第11話「紅蓮飛竜隊の暴挙」
サウス・グリードに最も近い、イース・ディードの街の中。月明かりに照らされた街の一角にて、街娘の服を着た1人の少女が、人目を気にしながら薄汚れた裏路地へと入って行く。そこはアンダーグラウンド。行き場を無くした浮浪者たちの溜まり場と化していた。こんな夜更けに、なぜ街娘が。そんな興味を引かれた男たちがぞろぞろと姿を現す。しかしそんな彼らを気にも留めず、その子はズンズンと奥へ、奥へと進んで行く。そしてその曲がり角に着いた時、浮浪者たちは恐れから一斉に身を隠した。恐れ。そう、その先に誰がいるのか彼らは知っていた。遂さっきではあるが、ここの住人たちですら絶対に近付きたくない者がやって来たかと思うと、腰を下ろして動かなくなったのである。
少女は対面した。フードを深く被ってはいるものの、その背中の両翼と尻尾までは隠せていない、竜人と。
「……こんな所に呼び出すなんて、愛の告白にしては随分と寂しいんじゃない?」
「相変わらずのようで安心したよ。武器を捨てたようだが、心意気は健在のようだ」
「貴方も変わらないみたいだね。ムードもへったくれも無いんじゃない、これじゃあ。大人の男として、こんな小娘に言われて恥ずかしくないの?」
「生憎と世俗には疎くてね。私の生きる理由は、後にも先にもただひとつ」
「ふーん、そんな根っからの武人気質さんが、どうしてまた、私なんかにラブレターをくれたの?」
少女は味気ない無地の便せんを取り出す。差出人はナーガ、紅蓮魔導隊の隊長。受け取ったのはルーチェであった。手紙で指定された時間、場所にて、こうして2人は出会ったのである。もっとも、これは前もって郵便で出されたものではなく、魔法を使った物質転送によるものだった。大変に便利ではあるが、それは高度な修練を積んだ者だけが、莫大な魔力を消費して使うことができる超一流技術だ。魔法に精通したナーガだからこそ扱える緊急の連絡手段であり、これを行使したことこそが、手紙の内容以上に事態の深刻さを物語っていた。
周りには誰もいない。普段はこの辺も浮浪者でごったがいしているのだが、ナーガが強引に人払いしたのだ。何が始まるのかと覗こうとする者もいたが、彼が睨みを利かせただけで一目散に走り去って行った。見守っているのは月のみである。
「単刀直入に言おう。直ちに逃げろ」
「何の冗談? 天変地異でも予言した?」
「俺にも立場がある。これ以上は察してくれ、というより感付いているではないか」
「ふふ、あんまり優しくて、つい意地悪しちゃった」
ルーチェが四大将軍だった頃、武人として、お互いに認める部分があった。次第に会話は弾み、話題は剣、魔法から始まり、この国の行く末にも及んだ。しかしルーチェとしてはアデルが全てだったため、そこら辺については適当な返事だったが。とにかく、そんなやり取りを経て2人は意気投合していったのだが、竜人と人間との間には確執がある。軍事演習すら滅多になく、主なやり取りは手紙だけで、こうして面と向かって話すのはいつ以来だろうか。
「お前の剣はここで失うには惜しい。悪いことは言わない。何としても逃げ延びて欲しい」
竜人の傲慢さを長年見てきたはずのナーガが、わざわざ人間の暮らす領土にやって来たのだ。その道中は楽ではなかったはず。石を投げられたり、心ない言葉をぶつけられたりもしただろう。そこまでして、こうして頼み込んでいる。それがわからないルーチェではない。
「ふふ、上から目線もそのままなんて、ね。老いたんでしょ? 少しは視野を広げたらどうなのよ」
「減らず口を聞く時間は無いな。要件は伝えた。後はお前次第だ」
