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魔王と配下の英雄譚  作者: るちぇ。
第2章 暁の竜神
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第15話「ナディアとレヴィの意思」

 生憎と曇天の空模様だった。肌で感じるほどに湿気が強く、雨が降る前の独特の香りまでして、レヴィは苛立つ。なぜ今なのかと。せめて今日くらいは晴れてもいいじゃないかと。そんなぶつける相手のいない怒りを込めて、ポツリと毒を吐く。


「もうすぐ雨が降るね。空気読んでよね」


 隣を歩くナディアは、くすりと笑いながら空を見上げる。その表情は穏やかだ。少しも不快そうではなく、まるで青空でも眺めているかのような爽やかな顔つきである。そして期待を込めた言葉を発する。


「まだ降っておりません。幾ばくかの間、きっと持ちこたえてくださいますよ」


 何を根拠に、とレヴィは突っ込みかけて止める。天気は気分屋だ。降る、降らないで揉めても何も変わらないし、何よりまだ降っていない今という時間を無駄にしてしまう。それにナディアは天気以上に読めない人だ。この外出がそれをよく表している。突然かつ不明瞭、そして強情過ぎる。これから魔王と戦うことになる今、備えるべきことは山ほどあるはずなのに、何の脈略もなく「出かけます」の一言で出て来られたのだ。しかも理由は教えてくれず、止めても聞いてはくれなかった。これから何が始まるのかわからない以上、やはり時間を浪費する訳にはいかない。


「それよりもさ、どこに行くつもりなの? 近場?」

「えぇ、とても近い所です。ある意味ではもう到着したとも言えるでしょう」


 レヴィは首を傾げる。まだ竜神山を降りてやっと首都に入ったところだ。一体どんな目的があるかと身構えていただけに、こんな入口に用事でもあるのだろうか、と。

 辺りは普段通りで、明らかに気になるところはない。竜神祭の装飾が取り払われた、赤い煉瓦造りのアーチ状のゲートが出迎えてくれている。街並みも同様だ。祭りの雰囲気は終わり、忙しそうに掃除洗濯や掃除をする女性、遊び回る子どもたちが目に付く。普段の日常風景で溢れている。


「細かい話は後で。約束の時間まで少し見て回りましょうか」

「え……見て回るって、ちょっと!」


 十分な説明の無いままに、ナディアは颯爽と歩き出してしまう。止めても止まらないとわかっているレヴィは、せめて待って欲しいと願ったが、それすら叶わないらしい。まぁ、仕方のないことだと諦めてすぐに追いかけたのだが。

 ナディアは王族ではないものの紅蓮飛竜隊の代表だ。籠の鳥のように私用では外出できない。そうして抑圧された思いが解き放たれるのだから、子どものようにどこへでも、気の行くままに行ってみたいのだろう。ズンズンと、キラキラした笑顔を浮かべながらあちこち見て回る。


「レヴィ、見てください! あそこでお肉を焼いていますよ!」


 指さした先には店先へテントを張って屋台としている店があった。バーベキューコンロで串に刺した肉を焼いているようで、香ばしい匂いが煙と共に漂っている。その脇にはドラゴン串と書かれた赤いのぼりが出ていた。


「あー……あの、竜の肉かと思いきや実際は牛肉のなんちゃってドラゴン串でしょ?」

「え、嘘つきなのですか?」

「いや……うーん、竜人が焼いているから、嘘ではないと思うんだけど」


 実際はどうあれ、味は美味しいと評判だ。そういう意味でも、ここでナディアに要らない正義感を発揮されては大変である。レヴィはそれとなくしている風を装いながら、一生懸命に擁護できる言葉を探す。


「それにほら、お客さんも結構いるでしょ?」


 レヴィの言う通り、店の前には長い行列ができていた。ざっと数えて30人はいるだろう。しかもその全員が竜人だ。観光客ならば物珍しさで並ぶかもしれないが、地元民がここまでして食べたいと願うのだ。やはりここは良い店だと言える。


「そうですね。時間が許せば私も食べてみたかったのですが……」


 チラリと、ナディアはレヴィを横目で見た。ナディアに提供される飲食物は厳重に管理された仕入れルートから入手され、絶対に間者ではないと保証された料理人の手で調理された後、10人を超える毒見役がチェックしている。こんなところで買える物を口に入れるなんて許されない。許されないのだが、それら厳しいチェックの最高責任者は親衛隊隊長であるレヴィだ。


「……はいはい、その内にね」

「えぇ、約束ですよ」


 だからこうして頼み込まれては、時々、秘密の間食を届けていた。

 いくら親衛隊隊長といえども、その顔が悪者に知られていたら毒を掴まされる恐れはある。しかし、その可能性は無いと言って良かった。なぜなら、この2人の周囲を見ればその理由がわかる。

 2人は堂々と街のメインストリートをスムーズに歩いていた。当たり前だが、竜人たちの中にナディアを知らない者はいない。しかし、その姿をはっきりと見たことのある者もまたいない。ナディアと共に行動しているレヴィも同様である。

 ただ、だからといって全く無視されている訳ではない。レヴィは念のため騎士の装備を今も身に付けている。そのため、街の竜人たちはこのように反応していた。


「あの美人さん……お偉いさんか? 護衛が付いているけど」

「でもよ、たった1人だぞ?」

「あの鎧は確か……上級の兵士が着るやつじゃないか? ひょっとしてあの子は侍女とか」


 あろうことか、主従の立場が逆転して見られているのだ。ナディアとわかればあれこれお節介を焼こうとしたり、直談判に来られたり、はたまた暗殺されたりするかもしれない。しかしバレていないのだからその恐れはなく、ひそひそと話しはするものの声をかけてこない。近寄ろうともしない。

 誰にも呼び止められず、悠々と2人は歩いて行く。


「……ている」


 そんな民の様子を見ながら、ナディアは寂しげな表情を浮かべて呟いた。曇り空すら晴れ晴れとした気持ちで眺められていたのに、ここへきて、なぜ。そう疑問に思ったレヴィは、その言葉を聞き逃さなかった。ナディアはこう呟いたのだ。「まだ、生きている」と。


