第22話「後日談」
無機質だった。この部屋にある物はただひとつを除いて。真っ黒な金属の箱が壁に沿ってずらりと並び、一定のリズムで機械音が漏れ出ている。それらはスパゲッティのようにぐちゃぐちゃの配線で繋がっており、その先を辿っていくと、緑色の光を放つディスプレイ群に行き着いた。
「……馬鹿、な」
この無機質な空間にただ1人いる生命体である彼は、ようやく言葉を発した。その目はディスプレイに釘付けになっており、立ち尽くし、信じられないというような表情を浮かべていた。そして全てが終わったのを見届けると、崩れるように椅子へ座り込む。
「もはやこれは……魔法でもスキルでもない……神の御業ではないか」
見届けたのはアデルの生還という奇跡的な場面であった。奇跡的。そう、これは本来あり得ない話である。なぜなら死者蘇生の魔法は確かに存在するものの、それには絶対に欠かせない条件がある。遺体があることだ。どんな状態でもいい。とにかく遺体が無くては蘇生などできないはずなのだ。それがどうだ。魔王は肉体を造るところからやって退けてしまった。これはもうドミニオンズにおける魔法やスキルで片付く話ではない。
「そう、ユウ様は絶対的な存在なのですよ」
コツ、と甲高い音が鳴り響く。彼が振り返ると、そこには天使が立っていた。純白の翼、淡い金色のブロンドの髪、それに褐色肌。彼女はユウの第二配下、聖天使ルシファーである。
「な……なぜここに……お前が……っ!?」
彼は腰を抜かして椅子から落ちてしまう。その驚き様は尋常ではない。もののけや幽霊を見た人であろうとも、ここまでの反応は見せないだろう。具体的には呼吸が異常に速まり、目は見開かれ、顔面は蒼白。冷や汗がダラダラとあふれ出し、全身が痙攣でも起こしたようにガクガクと震えてしまっている。
「ようやく見つけましたよ、ミスター・キダ。いえ、アデルのお父様と呼ぶできでしょうか?」
ルシファーの言葉には何ら間違いはなく、つまり、今そこで腰を抜かしている人物こそアデルの父親その人であった。育ての親ではない。正真正銘、アデルの誕生から深く関わっている人物である。
「そ……そうだとすれば、どうするのだ? 言っておくが、お前たちの主は全てを助けると言っていたぞ?」
ウロボロスたちはユウの命令に絶対に従う。そして余程の思うことがあったとしても、強く、とても強くお願いされれば必ずや頭を縦に振るだろう。それはゼルエルを初めとするユウオリジナルの配下たちも例外ではない。いや、訂正する。ゼルエルたちの方がずっとその傾向が強い。
そのことを知っていた彼は忠誠心を持ち出して難を逃れようとしていた。
「えぇ、お言葉は確かに聞いております」
「だったら……!」
「しかし私はよく理解しています。ユウ様は貴方のような卑劣漢を決して許さないと」
ルシファーの言う事は全くもって正しい。この男は父親ではあるものの、言ってしまえばそれだけだ。父親として持つべき愛情は無かったと断言してもいい。なぜなら彼は先ほど口にした。蘇生魔法と。そう、彼は蘇生魔法の存在を知っている。なんなら使うこともできない訳ではない。それでも使わなかったのだ。だからこそアデルの魂はあんな無機質な器に閉じ込められていたのである。
「お……お前に何がわかる? 私には使命がある! この世界の平和と安寧を守り保つという崇高な使命が……!」
「理由はどうあれ、子を盾にするような親は卑劣感以外に何と言いましょう?」
「私が何もかもを捨てて活動したからこそ世界の秩序は保たれている! 子への愛情などよりも世界の安寧こそ優先すべきことだ!」
ルシファーは目を瞑ると、少しだけ大きな溜息を吐いた。それは落胆と確実にいえる感情がとても色濃く混じっていた。それもそのはず。何も聞かずに全てを破壊し尽くし殺してしまうこともできたのだ、ルシファーには。それをせずわざわざこうして話をしたのには明確な理由があった。
「貴方はユウ様と同等になれるだけの人物でした。故にいささか期待もしていたのですが……残念です。お陰で綺麗さっぱりと未練を断ち切ることができました」
ルシファーはツカツカと音を立てて近寄ると、キダには目もくれず、データを入力するコンソールを操作する。するとディスプレイの表示が切り替わり、魔導兵器試作1号アデルという文字と、小さな女の子、アデルの姿が表示されていた。
