人は自然と縮こまってしまうような厳粛な雰囲気の場所を訪れていた。そこはお墓。歴代の竜神たちが眠る霊廟である。初代竜神を型取ったとされる深紅の像が奉られていた。

 ここは何人たりとも立ち入ることを許されない。唯一例外なのは現竜神だけであり、ここだけは親衛隊の隊長ですら足を踏み入れてはならない領域である。だが、今は全てにおける最後。だからこそ、ナディアはレヴィを伴って堂々とやって来たのだった。


「報告が御座います、先代の竜神様」


 ナディアは神に祈りを捧げるようにして、両手を胸の前で合わせ、目を閉じ、頭を垂れる。本来、祈りとは心の中で唱えるものだろう。口にしてはいけないという決まりは無いが、神に聞いて貰いたい程の胸中を誰彼に聞かれるのは気恥ずかしいもの。それでもナディアはしっかりと口にする。


「私の力及ばず、脈々と受け継がれてきた紅竜同盟は今日、滅亡してしまいます。ただ恥じることは無いと確信しております。これから始まる最後の戦いは世界再生の第一歩になると、誠に勝手ながら信じることにしました。どうか見守ってください。私の選択に、竜人に、そして世界に、どうか祝福をお与えください」


 そう言ってナディアはじっと動かなくなる。どれくらいそうしていただろう。その余りの真剣さに、そのまま果てたのではないかと心配して、レヴィは声をかけてしまう。


「大丈夫なの、ナディア?」

「ありがとうございます、レヴィ。私なら大丈夫ですよ」


 全く大丈夫には見えなかったが、それでもナディアは笑顔を浮かべて見せた。明らかに無理をしている。そもそもここに呼んだのだって、こうして祈りを利かせてくれたのだって、明確な助けを求めている証拠だ。それくらい、レヴィはすぐに察している。だが、しかし。ナディアはそれ以上何も言わない。言おうとしない。


「さて、後はただ待つだけですね。最後ですから、ゆっくりとお茶でもしましょうか?」


 あろうことか、こんな時でも平静を装ってお茶まで勧められる。明らかに気遣われたとわかる余計な好意だった。助けを欲しているのに、それでもなおこちらを気にかけてくれる。屈辱的で、突き放されたとしか思えなくて、レヴィは気が付くと胸倉を掴み上げていた。


「こんな大事な時くらい頼れないの、あんたは! 何のために私はいるのよ!?」

「たくさん支えられていますよ。いつもありがとうございました」

「ありがとう……ございました……? 馬鹿なことを言ってんじゃないわよ!」


 これではまるでお別れではないか。お別れ。そう、それはもう避けられない未来。これから死ぬのだ、ナディアは。それなのに、こんな時ですらお礼を言われたんじゃ溜まったものではない。聞かせて欲しい。その思いを。最期ならば、せめて今くらいは、と。そんな掴み上げたままのレヴィの手に、そっと手が重なる。


「これから始まるのは戦いであって、戦いではありません。まさに児戯……しかもその最後のページです。赤子が大人に敵わぬように、結末はわかり切っています」

「な……なに勝手にわかりきった風でいるのよ!」


 怒鳴ったはいいものの、次の言葉が出て来なくて、レヴィは言い淀んでしまう。ナディアは本心を滅多に口にしない。話さないと決めたら、例え梃子でも口を割らないだろう。だからわからない。今以上に、その思いを聞きたい時は無いはずなのに、その方法がわからない。それならばと、レヴィは思いの丈をそのまま言葉にして叩き付けることにした。こんな悲しい気持ちになんて耐えられないから。せめてそれくらいはわかってくれと、そういう願いを込めて。


「私は……! 私はね、あの日からずーっと変わらず、あんたのために生きているようなものなの! だから……無理でも何でも守り通すから!」


 あの日、それについて語るためには、2人の出会いまで遡る。

 かつてレヴィは見た。竜神祭に出ていたナディアが、余りに綺麗なドレスを着ていたのを。平民出身だったため、自分も、もっと裕福な生活をしたいと憧れた。でもお金がなくて、だからといって諦められなくて、まずは裕福な生活に触れてみたいと、侍女として働き始めたのだった。