「ちょっと、なに不謹慎なことを言ってんのよ」


 レヴィはそっと耳打ちして抗議する。開戦前に民へ吐く言葉としては余りにも不適切だ。

 勿論そんなつもりなど毛頭なかったのだろう。ナディアは吐いてからハッと気が付いたようで、少し驚いて見せた後、素直に頭を下げた。


「ごめんなさい。つい、嬉しくて。そして悲しくて」

「意味がわかんないんだけど?」


 そんな真逆の感情が原因と言われて、誰がわかるものか。

 訳のわからないのはいつものことで、普段なら流していたかもしれない。でもこれだけは聞き逃せない。レヴィはそれ以上何も言わず、何と表現して良いものかと悩んでいるナディアからの返答を待った。


「……戦は民の命を奪います。ここにいる者たちまで死が忍び寄るやもしれませんし、家族を失い心を殺されるかもしれません。しかし今はまだ、誰もが平穏無事に暮らしている。それが悲しくもあり、嬉しくもあるのです」


 レヴィは得心がいった。民を思えばこその発言だったのだと。他の上に立つ者ならいざ知らず、共に過ごしてきた時間がそう思わせていた。

 ナディアは我が身可愛さに行動することなどほとんど無い。何を差し置いても民を優先する。それでこそナディアだと、レヴィは安心したのだった。だが、これだけはと突っ込んでおく。


「紛らわしいっての。言葉足らずにも程があるんじゃない?」

「申し訳ありません。ただ、心の言葉が自然と出て来てしまって」

「まったくもう……それより、次はどうするの?」


 ナディアは改めて辺りをキョロキョロと見渡すと、近場の建物を指さす。そこはドラゴン焼きという、円形のお焼きに竜を焼き入れた食べ物を売っている店だった。茶屋でもあるようで、休憩用の淡い木のベンチと丸テーブルがポツポツと並んでいる。何組かの家族やカップルが座ってくつろいでいた。


「あそこ、あそこに行きたいです!」

「……はぁ?」


 あそこ、とは、まさにそのドラゴンお焼きを販売している店だ。客の様子を見れば、美味しい茶菓子を楽しみながら談笑している。うん、実に楽しそうである。それはいい。ただし繰り返し言おう。これは開戦直前の集会を前にした視察だ。悠長に遊びに来たのではないはずなのだが、どうやらまだ目的地へ向かうつもりはないらしい。


「あんた……からかっている?」

「私は大真面目に言っています」


 可愛らしく鼻を鳴らし、胸の前で拳を作って、如何に本気かアピールするナディア。

 そんな代表には不似合いな子どもっぽさを見せられて、レヴィは全身から力が抜けていくのを感じる。これは本気だ。私的な場面でたまに見られる強情さだ。ここへ降りて来ると言って聞かなかった時もこんな風にされていた。だから今回も同じ。子どものワガママに付き合う親ってこう思っているのかな、とか漠然と考えながら、レヴィは頷いた。


「……好きにしなさいよ。もう来ちゃったんだし」

「ありがとうございます、レヴィ! ほら、あそこに座るのでしょう?」


 雨が降り出しそうなこの天気だ。生憎と屋根の下は満席。庭のような屋根の無いスペースしか無いのだが、ナディアがわざわざ見付けたのは、野晒しになって特にボロボロになっている席だった。木製のため、傷んだ箇所が棘のように突き出している部分もちらほらある。


「よ、よりにもよって……」


 怪我でもしたらどうするのかとレヴィは頭を抱えた。他にも椅子はある。同じように野晒しだからか、ところどころ黒ずんでいたり、一部が欠けたりしている物ばかりではあるが、マシな所も少なくない。

 この中からなぜそこを選んだのかと聞こうとした時には、ナディアは迷いもためらいもなくスタスタと歩いて行っている。しかも、あろうことか棘が剥き出しの所へ腰を下ろそうとさえした。


「ち、ちょっと待った! も、もう少しマシな所にしなさいよ!」

「え、これが醍醐味なのではないのですか?」


 醍醐味、それはあの深く味わうとか、楽しむとか、そういう意味の単語なのだろうか。自分が浅学なだけで、もっと高等な意味が隠されているのではと、レヴィは考えてしまう。それくらい理解できなかったのだ。ナディアが何を言っているのか。


「あのさ、それはその……誰から聞いたの?」

「侍女たちが楽しそうに話しているのを小耳に挟んだのですが、何か間違えていましたか?」


 どこぞの貴族ならまだしも、ナディアに仕えている侍女ならば、そんなクレイジーな楽しみ方などしないだろう。では、頭にカビでも生えたのかと心配になってしまうような嘘を言われたのだろうか。いや、それもまたあり得ない。ナディアは嘘など吐けない性格だ。もしもその二つが同時に成り立つとすれば、と、レヴィは考える。考えて、あれこれと悩んで、やっとあるひとつの仮説に辿り着いた。自分の失敗談を話して盛り上がっていただけの可能性に。いや、可能性なんて生温い。それ以外にあってたまるかと、レヴィは結論付けた。


「真相がわかったけど、聞きたい?」

「なんと、レヴィは博識なのですね! 是非教えてください!」


 新しい玩具を見付けた子どものように目を輝かせるナディアは、実年齢よりずっと幼く見えた。そんな珍しい光景と、そんなにも楽しみにされているのとで、レヴィは返答に困ってしまう。しかし、否定しなければ自傷行為を嬉々として行う危ない人になってしまうので心を鬼にした。


「あのさ、それはたぶん……怪我しちゃったっていう話題で楽しんでいただけで、別に棘の上に座ること自体は楽しくも何ともないと思うよ」

「そ、そうだったのですか? 私もちょっとおかしいな、とは思っていましたが」

「その感性を大切にね。さもないと、私たち離れ離れになっちゃうから」

「そ、それは困りますね。わかりました、ではあちらの綺麗な椅子に座りましょう」


 屋根は無いものの、2人は比較的綺麗な椅子に腰を下ろす。

 ホッとレヴィが胸を撫で下ろしたのも束の間。何ともいいようのない沈黙が流れる。やることがないのだ。手元には本やおもちゃなどの時間を潰せるような物はおろか、水すら無いのだから。