「人間とはすべからく心を持つもの。博愛の心までは要求しませんが、せめて、他者を故意に傷付けない道徳心くらいはあるべきでしょう? まして我が子ならばなおのこと。しかし貴方は、よりにもよってこのような生命への冒涜行為を行っていました。これに対して何か反論はありますか?」
「私はアデルの生みの親だ! 自分の作品をどう扱おうと勝手ではないか?! それこそ、魔王がお前たちを好き勝手に弄ったのと何が――!」
言いかけたキダは、突然発生した爆発によってディスプレイに叩き付けられた。事故ではない。ルシファーの放ったスキルによるものだった。幸か不幸か即死には至らず、その衝撃で機械類の明かりが全て落ちるに留まる。
「実に良い返答です。つくづくユウ様の素晴らしさを理解することができましたよ。さて、もう実りはなさそうですし、そろそろ幕引きといきましょうか」
「ま、待て……! お、お前は情報が欲しくないのか!?」
ぼう、とルシファーの手に青白い光が宿り、それが光源となってうっすらと辺りが照らされる。そうして浮かび上がった彼女の表情はとても冷たく、もはや殺すのみと言っているようにしか見えない。
「勘違いなさらないように。貴方の持つ情報は全て把握済みです。それでも私が聞きたかったのは……ユウ様のために、せめて、嘘でもいいから贖罪の言葉でした」
「私を殺せば世界は崩壊するぞ!? 管理者無き無法地帯ではあの男に手も足も出なくなってしまう!」
「余り舐めないで貰えませんか? 貴方の物差しで何もかもを測れると思わないことです」
ルシファーは魔法を放つ。すると辺り一面で一斉に大爆発が起こり、機械類は木っ端みじんに吹っ飛んでしまった。
残骸の山と化した暗黒空間でありながら何の光源も無く、ルシファーはキダを発見する。狙い通り辛うじて生きてはいた。だが、もう時間の問題だろう。その体には無数の破片が突き刺さって大量に流血しており、もう1分ともたず失血死してしまうのは明白だった。
「しかし……いやはや本当に、彼には驚かされてばかりだ。私の最高傑作を……こんなにも楽々と超越する……」
なぜあの大爆発の中をキダが生き延びたのか。それは、彼にとっては最高傑作の防御兵器を使用したからだった。しかしルシファーにとっては貧弱過ぎてあるのかどうかもわからないレベルであり、たぶんこれくらいの防御はできるだろうという希望的観測に基づく攻撃を放って貰えたからこそ、こうして最期の時を満喫できていた。
「ユウ様は偉大なる御方。今更気が付いたのですか?」
「まったく……冗談と言って欲しいね。ゲームに敗北したというより……同じ舞台にすら……立てなかったようだ」
「何か言い残すことはありますか? 世辞の句くらいは聞いてあげましょう」
絶命寸前ではあるが、この暗闇である。ともすると逃げられるかもしれない状況だがそれはあり得ない。ここはもうルシファーの手中にある。逃げる手段などあるはずがない。それを悟っているキダは、血で激しくむせ込み、力なく笑った。
「問いを……ひとつ、いいか?」
「冥土の土産というやつですね。えぇ、どうぞ」
「この楽園は……人を救ったか?」
「それを決めるのは貴方ではなかった、そういうことです」
「……そうか」
そしてキダは目を閉じ、完全に絶命したのだった。
ルシファーは気が付く。その手に小さな写真が納まっているであろうロケットが握られていることに。中には、満面の笑みを浮かべた幼い頃のアデルとルーチェが写っていた。
「……本当に残念ですよ、ミスター・キダ。その卓越した知能と技能……どうして我が子に向けることができなかったのでしょう。手を取り合えればまた別の道もあったかもしれないというのに」
そう口にした彼女の表情は、とても敵を討ち取った者のそれではない。悔やみ、悲しみ、しかしそれを表に出さないように必死に唇を噛みしめていた。
「その胸に秘めた野望も、素直に表現できなかった愛情も、全て墓場に持っていきなさい。後はユウ様に任せて眠るのです、キダ様」
そして一礼すると、ありったけの爆発スキルをばらまき空間を破壊し尽くしてから立ち去ったのだった。
その頃、聖リリス帝国の玉座の間では緊急の召集がかけられていた。これに対しロアとルーチェを除く四大将軍の残り2人を初めとして、多くの騎士たち、文官たちはすぐさま応じ、今に至る。
