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魔王と配下の英雄譚  作者: るちぇ。
第1章 偽りの騎士
18/51

第18話「解答」

 やって来た玉座の間は不気味な程に静まり返っていた。異質だ。ここは俺がふんぞり返るために作った俺のための部屋のはずなのに、一歩踏み出しただけで腰が抜けそうになってしまう。


「我が君、大丈夫ですか?」


 隣で腕を組んでくれていたウロボロスが支えてくれて、何とか持ち直せる。酷いな。全くもって酷い。黒を基調とした部屋だからか、より一層不安な気持ちを掻き立ててくれるらしい。そういう風に自分自身を慰めながら、ひとまずウロボロスにお礼を言う。


「だ、大丈夫。ありがとう、ウロボロス」


 遅れてカルマとルーチェもやって来る。俺の痴態がまた不思議に見えたらしく、ルーチェはカルマに色々と聞いているようだ。まぁ、返答は変わらないだろうが。俺でも危険は絶対にないと答えるので精一杯なのだ。どうしてカルマにそれ以外のことを言えるだろう。

 なにはともあれ、これで役者は揃ったはずだ。せめて早く姿を見せてくれ、と思いながら辺りを見渡すと、神無月は玉座の横に控えるように立っていた。手で座るよう促している。


「神無月……す、座れということで間違いないか?」

「はい。我が主より、魔王様に立ち話をさせる訳にはいかないと指示されておりますので」


 落ち着け、俺。そうだ、これは考えようによっては威厳を回復する好機である。玉座には背もたれと座面があるから、腰かけてしまえばよろめいて倒れることはなくなる。しかも後ろと下に死角は無くなるじゃないか。すると気にするのは前だけで良くて、そこにはウロボロスがいてくれるから、ほら、安心だ。


「お、俺は座るぞ。サポートを頼むな、ウロボロス」

「畏まりました」


 俺は座り、ウロボロスは斜め前に立ってくれた。鎧は身に付けないがグングニル改12は手にしてくれて、防御系統のスキルや魔法をいつでも使用できるよう、ウィンドウをいくつも並べてくれていた。完璧な迎撃態勢である。物々しいと思うだろうか。ところがどっこい。これでもなお不安が無いとは言い切れない。


「では、これよりお呼びします」


 こちらの準備が整うのを待ってくれていたのだろうか。ウロボロスがウィンドウを並べ終えたところで、神無月は本来の入り口へゆったりとした足取りで移動する。そして扉の前に立つと、ギィ、という音を立てて開かれた。そこにいたのは9人のメイドたちだった。

如月のような純日本風な奴が3人、赤い髪の奴が3人、青い髪の奴が3人である。あの髪の色で役割を明確に変えているのだが、まぁ、今はそんな情報を確認する必要もないだろう。それよりも、ほら。きちんと俺も警戒しろ。メイドたちがアイコンタクトすら取らず、5人ずつ2列に分かれて道を作って頭を垂れたぞ。来る。奴が来る。


「我らが主、お願い致します」


 ひらり、はらりと、何枚かの羽がメイドたちの道に舞い降りてくる。うっすらと神々しい光を帯びた純白の羽である。それらの軌跡を目で追っていくと、天上に天使がいた。

褐色肌にウェーブのかかった淡い黄金色の髪、紅玉のような鋭い目。ゼルエルに続く俺がイチから創造した配下にしてメイドたちのマスターである、逆転の女神、聖天使ルシファーだ。

ゆっくりと自身も舞い降りて来ると、奴もまたメイドたちのように一礼する。


「こちらではお初にお目にかかります。第二配下、聖天使ルシファー、ここに」

「あ……あぁ、ひ、久しぶり……元気だった……か?」


 にこりと、ただ微笑えまれただけで自分自身を呪った。なぜ俺はあんな設定にしてしまったんだろう。ウロボロスが俺のフィアンセという設定文に毛を生やしたような内容だろ。それであれだろ。ルシファーはモロなんだよ。ダイレクトな表現が多いんだよ。はっきり言おう。過去最大級の貞操の危機がやって来たと。


「ふふ、お会いできて嬉しゅう御座います、ユウ様」


 言うが早いか、次の瞬間、ルシファーは残像を残して消える。駆け出したのだ。俺に向かって一直線に。辛うじて見えてはいる。でも避けるのは無理だ。立とうと思ったら腰が抜けて動けない。これはあれかな。変質者に襲われて、恐くてすくんでしまう女の子のような状態かな。なんて、冷静に分析する自分がどこかにいた。


「お待ちください、ルシファー様」


 しかし、直ちに間違いは起こらなかった。忘れてはならない。側には守護神ウロボロスがいてくれる。しかも俺の貞操の危機となれば黙ってはいられないだろう。速度負けせずしっかりと立ちはだかってくれて、イージス・スピリットの召喚まで終わらせて周囲に配置してくれている。


「そこを退きなさい、ウロボロス」

「我が君は怯えております。ご理解頂けませんか?」


 頭すら動かせないのか。くそ。せめて必死に頷いて見せたいのに、ガクガク震えて動いてくれそうにない。

自分でもおかしく思ってしまう。特にこれといった女性に関するトラウマは無いはずだ。なぜなら、そもそも女性と関わった経験すらほぼ無いから。陰で何か言われていたのかもしれないが、幸か不幸か、全く耳にしたことはない。そのくらい女性経験が無いのに、どうしてここまで怯えているんだろう。でも恐いのは恐いんだから仕方ない。いや、仕方ないで本当は済まされないんだけど、じゃあ、もう、どうすればいいんだよ畜生め。


「なるほど、つくづく真面目ですね。しかし甘い――」


 消えた。そう思った時には、背後から果実や菓子とは違う独特な甘い香りがして、振り返る間もなく、ガッシリと背中から抱き締められていた。嘘だ。そこには玉座があったはずだろう。なのに、なんだよ、この背中全体で感じる間違いを犯してしまいそうな柔らかさは。


「ユウ様、前をご覧ください」


 耳元で妖艶な声でささやかれる。前、前って、俺は前を見ていたつもりだったのだが、気が付くと、独特な笑みを浮かべているルシファーと目が合っていた。頬が真っ赤で、口と目は三日月のようににんまりとしている。どうしてわかるんだろうと思ったら、どうやら後方を見ていたらしい。