しかしルーチェはアデルを守るために命すらかけている。ようやく幸せを掴んだ今、いくらナーガから手紙を貰ったからといって、自ら死地へ飛び込もうとするだろうか。答えは否。断じて否。世界すらどうでも良いと思っていた彼女が、どうして今更、紅蓮飛竜隊がイース・ディードを強襲すると聞いて剣を取るだろう。
「ふーん、助けてはくれないんだ?」
「君には情がある。何より、これから始まる馬鹿な出来事に心を痛めている。だからこれは、せめてもの償いだ」
「そ……苦労人ねぇ。で、いつなの?」
「朝日が昇る頃だ」
空はうっすらと闇に青みがかってきている。間もなく太陽が顔を見せ始めるだろう。もう一刻の猶予も無い。このままここに留まっていれば、いかにルーチェとはいえ、間違いなく蹂躙されてしまうだろう。
「はぁ……悩む時間も無いじゃない。急かす男は嫌われるよ?」
「覚えておこう。では、また出会える日が来ることを切に願っている」
ナーガはそう言い残すと、振り返ることなく立ち去って行った。残されたルーチェもまた、来た道を戻り始める。
当ては外れた。彼には彼の取るべき道があって、それを捻じ曲げてまで助けてはくれなかった。だからといって逃げ出す選択肢は無い。というよりも、このやり取りの結果の如何によらず、ルーチェは剣を取るつもりであった。イース・ディードにはアデルがいる。十分な理由だ。
「あーあ、いつかこうなる日が来るとは思ったけど、今かぁ。ま、悪い人生じゃなかったかもね」
ぼやきながら、ルーチェは宿泊している宿に入る。壁には、四大将軍の時に着ていた甲冑が立てかけてあった。これは本来、将軍職を辞した場合は返還するべき装備だ。行方不明という扱いになっているのを良い事に、こっそりと隠し持っていたのだ。それをそっと手で触りながら、悪い笑みを浮かべる。
「また力を猫ババさせて貰うからね、リリス様」
その胸元には、同じく返さなかった頼みの綱、四大将軍の証のペンダントが下げられていたのだった。
闇夜の空が紫がかり、徐々に赤みがかっていく。雲ひとつ無い、澄み渡るような綺麗な空が見え始めた頃。ネズミ色の煉瓦で高く造られた壁、通称関所の前に彼らは立っていた。ここは国境の境目。イース・ディードとサウス・グリードを隔てる壁である。
「良い空だ。我らが駆けるに相応しい」
先頭に立つのは、紅色の甲冑を着たローレンだった。鎧に着いた朝露を指で払いながら、空を見上げて満足げに頷く。その後ろには、十万を超える兵たちが控えていた。全て彼の率いる部隊、紅蓮飛竜隊である。各々個体差はあれど、そこら辺を飛ぶ鳥たちとは比べ物にならない立派な翼を持っていた。
「各員に告ぐ、時は来た!」
招かれざる客の彼は、関所を守る兵たちに見つかることすら恐れず大声を張り上げた。見付からなくて当然だからだ。既に先行部隊が片付けてしまっているのだから。
「これより我らは、世界の脅威である魔王を討ちに出る! 全軍、翼を広げよ!」
「お待ちください、ローレン様」
兵たちの中から、皆を代表するように1人の兵が進み出る。ここまで準備され、後はもう出るだけという状況だ。警備兵を殺している以上、後戻りもできない。今更何をどう言おうとも変わりようはないものの、兵たちの中にはためらう者も少なくない。
「ナディア様が宣言された開戦の日まで、まだ1日あるように思うのですが」
そう、ローレンはナディアの言葉を無視している。戦うことを拒絶するのではなく、その一点が気になっていたのだ。
彼らにとって、代表のナディアの言葉は絶対だ。一方で、ローレンの命令もまた無視できない。そんな葛藤の中、全責任は俺が負うと彼が宣言したことで渋々付き従って来ているだけ。それにも関わらず、いや、だからこそなのかもしれないが、こうして直前になってためらいを見せていた。
