第10話「ユウとナディアの会談」
今日も一日頑張ったなぁ、それが素直な感想だった。万が一に備えた保険とはいえ、復興したばかりのオラクル・ラビリンスの全てをチェックするのは骨が折れる。明日もまた缶詰になるだろう。だが、今は考えるのはやめだ。仕事終わりのコーヒーブレイクを心置きなく満喫しなくては。
あー、味が薄い。でも体に、頭に染み渡っていくような快感は得られる。やがてカップが空になり、そろそろ休もうかと思った矢先の事。またしてもウロボロスがやって来る。また、と言った。言わせてくれ。だってさ、
「我が君、お疲れ様でした。お休みになられる前に、コーヒーは如何でしょうか?」
「え、えっと……その、ウロボロス?」
1日に何杯淹れると気が済むんだ。起床、3食、食事の合間に出されたのも合わせると20杯を優に超えている。もう腹の中はコーヒーしか入っていないだろうよ。中毒患者か、俺は。トイレが近くてたまらないぞ。そう訴えているのだが、見てくれ、このウロボロスの喜々とした表情を。
「これは自信作です。今度こそ大丈夫です。よくお休みになるためにも、是非ご賞味くださいませ」
多分だけど毎回、創意工夫を凝らして淹れているのだろう。相変わらず味は薄いものの、ほんのりと違う気がしている。豆を変えているのか、それとも何か調味料でも足したのか。少なくとも砂糖やミルクではない何かが混ぜられているのだろう。まぁ、あくまでも微かにそう感じる程度で、出汁が変わったかな、程度ではあるが。
まぁ、それでも違う味を出しているのは事実。それにこの笑顔。どうしても強くは断れず、ここまでズルズルと来てしまった。でも、それもここまでだ。
「あ、あのさ、コーヒーにはカフェインってものが入っていてな」
はっきり言って、そろそろ寝たい。時計を見ると、もう朝日が出てもおかしくない時刻だ。社会人ならまだ序の口だと思うだろうか。安心してくれ、もう2回は太陽が昇るのを見た。目が痛い。頭がボーッとする。体が怠い。仕事でもないのにどうしてここまで頑張ったのかと、自分自身に問いたいくらいだ。
理由はいくつかあるが、きっとその一助となっていたのは度々出されたコーヒーだろう。だからさ、そろそろ解放して欲しい。これ以上眠気覚ましの成分を取ってしまえば死ぬかもしれないぞ、俺。
「カフェイン……? それは、私の隠しき切れない愛じょ……いえ、最高の調味料と、何か関係が御座いますか?」
駄目だ、ウロボロスも連続の徹夜特有の謎のテンションになっている。くそう、もういっそ、このまま共倒れになってしまおうか。いや、待て待て。それは駄目だ。またカルマたちに心配をかけてしまう。寝なくては。俺のため、ウロボロスのため、そして皆のために。
「えーと、その、カフェインっていうのはな、眠気を覚ましてしまう効果があって。俺はそろそろ寝たいところで……」
「つまり、今夜は寝かせないということですね!? あぁ、遂に私の思いが届いたということにっ!」
あぁん、もう。どうして都合の良い部分だけ抽出しちゃうかな。その上、なぜ曲解しちゃうかな。もはや原型を留めてないぞ。
それもこれも、全てはルーチェのせいだ。あいつがアデルのコーヒーをあらぬ方向から褒めちぎったから、そのとばっちりが飛んできている。なんだよ、隠し切れない隠し味って。隠せないならどっかしまっておけっての。
そんなことより、今はウロボロスの暴走を止めないと。このままの勢いは危険。大変なことをされかねない。
「違う! い、いや、全く否定はしないよ? お前の気持ちは痛いほど伝わっているから! で、でもさ、そういうのは順序があってだな!」
必死に宥めていると、控えめなノックの音がする。この感じ、カルマだろうか。フェンリスは元気よくバーンと、アザレアはすっと入って来る。ムラクモはもう少し甲高いノックだ。なんて謎の分析をしていると、返答する前だというのにガチャリとドアが開いた。案の定、そこにはカルマが立っていた。
「魔王様、失礼するのじゃ」
「あぁ、やっぱりカルマか。どうした、こんな時間に?」
気付いただろうか。俺は今、いつもならしないミスを犯した。油断していた。これを転機に何とかして寝られないかな、とか考えていたんだ。眠気に負けそうな時、そんな甘えは命取り。見ろ、ウロボロスを。こちらもまた眠気に襲われて、いつも以上に理性のストッパーが緩々になってしまっているのだろう。俺の失言に敏感に反応し、目を吊り上げて詰め寄って来る。