「あのさ、何か買って来ようか?」


 今でこそ親衛隊の隊長ではあるが、元々レヴィは侍女だ。こういう時、主のために率先して動くのには慣れている。いくら親しくても、地位が上がっても、その性分だけは無くしていなかった。

 しかし、ナディアは首を横に振る。


「いいえ、それには及びません。もう少しこのままで」


 そう言われてしまってはレヴィも動きようがない。だが先に確認した通り、手元には一切何も無い。ではお話でも、とはいかないだろう。レヴィが今一番気になっているこの外出の目的について、ナディアは固く口を閉ざしているのだから。

 仕方なく2人は揃って空を見上げるだけである。先ほどよりも、曇り空は濃くなりつつあった。


「あの、レヴィ」


 そんな沈黙を破ったのはナディアであった。遂にここへ来た目的を聞けるのかとレヴィは少しだけ期待したが、どうやらそうではないらしい。ここまでひた隠しにした理由を話すのなら、気まずそうにしたり、思い悩む風であったり、はたまた公的な場で見せるクールな表情であったりするはずである。しかし、ナディアはただひたすらに不思議そうにしているだけなのだ。

 一体、今度は何が始まるのかと、レヴィはかなりの疲労を感じながらも続きを待った。


「これのどこが楽しいのでしょう?」


 駄目である。レヴィは大げさに肩を落とした。無駄だったのだ、この時間は。せめてナディアが何かしら楽しんでいるのならと付き合っていたというのに、当の本人ですら意義を見出せていなかったなんて。


「……私が知りたいんだけど、それ」

「ですが、ほら。あそこの家族はあんなにも笑顔なんですよ?」


 ナディアが指さしたのは、竜人の4人家族であった。お焼きとお茶を楽しみながら談笑している。子どもたちが身振り手振りで色々と力説しているらしく、それに父親が乗っかり、母はそれを微笑ましく見守っているようだ。


「あー……なるほどね。何となくだけど、目的がわかった気がする」


 開戦直前の時期、そしてさっきのまだ生きているという言葉。これらのことから、ナディアは民の気持ちを、特に笑顔になれるような思いを知りたかったのだろうと、レヴィは推測する。民を何よりも大切にするナディアだ。むしろ、彼女らしい発想と行動と言える。


「それならさ、真似してドラゴン焼きとお茶を楽しんでみる? 新しい発見があるかもしれないよ?」

「なるほど……そうですね。では、私が買いに行って来ます」


 さも当然のように、レヴィよりも素早くナディアが立ち上がる。

 その手にはどこから出したのか、パンパンに膨れた、虎猫が刺繍されたがま口財布が大事そうに握られていた。


「つ……突っ込みたいところが山ほどあるんだけど、まずは座って」

「それでは買いに行けませんよ?」

「なに寝惚けたことを……。いい? あんたは私の主。買いに行くべきは私なの」


 レヴィの言う通りだ。主が率先して小間使いに出るなどあり得ない話である。流石のナディアも一瞬諦めた表情になるも、財布に目を落とすや否や、思うことがあるらしい。それもたくさんあるようで、すぅと息を吸うと、矢継ぎ早に話し始めた。


「お父様から頂いたこの財布、一度くらいは使ってみたいのです。それに、いつもお世話になっているレヴィに少しでも恩返しがしたいですし、何より、お買い物という民の営みを体験したいのです」


 ただ茶屋で買い物するだけ。本来ならば侍女にやらせるはずの仕事に、そんなにも希望や夢が詰まっているとは。そんなことを考えもしなかったレヴィは驚きながらも観念して頷く。それから何度も言うが、ナディアは頑固だから。こんなやり取りで言い争っても不毛である。


「わかった、わかったから、そう捲し立てるのはやめてよ」

「では、心置きなく行って参ります」


 初めてのお使いと言えば聞こえはいいが、徒歩1分もかからない目と鼻の先にある店に行くだけだ。やっと歩けるようになり、言葉を話せるようになったばかりの幼児がチャレンジするような、超簡単な内容である。それなのに、ナディアはウキウキと軽い足取りで買いに行く。本当にわからず屋で子どもっぽい人だとレヴィは思いながらも、


「……でも、そんなあんただから」


 自分はここにいれるのだと思った。

 振り返れば、ナディアと親しくなってからはこの人生全てが余すところなく、良くも悪くもナディアのためにのみ使われている。嘘だと思うだろうか。でも生憎とこの槍ですら、いや、むしろこの槍こそその証のひとつである。

 剣や魔法を選ばなかったのには訳がある。槍はリーチが長く守るのに打ってつけだ。更に、ただ闇雲に突き出すだけでも敵を牽制できる。そんな理由で槍なのだ。自分の好みや向き不向きなど考慮にも値しない。


「……なんて、感傷的になっちゃうなんてね。あーあ、どうしちゃったのかな、私ってば」


 これではナディアをとやかく言えないなと、レヴィは苦笑する。そして気持ちを入れ替える。まだ戦いは始まってすらいないのに、ナディアが諦めていないのに、弱気になるべきではない。後悔も嘆きも全部、全てが終わってからで十分だと思い直した。


「それはそうと……遅いなぁ、ナディア」


 ナディアはまだ店員とやり取りしているようだ。何やら話し込んでいる。嫌そうにしていない辺りトラブルではなさそうだが、それにしても時間がかかり過ぎだ。見に行こうかと考え出したところで、ついに、ナディアは嬉しそうに財布を開けた。


「やっと会計か……何やっていたんだろ?」


 散々迷っていたのだろうか。ここのドラゴン焼きはあんことクリームの二種類しか無いのだが。いや、ナディアならばあり得るか。なんて思いながら、やっと帰って来たのを見て、レヴィは手を振り出迎える。