「……以上のような経過をたどり、逆賊キダの野望は潰えたと思われます。報告終わります」
報告を終えた兵は一礼すると、そそくさと末端の席に戻っていく。その足取りは決して颯爽とはとても言えず、ともすると、立っているのもやっとのように見える程に憔悴し切っていた。
「このような結末に至るとは、何とも後味の悪い結果になってしまいました。四大将軍の代表として謝罪しましょう」
この場にいる全ての騎士、文官の中で最も玉座に近い位置にいる女性、四大将軍の大将シャルディは謝罪した。緑色の腰まで届く髪がさらりと垂れて、それを直すように耳元から手ですくい上げる。たったそれだけの仕草で、こんな状況でありながら溜め息を吐く者が少なからずいた。
しかし上に立つ者たちは惚けてなどいられない。すぐさま血相を変えて食ってかかる。
「そ、そうだ! あんな老いぼれと小娘には過ぎた役職だったんだ!」
「そもそもなぜ彼らを向かわせたのです!? 貴女が行けばこんな事にはならなかったでしょう!?」
「どう責任を取るのですか!? 国民は怯えているのですぞ!?」
これはもう議論にはなり得ない。一方的な感情を投げ付けるだけの無意味な場だ。
だがこうなることは予想済み。さっさと胸の内に溜め込んだものを吐き出させようと、シャルディは何も言わずに黙って意見という名の暴言が出てしまうのを待つ。
「各々の言いたいことはよくわかりました。全てに解答することはできませんが、そうですね、責任という部分については言及しておきましょう。問います。仮に私たちが揃って辞職したり、腹を掻っ捌いたりすれば丸く収まると思いますか?」
「待て! なぜ我々もやらねばならん!?」
「今回の作戦はあなた方の提案でしょう? 発案者は実行者共々、戦犯として裁かれるのではありませんか?」
言いたい放題だった者たちは一様に押し黙る。シャルディの言う通りだからだ。この作戦を強く推したのは彼らである。理由は人それぞれで、中には自身の出世のため、上官との取引材料にするためなど様々なものもあったが、ほぼ満場一致でキダの早期討伐をと叫んだ。それでも、ほぼ、となったのはルーチェを除く四大将軍たちが揃って首を横に振ったからだった。
「今は責任の所在など論ずる必要はない。そう結論付けて、次の段階へと進むことを提案させて頂きたいのですが異論ありますか?」
シャルディの提案に反対する者はいない。悔しそうに拳を震わせたり、俯いたり、唇を噛みしめたりといった状態の者ばかりではあるが、何とか話し合いという状況に移行できるようになった。
「さて、目下最大の脅威が新たに出現しました。まともに剣を交わした者はいないでしょうが、キダに手も足も出なかった私たちが、そのキダを討ち滅ぼした魔王にどうして敵うことがありましょう? この事態に当たるのならば最大戦力で、加えて早急に臨む必要があります」
シャルディの視線が横へと向く。わざわざ「早急に」と言ったその理由、彼女は名指しされているのだと即座に理解していた。
聖リリス帝国は諸国が寄せ集められてできたばかりの新興国だ。連携などまだ上手く取れるはずがなく、しかし魔王はいつ襲いかかって来るのか想像も付かない。早急にとなればどうしても以前の国単位での活動となってしまう。そういう意味では最も軍として機能できる彼女ら以上の適任はいなかった。
少女は誰にも悟られないように小さく溜め息を吐いた時、その凛々しい声を発する。
「その新たな脅威を捨て置けぬなら私たちが出るだけのこと。そういう契約なのですから」
シャルディの次に高位の場所に立っていた少女は人であって人ではなかった。まだあどけなさは多少残っているものの、その腰には立派な竜翼と尻尾、額には王たる証の竜玉が埋まっている。そう、ウロボロスと同じドラゴンメイドであった。
「私が……とは、まさか」
騎士や文官たちがその言葉の意味を理解するよりも早く、その子はすくっと立ち上がる。そしてシャルディを一瞥するとすぐに全体を見渡しながら声高らかに宣言する。
「私、ナディア=イスパダールの名においてここに告げます。その魔王とやら、我ら紅竜同盟が対処しましょう」