「いいのだよ、ナディア様は開戦を宣言されている。別にイース・ディードへ声明を出した訳でもなし、どこよりも早く手柄を挙げる絶好の機会だ」
「ローレン様がそう仰るならば……」
彼らは否定するかもしれないが、心の底からナディアの言葉を重んじる者はいない。まずは自己保身。罪を問われた時に弁解するための材料が欲しかったのだ。勿論、そのように自覚できている者は多くはない。だからこそ臆面もなくためらい、それっぽい理由を得られればもう迷わなくなる。目的はひとつ。魔王を討つ。亡き上司や友人、中には家族を失った者も少なくない。そんな憎しみの象徴を一刻も早くどうにかしたかったから。
「つまらんご託は輝かしい戦果の前に屈するものだ。我らの敗北を予感した弱者だけ引き返すがいい」
そんな彼らの弱さをローレンは熟知しており、それをどうにか利用できないかと考え、煽り、先導し、背中を押してきた。その結果、ほら、もはや彼の私兵と言っても過言ではない軍隊を手に入れるに至った。後は功績を得るのみ。そうすれば彼の地位は不動のものとなる。
「何を仰るのですか。我らは誇り高き紅蓮飛竜隊ですよ」
「ふ……知っているさ。あえて聞かせて貰ったのだよ。要らぬ揺らぎなど無いかどうかをな」
もはやためらう者は皆無。誰もが、今か今かと開戦の言葉を待ち望んでいた。ナディアのものではなく、ローレンの言葉を。そんな彼らの面構えをぐるりと見回してから、ローレンは大変に良い気分でより一層声を張り上げた。
「よし、では紅蓮飛竜隊……出撃だ! 我に続け!」
「おぉっ!!」
竜人たちは雄叫びを上げながら翼を広げ、一斉に飛び立つ。高さ10メートル程度の壁など飛べれば障害でもなんでもない。まして彼らは空を駆けることに特化している。易々とイース・ディードへ侵攻を開始した。
その時だった。防壁の上に立つ1つの影が、ゆらりと動く。
「エアリアル・ストーム――!」
ローレンと共に先陣を切った竜人たちは、突如現れた緑色の竜巻に阻まれ止められる。それだけじゃない。竜巻から放たれる槍に翼を撃ち抜かれ、地面へと墜落していく。
そのどれもが峰打ち。雨あられのように飛び出しているものの、翼以外には当たらない。頭や首、胸、腹部といった急所は狙われていない。しかし、たった一撃だけ、明らかに殺意が込められた一刀がひっそりと放たれた。狙いは決まっている。だから彼の側にいた竜人は、
「お下がりください、ローレンさ――」
身を挺して槍を受けた。腹部を貫かれ、みなまで言う前にその竜人は絶命。ぐらりと姿勢を崩して地面へと落下していく。
彼のお陰でローレンは直撃を免れていた。貫通したのだから当たってもいいところだが、彼は貫かれながらも軌道を反らした。その咄嗟の判断。ローレンを守ろうという強い意志が、こんな奇跡を呼んだのである。
「おのれ……誰だっ!?」
ローレンはこれでも歴戦の戦士。その思いは確かに受け取っている。本心では敬礼し、最大限の感謝の意を示したいのをグッと堪えて敵を探す。死ねないから。こんなところで果ててしまえば、その並々ならぬ意思を無駄にしてしまうから。
「おかしいなぁ、直撃コースだと思ったんだけど。良い部下を持ったね、ローレンさん?」
城壁の上に立つのは1人の少女。白金色の甲冑を着込み、その周囲には7本の風の槍を展開している。他に敵影は無い。彼女1人の手によって、既に100人近くを落としていたのだ。こんなことができる人間、世界に何人いるだろう。性別や年齢を無視すれば、四大将軍のシャルディ、ロア、それからあと1人。