「……む、やっぱりとは一体どういう意味ですか? まさか、カルマとそんな関係に……!」
そうだよね、そうくるよね。これじゃあ、まるで俺がカルマを呼んだみたいじゃんか。冷静に考えてみればこの2日、俺はずっとウロボロスと一緒にいた。離れていたのはコーヒーを淹れている間だけだ。そんな一瞬の隙を突いて、どうして俺がカルマと会う約束を交わせるだろう。ちょっと考えればわかるだろうに。
え、コーヒーを淹れるのだから一瞬ではないだって。甘いな。ウロボロスが俺からそう長く離れるものか。毎回1分足らずで済ませて来たんだぞ。最短記録は3秒だぞ。どうだ、凄いだろ。
「落ち着け、ウロボロス。何も無いから」
そんな自慢をしてもどうにもならないし、それはそれで悲しい話だ。カルマとイチャイチャしたい気持ちも無い訳ではない。ぶっちゃけカルマは好みだから。
でも、そんなことは口が裂けても言えない。心の中ですら思えない。平時でもウロボロスは俺の思考を読み取ってしまうのだから。特にこの状態ならば、きっと俺にとって大変に不都合な形にねじ曲がって伝わってしまうだろう。そんな気がする。だからこそグッと堪えた。
そんな俺の戦いを知ってか、知らずか、カルマはそそくさと中へ入って来て一礼する。と、それでようやく気付いた。どうやらアザレアもいたらしい。やはり眠い時は駄目だな。大切な配下に気付かないなんて。
「では、僕も失礼しますよ」
「あぁ、どうぞ……って、あれ、この面子は……」
ウロボロス、カルマ、それにアザレア。この3人が揃って大変な事態に発展した事が遂最近あったぞ。思い出したくもないけど、嫌でも脳裏に浮かび上がってくる。血で血を洗う物理言語による議論が。こんな時間に、こんなテンションで、ここで第三次大戦でも始めようというのか。
血の気が引いていくのがはっきりわかった。頼む、それだけはやめてくれ。修復がやっと終わったばかりなんだ。このために俺は丸2日もかけて、ようやくチェックも終わりそうなんだ。頑張った。とにかくがむしゃらにやり遂げたんだ。だから頼む、荒らさないでくれ。
そんな祈りが通じたのかどうなのか、カルマは真剣な顔付きをしている。
「初めに言っておこうかのう。真面目な要件じゃ」
念のためアザレアも見ると神妙な面持ちで頷いた。やはりただ事じゃないらしい。落ち着いて聞くべき話のようだ。
困ったな。真面目な話なら今すぐではなく、一度寝てから聞きたいところ。だが、傲慢かもしれないけどさ、カルマたちが俺の行動を把握していないとは思えない。俺が寝ていないとわかっていながら、それでも持ってきた要件なのだろう。そうに違いない。よし、すぐに聞こうと決めて、気持ちを入れ換えるためにひとつ深呼吸してから2人を見据えた。
「……何があった?」
「以前、紅竜同盟の使節団が来た時の事を覚えておるかのう?」
「あぁ、確か交渉がどうのって言っていたな。まさか、その日時の連絡が届いたか?」
なるほど、その日時が今日の昼とかなら、これから爆睡したんじゃきっと起きられない。止めに来たか、はたまた目覚ましを買って出てくれるのか。なんて、そんな楽観的な想像をしていたが、どうやらそんなレベルの話ではないらしい。
「いや、そのものが来たのじゃ」
そのもの。はて、そのもとは何ぞや。使節団がまた来た、という感じではない。そうなってしまうと、もうピンとこないな。ただ確実に言えることは、この雰囲気からして予想の斜め上をいくのだろう。聞かなくてはならないか。そのものについて。
「そのものって……何?」
「紅竜同盟の代表者ナディアが来ておる」
両目を擦る。両耳を叩いてみる。うん、正常だ。眠気が強いだけで、どちらも問題なく働いてくれている。それじゃあさ、え、カルマが言った言葉は本当って事になってしまうんだが。
時計を見る。今は朝4時を回る頃。おいおい、冗談きついぜ。でもカルマやアザレアの表情は、確かに来ていると言っている。
「……一応、聞いておく。直接ここに、ご本人様がもう来ていると?」
「うむ、その通りじゃ」
待って、え、頼むから待ってくれ。まぁ、そりゃあさ、いずれはさ、何かしらの形で対面することにはなったと思うよ。だから竜神祭にも行ってさ、これから話し合いがあるからって情報収集したり、建物を直したりしたんだよ。準備していたんだよ。それなのに、何なの、その何もかもぶち壊してくれる渾身のストレートは。物事には順序ってものがあろうだろうが、畜生。でも、来てしまったものを追い返す訳にはいかない。