「お帰りー。随分とかかったね?」

「はい、お……お待たせしました」


 ドラゴン焼きが5つとお茶が2つ乗ったトレイを両手で支えながら、おっかなビックリな様子でナディアは戻って来る。お茶が揺れて溢れそうになっているらしく、右に左にふらふらしていた。


「あー……とりあえず、火傷には気を付けてね」

「私は火傷なんてしませんよ?」


 竜神は火の竜だ。その名に恥じず、溶岩の中ですら快適に泳ぐことができる。炙っても焼いても皮膚が負けることはない。それくらいレヴィも知っていた。でも危なっかしい様子を見て、小さな子に注意しちゃうように、つい言ってしまったのだ。


「そういえばそうだったね。忘れて」

「変なレヴィですね。それよりも、はい、どうぞ」


 どうにか無事にテーブルへ置かれたお盆の上を見て、なぜ、という疑問をレヴィは持つ。確認しよう。ここの店にはあんことクリーム味がある。2人ともが欲張って両方食べるとしても4つあればいい。でも5個もある。


「あのさ、ナディア。どうしてこうも突っ込みたくなることを増やしてくれるのかな?」

「何がですか?」


 気になるポイントはいくらでもある。例えば、がま口財布はそんなにパンパンにするべきではないとか、全種類選んで来るのにどうしてあんなに時間がかかったのか、とか。挙げればまだあるだろうが、とりあえず、5個目の存在についてレヴィは聞いてみた。


「あのさ、私たちは2人じゃない。どうして5個もあるのよ」

「サービスして貰っちゃいました」


 サービス。なるほど、たくさん買っておまけが付いたのか。そんなお知らせは出ていないが、まぁ、何かしらあの店主の中で思うことがあったのだろう。ナディアとバレる可能性はほぼ無いのだから、可愛い子だからおまけした、そんなところか。何はともあれ純粋な好意だ。とやかく言うのは人としてどうかしていると結論付けたのだった。


「何はともあれ、頂きましょう。冷めてしまいますよ」

「そ……そうだね。それじゃあ、遠慮なく」


 レヴィはまだ湯気の立ち上るドラゴン焼きを一口かじり、そしてすぐに熱いお茶を飲んだ。不味いのではない。あんこは抑え気味の甘さで、生地自体のパンのような味とよく合っていた。ただ、とてもパサパサしていて、口の中の水分を全部持っていかれるのだ。ここまで歩いて来て喉が渇いていたこともあった。


「これが……ドラゴン焼きなのですね。美味しいです」


 ナディアは少しずつちぎって食べていた。その一連の動作全てが上品で、周りにいる竜人たちは感嘆の息を漏らしている。敵意は一切無い。無いのだが、レヴィはその視線がただただ気持ち悪かった。


「ち、ちょっと、ナディア。皆してこっちを見ているんだけど」

「さて、なぜでしょう?」


 原因の張本人たるナディアは、全く心当たりが無いらしい。可愛らしく小首を傾げた。その仕草がまた多くの人の心を掴んだのだろう。人が人を呼び、ギャラリーがどんどん増えていく。


「あの子、美人だなぁ。あの見た目で侍女なんだろうか?」

「きっとそうだよ。あの戦士様のお使いしていたし」

「マジかよ。俺、声をかけてみようかな」


 嫌でも聞こえてきた話でレヴィは理解し、そして後悔する。ナディアは紅竜同盟の代表だというのに、まさか一般人でも手の届く可能性があると思われたなんて。もっと高嶺の花だ。少なくとも、ここにいるような奴らでは手を伸ばすこともおこがましい。そう叫びたいのをグッと堪える。ここで騒ぎを起こしたら、ナディアは間違いなく連れ戻されてしまうし、評判もがた落ちだ。


「あ、あのさ、ナディア。ちょっと雲行きが怪しくない?」

「そうですね、湿気も強くなってきたように思いますが」


 確かに、ここに来た時よりも更にじめじめしている。空に浮かぶ雲は真っ黒なものばかりで、太陽はおろか空すらほぼ覆い尽くされている。雨が降り出すのも時間の問題のようである。

 だが、レヴィの言いたいことはそうではなかった。そうではなかったが、何でもいい。ここから立ち去れる理由になるのならと、その話に乗っかる。


「雨に濡れたら大変だからさ、ほら。早く食べちゃおうよ」

「しかし、食べ物に対する感謝の気持ちを忘れてはなりません。それに、これは私が初めて買ったもの。もう少しだけ堪能させてくれませんか?」


 また始まった。こうなってしまってはどうするこもできない。せめて周りの声や視線に気付かない振りをしながら、黙々とドラゴン焼きを頬張りつつ、近付きそうな男たちだけは睨み付けておく。


「おい、あの戦士様……睨んでないか?」

「そりゃそうだろ。あれだけ美人な侍女さんだ。変な目で見られたくないんだろ」

「おい、今店主から聞いたんだけどよ、あの子は主らしいぞ」

「マジかよ。でもさっき、確かにお使いしていたはずなんだけど」

「それがさ、いつも世話になっているからと嬉しそうに話していたらしいんだ」

「聖人君主ってやつか! いいなぁ……あんな御方に仕えられれば幸せだろうな」


 知らない振り、知らない振りと念じれば、余計に聞こえてしまうものだ。嫌でも入ってくる話によると、どうやら一難は去ったらしい。しかし代わりにもっと面倒なことになったと、レヴィは頭を抱えた。あろうことか、ギャラリーが拝み始めたのだ。悪い虫なら追い払えばいいだろうが、こうなっては睨んだところで効果は無いだろう。


「なんで……こんなことに」


 ナディアとバレてはいないものの、これだけ大勢に見られ、更に印象深く残ってしまっては、風貌からわかる人にはわかってしまう恐れもある。後になって露見する可能性も出てきた。この大事な局面で城を抜け出したなんてお偉いさんたちに知られたら、何を言われるかわかったものじゃない。