「お前は……ルーチェ!? 生きていたのかっ!?」
戦士ならば知らぬ者はいない程の若き実力者、ルーチェ。そう、彼女だけだ。そんな化け物染みた候補に挙がる者は。そのプレッシャーは相当のもの。たった1人、しかも身体能力で劣る人間が立ち塞がっただけで、竜人たちは浮き足立ってしまう。
「る……ルーチェ……って、あの」
「あ……あぁ、疾風の魔槍兵ルーチェだ……」
竜人たちは聖リリス帝国の主戦力でありながら人間を見下していたため、最高戦力が集められた四大将軍といえども、さして強くはないだろうと思っていた。仲間内ではそう言い合っていたからこそ、たまに聞こえる英雄譚は噂に過ぎないと馬鹿にもしていた。それが間違い。その認識が完全に誤解だったのだと、今の一瞬の攻防で骨身に染みる程に理解していた。
そんな彼らの狼狽振りなど気にも留めず、ルーチェは真っすぐにローレンを見据えた。そして微笑みかけもする。
「お久しぶりです、ローレンさん。こうして元気一杯ですよ」
可憐な少女のように、ルーチェはくるりと一回転して見せる。明らかな挑発。余裕過ぎる態度。それが癪に触ったローレンは、同胞が殺されたことも相まって怒りに震える。
「いい度胸だな。こんなことをして……わかっているのか?」
「まさかぁ、天下の紅竜同盟の兵隊さんが、この程度の挨拶でやられるなんてあるんですか?」
「い、言わせておけば……! これは国家反逆罪とされても何も言えん……っ!」
ローレンは思わず言葉に詰まった。変わったのだ、ルーチェの雰囲気が。これまでのまだどこかお遊戯的な緩さが一切無くなり、明確な殺意が放たれ、嫌でも死を想像させる冷気のようになって襲いかかってきたのだ。
「……だから? 領土侵犯しているのはそっちです。一般市民としては、当然の自衛行動じゃないですか?」
「ぬ……ぬけぬけと……!」
「あ、間違えました。まだ領空侵犯ですね、反省です」
ルーチェは可愛らしく拳で頭を小突き、舌を見せて煽る。しかし、その目はもう笑ってなどいない。臨戦態勢。きっかけさえあれば、いつでも全力で駆け出せる状態であった。
「い……いいだろう! そんなに死にたいのならば望み通りにしてくれる! お前たち、やれ! あれは敵だ! 同胞の仇だ!」
それを受けた竜人たちは、ハッと我に返ったようにしながら、慌ててルーチェを取り囲んだ。そうだ、四大将軍だろうが化け物だろうが、こうして明らかな敵対行動を取られたのだ。倒さねばならない。落ちた同胞たちのため、そして何より、そうしなければ逆に殺されかねないから。
ルーチェはというと黙って見守っている。如何に強いといっても、これだけの多数を相手にできる程ではない。それこそ規格外生命体のユウたちでなければ無理だ。それにも関わらず、一切の抵抗を見せずに放置して眺めているだけなのだ。やがて彼らが位置に着いたのを確認すると、ようやく口を開く。
「天下の紅蓮飛竜隊ともあろう人たちが小娘相手にこの始末? こんなんじゃあ、イース・ディードは落とせないよ」
「馬鹿が! お前さえいなくなれば、後は……!」
後は魔王とその配下が待つのみ。ローレンがそう言おうとした時、ルーチェは唐突に笑い出す。ケラケラと腹を抱えて、目に涙を浮かべもした。
「それこそ馬鹿って言うんだよ。イース・ディードにはね、魔王様がいるって知っているんでしょ? だから来たんでしょ?」
「ふん、魔王と繋がっていたのか。これはまた特大の国家反逆罪だな。法廷に引っ張る必要もない。ここで断罪してくれる!」
「あー……言いたいのはそこじゃないって」
やれやれと首を振りながら、ルーチェは心底呆れたように、そして物わかりの悪い子どもに教え諭すようにして言う。