紅竜同盟が動く。その言葉に誰もが恐れおののき、しかし四大将軍が2人も出た今回よりもずっと強い希望を抱き、言葉を失った。
これに対してシャルディは何も言葉を挟まない。挟む必要がない。ナディア率いる紅竜同盟は聖リリス帝国において文句無しの最強の軍団であり、まさに意図した通りの展開になったのだから。
しんと鎮まり返った場。その静寂を、あろうことか小さな笑い声で破ったのは、玉座に腰かけている神官風の服をまとったその子、リリスであった。
「正気ですか、ナディア?」
「ここに列することが既に狂気の沙汰。ピエロが笛を吹いて滑稽に思いますか?」
リリスは肩肘をつきながら微動だにせず、その目をじっと見つめた。ナディアもまた見つめ返した。時間にしておよそ3秒。これまたリリスの笑い声で話は進む。
「ふふ、ならば止めはしません。しかしそれなりの覚悟は必要ですよ?」
「災厄の芽を摘み取った相手。情け油断は一切御座いません」
「では行ってらっしゃいな」
――そして、ユウ様の御力に絶望するのです
誰にも聞こえない小さな声で聖少女リリスはそう付け足し、軍議は終わったのだった。
その頃、イース・ディードの中心街、イーストのメインストリートでは様々な農作物が売られていた。さんさんと照らす太陽で焼けた、小麦色の肌の男性たちが競うようにして通行人たちに売りさばいている。
そんな生きた人々の中にユウたちの姿もあった。
「そこの可憐なお嬢さん! いいジャガイモが入っているよ! 大切な人の心を手料理で掴んでみないかい!?」
「わ、我が君! ジャガイモを買いましょう!」
「乗せられるな。さっき買ったじゃないか」
3店舗もはしごしてさ、それぞれで買わされてさ、この上まだジャガイモを欲しがるなんて冗談じゃない。畑でもやろうっていうのか。この手の商売人は言葉を返したら駄目だ。断るならそそくさと立ち去る。これに限る。
そんな訳でさっさと立ち去ろうとしたのだが、ウロボロスは頑として動こうとしない。見ると、既に術中にはまっていた。
「それならニンジンはどうだい! カレーライスで隣の美青年のハートを射止めなよ!」
「そ、そうです! カレーライスです! それにはニンジンが!」
「……それも買ったっての。5本ずつ、4店舗で」
合計20本も買わされてさ、更に増やしてどうするつもりなんだよ。ご近所さんにお裾分けでもするつもりか。買って配るとかもうわけわかんないから。まぁ、そもそもご近所さんなんていないんだけども。
「なら隠し味にリンゴなんてどうだい!? お嬢さんの隠し切れない思いをカレーに込めちまいな!」
「なるほど、それは名案です! 我が君!」
「もう好きにしてくれ……」
白旗を振らざるを得なかった。リンゴはまだ2店舗目だからマシなこともあるが、何より、この店主はもう見抜いている。俺をダシにすればウロボロスはいくらでも買ってしまいかねないと。それこそ店ごと買っちゃいそうな勢いである。そう考えればリンゴで済むのなら安いというものだ。
だが、そう思ったのは俺だけらしい。他の皆は一部を除いて呆れてしまっている。
「やれやれ、要らない買い物など勿体無いことこの上無いですねぇ」
「まぁ、あんなにはしゃぐウロボロスを見られたのじゃ。必要経費じゃろうて」
「カレーライス、楽しみです!」
「弟子としては少々恥ずかしい」
言われているはずの本人、ウロボロスはそんな事はお構いなしという勢いでリンゴを40個も買ってくれた。木箱に入ったままの状態、つまり箱買いというやつだ。
おぉ、もうどこから突っ込んでいいやら。他の2店舗でも中々の数を買ってくれたじゃないか。それを全部投入しようものなら、もはやそれはカレーではない。リンゴジャム的な何かだろうに。それにさ、誰が持つんだよ。あ、今度はムラクモか。憐れ、ムラクモ。
これでもう誰の手も空いていない状況だ。俺は例外と強く言われて仕方なく手ぶらだが、両手に数え切れない程の袋を下げたウロボロスに、そのまま腕を組まれるんだからたまったものではない。買い物はこんなにも過酷だと認識を改めなければ。
「あぁ、これが新妻の気持ちなんですね!」
「気持ちだけな、気持ちだけ」
「愛は相手を思いやる気持ちから始まるのですから、これは大きな一歩です!」
「む、それは否定しがたい。やるな、ウロボロス」
「お褒め頂き光栄です、我が君!」