 そうこう悩んでいる内にも信者紛いの竜人たちが増えていく。


「気にしてはなりませんよ、レヴィ」


 ナディアはクスリと笑いながら優しく諭す。目の前でレヴィがあんなに頑張っていたのだ。いくら鈍感なナディアでも流石に気が付いている。周囲の様子がおかしいこと、そして先ほどの雲行きの怪しさの本当の意味を。もっとも、そう口にした通りナディアは気にしていなかった。だが、レヴィがここまで苦しんでしまうのなら話は別と、話し始めたのだ。


「私はいつもこうではありませんか。何気無い一挙一動で多くの者に反応され、過度に推察され、何もさせて貰えません。何かできても注目の的。この息苦しさは、今に始まったことではありませんよ」

「それは……そうかもしれないけどさ」


 長年一緒にいるレヴィだからこそ、そのくらいはわかっている。日々の食事だってそうだ。せっかく美味しそうな湯気が上がっていても、何重にも毒味係を経てから持って来られるのだから冷めきってしまう。しかも、他人の箸で何回もつつかれた後である。そんな料理は嫌だと言おうものなら、毒味係か料理人が職を失う。これが毎日、毎食ごとに行われるのだ。


「しかし、今日は別です」

「……そうかな?」


 食事に関してはそうだろう。こうして出来立てのドラゴン焼きを食べるなんてあり得ないことだ。ずっと傍にいたからこそ、どうしてナディアが屋台で売られている食べ物に目を引かれていたのか、レヴィはよくわかる。

 だが、それだけだ。フィールドと観客が変わっただけで、見せ物パンダなのは同じじゃないか。そう言い欠けてレヴィはやめる。それは余りにも酷い言い草だし、何より、ナディアの目に悲しみや怒りといった感情は一切なく、心から嬉しそうだったから。その証拠に、上機嫌に話を続ける。


「買い物ができました。お茶を運べました。こうして最初から食べるところまで全部やったのです。とても有意義でした」


 そうか、とレヴィは思った。ナディアは代表として皆の事ばかり考えて行動しているが、今日この時間に限っては、誰にも邪魔されず、興味のあることにチャレンジできた。彼女自身のために何かができたのだ。やった内容が問題なのではない。出来立てを食べられたことでもない。彼女が、自分自身の気持ちに素直になれたことが最も大切だった。


「そっか……良かったね、ナディア」

「はい。私、夢がひとつ叶いました」


 レヴィもまた嬉しく思う反面、憤りを感じた。夢。こんなちっぽけな夢すら叶えられないのはなぜだ。そしてそんな小さいものではなく、もっと大きくて大切なものが叶わないのはなぜだ、と。

 どんなに思わないようにしていても、やっぱりふとしたタイミングで考えてしまうらしい。ナディアは戦など望んでいなかった。だから危険を冒してまで魔王と直接対談して、うまく進んでいたはずだったのに。


「……あのさ、ナディア」


 ナディアだって悔しいんじゃないのか。あんなに頑張っていたじゃないか。誰よりも民のこと、そしてこの世界のことを考えて、こんな小さな夢すら胸の中にしまい込んで。そうして掴みかけた平和が粉々に砕かれて。レヴィは悔しい。拳を握って、歯を食いしばって、目をギュッと閉じて。そうしていないと泣いてしまいそうな程に。

 かつてナディアは言った。代表とは、王とは違う。皆の総意を束ねる存在だと。それ以上でも、それ以下でもないのだと。それでもなお個人的な夢を語っても良いのなら、願わくば、皆が笑って暮らせる世の中に戻って欲しい。そんなありきたりで、大災厄を経てからは奇跡に近い理想を、キラキラとした目で言った。

 あれから5年。たった5年で、サウス・グリードはここまで復興した。ほら、見ろ。ここにいる竜人たちを。誰も彼もが生き生きとしている。それもこれも、ナディアの尽力があればこそ。それなのに今さら戦争なんて。


「やっぱり、今からでも――」

「――そろそろ行きましょうか」


 レヴィは聞こうとしたものの、話を切ってまで立ち上がったナディアを見て思い止まる。言えない。こんなにも決意を固め切った顔のナディアに、臆病風に吹かれた逃げる道なんて、言える訳がない。そんな自分の弱さに嫌気が差しながら、でもそれをはね除けるようにして力強く立ち上がった。


「そうだね。ギャラリーも、天気も、もうウンザリ。さっさと行こう」

「はい。ご馳走さまでした。参りましょうか」


 ナディアは残りのひとつを紙袋にしまうと、メインストリートに戻るや否や走り出す。ギャラリーを振り切るつもりらしい。こうして演技染みた逃走をして見せれば、ほら、気に障ったかもしれないと思われて誰も付いて来なかった。それを確認したところでナディアは立ち止まる。これには流石のレヴィも悪態をつく。


「いきなりだよ、ナディア。食べたばっかりじゃない」

「食後の運動というやつですね」


 そんな訳がないじゃないか。これはナディアの優しさだ。レヴィが思い悩み、苦しんでいたからこそ、無理に話を切り上げた。一時的ではあるものの頭から振り払う手伝いもした。そうでなければ走ったりするものか。ナディアは本心からギャラリーなど気にしていなかったというのに。

 それがわかりつつ、でもお礼を言う訳にもいかず、レヴィは軽口を叩いてそれに答えたのだった。


「あぁ、そう。今度こそ目的地に行くんでしょ?」

「えぇ、勿論です」


 そっと、ナディアは路地裏へ続く細い通り道を指さす。灯りはなく、どんよりと薄暗くなっていた。いかに首都とはいえ、裏道は治安が良くない。そんな所へ一体何のために。当たり前の疑問をレヴィはぶつける。