「……こんなもの、なの?」


 働いてすぐに幻滅する。優雅なのは外出時だけで、普段はさして豪華な食事ではなく、綺麗な格好をしている訳でもなかったから。その理由を問わずにはいられなかったレヴィは、無礼とは知りつつ直接ナディアへ聞いてしまう。


「あの、ナディア様。どうしてもっと贅沢な暮らしをしないんですか? 王女様なんでしょ?」


 ナディアはきょとんとした顔をする。心底不思議そうにしながら、こんな風に答えた。


「私は十分、贅沢をさせて頂いておりますが?」

「でも、外出されている時と今とじゃ、全然違うじゃないですか」

「……あぁ、そういうことでしたか。皆さんのお金で生かされているのですから、衣食住があるだけで十分なのですよ」

「でも、お姫様なんだから当たり前でしょ?」

「当たり前でも、感謝を忘れてはなりません。私は1人では生きられないのですから」


 レヴィはまたしても幻滅した。ナディアという王女に、そして王家そのものに。実際には代表の家系なのだが、そんなことは関係ない。王と代表の違いなどほぼ無いと、この頃は思っていたから。とにかく、上に立つ者ですらこんなものなのかと思い至ってしまい、


「つまらない生き方ですね」


 そう言い返してしまう。他の誰かに聞かれたら処刑されても文句の言えない発言だ。

この時、レヴィは絶望していた。この世界におとぎ話のような優雅な世界など無かったと知ってしまったから。もう生きていてもつまらないだけ。そんな風に、命を投げ捨ててもいいかな、なんて考えもしていた。

 そんな自暴自棄になっているレヴィに対して、ナディアはニコリと笑う。


「平穏無事以上に、私たちが望むものはありませんよ」

「はぁ? もっとあるでしょ? 私たち、女の子なんだから」

「そうですね……そうなのかもしれませんね。もしよろしければ、貴女が思い描く理想的な世界について聞かせて頂けないでしょうか?」

「ふん……別にいいけど」


 それから何度もぶつかって、その度に懇切丁寧に対応するナディア。決して怒らず、優しく、大らかで、次第にレヴィは劣等感を強めていく。自分が如何に幼稚で、青かったのかと痛感していく。やがてそれは爆発し、遂には辞表を提出した。今まさに去ろうという時、ナディアが待ったをかける。


「待ってください、レヴィ」

「何ですか? 私はもう辞めたんです。声をかけてくださる必要はありませんよ」

「そうはいきません。貴女を行かせたくありませんから」


 いつも余裕そうで、自分よりも何もかも優れたナディアが切羽詰まっている。そんな微かに覚えた違和感を、レヴィはあり得ないと切り捨てた。ナディアは次の代表だ。慕う者、従う者は数知れない。死ねと命じれば喜んで死ぬ者もいるかもしれない。そんな雲の上の人が、こんなワガママで、不愛想で、突っかかってばかりの自分を本心から引き留めるなんて、彼女にとってはあり得ないことに思えてならなかった。


「なぜですか? 私はナディア様より何もかも劣っているんです。もっと優秀な者を雇えばいいじゃないですか」

「貴女は優秀ですよ。私を助けてくれたではありませんか」

「助ける? そんなこともありましたっけ。でも、それは仕事だからやったんです」


 早くどこかへ行って欲しくて冷たくあしらっているのに、ナディアはくすりと笑う。レヴィには、その微笑みが、どうしようもなく喜ぶ本心を表しているように見えてならなかった。どうして、なぜ。こんなにも邪見に扱われて嬉しそうにするなんて、変人か、こいつは。そんな風に、失礼な考えすら抱いていた。


「ほら、また始まった」

「な、何がそんなにおかしいんですか!?」


 訳のわからないレヴィは、もう辞職したからと、いつも以上に遠慮無しに突っかかっている。一切お構いなしの乱暴な物言いだと、彼女自身ですら思っていた。

 それにも関わらずナディアはまた小さく笑うのだ。とても幸せそうにするのだ。だから聞いた。聞いてしまった。その思いを知れば、もう二度と辞職しようなどと思えなくなるのだと、この時は想像もしていなかったから。