「ふ……ふざけるなよ……?」


だってそうだろう。目を離したら何をされるかわかったもんじゃないんだぞ。変なところに手が伸びて来るんじゃないかって思うと、本当はまだ見ている方が良かった。しかしどういう訳か、俺の頭に誰かの手が添えられて、無理にグイっと向けられる。痛い。首が痛い。すると、一体いつの間に準備されていたのだろう。三脚の上に本格的っぽいカメラを乗せて、今まさに撮影しようとしている神無月がいた。


「はい、チーズ」


カシャリという音が鳴り響く。え、なに。どういうことなんだよ。と思いながら視界の端に白い物が見えて、視線を落とすと、俺は真っ白なタキシードを着ていた。まさか、と思いしっかりと振り返ると、ルシファーは純白のドレスを着ていて、なぜかその左手薬指には青い宝石の着いた指輪がされていた。


「わ、わ、我が君に対して何と無礼な! 離れてください、ルシファー様!」


 そういえばウロボロスはどうしたのかと思ったら、メイドたちをちぎっては投げ、ちぎっては投げて、でもその度にゾンビのように復活されて足止めを食らっていた。手を伸ばせば届きそうな距離にいるのに、一歩たりとも進めそうにない。


「そうじゃぞ! 羨まけしからん! 離せ、離すのじゃ!」


 見ると、カルマも同じようにメイドたちに力ずくで押し込められていた。事態が事態だけに止めようとしてくれたんだろうが、流石にカルマの腕力ではどうしようもないらしい。もっともウロボロスですらあの状態なんだから、スキルや魔法を上手く使うという発想が浮かばなさそうなくらい興奮しているカルマに突破は困難だろう。


「ふふ、これで結婚式は済みましたね? あとは……」


 え、なに。あとって何。ハネムーンか。まさか初夜とは言うまいな。やめろ、やめろよ。俺はこんなんでも好きな人と一緒に添い遂げたいっていう思いがあるんだぞ。いや、ルシファーのことが嫌いという訳では勿論なくて、なんなら外観も性格もトップレベルで好みなんだけど、なぜか素直に受け入れたいとは思えないんだ。だから頼む。どうか穏便に、穏便に。

その願いは届いたのか、届かなかったのか。ルシファーはゆっくりと顔を近付けてくると、キス、ではなく頬を頬にピタリと当てて頬擦りしてきた。いまだかつて見たことも聞いたこともないレベルの熱烈な頬擦りだ。ダメージこそないものの、顔が削れて無くなるんじゃないかって思えるくらいである。


「あぁ……ユウ様! ユウ様、ユウ様! あぁ、やっとお会いできました!」

「おのれ……ルシファー様! 我が君、我が君っ!」

「離れるのじゃ! おのれ離れろ、メイドがっ!」


 助かったと思う気持ち半分、何なのこれという疑問が半分であった。だってさ、第三者的な立場から見れば、まるで恋人の仇でも前にして怒り狂っているようなウロボロスとカルマがいて、尋常じゃない頬擦りをされている俺がいるだけだぞ。ほら、見ろ、あのルーチェの目を。滅茶苦茶ドン引きしているじゃないか。


「あ、あのさ、ルシファー? お客さんもいることだし、これはちょっとやり過ぎじゃ……」

「いいえ、折角お会いするのですから、一生心に残るようなサプライズは必要不可欠です。お気に召しましたか?」


 ぶっちゃけるとお気に召しません。でも否定したらどうなるだろう。せっかく偽装結婚式の写真撮影と頬擦りで満足してくれそうな雰囲気なのに、これで駄目となれば、俺を引きずりながら大人の階段を駆け上がってしまいそうな気がする。キスで済めば良し。そのまま純情を散らされてしまうかもしれない。今は、そのキスすら守れているのだ。ここで冒険するのは余りにもリスキー過ぎる。


「し、心臓が止まるかと思ったから……もう少しマイルドにお願いします」

「ふふ、ではサプライズ成功ですね。お褒め頂き光栄の極みに御座います」


 何がどう成功したのか、と突っ込みかけて自分で気付く。サプライズは驚かせて初めて意味がある。驚きにも程度はあるだろうが、心臓が止まりそうな程に驚かせたとなると、かなり上位にくる出来なのかもしれない。そう考えると俺は褒めてしまったことになるのだろうか。いや、ならないはずだ。俺のこの表情や口調を見れば一目でわかってくれてもいいんじゃないのか。


「戯れはこのくらいにしましょうか。騎士様がお待ちですので」


 誰のせいだと思っているんだ、誰の。そんな言葉をグッと飲み込む。思い出せ。神無月は全てに対する解答があると言っていた。つまり相応の説明をしてくれるのだろう。事は重大なものばかりだ。真剣な内容を語ってくれるのなら身の安全が保証されるに違いない。この頬擦りは終わって、ウロボロスやカルマも解放されるはずだ。みんな万々歳である。


「あぁ、そうだな。しっかりとした説明を頼むよ」

「はい、勿論で御座います。まずは騎士様の質問から答えても宜しいですか?」


 あれ、この流れるような会話はおかしい。どうして一度も区切りが入らないんだ。要は、俺はまだ頬擦りされたまま、ウロボロスやカルマは格闘したままじゃないか。まさかとは思うが、こんな痴態を晒しながら真剣な話をすると。おいおい、冗談はその暴走振りだけにしてくれよ。どこの世界に愛情表現しながら真面目モードに入る奴がいるんだよ。


「そ、その前に離れてくれないか? 皆に聞こえた方がいいだろ」

「私としたことが、気が利きませんで。神無月、あとは貴女の口から聞かせなさい」


 おぉ、そうきたか。そこまでして俺にへばり付いていたいと。参った、降参だ、と言ってしまいたいところだが、そうはいかない。

一見すると打つ手は無さそうだ。なぜなら全てに対する解答を聞かせてくれると言った。しかも、皆に聞こえるようにという配慮もしてくれる。他に隙はあるだろうか。ふふ、ある。まだ茨の道は残されている。


「待て、ルシファー。そんなつれないことを言うなよ。やっとこうして会えたんだ。もっとお前の綺麗な声を聞きたいし、何より聞かせたい。この世界の住人にさ」

「ゆ……ユウ様……っ!」


 これは賭けだ。一切の被害を完全に無視した賭けだ。今後ルシファーは勿論、ウロボロスからの激しい追及は確実にあるだろう。しかも、ルーチェからは完全に白い目で見られてしまうオマケ付き。そんなリスクを背負い込んでもノーと言われればそれで終わりである。だが俺は勝った。見ろ、あのルシファーのとろけるような赤面した顔を。