「私なんかで手間取っていたんじゃ、あの人たちの足下にも及ばないっての。わかる? 攻撃の意思が無くても殺されかけた私の気持ちが」
それはウロボロスとの一戦。たった一撃入れればいいというこちらを舐め腐った余興で、ルーチェは痛感した。身体能力や天賦の才といった次元ではなく、生涯かけても決して届かないような隔絶した圧倒的な力の差を。だって、どんな不条理だ。防御のために槍で受けられただけで吹き飛ぶなんて。しかも向こうは魔法なんて使っていなくて、反撃する気持ちすら無かったというのに。
「何を訳のわからんことを……もういい。つまらん御託は聞きたくもない。全軍、構え!」
ローレンの指示を受けて、竜人たちは槍を突き出して狙いを定めた。もっとも、全方向から串刺しにするのだから狙いというには大き過ぎるだろう。でも構わない。どこかでいい。ルーチェの体に当たるのなら。なぜなら、彼らには比較する必要もないくらいに数で分がある。
ただ、懸念点が全く無いこともない。先の攻撃には確かに驚かされたからだ。そういう意味での警戒心はあったが、この人数であれば多少の小細工をされても力ずくで押し切れる。誰もがそう確信していた。
「やれ! 息の根を止めろ!」
一斉に竜人たちが攻撃に出る。なんと醜く滑稽なのだろうとルーチェは思った。目の前しか見ていなくて現実を知らない。ここまでの全てが罠だったと考えもしない。この愚かしさを何と表現すればいいのだろう。答えは決まっている。
「本当に……馬鹿ばっかり」
風が吹く。風、いや、そんな生易しいものじゃない。トルネード、台風の類いだ。大木を根本から吸い上げ、壁をボロボロと崩壊させる程の強風。しかし竜人たちはびくともしなかった。彼らの飛行能力は高く、例え大嵐の中だろうと物ともせずに突き進めるのだから。
「馬鹿め、そんな風ごときで我らを撹乱できるものか!」
槍が一斉に突き立てられ、針山のようになった。ローレンも、竜人たちも、誰もが勝利を疑わなかった。だから見落とした、一瞬の隙。
「甘い――」
風は、まだ止まない。逆巻き連なり巨大な槍と化す。
ルーチェは無事だった。藍色の盾に守られて、つまり、リリスの御守りを意図的に発動させていた。自ら致命傷となる箇所で槍を受けにいったのだ。そんな絶対的な盾を得て、彼女は攻撃に専念する。
「――エアリアル・ランサー!」
「総員、備えろ――!」
ただ、その反撃は遅かった。大き過ぎる故にゆったりとした動きである。何だ、人間などこんなものかと気を緩ませつつ、ローレンは余裕で軌道上から逃れてしまう。
「無い知恵を振り絞ったのだろうが――」
「――はい、チェックメイト」
油断させたところを的確に穿つ。そんなルーチェの術中にハマったローレンは、その背後に突然彼女が現れても反応すらできない。予想だにしない奇襲に弱い、典型的な強者の弱点であった。
「――貴様っ!?」
「ローレン様――!?」
ルーチェだけがほくそ笑む。もう阻まれるものはなく、風の槍で胸をひと突き。これで終わり。
「――あれ?」
しかし、予想外に鎧は硬過ぎた。いや、呪いの類いがかけられていたのかもしれない。鎧と共に風の槍は砕け、ローレンの体まで届かなかった。しかも焼けるような爆風が発生して押し戻されてしまう。
「なんで貴方のだけ、こんな硬度なの?」
「く、くそが……っ!」
奇襲失敗と判断したルーチェは空中を素早く駆け抜ける。追っ手や行く手を阻む者たちを、落下する巨大な槍、エアリアル・ジャベリンの風圧で吹き飛ばしながら。お陰で、辛くも距離を取ることには成功した。
「ま、待て! ただで逃がすと思うなよ!?」
「ふふん、ここまでおいでー!」