「ちょっと、この先は路地裏しか無いんだけど? 何しに行く気なのよ」

「古い友人に会うために」

「だったらもっとちゃんとした所で……って、待ってよ!」


 レヴィが止めるのを無視するように、ナディアの歩は真っ直ぐに進む。この先が目的地と言うだけあって、その意思はこれまで以上に頑固なようだ。

 レヴィは追いかけながらあれこれと引き留める言葉を投げかけるものの、ことごとく無視されてしまう。


「あー……もう、わかった。わかったから、絶対に私の側を離れないで」

「えぇ、頼りにしていますよ」


 ここはメインストリートとはまるで違う世界だ。日はほとんど差し込まないため薄暗く、辺りには廃棄物が散乱し、薄汚れた浮浪者たちがたむろしている。鼻を突くような悪臭と、あちこち飛び回って鬱陶しい小さな虫たちに、レヴィの眉間にシワが寄る。


「こんな所に誰が――」


 浮浪者たちの中から、その人物は突然現れた。そのように見えた。余りにもこの場には不似合いなのに、どうしようもなく馴染んでいるような、そんな人。その見知った顔を見て、レヴィは言葉を失う。


「や、この前振りだね、ナディア」

「はい。その節はご迷惑をおかけしました、ルーチェ」


 身なりこそ村娘の物でしっかりしているが、その立ち振舞いは、そこら辺に寝転がっている浮浪者たちと大差ない。なぜここに、どうしてそんなに。そんな疑問を抱きつつ呆気に取られていたが、レヴィはようやく質問を投げかけることができた。


「どうして貴女がここに……?」

「その前に自己紹介から。君がナディアの親衛隊さんだね。初めまして……ではないんだろうけどさ、ごめんね。私は初めてな気がするんだ」


 親衛隊ならば、ナディアがルーチェと公的に会う場所、つまり聖リリス帝国の首都で会ったことがあるはずなのだ。現に、レヴィはルーチェを知っている。でも残念ながらルーチェは覚えていない。


「いえ、単なる親衛隊なんて記憶に残りませんよ」

「んー……昔の私じゃ、余程奇抜な人でも覚えてなかった気がする。だから、本当にごめんなさい」


 アデルを助けること以外に無頓着だったルーチェだ。紅竜同盟の代表であるナディアならいざ知らず、その親衛隊など、覚えておくメリットは無かったのだ。

 まさに恥ずべき過去だと、ルーチェは一度しっかりと頭を下げる。そしてナディアの方を向いた。これはまたレヴィを軽視したためではない。本題に入るためだ。


「ナディア、まさかとは思うけど魔王様と戦うつもり?」

「既に賽は投げられましたし、何より、皆が戦う意志を固めてしまっています。私が何をどうしようとも小競り合いは避けられません」

「魔王様は関係なく……ね。なるほど、ある程度はあの人のことを理解しているんだ。それなら、戦う無意味さもわかるんじゃない?」


 戦力差は明らかだ。数ではどうにも覆らない絶対的な質の差。例えば、ただの蟻が何匹集まろうとも象には敵うまい。踏みつけられて終わり。それこそ、水場にでも移動する最中に勝敗が決してしまい、戦ったと認識すらされない恐れもあるだろう。紛れもない強者を相手にしては、勝算はおろか勝負すらさせて貰えず、一方的に、無意識に蹂躙される。それはまさに無意味と言うより他にあろうか。


「いいえ、大きな意味がありますよ。勝敗を超えたその先に」


 そんなこと、ナディアがわからないはずがあろうか。いや、それこそない。だからこそ危険を犯してまで自らユウと対話し、平和を模索した。結果は散々だったが、ならばと、こうして次の一手を打ちに来た。勝つためではない。全ては未来のために。


「まるで負けることを恐れていない発言だね? 天下の紅竜同盟の代表とは思えない言葉だよ」

「絶対神話など幻想に過ぎません。積み重ねられた物に与えられた称号に、一体どんな力があると? 向けられた畏怖の念、窮地に立てばむしろ足枷にしかなりません」

「ふぅん……疎ましく思うんだ? それに支えられてきたのに?」

「私は民を愛し、それに応えたいと常日頃思ってきました。感謝こそあれども、邪険には思いませんよ。それに足枷と言いましたが、負のレッテルを貼るのは早計です。その重みはそのまま、私が背負った者たちの意思と命。重みを感じるからこそ、こうして臆せず戦えているのですから」


 このやり取りの意味がわからないレヴィは、交互に顔を見ているだけだ。まぁ、その表情をよくよく観察したところで何も得られるものは無い程に、2人の顔はポーカーフェイスを貫いていたのだが。

 さて、ナディアは自らの意思をしっかりと伝えた。それを受けたルーチェはこくりと頷くと、懐をまさぐり始める。


「そ……起こりうる未来は正しく見据えているみたいだし、いいよ。取引してあげる」


 そして1枚の折り畳まれた紙を差し出す。ところどころよれているが、肝心の中身はどこも滲んだり、穴が開いたりはしていない。受け取ったナディアは両の手で大事そうに持ち、満足げに頷いた。

 一体何が書かれているのだろう。ナディアが戦いと言った、ここに来た理由。どうしようもなく気になったレヴィは、横から覗き込む。見覚えのある地形だ。見慣れた街や村の名前もちらほらある。それらを認識してすぐ驚愕した。この紙には、イース・ディードの地図が細かく書き込まれていたから。


「これは……でも、どうして?」


 これから戦う相手に、自分の領地の地図を渡すなど自殺行為。細かな地形の利を放棄し、侵攻ルートを易々と検討させ、いざとなれば撤退する際にも役立てられてしまう。どうぞ勝ってくれと言っているようなものだ。


「ありがたく頂戴致しますね」

「はい、お好きにどうぞ」


 しかし、2人は自然なやり取りで受け渡しを行う。まるでお菓子か何かを送り、送られたような、そんな普通の取引。こんな場所も相まって、レヴィにはただただ不気味に思えてしまう。