「い……行くか。こんな状態でも行くしかないよな。ウロボロスも来てくれ」
「畏まりました。カルマとアザレアは如何が致しますか?」
2人も来てくれ、と言い欠けて思い直す。こんなあり得ない事態だ。何かを仕かけて来ないとも限らない。ウロボロスと違い、カルマとアザレアはちゃんと寝ていたらしい。目が血走っておらず、至って健康的だ。俺が気付けないもの、見落とすものでも、2人ならきっとひとつ残らず把握して対処してくれるだろう。それなら周囲でスタンバって貰った方がいい。俺自身が頼りにならないのだから万全の体制を取るべきだ。
「2人は周辺の警備を頼む。話がどう転ぶかわからない以上、安心して臨める環境にしたい。フェンリスとムラクモも出してくれ」
「うむ、任されたのじゃ」
カルマは頷いてくれたが、アザレアはすぐには首を縦に振らなかった。何か思うところがあるらしい。でも、だからといって反対ということでもないらしい。「忠告がある」と前置きしてから、アザレアは言葉を続ける。
「あちらはどう見ても穏やかな様子ではありませんでした。どこか狂気にも似た、常軌を逸した覚悟のようなものが感じられます。用心してください」
「あ……あぁ、忠告ありがとう」
敵の大将が出向いての直接対談だ。アポなし、しかも初対面。更に穏やかな様子じゃないときたか。これで警戒するなと言う方がどうかしている。ひょっとして、この来訪自体が宣戦布告か、それとも降伏勧告なのだろうか。
いや、待て。この思考に意味はない。そもそも紅竜同盟が俺たちとどういう関係を取りたがっているのかすらわからないのだ。加えて、アデルやルーチェたち以外から情報収集する暇も無かった。そこにこの眠気。考えるだけ無駄。
「よし……行くか。ウロボロス、念のためフル装備をしてくれ。いざとなったら俺を守って欲しい」
「はい、畏まりました」
朱色の甲冑に身を包みつつ、腰の翼と尻尾を出した姿になる。これで元々高いウロボロスのステータスの内、防御を更に高めることができる。
ドミニオンズ時代はこうして壁役を任せていた。俺の想定通りまで育ちきってからは、ただの一撃さえも通したことの無かった絶対無敵のエースである。グングニル改12も装備して貰って、これで完成だ。
「よし……行くか」
俺も魔王の装備、黒いマントやらジャラジャラと装飾品を色々身に付けて、待たせているという応接間へ向かう。そして着く。
この先だ。この扉の向こうにナディアがいる。さっさと開ければいいものを、両開きの取っ手を掴んだ手が、妙に強張ってうまく動いてくれない。緊張しているのか。自分の城だというのに、この扉がとても重々しく感じられた。
「我が君、どうされましたか?」
「あぁ……うん、何でもないよ」
本当は何でもなくはない。この世界でこそ魔王を名乗っているが、俺はただの一般人だった。一方で、ナディアは紅竜同盟の代表者。元の世界でいえば、どこかの国の首相や国王なんかと同じだろう。いざ、そんな偉い人と会うとなれば緊張して何が悪い。むしろ逃げ出したい気持ちにすらなっている。
ひとつ深呼吸する。そうだ、何を弱気になっている。俺は魔王として、この世界と向き合っていくと決めたじゃないか。この力は絶大らしい。今回のようには話し合いの機会を持てるならまだ良い。今後、いきなり寝首をかかれる可能性だってある。だからこそ、ウロボロスは寝ずの番をしてくれていた。今更怯えてどうする。もう債は投げた。引き返すことなどできはしない。
「……待たせたな、ウロボロス。行くぞ、念のため身構えろ」
「畏まりました」
見ろ、このウロボロスの勇ましくも美しい姿を。俺は魔王として皆を助けたことを後悔していない。むしろ喜ばしくすら思っている。だからこそ俺はこの世界でも、俺の信じた道を進むだけだ。
迷いは振り切った。グッと両手に力を込めて扉を開け放つ。中には、黒革のソファに3人が腰かけていた。メグ、竜人の戦士、そして、2人とは明らかに雰囲気の違う少女がソファに腰かけている。その顔には見覚えがあった。
「ふふ、またお会いしましたね」
忘れもしない。竜神祭で語り部と名乗り、俺たちの前に現れたメイリンじゃないか。どうしてこんな所にいるのか。なんて、疑問に思う必要はない。あの竜人の戦士はナディアではないだろう。メグも当然違うとすれば、答えはひとつ。
「ナディア様、お知り合いなんですか?」