「それがユウ様の望みならば、全身全霊をかけて叶えるのが私の存在理由です!」


 俺の想定を遥かに超えた規模の話になっていそうだけど、それでも何とか離れていってくれた。ウロボロスとカルマも解放されて、これで少なくとも今だけは落ち着いて話を聞けるようになったかな。


「あぁっ……! 我が君が汚されてしまいました……っ!」

「魔王様はワシらの魔王様じゃぞ!」


 両脇からガッチリと腕を組まれて左右から頬擦りされる。これ、事態が悪化しただけのような気がしてならないんだが、果たして成功と言って良いのだろうか。うーん、ひとつだけ言えることは、どう転んでも俺に安寧は無かったらしい。まぁ、何はともあれ、ルシファーの魔手からは逃れられた。ウロボロスとカルマなら本当に最低限のTPOは弁えてくれるはずだから、さっきよりは安心して話を聞いていられるだろう。


「さて……お待たせしました、騎士様」


 ルシファーはそんな2人を一瞥しただけで特に何も言い返すことなく、表情を引き締めてルーチェの方を向いた。凄まじいプレッシャーだ。先ほどまでのおふざけモードとはまた違う種類の強い圧力が、背中を見守るだけの俺ですら感じられる。


「は……はい」


恐らくルーチェも強大な力を感じているのだろう。一歩踏み出されると、それに合わせて一歩後ずさった。

信じられるか。あのウロボロスに真っ向から挑んだ程のあいつが後退したんだぞ。しかし、そこは流石のルーチェといったところか。二歩目からはグッと堪えて真っすぐ見つめていた。


「今回の一連の事件の真相とアデル様の生死、その居場所。この辺りが知りたいということで相違ありませんか?」

「間違いありません」


 少しの間見つめ合うような形になった2人だったが、ルシファーの方からくすりといいう小さな笑い声が聞こえてくる。何がおかしいのだろう。別にルーチェは強がっている風には見えない。ドッシリと構えていて、膝もどこも震えてなどいないというのに。


「ご安心を。その全てを私は把握しております。嘘偽りのない話をしましょう」

「疑うかどうかは、聞いてからのことです」


 なるほど、ルーチェの立場から考えれば、嘘を掴まされて追い返されても不思議ではない。なぜなら、アデルに会わせるという約束は一応の形ではあるが果たされている。これ以上付き合う必要はもう無く、ならば、あのアデルもどきと会ったところから既にはめられたと考えられなくもない。そう疑うのは本気であればある程に必然。それを笑ったのだろう、ルシファーは。


「ふむ……ただ、交わした約束はアデル様との面会のみ。無条件でお伝えできることは現在地だけになります」


 言いながらルシファーはメニュー画面を操作し、ウィンドウを拡大表示してルーチェに見せる。映っていたのはマップ。この辺りの地図のようだ。オラクル・ラビリンスとアデルの再建した村との距離から推測するに、あれ、これはひょっとして、日本列島が収まるレベルの地図じゃないか。この規模から計算すると、ここから西に1000キロくらい離れた所に、赤い点が明滅している。


「アデル様はこちらになります」

「……確かな情報ですか? また偽者の可能性もあるのでは?」

「なるほど、その信憑性を語るのならば、この事件の真相も話す必要がありますね。ユウ様、如何なさいますか?」


 普通に話していいよ、と言い欠けて、ひょっとしてこちらに有利な交換条件を提示できるかもしれないと思ってしまった。きっとルシファーも同様に考えているのだろう。無条件で伝えられるのは、とか言っていたし。

でも、なぜだろうな。ルーチェを見ているとそんな気は失せてしまう。別にいいさ。ここで無理に色々と聞かなくてもどうとでもなる。俺たちなら。


「……いいよ、聞かせてくれ」

「そうですか。では、そもそもの認識を正すところから始めましょう。弥生、あれをここへ」

「わっかりましたー」


 如月も所属する隠密メイド3人衆の1人、小柄で軽い調子の弥生が前へ進み出て、成人男性が楽々入れる大きい檻を出す。

外観は物々しい棘がいくつも生えた鳥かごのようになっている。その中には実際に入っていた。虚ろな目をして、抵抗する様子も無く黙ってうつむいている男性が1人。


「じゃあ、いっきまーす」


 何が、と聞く暇も無く、弥生はクナイを放って男性の首をはねた。酷い光景だ。切断された人間の首から鮮血が噴水のように飛び出して、飛び出して、ん、あれ。おかしい。何も起こらない。血が噴き出すことも垂れ流れることもなく、まるで蝋人形の首でも取ったような状態だ。


「な……何がどうなって……」


次の瞬間、俺は言葉を失う。首をはねられたはずの男性は、たちまちピンク色の液体に溶けてしまったのだ。見間違いではない。これはあのロアたちが巻き込まれていた謎の怪現象だ。


「では、処理もしまーす」


 何を言わんとしているのか考える暇すらくれず、弥生は魔法陣を液体の下へ展開してキャッチする。そして如月がやったように手の平サイズの球体にしてしまうと、むんずと手で鷲掴みにして可愛らしく一礼した。


「終わりでーす」


 どうやら終わったらしい。そのまま弥生は軽い足取りで部屋の隅へ駆けて行くと、メイドたちの隊列に入って、周りと同じように行儀良く手を前で合わせて頭を垂れた。そういえば、いつの間にメイドたちは部屋の隅へ移動していたんだろう。うーむ、従者は足音を立てないとかいう話を聞いたことがあるけど、こういうものか。

 そうじゃなくて、関心している場合ではない。さっきの出来事から何がわかるのか考えろ。パッと思い付く可能性はふたつ。死ぬと溶け出すのか、そもそもあの男性が人間ではなかったのか。ロアたちが被害に遭ったことを考えれば前者だが、うーん、当り前だが死ぬと人は口をきけない。それなのにロアは色々と聞かせてくれた。周りにいた兵士たちは泣き叫んでいた。でも後者というのもまた違う気もするし。


「やはり、そうなっていましたか」


 今の出来事で、どうやらルーチェは合点がいったらしい。ひとりでウンウンと何度か頷くと踵を返して出て行ってしまいそうになる。そのくらい十分な情報だったのか、あの座標にアデルがいると信じられてしまうくらいに。何だ、一体何がわかったというんだ。


「聡明な方ですね。よもや、試したこともおありなのでは?」


 待ったをかけるようにルシファーがその背中に問いかける。そうだ、何でもいいから場を繋いでくれ。

 あれ、と不思議に思ってしまう。どうして俺は今、ルーチェを止めたいと思ったのだろう。確かに気にはなる。たったあれだけでどうして信じられたのか聞きたいとは思う。でもそれはルシファーから教えて貰えるじゃないか。それなのに、どうしてなんだろう。