「何を企んでいるのよ、ルーチェ!」

「ふーん……レヴィは戦争のことを何も知らないんだね」

「そ、そういうあんただって、四大将軍になってから戦争なんてしたことないでしょ!?」


 大災厄以降、リリスによって各国は統合された。もっとも国と呼べる程に維持できている所はほぼ無かったが。だからこそなおのこと、戦争を起こす国はそもそも無い。気力も国力も失っていたからだ。しかも、戦争で美味しい思いをしたであろう老いた者たちの多くは死滅している。残された若い将兵たちは復興に従事してばかりで、どこも戦争などやっている暇は無かった。


「そうだね、戦争を引き起こす側に立ったことは無いよ? 巻き込まれたことならあるけどね」

「巻き込まれたって……それを言ったら、私だって少なからずは」


 戦争が始まれば食事がたくさん税として持っていかれる。鍋やスプーンなどの金属で作られた物が徴収されることもあった。あのひもじさを思い出しながら、レヴィは負けじと抗議する。しかし、そんな温い境遇ごときで、ルーチェと張り合おうなど身の程知らずもいいところだ。


「どっちが辛い……なんて比べるつもりなんて無いけどさ、少なからず、なんて単語で片付けられるなんて、随分と幸せな生活を送っていたみたいだね?」


 ルーチェは両手を広げて、辺りを見渡すよう促した。ここは薄汚れたアンダーグラウンド。行き場を無くした者たちの吹き溜まりである。


「ここを見てどう思う?」

「そりゃ……最悪以外、何て言えるの? 汚いし、臭いし。まさか、あんたはこういう所の出なの?」

「やっぱり、何もわかってないね。ここは天国だよ。よく見てみて」


 レヴィは嫌々ながらも辺りを観察する。腐敗したゴミが散乱し、謎の虫が湧き、ネズミが走り回り、おまけに謎の異臭がする。住みついたむさい男たちの髪はボサボサ、髭は伸び放題、着ている服はボロ布を繋ぎ合わせたような物。


「ここのどこが天国なのよ? 馬鹿じゃないの?」

「ここをアンダーグラウンドの頂点だって聞いたことない?」

「頂点? ここにどんな階級があるっていうのよ?」

「もっとよく見てみればいいよ。特に、どんな人がいるのか」


 そう言われても、目に付く範囲内にいる人の特徴は皆、似たり寄ったりだ。レヴィは何度も再確認させられて苛立つ。

 それを見て、ルーチェはやれやれと溜め息を吐いた。


「はぁ……特別サービスで教えてあげる。ここにいるのは、大人の男だけでしょ?」

「……まぁ、そうかもね」

「口減らしの対象って、働き手になれない、もしくはなるまで時間がかかる奴ら。つまり女子供がまず捨てられるの。よく見て。どこに女が、子供がいる?」


 言われてレヴィはようやく気が付いた。確かに、ここには男しかいない。振り返れば、ここに来るまでの間も、女子どもはただの1人さえもいなかった。一体、どうして。その理由を考えるより早く、ルーチェは言葉を続ける。


「この世界は弱肉強食。言ってしまえば、腕力と生命力が全て。こんな雨風を凌げる優良物件は男たちが占有する。女子供は遮る物が何も無い場所を彷徨うしかない。多少なりとも良い場所は力ずくで奪われるから定住もできない。安息なんてあり得ない。最後にはどこぞの誰かに連れ去られて、それでおしまい」

「それは……。でも、それは国のせいでしょ」


 反論できないレヴィはせめてもの反撃にと、国に責任を擦り付ける。知らないから。そんな世界なんて全く知らないから。他に攻撃の手立てを持たなくて、咄嗟にそんなことを言ってしまう。


「そうだね、ここはサウス・グリード。ナディアに責任がある訳だ」

「ち、違う……!」


 言われるまでレヴィは気が付かなかった。確かに、そういうことになってしまう。さっと血の気が引けていくのを感じながら、必死に弁解する。


「ナディアは頑張っている! 1人でも多くの人が幸せになれるようにって、傍にいる私はいつも見てる! 駄目なのは周り! あいつらがいつも足を引っ張るから!」


 あいつら。その筆頭はローレンだが、彼だけではない。そもそも彼1人の力だけで、あれだけの強力な勢力にはならない。それが誰なのか探るのは骨が折れるだろうが、必ず強固な後ろ盾があるはずだ。つまり、ちょっと力を持った者1人、2人が凶行に走っている訳ではない。


「そうだね、それが真理。国のせいなんて言うけど、実際の悪者はそこで暮らす1人1人。上も下も関係ない。誰もが平和を望んで、互いの幸せを願えれば、こんな地獄は消え失せる」


 それは理想論、いや、もはや夢物語だ。誰だって自分の利益を求める。自分だけが良ければそれでいい。いつの時代、どんな所でも当たり前に行われてきたことだ。もはやそれは遺伝子レベルで生物に刻み込まれているのかもしれない。そう思えてしまうほど簡単には直らない。5年前の大災厄という大きな転機を経た今でさえ、こうして足を引っ張り合っているのが現状なのだから。


「でも……それは」

「うん、不可能。でも、できないからって何もしないのと足掻くのじゃ、天と地程の差がある。この地図は、そう信じる私なりの最善手」


 無理だとわかっていながらもがく。悪いことだとは思わない。ナディアだって、負けるとわかっていながら、これから宣戦布告をするのだから。

 でも、である。地図を渡す理由がどこにある。イース・ディードに攻め込まれれば、ルーチェだって困るだろうに。それだけがどうしてもわからず、レヴィは首を傾げる。一方で、ルーチェは失笑した。


「本当に戦争そのものを知らないんだね。いいよ、教えてあげる。戦争するためには兵士を戦場まで送らないといけない。そのためには何が必要?」

「何がって……足じゃないの?」

「馬ね、まぁ、確かに。じゃあ聞くけど、馬だけいれば魔王様の所まで来られる? 食料や水、寝床はいらない?」

「そんなの当たり前の物資でしょ。何を偉そうに」

「そうだね、生きるために必要。ところで食料や水、どれくらい持てる? どのくらい保つ?」

「そんなの、必要な量を予測して……」

「どうやって予測するの? 敵の場所も戦力もはっきりとわからないで、何を根拠に?」


 そこまで言われて、ようやくレヴィは意図を察する。予測が立たない以上、現地調達は当然視野に入る。つまり、イース・ディードの村や町に被害が及ぶ。たくさんの人が殺されるかもしれない。親を失った子の末路は想像に難くないだろう。もしも仮に全員が生かされても、生活に必要な食糧は確実に奪われる。そうなると次に起こるのは口減らし。また戦争孤児が増える。