遂に言いくるめられてしまう日が来るとは。なんて、それはどうでもいい。今一番大切なのは、この痛過ぎる抱き着きを何とかすることだ。最善策はウロボロスを引き剥がすことだが腕力では絶対に敵わない。次善策として、せめてウロボロスの持っている袋を誰かもう少し持ってくれないかなぁ、なんて思いながら振り返ると、フェンリスが腰に飛び付いてくる。
「えへへー、魔王様! 私も大好きです!」
「あ、こら! フェンリス! 我が君に対して何たる無礼な!」
それ、凶器的な買い物袋を渾身の力で押し込んでくるウロボロスが言える台詞じゃ無いよね。なんて突っ込もうかと思った時、反対側に妙な柔らかさと温かみを感じた。
「フェンリスに先を越されるとはのう」
いつの間にかカルマが寄り添っていた。しかし痛みは無い。ありがたいことに、買い物袋が俺に当たらないように反対の手で全て持ってくれているようだ。たったそれだけでも惚れてしまいそうになるのに、腕に腕を絡めて、目を閉じ、熱の籠った吐息を漏らしている。見ているこっちまで変な気分になってしまいそうだ。
「カルマ、隣はフィアンセの席ですよ! 離れなさい!」
「側室の席も必要じゃろうて。どうしてもと言うのならフィアンセの座との交換じゃ。それなら今だけは離れても良いぞ?」
「冗談では済まされませんよ! そこに直りなさい! 今日という今日は許しません!」
「やれやれ、これでは先が思いやられるのう」
2人がいがみ合っている、というか、ほぼウロボロスが一方的に喧嘩を吹っかけ始めていると、今度は爽やかな笑みを浮かべたアザレアがにじり寄って来た。なぜか服に手をかけ始める。
「その理屈ならば前は貰っても良いということです。いきますよ、魔王様!」
「厳命を下すぞ。お前はそこで待機だ」
「お……おぉ、またしても厳命を頂けるとは! 恐悦至極に御座います!」
本人が嬉しそうなら何よりだ。誰も傷付かずに済むというもの。そのように俺は納得して合意の上で問題をクリアしたつもりだったのだが、まさかのムラクモが口を挟む。やれやれといった具合ではあるが。
「それでいいのか、アザレア……」
「前だけを見るのです、ムラクモ。ほら、みんな笑っている。それが一番さ」
「ふむ……いささか難しい話か」
「いつか慣れるさ」
なぜか小難しい話に発展したらしい。それでもアザレアが変な気持ちをぶり返さないようだから、俺としては結果オーライである。
問題は女性陣。左右はウロボロスとカルマ、後ろからはフェンリスに揉みくちゃにされている。しかも全員、その手には何かしらの荷物を持っている。気を遣ってどけてくれているカルマ以外はもの凄く痛い。野菜がゴロゴロ入った袋が容赦なくめり込んできて涙が溢れそうになる。
「おかしな人たちだね」
「うん、本当に」
これまで一番後ろで黙って見ていたアデルとルーチェだったが、遂に堪えきれなくなったようで、おかしそうに笑い出す。
笑っていないで助けてくれ、とは言い難い。まとわりつく3人を引き剥がすのは勿論、それぞれの荷物を代わりに持つというのも無しだ。ウロボロスの視界から外したら最後、まるで「まだ買っていませんでしたね!」とでも言わん勢いで買い足される恐れがある。もっとも、アピールは空しくも届いていないようだが。
「あぁ、楽しくやっているよ……くそ」
思わず毒を吐いてしまったが決して嫌という訳ではない。改めて周りを見ると、やっぱりここは活気づいていたから。
あの戦いが終わって、アデルに取り込まれたと思われる人たちは戻ってきた。恐らくゼルエルのスキルで都合よく今を改変した影響だろう。そうは言っても一度は消滅したのだから混乱するかと思ったけど、予想外にたくましく、ご覧の通りの賑わいを見せている。
ただ問題も生じている。俺は救いのヒーロー的な存在になったらしく、女の人から好意を寄せられる事があった。大抵はウロボロスが目力で追い払うものの、
「あ、あの! 魔王様!」
ほら、ウロボロスの殺人的な睨みにも屈しなかった猛者がまた来た。ハートマークのシールで封をした手紙を突き付けられる。
ここで断固として断れればいいんだけど、恋愛経験の無い俺からすればどうすればいいのかわからない。ただ断ればいいのか、謝ればいいのか、いっそ無視してしまえばいいのか。とにかく、どう扱えばいいのかわからず戸惑ってしまう。