「どうでしょう? 私はこれでも、この国を守る騎士らしいですからね。しかし……そうなるとアデルはもう……」


 チラリとこちらに向いた顔は、その細部までは見えない。でもお陰ではっきりとわかった。なぜ俺がルーチェを引き留めたいと思ったのか、その理由が。

これまで、ルーチェの表情には確かな力が宿っているように見えていた。アデルを助ける。ただ、そのためだけにやって来たのだ。当然だろう。しかし今はわずかに変化している。ゴールが見えて気が抜けた、逆に気持ちを入れ直した、そんな雰囲気とは全く違う。一言で言い表すなら、死。何となくだけど、でも明確に死。そんな冷たい悲しみがはっきりと見て取れた。だからこそ理解したのだ。ルーチェは死にに行くつもりだったのだろうと。


「生きています。正確には生かされている、と言った方が適切でしょうか。彼の目的がある限り、その命は尽きません」

「……そういう事になっているんですね」


 わからない。どんな形であれ、アデルが生きているのなら、どうしてあんな顔をするのだろう。既に死んでいたのならまだしも、希望はまだ残っているというのに、なぜ諦めてしまうのだ。あのルーチェが、どうして。


「ここに、様々な思いが集結しつつあります。貴女とアデルの長く苦しい戦いの日々もまた、この一点でひとつの終わりを迎えるでしょう――」


 ルーチェの足下に魔法陣が展開される。あれは転移魔法。馬鹿な、このタイミングで一体誰が飛ばそうというんだ。ウロボロスではない。カルマでもない。ならば、やはり術者はルシファーか。くそ、魔法を打ち消すスキルで止めてやる。


「――行きなさい、騎士よ」

「マジック・バニッシュ――!」


 馬鹿な。通常の魔法なら、発動した後でも割り込んで打ち消せるレベルまで磨き上げたスキルだぞ。それがかすりもしないなんて、ルシファーの奴、加速させやがったな。打ち消されると予想して、それを上回る速さになるように。なぜだ。なぜここでルーチェを行かせる。殺すようなものなんだぞ。

 何もできないまま消えていくルーチェを見送って、俺はようやくルシファーと面と向かって話すことができるようになっていた。真正面から見据える。


「ユウ様、ここから詳しく説明致します。お覚悟は宜しいですか?」

「……あぁ、包み隠さずよろしく頼むよ」


 本当は疑いたくない。俺に向けられた愛情は、間違いなく本物だったと思えるくらい強烈だったから。でも疑わざるを得ない。こいつは確実に何かを企んでいる。これまで姿を現さなかったのは、その理由は調査と聞いていたが、果たして本当のところはどうなのか。


「我が君」

「魔王様」


 両脇にいるウロボロスとカルマが、組んでいる腕に力を込めてくれた。私たちが側にいると言いたいのだろう。心強い。万が一などあり得ないと信じている。だが最悪の事態に陥った場合、2人がこんなにも近くにいてくれるのは本当に心強い。俺は2人にそれぞれ頷いて見せてから、ルシファーに向き直った。


「まずはイース・ディードの総人口についてお話しましょう」

「人口……だと?」


 そんなお勉強的な数値に何の意味があるのか。ルシファーは至って真面目そうなだけに、ふざけているのかどうか判断が付かない。とりあえず聞いてみるしかないか。本当に重大な内容に繋がっているのなら人口から続くことなんてタカが知れている。


「かつては数百万程の人間が暮らしていたようですが、近年は大変に減少傾向で、現在は……そうですね、いて2人程度なのですよ」

「そうか、総人口は2人……って、2人っ!? いやいや、アデルの村に何人いたと思っているんだ?」


 これはまた、とんでもない数値が飛び出したものだ。2人って、俺の両脇にいてくれる人数と同数じゃないか。具体的な人数までは把握していないが、アデルの村の生き残りは少なく見積もっても50人はいたはず。仮にイース・ディードが死の荒野になっていたのだとしても、最低でも二桁はいくはずだろうに。


「先日、最後の間引きがなされました。覚えておいでですか? 聖リリス帝国四大将軍ロアと、その部下たちの末路を」

「それがなんだって……」


 ふと、アザレアの報告を思い出す。アデルの村に被害はほぼ無かった。ほぼ、と言った。そう、いくらかは被害者が出ている。だが生き残りは確実にいる。では、残ったのはどんな人か。

皆、目が虚ろだった。無理もない、俺が村を吹き飛ばしたから。そう思っていた、これまでは。でもちょっと待てよ。ここに、さっきの弥生が首をはねた男性の情報を持ってくると、また違う見方ができるんじゃないか。


「まさか……嘘だろ?」


 もっとよく思い返してみる。村人たちは家族と家、故郷を奪われた。それでも気丈に振る舞っていた。少しでも元の生活に近付けようと、どんなに辛くても文句ひとつ俺たちには言わず、そう、まるでさっきの人もどきのように人形のような表情をして。駄目だ。駄目だ、駄目だ。どうして悪い風に考える。いや、待て。逆に考えて何が悪い。アデルはグレーだった。あの怪現象と何らかの関係があると考えていたじゃないか。その線が繋がりかけているだけじゃないか。


――改めて、心より感謝します。ありがとうございました


 俺が村を吹き飛ばしてしまった後、アデルはそう言って頭を下げてくれた。本当に頭を下げなくちゃいけないのは俺の方だったのに。あの時の言葉が、そして光景が蘇ってくる。

あぁ、そうか。俺はアデルをグレーにしていた。信じたかったんだ、アデルを。だからここまで現実を突き付けられてもなお、信じたいと思ってしまっているんだ。でも状況だけを冷静に、冷酷に見れば、どうしてグレーなんかに留めておけただろう。


「もうおわかりと思いますが、先程のモルモットさんは、アデル様の村にいた者の中から無作為に選びました。これでもう、おおよそのところは理解できたのではありませんか?」


アデルの村で暮らす人のほとんどはもう人間ではなかった。だから討伐隊が向けられた。それを俺は力でねじ伏せた。しかもロアの居場所も発見してしまって、結果、アデルにピンク色の液体にされた。筋が通っている。通ってしまった。


「それじゃあ……俺は……とんでもないことを……」


 ロアたちの言っていたことは本当だった。人を溶かすという悪魔の所業を成す者を討つ。その戦い、俺ですらこう称するだろう。聖戦と。そう、聖戦だったのだ。ただの弱い者いじめではなく、世界のために、平和のためにと、死の恐怖と戦いながら剣を握っていた勇敢な戦士たちの偉大な討伐作戦。それを、俺は。