この者こそ、現竜神のナディア。紅竜同盟の代表を務める者なのだろう。若いな、はっきり言って幼い。でも俺は既に見ている。この子が持つ独特のオーラを。あれはそうか、王者の風格だったらしい。
まったく、やってくれるよ。俺たちのファーストコンタクトは、きっと最高の形で済まされていた。
「いいえ、と答えることになるのでしょうね。その頃はメイリンと名乗っておりましたから」
「メイリン……って、まさか! お祭りの時に、魔王と会っていたんですか!?」
「積もる話はまた後で。今はもっと大切な話がありますから」
どうやら身内にも秘密で色々とやっていたらしいな。あの竜人、きっと親衛隊か何かなんだろうに。
どうしたものか。向こうの護衛は見るからに1人。しかし軽装だ。護衛というより付き添いという感じがする。一方でこちらは完全武装だ。ウロボロスなんて、ここで突然戦いになっても何ら困らない状態である。
チラリと後ろを振り返り、目配せして武装を解除して貰う。どうやら、向こうは本気で話し合いをご所望らしいから。
そんなこちらのやり取りにバッチリ気付いたのだろう。恐らくその意図にも。ナディアは意味ありげに微笑みつつ、鎧を脱いだウロボロスに軽く会釈してから、立ち上がって礼儀正しくお辞儀をした。
「改めて、初めまして。紅竜同盟の代表ナディア=イスパダールです。この度は話し合いに応じて頂き、まずは心より御礼申し上げます」
「初めまして、魔王ユウです。早速ですが、このような遅い時間に一体何事でしょうか?」
立ち振る舞いは礼儀正しくても、現時刻を考えれば非常識だ。しかも約束すら無かったのだ。普通なら寝静まっていても不思議ではなく、礼儀という概念すら欠如しているとしか思えない振る舞いである。
「それについては大変申し訳ありませんでした。こちらの身勝手な来訪に応じてくださり、感謝の念に堪えません」
「余程の話と思ったので、お気になさらず」
「流石は魔王様、懐が大変に深い御方ですね」
ニコリと微笑むナディアからは、メイリンとして会った時とはまた違う不思議な印象を受ける。あれが王者の風格なのだとしたら、これは何だろう。わからない。でも以前とは何かが決定的に違うように見えた。立場が変わったからなのだろうが、果たして、本当にそれだけなのか。ふと気になってしまった。まぁ、そんなの眠気にやられているだけかもしれないし、今はどんな話が飛び出すのか、それにだけ集中しよう。
「では、ご厚意に甘えさせて頂きます。ただ本題に入る前に、いくつか確認したいことが御座います。宜しいですか?」
「えぇ、お答えできる内容であれば」
「ありがとうございます。それでは……失礼とは十分に存じておりますが、魔王様はこの世界の住人でしょうか?」
これはまた、とても重い一撃が飛んできたものだ。確かに俺はこの世界の住人ではない。でも、それをこんな真顔で聞いてくるか。どんな神経をしていたらそんな発想になる。規格外の力を見せ付けたからか。でも、いくら前置きをしたからって、これは余りにも失礼過ぎる。それを初っ端から、こうも堂々と言われては、怒りも呆れも通り越して不気味だ。
余程の確信があっての事だろう。どう答えたものか。白を切ったり、笑い飛ばしたりしても何ら不自然ではない。ではないが、このまま流してはその真意が掴めなくなるだろう。
「……それは、どういう意味でしょう? 私はこうして息をしていますが」
ここは惚けて、少し相手の出方を伺う。この手のタイプに通用するかどうかわからないが、こうして言わせておけば、必ずその内にボロが出る。その真意を推測できるちょっとした言葉の綾、とでも言おうか。本当なら言うつもりのなかったワードが吐き出される。隙が生まれる。
「単刀直入に聞かせて頂くと、ここではない別の世界からやって来たのではありませんか?」
ところがどっこい、ナディアはあくまでも直球勝負を挑んでくる。隠すつもりもないのか、むしろそうやって見せて本心を隠しているのか。いずれにしても、こんなにもストレートで聞かれてしまっては、俺も何かしら答えない訳にはいかないか。さもなければ質問を切り上げるしかない。
「……随分と突拍子のない話ですね」
そうは思いながら、もう少しだけ、できるだけ話をはぐらかす。これは駆け引きでもあり事実でもある。俺自身、自分の状況がわからないのだ。もしもここで肯定したところで、なぜドミニオンズのキャラになってこの世界にやって来たのかなんて説明のしようがない。逆に、こんな話をし始めたナディアの方が、何らかの情報を持っている可能性すらある。だからこそのこの返し。さぁ、次は何が来る。