「その何の裏も無く、真っ直ぐに向かってきてくださる……そんな貴女に、私は何度も救われましたよ」

「ば、馬鹿を言わないでください! 私は……こんなにも無礼で、無遠慮で……!」

「それが良いのです。心地よいのですよ」

「皆、あんなにペコペコと頭を下げてくれているじゃないですか! 私なんかと違って!」


 レヴィは理解に苦しんだ。不愉快な思いをさせない人たちが、黙っていても集まる。あれをやれ、これをやれと言えばはいはいと聞いて貰える。そんな理想的な人たちに囲まれているのに、なぜこんな自分を、と。


「そんな人には大概裏があります。お金、地位、子供の職の斡旋……嬉しいなんて思えませんよ」

「そんな……でも中には本当に優しい人もいるはずです!」

「えぇ、貴女がいてくれました」

「だから……!」


 これでは堂々巡りではないか。そう思いながらも、なおも反論しようとするレヴィだったが、強引に、聞き捨てならない言葉をねじ込まれて狼狽する。


「まだわかってくれませんか? 私は貴女を必要としているのです」

「私なんかが……そんなことは……」

「そろそろ怒りますよ? 大切な友人をなんか、などと卑下されては面白くありません」


 レヴィは心底驚いた。ナディアの表情は般若のようであり、どう見ても、心の底から怒っているのがわかったから。初めて見た。彼女が怒りを露わにしているところを。働いている中で、レヴィは何度もミスを犯した。彼女のお気に入りのカップを割ったこともあるし、大切なドレスに染みを付けたこともある。その度に仕事上の上司にはとても叱られはしたが、肝心の彼女はいつだって、笑って許してくれた。それはレヴィに限った話ではない。どんな人にだって、常に優しい物腰で接している。信じられるだろうか。そんな彼女がここまで怒っているのだ。


「……お、怒るんですね、ナディア様も」


 ただただ驚き、ようやっとそう聞いたレヴィだった。だがその本心は、果たしてそれだけだろうか。胸の中に、ほんのりとではあるが、決して無視できないくらい確かな温かい何かを感じていた。それがどんな感情なのか、まだ、当の本人は気付いていない。


「当たり前です。レヴィを馬鹿にされたのですから。大切な友を侮辱するのは辞めて欲しいものです」


 雲の上の人だと思っていた、生まれも育ちも環境も、何もかも。そんなナディアが、自分のために怒っている。そんな不条理が余りにもおかしくて、レヴィは噴き出してしまう。思い切り笑っていく内に、どんどん今の自分の感情を理解していく。嬉しいのだ。こんな自分を、ここまで真剣に思ってくれるのだから。


「……あーあ、何かもうどうでも良くなっちゃった。私、ただの馬鹿じゃない」

「えぇ、やっと自覚してくれましたか?」

「私ってばどうして辞表なんて出したんだろう。こんな人に仕えられるなんて、もう二度と……」

「それは、これのことですか?」


 ナディアは懐から、スッとボロボロの紙切れを取り出す。黒く焼け焦げており、もはや何だったのか判別も付かない状態だ。風に吹かれると崩壊していってしまう。焼き尽くされたのだ、辞表は。その暴挙にレヴィは目を丸くする。


「へ……へぇ……悪いことするね、ナディア様も」

「はい、貴女のお陰で冒険できました。これで憂いはありません。どうか、こらからもよろしくお願い致します」


 これが大きな転機となり、レヴィは二度と辞めるとは口にしなかった。優雅な暮らしに対する憧れを完全に捨て去ることはできないでいたが、それ以上に、ナディアのためにもっと働こうと、日々努力を積み重ねていくことになる。

 そうしてこれまで過ごしてきた2人だ。次第に唯一無二の親友になっていき、今に至る。


「あんたはどうしてそう……素直じゃないのよ! いっつも、いっつも! 最期だって、自分で言っていたじゃない! どうして他人ばっかり気にするのよ! たまには自分のためだけに、怒ったり、泣いたりして見せなさいよ!」