「誤解なさらないでください。ユウ様が介入されたお陰で事態は早く動きました。敵はユウ様を恐れ、あの手この手で排除を試みたのでしょう。ユウ様の前でロアたちを溶かし、アデルの偽物を作り、挙げ句の果てにはウロボロスの贋作まで用意しています」

「……そうか、偽ウロボロスの正体すら」


 何だ、これは。何なんだ、この結果は。俺は正しいことをしたつもりでいたが、実際は、はは、正真正銘本物の魔王の所業をしていただけだった。人々の思いを踏みにじり、力で全てを屈服させ、容赦なく死をもたらす人でなし。正しかった。正しかったのか、周りの言っていたことは。


「我が君、失礼致します」


 コツン、と額に何かが当たる。ウロボロスの顔がとても近くにあった。鼻と鼻が触れ合ってしまうくらい近くに。そして真正面から強く、強く抱き締められていた。そうか、おでこをくっ付けているのか、俺たちは。


「我が君には私が……いえ、私たちがおります」

「ウロ……ボロス……」


 なんて幸せそうな笑顔なんだろう。見ているこっちまで嬉しい気持ちにさせてくれるような、そんな笑顔。そして、妙に懐かしいことを思い出させてくれる。

あぁ、そうだったな。何をまた弱気になっていたんだろう。もう何度も何度も乗り越えたつもりだったんだが、まだ足りなかったのか、はたまた甘えたかったらしい。決めたじゃないか、この世界に来るよりも前に。後悔はしないと。魔王と呼ばれて、罵られて、たくさんの攻撃を受けて、それでも絶対に後悔だけはしないと。そう何度も何度も言い聞かせてきたじゃないか。俺は魔王ユウ。力ずくでしか何も成せない存在だ。

それでも、見ろ、よく見ろ。目に焼き付けろ、この笑顔を。俺は守ったのだ。俺が守った笑顔なのだ。だからこそ、今、こうして俺もまた幸せな気持ちになれるんだ。だから後悔はしない。前だけを見て、これからも魔王としてやっていってやる。


「ありがとう、ウロボロス」

「私こそ、心よりありがとうございます、我が君」


 もう大丈夫だ。取返しの付かないことをしてしまったのは事実だが、まだ守れる命はある。だから今は聞こう。ルシファーの話を。その上で行動に移すんだ。この力でもって、何としてもルーチェのことを守ってやりたい。


「悪かったな、ルシファー。話を続けてくれ」

「ユウ様……」


 なぜか、ルシファーまで嬉しそうな顔をしている。おいおい、お前は関係ないだろう。むしろ逆。これじゃあウロボロスに俺を取られたと思っちゃうんじゃないのか。それがどうして嬉しそうなんだよ。俺を見た時と同じくらい頬を真っ赤に染めてさ。


「ユウ様のお陰で、あちらは次々と弱体化していきました。なぜならあのピンク色の液体は生命であり、兵器でもあったのです」


 いけない。今は話に集中しなくては。さっさとルーチェを助けに行ってやりたい。いや、待てよ。さっさと助けるのなら、どうして話を聞いてからと思ってしまったのか。話なら後でもいいじゃないか。もしくは、ウロボロスかカルマに行って貰えればそれで解決なんじゃないのか。


「ちょっと待ってくれ、ルシファー」

「騎士様を助けるのは、話を聞き終えた後にしてください。そうでなくては、きっと本当の意味で助けることはできないでしょう」


 本当の意味で助けるだと。何を言っている。悲しいことだが、アデルの危険性はもう明らかだ。そんな奴を相手に、ルーチェが1人で立ち向かうのを見守れというのか。馬鹿な。ロアたちの二の舞になってしまうだろう、話なんて悠長にしていたら。


「ご安心ください。そもそもの話、どうして騎士様はここまでたどり着けたのか考えてください」

「……まさか」


 どういう原理かはわからないものの、確かにルーチェはここまで単身で乗り込んでいる。どうして道中で果てなかったのだろう。わからない。わからないが、あの現象の影響を受けない人間なのは確実だろう。ならば、ルシファーの言う通り直ちに危険は無いのだろうか。いや、そうと断定するのはまだ早い。


「いやいや、あの現象以外にも何らかの危険はあるだろう。それを考えれば、やっぱりここは急行すべきじゃないのか?」

「繰り返しますが、本当の意味で助けることができなくなってしまいます。ご安心ください。それまでの間ならば、騎士様でも大丈夫でしょう」


 本当の意味で助ける。この部分だけを教えて欲しいんだが、どうやら順番に聞いて欲しいらしい。くそ、信じるしかないのか。ルーチェを。いや、やっぱり駄目だ。せめて近くにいるファントム・シーカーを向かわせて、命の危険が無いかどうかだけでもチェックさせて貰うぞ。


「相変わらず用心深い御方ですね」


 なぜか動かした瞬間にバレちゃったらしい。でも、どうしても気になるんだ。話に身が入らなくなってしまう恐れがあるのだから、これくらいはルシファーも認めてくれるだろう。ただ、うーん、そういえば主って俺の方だよな。まるで俺が従っているような感じがするのは気のせいか。


「とにかく、話の続きを聞かせてくれ」

「では、あの液体について少々お話しましょうか。あれは人だったものです。人には少なからず魔力が宿っているようでして、それをかき集めて力として運用するための最適な形のようですね」


 そういえばアデルは言っていたな。父親は兵器の開発をしていたと。しかも特殊な訓練を受けずとも、誰でも使うことができたと。兵器って、あの液体のことを言っていたのか。具体的にどう使うのかは全く想像できないが、アデルやウロボロスの形を作れたことから、武器くらい何でも生み出せたのではないだろうか。


「装備者は好きな武器を自在に生成して使いこなせたという訳か?」

「いいえ、そう上手くいく話でもありません。人間は魔法もスキルも不得手としております。まぁ、中には見所のある者もいますが、多くの者は一切使えません。そんな彼らが、あの液体を突然渡されて使いこなせると思いますか?」


 想像してみよう。元の世界の俺なら、突然あんな液体をポイっと渡されたらどうするのか。うん、とりあえず避けるよね。触りたくないもん。でも上司とか取引先のお偉いさんの命令なら、ビニール袋か何かに入れて、犬の糞でも処理する気持ちで持ち上げることはできなくもない。でもそこまでな気がする。だってさ、取扱説明書も無ければ、そもそも持ち手がどこなのかすらわからないんだ。使えるか、って切れて終わりだろう。