涼しそうな顔をしているが、ルーチェは内心では悔しい気持ちで一杯だった。相手は身体能力の高い竜人、しかも大軍。こちらはたった1人。勝機があるとすれば不意討ち以外に無かった。だからこそ煽りもした。それがどうだ。なんだ、あの予想外に硬い防具は。予想外。そう、侮っていたのはルーチェの方だったのかもしれない。
「……さて、と」
関所の上に下り立ち、ルーチェは一瞬で思案する。ここから挽回する策を。まぁ、そんなものは無いからすぐに終わったのだが。流石のローレンも、似たような手を二度は許すまい。竜人たちも警戒を厳にするだろう。一方、こちらの予定していた奇策は出し尽くした。
「……こんな薄汚れた土地だけどさ、それでも、アデルが、そしてあの人が守った場所なんだよね」
逃げるか、戦うか。2つに1つ。しかし悩む必要なんて無い。1秒もかけずにルーチェは即断する。それが例え、命を落とすことになろうとも。
「だからさ……おいそれと逃げ帰る訳にはいかないかな!」
元より一度は死んだ身。ここで果てることに未練は無く、あるのはアデルの笑顔を見たいという願いのみ。ルーチェは反転し、迫り来る紅蓮飛竜隊と真っ向から向き合った。
「さぁ、行こうか、栄えある竜人さん! あんまり人間を舐めないでね!」
目の前にいる奴らを1人ずつ確実に仕留めにかかる。どこまでやれるか、なんて考えない。敵の数が多いとか、もう策が無いとか、そういう話ではない。何としてもやり遂げなくてはならないのだから、考える意味が無いのだ。
「――そこまでです」
今まさに刃が交わろうとした時、その声は空高くより響く。力強く、凛とした、よく通る少女の声。しかしとても高貴で絶対的な力を感じさせるもの。その影響力は凄まじく、本気で殺しにかかっていた竜人たちはおろか、ルーチェまでも戦いを止めてしまう。
「私、竜神ナディア=イスパダールの名において命じます。双方、剣を収めてください」
上空より舞い降りたのは、美しい紅色の翼を広げるナディアであった。その隣には無念そうに顔を伏せるレヴィとメグもいる。
「な……ナディア様、どうしてここに……?」
「貴方こそ、なぜここにいるのです。私の言葉を忘れたのですか?」
「それは……憎き者共へ、裁きの鉄槌を下すために」
ナディアは声をやや荒げる。普段ならば優しく諭すように語っていただろう。ここで叱責したところで起きたことは変えられないだろう。そうとわかりつつも、死傷した同胞たちに目を向ければ、どうしても怒りが抑えられないのだ。
「誰が許しましたか、そのような蛮行を。直ちに引き返しなさい。これはもはや戦ではなく、侵略行為です」
「うぐ……も、申し訳……ありません。しかし、あの娘は我らの同胞を殺めました! ただでは帰れません!」
振られたルーチェは、バツの悪そうに頬をかきながら、しおらしく挨拶する。今更許しを請うつもりはないのだが、それでも、ナディアの心中を思えばいつものようにふてぶてしくはできなかったのだ。
「その……ナディア様、お元気そうでなによりです」
「貴女に感謝せねばなりませんね」
「……ほぇ?」
てっきりローレンと同じように叱られるか、最悪の場合は処分されると覚悟していたルーチェは、鳩が豆鉄砲をくらったような顔で、変な声を上げた。感謝。同胞を殺められて、あんなにも悲しそうにしているのに、それでも感謝するというのだ。驚くなと言う方が無理な話だ。
「な、何を仰るのですか、ナディア様! そやつは同胞を!」
ルーチェですらそう思うのだから、ローレンはその上をいく。地面には多数の、それも槍でズタズタにされた同胞たちが倒れていたのだから。中には致命傷こそ貰っていないものの、落下した衝撃で死に至った者も少なくない。これだけの被害を受けながら感謝などあり得るものかと抗議した。