「確信がある訳ではありません。しかし魔王様と配下の方々の強さは次元が違います。大人と赤子、象とアリ、月とすっぽん……いえ、ひょっとしたらこの表現すらも適切ではないかもしれません」
「まさか、買い被り過ぎでは?」
「この城ひとつとってもそうです。これだけ立派な建物を常に浮遊させるだけの力……まるで、夢でも見ている気分ですよ」
その表情やここまでの話からは、全くその真意が伺えない。まさか本当に当てずっぽうだったとでもいうのか。わからない。わからないが、このままでは堂々巡りだ。忘れてはならない、俺のコンディションは最悪。加えて話す気の無いことを、こんな話の上手そうな奴から聞き出そうなどと愚の骨頂だったか。
ならば発想を切り替える。俺としては、ナディアたちの真意を知りたいのが一番の目的だ。この異世界転生的な話に固執する必要は全く無い。仮に向こうが何らかの有益な情報を握っていたのだとしても、今、この場においては必要のないこと。だったらバッサリ切り捨てて、次の話に移って貰うとしよう。
「さっぱり理解できないと答えておきます」
「では、別の質問をさせてください。魔王様はなぜ、魔王と名乗られるのでしょう?」
これまた変な質問だな。出身地を聞いて、職業を聞いて。これじゃあお見合いのようなもの。俺について探っているだけではないか。
ん、待てよ。それはこっちから見た場合の話だ。ナディア側に立ってみれば俺は強大な魔王。迷っているのか、信じて良いものかと。だから俺の本質を見たいと。わからなくはない。戦いも交渉も、相手をよく知っている方が有利に立てる。俺はこの世界に来たばかり。俺に関する情報なんてほとんど無いだろう。そのため俺自身に色々と聞いてくるのかもしれない。
いや、果たしてそれはどうなのか。確かメグの話では、向こうは俺について色々と知っていると言った。異世界転生的な話、俺が魔王である理由はわからないだろうが、少なくとも、俺がどういう人物なのか程度はわかるだけの情報を持っているだろうに。
「さて、なぜだったかな? 確か、誰かが俺を魔王と呼んだ気がしますね」
だったら、ここで素直に答える必要はないだろう。特にこの話題、魔王の由来を語るとなると、どうしてもドミニオンズ時代の説明が必要だ。それはこの世界の住人ではないと言うようなもの。もしも異世界の住人に対して何か思うところがあったり、対抗策があったりした場合のリスクを考えれば、絶対に露見させてはならない。
「私見を述べるならば恐らく、そう呼ばれるのはエグゾダスの影響でしょう。伝承ではありますが、魔王の代名詞とも言える魔法なのですよ、それは」
「なんだ、そうでしたか。胸のつかえが取れた気分ですよ。疑問は解決しましたか?」
ナディアは首を横に振る。まぁ、そうだろう。自己解決して済む問題なら、今ここで聞いたりはしない。あくまでも俺がどうして魔王と自称するのか。そこが気になっているのだろう。
「私が知りたいのは、なぜユウ様が魔王と称されるのか、その理由です。本来、魔王とは忌むべき存在です。だからこそいつの時代、どんなおとぎ話でも、最後は勇者に討たれています」
あの手この手で聞き出そうとする辺り、やはりそれがキーとなる情報なのか。もういっそ、もしもそうならどうしたと聞き返してしまおうか。まぁ、その場合はほとんど答えを発表してしまうようなもの。相応のリスクは伴ってしまうが、と思案していると、ナディアは話を続ける。
「竜神祭の様子を拝見させて頂きました。魔王様も、配下の方々も、とても素敵な笑顔でした。今でもはっきりと覚えています。あれは、媚びへつらいやご機嫌伺いではなく、心から慕っているもの。では、なぜ魔王なのですか? どうしてただの王ではなく、自ら忌み嫌われる立場に?」
「……さて、どうしてでしょう? しっくりきたからでしょうか?」
「はっきり断言します。貴方を悪とは思えません。むしろ逆。成した事をそのまま評価すれば英雄に他ならない」
まさか、俺を英雄視していたとは。英雄か。アデルの父親の暴走を止めたからそう思っているのだろうか。でも、それならどうしてこんな非常識な真似をする。うん、待てよ。この非常識という一点にのみ目を瞑れば、そしてその言葉が本当なのだとしたら、ナディアは俺と仲良くしたいと思っているのかもしれない。俺を英雄視しているからこそ和平交渉を結びたい、とか。