「うーん、無理なんじゃないか? あの液体のままならさ」

「流石はユウ様です。そう、あのままならば不可能。つまり武器や人間へ加工しているのです。その技術……一体誰が持っていると思いますか?」


 余り認めたくはない話だが候補は1人しかいない。アデル。俺がこの世界に来て初めて力になりたいと思った、とても心優しく強い人だと信じていた、あいつ。他に挙がる奴はいない。いない。いや、ひとつだけ気になる点がある。もしもそれが俺の想像通りなら、犯人はアデルであって、アデルではない可能性も出てくる。


「……アデルだろう?」

「はい、犯人はアデルです。ただしアデルではありますが、正確にはアデルではありません。なぜなら彼女は被害者であり、ある意味で黒幕でもありますから」


――もう私を信じないで


 そんな耳を疑う発言をした後、アデルはまるで別人のようになった。目付きも、口調も、話す言葉も変わってしまった。あれが答えだったのだ。アデルの中には別の誰かがいる。そんな常識では考えられないことが起こっていたのだ。なんて、俺たちの存在自体が既にあり得ないことなのだから、二重人格くらい普通のこともしれないか。


「アデルの中に別の誰かがいて、そっちが犯人なのか?」

「ご明察で御座います。アデルも言っていたではありませんか。もう私を信じないで、と。ただし、あれは多重人格の類ではありません」


 多重人格ではないだと。俺はそっち方面に詳しくないが、他にも何かあるのだろうか。自分の中に自分以外の何者かが隠れ潜むような精神疾患的な何かが。いや、待て。ルシファーは今、その類と言ったな。つまり全く別の何かがいるということになるのか。何があり得るだろう。と、考え出してすぐに、俺はひとつの可能性を見付けてしまった。


「確かあの時は……アデルの父親が開発した武器のことから始まって……」


――まだ大災厄は終わっていないのに


 あの感情の高ぶりは普通ではなかった。まぁ、大災厄と呼ばれる程の悲劇を目の当りにしたのなら誰だってあぁなるだろう。そう漠然と思っていた。だが、もしもあれもまた大きな意味を持っていたとしたら、絞られるのはたった1人しかいない。


「まさかとは思うけど……アデルの父親が……アデルの体を乗っ取っている、とか?」

「正確には貸しているといった方が良いでしょう。時折、アデル本人の人格も現れていましたから」


 貸しているだと。あのアデルが父親に。あり得るな。自分の父親がどんな悪魔染みた所業をしているのか正確に把握していなかったとすれば、きっと貸すだろう。大災厄を繰り返さないために、なんて理由まで聞かされていたらなおのこと。でも現実は非情で、目の前で悲しいことが何度も何度も繰り返されて、でも自分の力ではどうすることもできなくて、絶望していたのかもしれない。


「さて、かつては四大将軍だった反逆者なんて無視はできません。国を挙げて対応に当たっていたようです」

「そうか……」


 本当の意味で助けるとはこういうことだったのか。あのままルーチェを追いかけていたらまた間違いを犯してしまっただろう。助けて。そのサインはいくつも見ていたはずなのに、俺は気付けなくて、また力ずくでねじ伏せてしまっただろう。そして最悪の場合、ルーチェとも殺し合いをする羽目になったかもしれない。


「おおよそ予想通りの内容でしたので、今回は特に問題なく調査は終了致しました。以上で報告は終わりますが……ウロボロスに言いたい事があります」

「私に……ですか?」


 ウロボロスに、だと。またふざけた内容かとも思ったが、どうやらそうではないらしい。その目付きは真剣そのもので、ともすると怒りが宿っているようにも見える。こんな不甲斐ない俺に対してならその感情もわからなくはない。でもなぜウロボロスなんだ。とてもよく尽くしてくれている。倒れるくらいの頑張り屋で、今だって俺を支えてくれているのに。


「私がなぜ、貴女にユウ様を任せたのかわかりますか?」


 そこは俺もずっと気になっていた。ルシファーの俺に対する思いは異常と言うより他にない。てっきり機を見て、ウロボロスと争うようにして詰め寄って来るものだと思ったが、実際には影も形も見えなかった。任せると言ったな。まさか、ウロボロスに遠慮していたとでもいうのか。


「我が君に挨拶も無しに動く無礼……生憎と理解できません」


 どうやらウロボロスは俺とはまた違う思いを持っていたようだ。この話題になった途端、とても厳しい目をして睨み付ける。

言われて、俺もまた理解に苦しんだ。俺は挨拶なんて無くても気にしないが、よく考えてみれば、確かに上司に何の断りもなく勝手に動くのは非常識。ルシファーはあんな暴走振りを見せてくれたものの、俺に関すること以外は超の付くくらい常識人である設定にしている。余りにも不自然だ。


「事態は急を要しました。私が何を懸念したのか……貴女もまた、それに類した危機感を抱いていたように思いますが?」

「……そうですね。無知であることは悩みの種でありました」

「悩みの種? そんな軽んじた考えは言語道断。本当にユウ様を大切に思うならば、最大級の危機としなくてはおかしい」


 言葉遣いは丁寧なものの、これまでと打って変わってルシファーの話し方に熱が篭った。表情も少し険しくなり、より強い圧力を感じてしまう。

それほど怒るような話だっただろうか。程度の差はあれども、俺たちの抱える目下の問題に違いはないだろうに。

 そんな俺の戸惑いが伝わったのだろうか。ルシファーは小さな息を吐いて少し心を落ち着けてくれたらしい。そしてこれまでと同じトーンに戻った口調で話を再開する。


「そうですね、無知。確かにそれ自体が違うと否定するつもりはありません。ただし注目すべきは世界の歴史や文化などではなく、ユウ様たちはこの世界においてどの程度の強さなのか。脅威はいるのか。そもそも生きていくことは可能かなど、要は今日を生き延びることができるのかどうか。そこを明らかにせずして、どうして明日を迎えられるでしょう?」

「それは……」


 言われてみればその通りだ。俺も時々悩んではいた。俺たちの力が通用しない敵はいないだろうか、と。カルマにお願いしてファントム・シーカーによる調査こそ行ったものの、振り返ってみれば、誰かに聞いたり、その点について文献を読んだりといったことはしていなかった。勝手に思い込んでいたのだ。最大の脅威はリリスなる人物だけだと。他は警戒しているように見えて、実際のところ、さして脅威に思っていなかったに違いない。