「こ、これ、私の気持ちです! どうか読んでください!」
そうこう考えている内に、ウロボロスの眼力に耐え抜いた猛者の娘は大体俺の胸に手紙を押し当てて来る。そして俺が何か言う前にいなくなってしまい、仕方なく手で持つしかなくなる。さっきからこの繰り返しだった。
受け取っただけだ、受け取っただけ。そう心の中で言い訳しながら、いや、そもそも心の中でさえ言い訳するなんておかしな話なんだが、それでもそうせざるを得ないくらいの恐怖が感じられる。殺されそうなくらい鋭い視線が向けられているのが嫌でもわかる。
隣を見ると、やっぱりウロボロスが物凄い形相をしていた。そして、ほら、見てよ。さも当然というように両手を差し出している。
「我が君、お荷物をお持ちします」
「い、いや……手紙なんてポケットに入れればいいし、かさばるならアイテムストレージに……」
「わ、が、き、み?」
せめて読んであげたい。持ち帰ることが許されないのなら、この場でもいいから。たぶん、いや絶対に良い返事はできないのだろうが、あの娘の気持ちも考えれば読むことはしてあげたい。
でも体が言うことを聞いてくれそうにない。開封したくても手が震えてしまい、そういった旨を言いたくても口が動いてくれなかった。
完全に萎縮してしまっていると、カルマがとんでもない提案をしてくる。
「魔王様、あの女を捕らえて始末したいのじゃ」
「それは名案ですね。我が君の御心を惑わしうる危険因子は排除すべきかと」
なんてトンデモ理論だ。ラブレターを渡しただけで殺される世界がどこにある。まして初対面だぞ。恨みも憎しみも持ちようが無い相手じゃないか。
「て……手紙を渡す。だ、だから……あの子は……あの子だけは……」
聞きようによっては、まるであの名前も知らない娘と何らかの関係があると自白しているような内容になってしまったが、今の俺にはこれが限界だ。むしろよく頑張ったと褒めて欲しいくらいだ。
何とか恐る恐る渡すと、受け取られたそばから粉々になるまで引き裂かれた。それでも足りないらしく、燃えカスひとつ残さない勢いで徹底的に燃やし尽くされた。
「では、参りましょうか、我が君?」
「う……は、はい」
無駄と知りながら心の中で抵抗しておく。その手紙は預けただけだからね。預けたってことは後で返して貰えることも、中身を読むことも本当ならできるはずなんだからね。その辺わかっているのかな、うちのウロボロスさんは。なんて、そんな大それたことは実際には言えないけど。
そんなどっちが主なのかわからなくなるやり取りを見たためか、またアデルとルーチェは笑った。
「大変なんですね、魔王様って」
「心中は察して余りあります。でもそこはほら、男の本懐とも言うじゃないですか」
純粋に同情してくれているアデルとは違って、ルーチェはもう完全にからかいに来ている。そういえば初対面からその傾向はあったし、時々ウロボロスのことも弄っていたしな。今度は俺を弄るつもりか。でも、こういう痴情関係は初めてだからなのか、はたまたルーチェだからなのかわからないが、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
「魔王たるもの寄って来る女全てを幸せにするべき……ってか? 俺にできるのは今みたいに生き長らえさせるくらいだけど」
「要らぬ殺生は好まない……良いお話じゃないですか。聖人君主みたいで格好いいですよ」
「物は言い様って、この事かな」
「あはは、そうだと思いますよ」
笑っている。そのはずなのにルーチェの心はここに無いように見えた。それに気付いた時、あぁ、そうかと納得した自分がいた。
あの戦いからまだ数日。アデルのために生きてきて、その目的が達せられたんだ。燃え尽きてしまっても無理はない。俺もそうだった。オラクル杯で優勝して燃え尽きて、そこから新しい何かを始めるまで時間がかかってしまったから。でも俺の場合は幸運だった。皆を優勝させるのと同じくらい大切な仕事に出会えたから。ブラックだったけど。じゃあルーチェはといえばどうなるのだろう。
「ところで……お前さ、これからどうするんだ?」