「……つまり、何が言いたいのですか? 余り回り道されては、これ以上は答えようがありません」
しかし、だ。結局のところ全て想像。本当のところはわからないままだ。盛大に手の平を返されて、戦のための情報収集でしたと言われる可能性も無い訳ではない。このままではやはり駄目。もうこれ以上待ってもボロは期待できそうにない。ならば、手っ取り早く決めるとしよう。本題を要求する。
「わかりました。元よりこちらはお願いに上がったのですが……」
ナディアが指示すると、メグが前に出て一冊の本を取り出す。見た目はこの上なく禍々しい。どす黒く変色した皮を、無造作に継ぎはぎしたような表紙だ。幸いにも臭いはしないが、悪臭が漂ってきてもおかしくない外観である。そんな古びた本を目の前に差し出される。
「魔王様、この本に見覚えはありますか?」
「……いえ、初めて見ますが」
はっきり言って不愉快だが、明らかに話の流れが変わっている。これまでの堂々巡りではなく一歩前へと進んだ。これを拒否する訳にはいかない。だからこそ警戒も怠らない。ナディアの真意がわかるまでは油断してはならない。万が一この本自体が罠の場合、アビリティによる状態異常無効化と常時発動している防御魔法で防げる。念のため目でウロボロスに合図を送ると、小さく頷きが返って来た。万全の体制だ。槍でも何でも降って来い。
一方、ナディアとメグは顔を見合せ、互いに頷き合った。そして入れ替わるようにしてメグが前へ出て来て口を開く。
「私から説明させて頂きます。この世界にかつて実在した魔王のことを」
その本が開かれると、見たことも無い文字と、独特なタッチの挿し絵が載っていた。例えるなら、ピラミッドの壁画に描かれているような絵をカラフルにしたものだ。特に目に付くのは青と白を基調とした鎧を着た天使が、剣を振り上げていたところである。デカデカとページの中央に描かれていた。
「遡ること、およそ千年前。突如、世界は滅びへと向かいました。大地は荒廃し、空は濃い雲に覆われ、光は全く届かなくなりました。残された人々は、何ものにも干渉されず、自由に生きられる楽園へと移住します」
「その元凶が魔王と記されていると?」
「文献にもよりますが、おおよそその通りです。ただ、被害はそれに留まりません。魔王はある日再び現れ、あろうことか天使すら使役し、移住後の楽園で暮らす人々を苦しめました。その際に使われたのがエグゾダス……世界を壊す魔法です」
あれは空間そのものを飲み込むもの。俺がアデルの村を吹き飛ばしたように、楽園だろうが何だろうが、根こそぎ消滅させることができるだろう。でも忘れてはいけない。エグゾダスはドミニオンズの魔法だ。なぜ千年も前からこの世にあるんだ。まさか、その伝承と偶然にも被ったとでも言うつもりか。馬鹿な。似ている効果だったとしても、名前まで一字一句同じなど、普通に考えればあり得ない。あり得ないが、その理由はすぐにはわからない。なら今大切なのは、その事実が確かに存在すると仮定した上での話。
「なるほど、それで俺は、まさに魔王という訳か」
そう、俺は魔王と呼ばれても仕方がないということ。自称ではなく、成したことが何よりも魔王だと物語っている。ただし、その根拠はあくまでも伝承。伝承など悪く言ってしまえば言い伝えに過ぎず、真実かどうか確認することができない。勿論、嘘だとは言わないが証拠としては弱いな。本当の理由は別にあるのだろう。
「長らくの間、これは伝承……つまり、おとぎ話として語り継がれてきました。世間的には先日まで、しかし極一部の者は把握しております。5年前の大災厄でも観測されていると」
「5年前の……大災厄……」
「はい。大陸中央の国家がたった一夜にして消滅した……あの悲劇です」
原因不明の国家崩壊。現場を見た偵察兵の最期の言葉は、世界が飲まれる、だったか。そして、その場には何も無かったと。ここでその話が飛び出したということは、やはり、そうか。そうなのか。世界が飲まれる。そのフレーズから予想はしていたが、まさかその通りだったとは。
メグは本を閉じると、役目を終えたと言うように下がっていき、ここからはナディアが話をしてくれた。
「あの日あの場所に魔王が現れて、一瞬の内に世界を壊しました。闇色の魔法……古くより伝わっていた世界を壊す魔法、エグゾダスを使って」
「そうか……そうだったのか」