 ただ、レヴィはずっと昔から気にしていることがあった。ナディアは決して弱さを見せようとしないのだ。今この時でさえ、ナディアは心の内を吐露しない。振り返ってみれば、引き留められた時が最初で最後だったのかもしれない程に。

 包み隠されていないありのままの気持ちをぶつけられたナディアは、すっと目を細めると、瞳を潤わせながら曖昧に微笑む。


「不思議なものですね。私は……貴女にこんなにも思われて嬉しいはずなのですが……」


 言いかけて、いや、正確には感極まって言葉に詰まってしまい、ナディアはぐっと堪えるようにしてレヴィの目をじっと見つめた。震えていた。その肩も、足も、全身がガタガタと小刻みに。


「レヴィ、少しだけワガママに付き合ってください」


 そして、ナディアは抱き付いた。両手を背中に回し、顔をレヴィの胸に押し付ける。華奢な彼女からは想像も付かない程に、とても強い力が籠っていた。

 あぁそうかと、レヴィはようやく理解した。この飛び抜けたお人好しさんは、そういえば代表であり、竜神であった。友達なんていなくて、誰も彼もに頭を下げられて、与えられた役割を果たすべくして育てられた。そんな子が自分の感情を口にする術を知るはずがないじゃないか。ずっと傍にいながらそんなことにも気付かなかったなんて、自分はなんて馬鹿なんだろうと涙する。


「そういえば私……あんたの友達のはずなのに、手すら握ったこともなかったんだよね」


 自分の思いをわかってくれと思うんじゃなくて、ナディアを理解しようとしていれば、この震えに、この言えずに溜め込まれた感情に気付けていたのに。だからレヴィは謝ろうとした。


「ナディア、ごめ――」


 しかし止めた。ナディアの体が少しだけ強張ったのがわかったから。今必要なのは謝罪ではなくこう言い直す。


「ううん、いつも……いつも本当にありがとう」

「私こそ……いつもありがとうございます。願わくば……ずっと、ずっと一緒にいたかった………っ!」


 爆発音が遠くから聞こえる。恐らく魔王がやって来て、残った兵たちが交戦したのだろう。いつまでもこうしている訳にはいかない。どちらからともなく離れて、それでも名残惜しそうに顔を見合わせた。


「レヴィ……」


 ナディアは赤くなった目を隠すことなくはにかむ。レヴィもまた同じようなものだった。お互いに酷い面だ。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていて、涙で顔が腫れてしまっている。


「……やっとじゃん。あんたが弱いところを見せてくれたの」


 何となく気恥ずかしくなって、レヴィは少しだけ唇を尖らせながらそんなことを言ってしまう。しかしわかっていた。その言葉に込められた意味は、絶対にナディアに届くって。実際、彼女はきちんと察していた。


「……ふふ、随分と恥ずかしいことを平然と言いますね」

「強がんじゃないわよ、まったく」

「えぇ、お互いに……本当に、その通りです」


 そっと目尻を拭って2人は手を繋ぐ。そして霊廟を見上げた。確かな存在感を放つ初代竜神の像がじっと見下ろしている。

 遠くから剣戟の音がするものの、ここは本当に静かだ。2人は声高らかに宣言する。刻み付けるように。私たちはここにいたのだと、そうアピールするように。


「お父様、行って参ります。この負け戦、レヴィとならば臆することはありません。盛大に、滑稽に、私たちの生きた証を刻み付けて来ます」

「偉大なる先代の神々様、あんたらのご息女の事は任せなさい。何も確約なんてできないけど、せめて、最期まで傍に居続ける」


 答えは返って来ない。ここには誰もいやしない。ただ静かに竜神が見つめているだけだった。しかし、その言葉はとてもよく反響した。絶対に届いたと確信が持てるほど、よく響いた。だから届いただろう。そして祝福してくれるだろう。2人は確かな力が宿ったことを確信して、颯爽と最後の戦場へと歩き出した。

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