「この世界は未知で溢れています。何が起こるか予測が立たない以上、何をしても安全とは言えないのです。ユウ様の事を第一に考えた時、常に傍にいるだけの貴女の行動は正しかったでしょうか?」


 ようやく理解した。ルシファーは俺を何よりも優先して思ってくれたからこそ、あれだけ強い自分の欲望に蓋をして、外へ出てくれていたのだ。一度も戻らなかったのは、ひょっとすると追跡されている可能性を考慮してくれたのか、はたまた調査が難航したためか。どちらにしても、俺を大切にしてくれるその思いは本物だった。


「しかし、誰も御身の傍にいなければ……」


 そうだな、ウロボロスの言い分もまた間違いだとは言いたくない。事実、俺は弱くて、強敵がいる、いないという問題以外にも苦しめられた。そんな弱さを支えてくれたのだ、外ならぬウロボロスたちが。だからこそ断言しよう。俺がまだへこたれず立っていられるのは皆のお陰だ。俺自身の力ではない。


「貴女の覚悟は私も知っています。それだけの思いを懐くからこそ、全てを任せたのです。ただ……その結果、貴女には何ができましたか? 人間に敗北し、倒れてユウ様にご迷惑をかけ、この世界の事は何も把握していない」

「おい、言い過ぎじゃないか? ウロボロスのお陰で俺はこうしていられるのは間違いないんだ」


 大切なことだろうからと黙っているつもりだったが、いくら何でもそれは聞き捨てならない。流石に口を挟ませて貰った。それから、普段なら絶対に拒否されるだろうが力ずくでウロボロスを後ろにやって、ルシファーと向き合う。


「頑張ったのは認めますが、その結果に苦言を呈しています。ウロボロスはまだ何もなし得ていないではないですか」

「そんなことは絶対にない。それに、それを言うなら俺の方が何もやっていないぞ? むしろ世界を壊すような真似ばかりしてきた」

「いいえ、ユウ様は数々のご決断をされ、ウロボロスの代わりに指示を出し、ここまで来られました。ご立派ではありませんか」

「でも、それはウロボロスがサポートしてくれたからだ」

「ユウ様の歩みを補佐するのは配下として当然のこと。とても誇れたことではありません」


 駄目だ。この強固な意志を崩せる気がしない。俺を貶すようなことこそ言わないが、ウロボロスに関しては痛いところばかりを突いてきて、俺まで悲しくなってくる。それに何より、悔しいけど言う通りではあるのだ。それ自体を否定することができない以上、他に何を言ってやれるのか。

 どうしたものか、何て言い返すかと必死に考えていると、ウロボロスに掴まれている手が軽くなる。繋いだままのはずの手が弱々しく小刻みに震えていた。見ると、その表情は呆然としていて力なく項垂れている。


「ウロボロスに代わり、言いたいことがあるのじゃ」


 俺と同じく聞く側に回っていたカルマは、遂に不敵に笑いながら歩き出す。ケロベロスはいなく、本人の足で歩いている。本気だった。戦闘ではなく、俺の命令でもないのに本気になっている。つまりカルマ自身の意思で言いたいことがあるということだ。一体、何を言うつもりなのか。


「ルシファー様にとって、この世で最も大切なものは何じゃ?」

「当然、ユウ様です」


 何を言い出すかと思えば。それはお前たちにとって、その、当り前のことだろう。聞かなくてもわかることをどうしてわざわざ聞いたのか、なんて考える間もなく、カルマは言葉を続ける。


「それ故にこの世界について調べて回っておったのじゃろう。一方でワシらは魔王様とイチャイチャしておっただけ、なるほど言い返せることはあるまい。それが魔王様の望みならば……のう?」

「ユウ様の望み……というのは?」

「魔王様はワシらと共にあることを望まれ、ワシらはそれに応えた。確かにそれでは、この世界の調査が多少遅れるやもしれぬ。しかし、ワシらは魔王様を心から信頼しておる。極端な話、御心に従った結果ならば、例え命を落とそうとも誰も悔いはあるまい」


 そうか、カルマはそういう風に考えてくれていたのか。

本当は嫌だ。皆が負けるところなんて見たくないし、せっかく皆と一緒に生きられる世界なのに死ぬなんて真っ平ごめんだ。でも、きっと俺もそう考えていたと思う。効率を考えればルシファーのように皆を調査に出すのが一番だ。でも、それでは寂しい。今でこそ世界に関わってしまっているものの、この世界に来て、ウロボロスたちと出会って、俺は皆とずっと一緒にいたいと思った。その願いは今も変わっていない。その結果、例え命を落とすようなことになっても、バラバラになったまま死んでしまうよりはずっといい。


「なるほど、一理ありますね。カルマはそれでも良いでしょう。しかしウロボロスは別ですね」

「ほぉ、差別すると言うのかのう?」

「いいえ、断じて違います。貴女たちは生きているのでしょう? ユウ様にこう言われたから。ユウ様がこう望まれたから。そんな盲目的なイエスマン……データの頃と何が違うのです?」


 返す言葉が無かった。そうだ、皆は俺のことを思ってくれて、大切にしてくれて、何でも望みを叶えようとしてくれて。それが当たり前になっていたからか、言われるまで気が付かなかった。

皆は生きていると俺は言った。本当にそうだっただろうか。戦え、防御しろ、待機だ。そんな命令コマンドを入力していた頃と何が違う。データと何も変わっていない。ただ息をして、瞬きをして、触れると温かくなっただけではないか。


「一体、いつまで設定に囚われているのですか? 確かに、貴女たちを構成する一要素ではありましょう。ただ、それは人で言うところの生まれや育ちというもので片付く程度のものでしかないのです。親が悪い、社会が悪いと言って駄々をこねるだけの子どもではないのならば、さっさと自立しなさい。それが生きるということではないのですか?」


 ルシファーの言葉は痛いものばかりだけど、そのどれもがどうしようもなく正しい。皆に生きて貰いたい。そのためには設定文にとらわれ過ぎず、そこから自立して欲しい。全くその通りだ。それは、俺が皆に生きて欲しいと言ったあの願望そのものではないか。ルシファーは見抜いていたのだろう。俺の本心まで全てを。