だから思わず聞いてしまった。心配で、ひょっとするとこのまま消えて無くなるんじゃないかって、そんなあり得ない不安すら覚えてしまう。だってルーチェの表情や体からは、かつてあったオーラのようなものが全く無くなってしまっていたから。
「そうですね、ちょっと簡単には答えが出ないと思います」
「そうか……そうだよな」
ルーチェの顔をアデルが覗き込む。その表情は心配そうなもので、そして泣きそうな目をしていた。俺如きが気付いたんだ。大切な友達であるアデルがそのことに気付かないはずがない。
「……ねぇ、やっぱり聖リリス帝国に戻る?」
「ううん、それは無いって。大丈夫、私はずっとアデルと一緒にいるから」
俺の知らないところで2人がどんな話をして、どんな結論を出したのかはわからない。でも俺ならば、ルーチェが輝いていられる場所は聖リリス帝国の聖天騎士団なのかもしれないと思ってしまう。それくらいルーチェの槍さばきは凄まじかった。そして何より、あれだけ騎士のことを罵っていた割には、ウロボロスとの一戦では清らかとしか言いようのない覚悟を見せてくれたのだから。目的と居場所。この2つを天秤にかけて話し合ってどう結論を出すのか。こればかりは俺には関与できる問題ではない。
でもルーチェが強かったように、アデルもまたとても強い心の持ち主であることは間違いない。だからこそ2人の事は2人に任せておけば絶対に大丈夫。そんな確信があった。確信はある。ただそれは確実ではない。だからこそ心配性の俺は、余計なお節介なのだとわかりつつも提案してしまう。
「俺もさ、何か力になれる事があったら協力するよ。なんなら、2人一緒に俺の所に来てくれてもいいんだぞ?」
「気持ちだけ貰っておきます。これからのことは……そうですね、適当にイース・ディードを旅しながら決めようと思っています。アデルとあの人が守りたかったこの土地を、きちんと見てみたいから」
「私もルーチェに付いて行きます。だから魔王様、心配なさらずとも大丈夫ですよ」
「そうか……それがいいかもな」
2人で旅をして新しい生きがいを探す。それは生半可なことじゃない気がする。昔、俺は1人では何も決められなかった。でも2人は違う。なぜなら2人だから。心から信頼し、命すら惜しまずかけられる友達なのだから。アデルとルーチェが一緒なら旅の中で何かを見付けられる。そう思える。
「もう、心配し過ぎですよ、魔王様。お父さんにでもなった気ですか? ねぇ、アデル?」
「本当です。私たち、そんなに頼りなく見えますか?」
2人に揃って抗議されてしまう。顔に出てしまっていたんだろうか。個人的にはもう心配することはないんだって思えたばかりなんだけど。まだ足りなかったのだろうか。
うーんと考えていると、ルーチェが軽く溜め息を吐いてから、神妙な面持ちになって教え諭してくれるように話し出す。
「放っておいても人は勝手に生きられますよ。だから大丈夫です。これまでたって、大概は何とかなってきたんですから。でも中には死んじゃう子もいます。かつて私がそうだったように、魔王様に助けられたように」
「私も同じです。私が助けられたように助かる子がここにはたくさんいます。だから今度こそ、正しい方法で力になりたいんです。それをこれから見付けていきます」
「そうか……本当に、余計なお世話だったな」
「本当ですよ、まったく。それに……」
ルーチェはくるりと一回転して見せてくれた。何のつもりなのだろうと悩んでいると、自分の背中を指さす。示されて気付いた。無いのだ、槍が。
「私は自分勝手で、騎士を名乗りながら騎士なんかじゃありませんでした。だからすっぱり辞めました。私はもう騎士なんかじゃなくて、助けたい人の力になるただの女の子に戻るって決めたんです。申し訳ありませんが魔王様の力にはなれません。お誘い頂いても困ります」
「そうか。でもその方が、ルーチェらしい気がするよ」
もう何も言うまい。何か思うのも無粋だ。黙って見送ろう。そう決意したところ、どういう訳かルーチェはまだ何か言い足りないらしい。最後にひとつだけと付け加えてから続ける。
「でも、また機会があれば叫んじゃいますから、その時は助けてください。魔王様……いえ、私の英雄様」
「もう、図々しいよ、ルーチェ」
「えー、別にいいでしょ」
楽しそうに笑い合う2人の表情は、まるで憑き物が落ちたようにさっぱりとした可愛らしい女の子の笑顔だった。