それでも、ナディアは頑としてこちらのみが悪いのだと言い張る。
「そもそも、この争いの原因はこちらにあります」
「しかし、あやつは四大将軍! 国の兵に傷を付けたのです! 厳罰に処すべきです!」
「確かに、かつて見知った顔ではあります。しかし今はただの一般市民。守るべき民へ刃を向け、罰せられるのはこちらです」
「そ、そんな……馬鹿な……」
項垂れるローレンを尻目に、ナディアはルーチェに向かって頭を下げた。これには黙って事の成り行きを見守っていたレヴィも止めようとしてしまう。
「なっ、ナディア様!?」
「良いのです、レヴィ。愛すべき民を意図的に傷付けんとしたのはこちらなのですから」
「そ、それはローレン様の役目です。何もナディア様が……!」
「同胞たちの罪は私の罪。謝って許されることではないでしょうが、せめてもの謝罪です」
その殊勝な態度にレヴィは言葉を失い、一方でルーチェは吹き出した。おかしくて。余りにもおかしくて。馬鹿にしているのではない。惜しいのだ。自分の信じていた通りの、こんなにも素敵な人とこんなことになってしまって、笑うしかなかった。
「あーあ、どうしてこんなにも心から尊敬できる方と、こんな風になっちゃうのかなぁ」
ナディアは逃げも隠れもせず、上に立つ者としての責任を取ろうとした。普通のことを普通にこなしたのだ。それがどんなに難しいことか。ルーチェは嫌というほど見てきている。聖天騎士団に入ってから僅か数年で、何度となく責任の押し付けがあった。蜥蜴の尻尾切りもあった。上に立つ者たちの醜さは、こういう重大な局面において臆面もなく姿を見せくれていた。
「返す言葉も御座いません」
ナディアに非はほぼ無い。強いて言えば、ローレンたちをきちんとコントロールできなかったことくらいか。それだけなのに、全ての責を背負おうと言っている。その心に少しでも報いるためには、と、ルーチェはあえて確認する。
「でもさ、本当にお咎め無しなの? 自分で言うのもあれだけどさ、それじゃあ虫が良すぎない?」
ルーチェは罰せられる覚悟があった。詳しい事情に何となく察しが付いており、今の世界の流れを汲むならば、むし悪はこちら側なのだろうとも理解している。だからこそ、ナディアに断罪されるならそれもありなのかと、そう思ったのである。まぁ、アデルと共にあるために精一杯の抵抗はするのだが。
「いえ、貴女には一切非などありませんよ」
「ふーん、そっか」
百人近くも斬っておきながら無罪放免なんて甘いが、許されるなら文句を言うのはおかしな話だ。むしろ万々歳。これ以上争う必要が無いのなら、いらなく蒸し返される前にと、ルーチェは背を向けて立ち去ろうとする。でも、ふと思いついた。今しかできない忠告を、もう一度しようと。
「あ、そうだ。1つだけ忠告しておきたいことがあります。イース・ディードに攻め込むのなら、私よりも魔王様に警戒してください。あの人と配下は強いです。私が十万人いたって、一番弱い人にも勝てませんから」
十万人。それはここにいる紅蓮飛竜隊の総数だ。十万対一でルーチェに負けそうになった彼らには、とても信じたくない話である。ただ、ナディアは違う。それが過剰表現でもなんでもない事実のなのだとよくわかっている。
「ご忠告、感謝します」
「はい、よろしくお願いします。それでは」
ルーチェは今度こそ振り返ることなく走り去ったのだった。その背中に尋常じゃない視線を浴びていたのだが、まるで近所の店からちょっと急いで帰る時のような雰囲気だったのは、言うまでもない。