「やっとわかったみたいだね。そうだよ。どうしても戦争したいなら、せめて将兵だけでやって欲しい。その方が被害を抑えられる」

「でも……戦争って兵糧攻めもあるでしょ? その選択肢を自ら潰すなんて」

「戦争が長期化するなら、最悪それも手段のひとつかもね。でも今回は別。魔王様の力があれば短期決着する。そして、魔王様はイース・ディードの復興を進めてくれている。だからね、あらゆる意味で、これはそのためのお手伝い。損する人は誰もいないって訳」


 そこまで黙って聞いていたナディアだったが、突然、おかしそうにクスリと笑って口元を隠した。それを見て、ルーチェもまた小さく鼻を鳴らす。


「いえ、魔王様はきっと驚くでしょうね。寝首をかかれるようなものですから」

「あはは、そうかもね。当事者のはずなのに、すっかり忘れちゃっていたなぁ。でもまぁ魔王様ならさ、そのくらいは屁でもないんじゃないかな?」

「えぇ、疑いようがないでしょう」


 どこまで本気かわかり辛く怪しいルーチェだが、少なくとも、誰に対しても敵意は無い。そう思わせてくれるような朗らかな笑いだった。

 何はともあれ、これで取引は終わりだ。開戦まで時間も無い。お互いにそそくさと帰ろうとした時だった。


「お待ちください、ルーチェ。報酬です」


 ナディアは立ち去ろうとするルーチェに、茶色の紙袋を差し出した。それはさっきの店で買った、いや、おまけとして貰ったドラゴン焼きであった。まだ冷めていないようで、温かな湯気とともに、お焼き特有の美味しそうな香りが袋から漂う。


「ドラゴン焼き……ね。さっき話題になっていたのは、やっぱりナディアたちだったか。わざわざ買って来てくれたの?」


 通りでの騒ぎはこんな所にまで届いていた。これは別にルーチェが聞き耳を立てたからではなく、本当に噂として伝わってきていたのだ。それくらいの評判になっていたのである。いくらナディアとバレていなかったとしても、その風貌に関する情報から、知られたくない人たちに勝手に出たと知られる可能性がある。そんな危機的な状況など露にも気にしていないと言うように、ナディアは恥ずかしそうに微笑むだけだった。


「これはあくまでもサービス品です。店主から善意で頂きましたから、民を代表したお礼のようなものですよ」

「あー、それじゃあ額にでも入れて飾っておこうかな」

「えぇ、末永く大切にしてくださいね」


 冗談を言い合いひとしきり笑った後、ルーチェは空を見上げた。ポツリと、雨水が降って額に当たったのである。それを皮切りにポツポツと雨が降り出してくる。どんどん雨脚は強くなっていく。


「あらあら、降ってきちゃったか。それじゃあ、私はここら辺でバイバイね」

「アデルさんにも、よろしく伝えてください。あぁ念のためご安心を。このご恩にはきちんと応えますから」


 ナディアは地図を広げて、ある一点を指さす。これ見よがしに、赤い丸印が付いていた。そこはアデルとルーチェが暮らす家。そこだけは狙うなという意思表示であった。

 雨は強さを増していき、土砂降りと言っても過言ではない状態になった。それでもまだ、お互いに一歩も動こうとしない。お互い。それはレヴィとルーチェであった。見つめ合い、じっと佇んでいる。


「……では、本当にお開きということで良いでしょうか?」

「うん、そうだね」


 ナディアに問われそう答えながらも、ルーチェは立ち去ろうとしない。髪や服が濡れるのも気にせず、じっと、レヴィの目を見つめていた。どれくらいそうしていただろう。もうシャワーでも浴びたようにビショビショになってしまっている。そこまでしてようやくルーチェは、レヴィに向けて言葉を発した。


「戦士としての腕前は……まぁまぁかな。でも、絆は確かなものがある、か」


 そう呟くと、うんとひとつ頷いてから、


「レヴィ……だっけ。ナディアはこの世界になくてはならない人だって、私から言わなくてもわかっているとは思う。でも、あえて言っておくね。私じゃこれ以上の力にはなれない。ここから先、本当の意味で守れるのは貴女だけ。任せたよ。私が初めて……この人になら仕えてもいいかなって、そう思っちゃった人だからさ」


 レヴィは言葉につまった。即答してもいい場面。迷いなどないはずなのに、ルーチェに対して、どう返せば良いものかと咄嗟にためらったのだ。その根底にあるのはただただ嬉しいという気持ち。こんなにも凄いルーチェという人物が、他の誰でもなく、自分に託してくれた事が嬉しいんだ。そう気が付いた時、レヴィは心から驚いた。まさか、人間に対してこんな思いを抱く日が来るなんて、思ってもいなかったから。


「……任されたから」


 だから、たった一言吐いて終わってしまう。強いて付け足すならお礼だが、それもおかしな話だ。見方を変えれば丸投げされただけでもあるし、何より、竜人としてのプライドもあった。心の中ですらそんな綺麗な言葉で言い繕いながら、実際に思ったことは別。負けない。ルーチェ、貴女には負けない。あの絶望的な状況でもアデルを助けたように、自分も、必ずナディアの力になってみせると闘志を燃やす。


「うんうん、その意気だよ。何を捨てても構わない。そんな覚悟で臨めば、きっと悪い結果にはならないから」


 どこまで見透かしているのか、ルーチェはにこりと微笑むと、今度こそ踵を返した。

 残されたレヴィは、自分も、ナディアすら濡れていることすら忘れ、その背中が見えなくなるまで見続けたのだった。

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