「ワシらも細かいことは考え決断するのじゃ。全ては魔王様のためにのう」

「ユウ様のため。それを免罪符にしても、明確な脅威から目を反らしたのは事実ですよ。ユウ様の命すら軽視するつもりですか?」

「魔王様は最強じゃ。実際、この世界の住人たちは脆弱じゃろう。負けることなど、万にひとつも無いのじゃ」


 カルマもまた、俺と同じように気勢をそがれてしまっているらしい。言葉に覇気が無くなってきて、言っている内容も破綻し始めている。

ここまで違うか。俺がイチから創造したというだけで、皆は拾って育てたというだけで、ここまで差が出るものなのか。まさかとは思うが、ルシファーがこうならばリリスもまた、俺の、俺自身が気付いていない本心に従ってここを離れているだけなのかもしれない。そんな信ぴょう性の全くない妄想すら浮かんでしまうくらいに、そしてそれがどうしようもなく真実だと思えてしまうくらいにショックを受けているらしい。


「先ほども言いましたが、貴女たちはこの世界の何を知っているのですか? 貴女のような状態を井の中の蛙と言うのです」

「問題は現実じゃ。魔王様を越える敵はおるのかのう?」

「今のところいません。ユウ様が最強と私は胸を張って言えます。しかし、貴女にそう主張する権利はありませんね」


 もはや、俺たちにルシファーを言い負かすことはできっこない。完膚なきまでに叩きのめされてしまった。ウロボロスは間違っていた。もう、黙ってそう認めるしかないのか。

嫌だ。本当は嫌だ。あんなに頑張ってくれて、倒れたのは確かに困ったけど、でもそれくらい俺を思ってくれている表れのはず。暴走気味だけどいつも傍にいてくれて、支えてくれる。いてくれると心から安心できる。そんなウロボロスが間違いだったと言われて、そのまま引き下がれるなんてできるか。


「ルシ――」

「――なるほど。その点において、少なくともワシは劣るじゃろう」


 カルマの声に力が戻っていた。その目は何かを決意したような光のようなものを発していて、俺と言葉が被ったというのに、全く止めるつもりはないらしい。こちらに目を向けることすらしてくれない。

そうか、お前もまた俺と同じように引き下がるつもりはないんだな。わかったよ。ここは譲ろう。聞かせて欲しい。お前のウロボロスに対する思いを。


「しかし、ウロボロスは別じゃ。魔王様のためを思い、常に傍に控えながら寝る間を惜しんで独自にこの世界の調査をしておった。あやつほど真剣に魔王様を思う配下はおるまい。お主がどう思うおうと、どう酷評しようと、ワシらにとっては心から尊敬する大切な将じゃ。じゃから警告する。ここから先は言葉に気を付けよ。これ以上ウロボロスを否定するのなら……殺しにかかるぞ?」


本気だ。カルマのあの目、あの口調。間違いなく本気でいく。そう思わせる凄みがあった。だが勝てるはずがない。単身は勿論、ウロボロスが加わっても手も足も出せないであろう強敵だ。それなのに、負けるとわかっているはずなのに威嚇してくれる。ウロボロスのために。

もしもここで戦闘に発展したら、俺に止めることはできるのだろうか。俺だってウロボロスを守ってやりたいのに、一番見たくない仲間同士の戦いに発展したら、止められるのだろうか。

ルシファーの方を伺うと、とても冷たい目をしていた。あれは明かに殺意の篭った目だ。俺に向けられたものではないのに、俺まで冷気のようなものが感じて恐怖を覚えてしまう。

一触即発の状態。どちらかが不審な動きを取ったらそのまま戦闘に発展するだろう。そんな中、それは余りにも唐突に起こった。


「これほど嬉しいこともありませんね」


 くすりと笑ったのだ、ルシファーが。殺意はどこへやら、とても穏やかな笑みを浮かべてカルマを見つめている。新手の脅しではないかと警戒するくらい突然のことだったが、どうやらそうでもないらしい。ここから戦闘など絶対に起こらないと確信が持てる空気になってしまっている。

 これには流石のカルマも呆気に取られたようだが、まだ気は抜いていないようだ。そりゃそうだ。逆にあの流れからこうなって、どうして警戒心を解くことができるだろう。ひと思いに殺すために気を緩ませた。俺がカルマの立場だったらそう考えて警戒してしまうに違いない。


「……どういう意味じゃ?」

「私がウロボロスを差別する? ふふ、むしろ逆。心から期待しているのです。いつの日か、ゼルエル、リリス、そして私に並ぶと確信していますから」


 ルシファーはカルマの横をすり抜ける。余りの発言に呆気に取られたのか、カルマはあっさりとそれを許してしまう。そして俺には目もくれず真っ直ぐにウロボロスの方へ歩み寄ると、膝を着いてしゃがみ込み、項垂れているウロボロスの頬をそっと持って顔を上げさせた。


「良い部下を持ちましたね。ユウ様の決められた役割こそあれ、今の貴女たちは考えることができます。それでもなおここまで慕われるのは貴女の人徳があってこそ。改めて言います。期待していますよ、ウロボロス」

「ルシファー様……」


 安心した。そして嬉しかった。ルシファーは俺のイメージ通りのルシファーだったから。酷いことをスラスラ言われて、ぐうの音も出ないくらいに叩きのめされて、正直に言ってしまうと幻滅した。でもそれはウロボロスを思ってのこと。その思いが、嫌われようとも構わないという覚悟が見られた。こんなにも嬉しいことがあるだろうか。


「ユウ様、私はこんな損をしやすい女ですが……これからも末永くよろしくお願い致しますね?」


 そう言ってペコリと一礼される。くそ、一転してカッコいいじゃないか。惚れてしまったらどうするんだ、って、おっと。この手の内容は思考すら許されないのかもしれない。ルシファーの奴、途端に満面の笑みを浮かべるとにじり寄って来ようとしてきた。油断も隙もあったものじゃない。


「あぁ、そうでした。大切なことを伝えなくては」


 にじり寄って来ようとした、と言った。そう、実際には来ていない。ウロボロスやカルマが止めた訳でもないのに、ピタリと動きが止まったのだ。通信でも入ったのだろうか。その目が空中を泳ぐように動いている。

一体、大切なことって何だろう。気になる。そんなところで止めないでくれよ、と思いながら続きを待っていると、それから少しして、なぜか視線はウロボロスの方へ注がれながら話が再開する。


「間もなく騎士様が死ぬかもしれません。どうされますか?」

「な、何だとっ!?」


 感動している場合じゃない。よく考えなくても、それは危惧していたじゃないか。それがどうして、こんなにも焦ってしまう事態に陥ったのだろう。なんて、そんな原因について考える暇すら惜しい。早く行かなくては。一刻の猶予も無いぞ、くそ。

そう思った時だった。ひとつの影が瞬く間に駆け抜けて、転移魔法を使って消えてしまった。

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