伝承、5年前の真実、そして俺。完全に理解できた。正真正銘の魔王と認識されている訳だ、俺は。言っておくが、おとぎ話も5年前の方も俺は関与していない。この世界に来たのは遂最近だ。それなのに、何だろう、この胸が抉られるような虚しさは。アデルを助けて、それでもこの扱いを受けるからか。馬鹿な。本当に英雄にでもなったつもりか。
ふと、ウロボロスたちの顔がチラ付く。違う。アデルやルーチェの件は延長線上の話に過ぎない。一番大切なことはたったひとつ。それすらも悪と言われているのが恐いんだ。
「さて、現状についての説明はここまでです。ここからが最も重要な質問です。貴方は……世界の敵ですか?」
敵。そうか世界の敵か、俺は。そうだったな。俺は魔王だ。魔王と自称しているのは皮肉であり、覚悟でもある。俺の成したことが積み重なっていって、周りからそう呼ばれるようになった。それでも立ち向かおうと思って、開き直っただけだったな。でも、それはゲームの中での話。こうして面と向かって言われるのは初めてだ。こんなにも魔王であることの重みを感じさせられたのは、初めてなんだよ。
「我が君、お気を確かに!」
「ウロボロス……でも俺は……」
ウロボロスに手を取られて気が付いた。震えている。ガタガタと、指先が。いや、手だけではなく全身が。恐いんだ。この世全ての人々から忌み嫌われることが。その先に待つ孤独の未来が。どうやら、俺が魔王でいられたのはゲームの世界だったからのようだ。顔を見られない。リアルに影響がない。そんな安心感があったから世界にノーと言い続けられた。
でも今は違う。こうして面と向かって言われて、どうしようもなく恐ろしい。俺は一体何なんだろう。魔王ユウとして皆と一緒にいながら、魔王になりきれない弱者じゃないか。強大な力に酔いしれ謳歌することも、拒絶して死ぬことも拒み、どっちつかずで迷惑をかけ続ける愚か者。
「我が君、失礼致します」
温かった。くすぐったくて、甘い香りがして、そして心が穏やかになっていく。見ると、ウロボロスが強く、でも優しく抱き締めてくれていた。
「御安心ください。我が君の行く末が如何様になろうとも、例え世界から孤立し非難されようとも、私たちは永遠に一緒です」
あぁ、そうか。そうだった。また俺は大切なことを忘れそうになっていた。逃げも隠れもする必要なんてなかった。ウロボロスたちと出会えて、守れて、一緒にいられる。それだけで何も恐れる必要なんてないんだよな。ゲームも現実も関係ない。俺は魔王として生きなくちゃ、自分自身を許せない。
「そうだったな……悪かったよ、ウロボロス。ありがとう」
さて、本当ならこのまま甘いシーンにでもなるんだろうが、生憎と客人の前だ。決意も新たにしたことだし、答えなくてはならない。魔王ユウとしての、俺の道を。この答えで公表する。
「俺は魔王だよ。邪魔立てする者は容赦なくねじ伏せる……そんな男だ。世界が俺を悪としてウロボロスたちを攻撃するのなら、この世界の敵になろう」
「そうですか……それが貴方様の選ばれた道、ということですね」
ナディアは少しだけためらったような仕草を見せるが、しっかりと俺の目を見据えてくる。なんだ、まだ何か言いたいことでもあるのか。
「それでは足りませんよ、魔王様」
「足りない……とは、どういうことだ?」
「貴方様は強者です。世界中のどこを探しても、貴方様に敵う者はそうそういないでしょう。これから先、貴方の一挙一動が人の、いえ、国の、世界の行く末すら左右していくことでしょう。その結果、悲劇や惨劇、新たな争いが起こることもありましょう」
そうだろうな。俺は魔王。何もかもを思い通りにする力を持つ。発言ひとつ、指先のひと振りですら全てが変わることもあるだろう。そんなのは覚悟の上だ。ドミニオンズでもそうやったように、ウロボロスたちを守るために全力を尽くすつもりだ。
「しかし……そうして世界全てを破壊し尽くしたその先に、一体何があるというのでしょう?」
「何が……とは?」
「塵ひとつ残さず……それこそ、文字通り一切合切が消失するでしょう。衣食住や娯楽は勿論、大地も、空も、朝も夜も無く、永遠の闇の中を彷徨い続ける。ウロボロス様はそれでも構わないと仰るでしょう。しかし、それは貴方様の真に望まれる未来ですか?」
「それは……」
考えたこともなかったな。全てが消えてしまったとは言うが、それはつまり、俺が何もかもを破壊し尽くした後の世界なのだろう。嫌だな、それは。そんなことをしたら後悔してもし切れないだろう。でもこのままいけば、間違いなくナディアの言うような未来が必ずやって来る。そんな確信が持てていた。
「願わくば……皆の希望になって欲しい」
「希望に……?」
唐突にそんな言葉を投げかけられた時だった。突然、ドアが乱暴に開け放たれる。そこにいたのは血相を変えたアザレアだった。肩で息をし、衣服が乱れている。余程に急いで来たのだろう。そしてその理由は決して良くないのだろうと、瞬時に理解した。訳を話すよう促すと、口早に事態を報告する。
「緊急事態です! 紅竜同盟の攻撃部隊がイース・ディードに侵攻を開始しました!」
「なっ――!?」
思わずナディアの顔を見てしまう。信じられなくて。まさか、ここまで話した全てが時間稼ぎのための罠だったとでも言うのか。
でも違うらしい。こちら以上に向こうが取り乱している。親衛隊らしい者とメグは青冷めて落ち着きを無くしており、ナディアもまた体を震わせながら目を伏せている。とても演技とは思えない。どうなっている。内部分裂でも起きたというのか。俺に対する世界の評価は、既にこんなにも落ちていたというのか。
「ど、どうして今!?」
「やはり、あれの放置は危険過ぎたのでしょうか……」
2人が、口々にあり得ない、おしまいだと話す。それに挟まれたナディアは、ゆっくりと目を開けると、天井を仰ぎながら大きく息を吐いた。
「……魔王様」
そして、とても、とても悲しげな目をして、ゆっくりとこちらを見つめてきた。涙すら零れそうなほど、その瞳は潤んでいる。
「……残念です。貴方様とは、わかり合いたかった」
悲壮感溢れる儚い笑顔を見せられる。全てが終わって死を待つだけのような、安らか過ぎる表情だった。ただ見ているだけで、俺もこの上なく悲しい気持ちになってしまう程に、そう思えた。
「魔王様、この不手際の処理は……せめて、私どもに任せて頂けないでしょうか?」
「それはなりません!」
ナディアが提案してくるが、これに間髪入れずに反対したのはアザレアだった。当然だ。こんな気持ちになっているのは俺と、ひょっとするとウロボロスだけ。アザレアからすれば、俺たちを釘付けにされ、宣戦布告もなく強襲されている状況だ。敵だ。紅竜同盟など、排除すべき敵。そう考えて何が悪いものか。
「魔王様、それについてはこちらで対応します。既にカルマとフェンリスを向かわせました。片が付くのも時間の問題でしょう。このまま我々にお任せを」
「それは……そうなんだろうけど……」
言ってしまってから、あ、と気付く。強いから、なんて言えば陶酔しているように聞こえるけど、現実問題、ナディアの言う通りになっている。こんな事態になろうとも、俺は、俺たちの力があればねじ伏せられると思ってしまった。まさにその状態。このままアザレアに任せてしまえば破滅の始まりである。
「どうしたものか……」
この気持ちに従って良いのだろうかと、どうしても迷う。もしもここで素直に帰せばどうなるだろう。実際のところは知らないが、こうしてナディアが驚いているのだから内部分裂しているのは確実だ。近い将来、再び攻め込まれるに違いない。結局は殲滅せざるを得なくなるだろうか。
いや、違う。俺は魔王。どうして魔王と呼ばれるようになったのか、その理由を思えばこそ、この力の使い道は他にあるじゃないか。
「……俺に考えがある。アザレア、悪いが2人を引上げさせてくれ」
「な……! し、しかし!」
当然、アザレアは反対するだろうな。攻められたまま放置なんて、ゲームとしてはあり得ない選択肢なんだから。現実ならなおあり得ない。どんなドMだ、そいつは。それでも頼み込む。狙いは別にあるんだ。
「頼む。俺たちは戦っちゃいけない。今はこの3人を転移魔法で行かせてやって欲しい」
「……か、畏まりました」
俺なりに鬼気迫る感じで強くお願いしてみたら、アザレアは渋々頷いてくれた。ウロボロスの方を見ると、何も言うつもりは無いらしい。静かに頭を縦に振ってくれただけだった。
本来なら、ウロボロスが誰よりも率先して殲滅の指示を飛ばしそうなのにな。よく認めてくれたよ。ありがとう、と心の中で唱えておく。
「ここは貴女たちに任せるよ。貴重な話をありがとう。これはそのお礼だ」
「……寛大な御心に深い感謝を」
そう答えてくれたナディアは、目尻に浮かんだ涙を拭うと、深く、深く頭を下げながら、2人の従者と転移していったのだった。




