第16話「会議をします」
端的に言ってしまうとね、頭が割れそうだ。色々な事が起こり過ぎているのに、情報が足りなさ過ぎて身動きも取れない。
そこで、だ。俺は一人で悶々と考えるのを一旦やめて、皆で情報の整理とその対処法を考えることにした。面子は復活したウロボロス、カルマ、アザレア、ムラクモの4人と会議用のテーブルを囲っている。不参加のフェンリスにはルーチェの看病をして貰っている。
「今日、皆に集まって貰ったのは他でもない。情報の整理とその対処法を話し合いたいと思う。ウロボロス、ホワイトボードとペンを」
「既に準備は整っております」
本当ならウロボロスには休んで貰いたいところだった。もしくは、今のフェンリスの役目を任せたいところだった。倒れて復活してからまだ2日しか経っていないのだから。しかし、まぁ、勝てる訳がなかった。あの手この手で押し切られたのだ。細かいところは思い出したくもないが、私も絶対に参加すると言ってどうしても聞いてくれなくて今に至る。
横目でチラリとウロボロスの顔色を伺ってみる。気合十分、体調万全、そんな生き生きとした顔をしている。ただ、それはきっと上辺だけだろう。昨日の今日だし、何より頑張り過ぎるからな、こいつは。時々気にしながら進めよう。
「よし、早速だけど大前提から確認するぞ。これまでの情報を統合すると、ここはドミニオンズではないどこか別の世界だ。俺たちは何者かによってこの世界に召喚されたと考えられる」
言いながら、頭に蛆でも湧いたんじゃないかと思ってしまう。別世界、召喚だって。あぁ、穴があったら入りたいくらいに恥ずかしい発言だ。でも実際そうなのだから仕方ない。もはや疑う余地は無いが、ここまで長く生き生きと生活しているのだから、夢の可能性は皆無だろう。だからこれは紛れもない現実で、そうなると、こんなトンデモ発言が至極まともな内容になってしまう訳だ。
「魔王様、ひとつ宜しいかのう?」
「なんだ、カルマ?」
まだ前提となる話をしているだけなのだが、カルマは挙手をして止めてきた。一体、何だろう。どこかおかしい点もあっただろうかと思いながら促すと、あぁ、なるほど。そういうことかとすぐに理解する。カルマの視線、そして指し示すように伸びた指は、ウロボロスへと向けられた。
「ウロボロスはワシらの将じゃ。書記なぞ、他の誰かに任せるべきではないかのう?」
「魔王様のご命令とあらば、僕は全く異存ありません。むしろ隣に行けるのならば本望です」
「我も、特に師匠の意見を聞きたいものだ」
カルマたちの言い分はもっともかもしれない。俺の次に決定権を持つウロボロスの意見も聞きながら話を進めた方が、話し合いは早く済むだろう。それに、具体的にどの程度かはわからないものの、ウロボロスはこの世界についてかなり調べている。その知識もあてにしたいところではある。だが、それを知った上であえて俺は書記をお願いしたのだ。
「いや、ウロボロスは団長だからこそ、その発言は皆の考えに影響を与えかねない。俺が聞きたいのは率直な意見だ」
今、俺が欲しているのは俺やウロボロスが思いつかない新しい発想だ。それなのに、組織の上に立つ人間が意見を言ってしまえば下の者が意見を言い辛くなる。何とか発言できても内容に制限がかかってしまうだろう。俺たちの考えに引っ張られてしまっては、この会議を開いた意味が無くなってしまう。
「なるほど、つまり僕たちは各々の得意分野の観点から、現状について意見を出せば良いと、そう仰るのですね?」
「そう、その通りだ、アザレア」
呑み込みが早くて助かる。こういう理解力の高さもステータスが影響しているのだろうな。失礼な話、これがフェンリスだったら3倍時間をかけても理解してくれていないだろう。ただ、アザレア自身が言ったように、各々の得意分野の観点からの意見が欲しいのは本当だ。フェンリスを超える速さを持つ奴はいないから、そういう意味ではいてくれた方が良いのだが。うーん、だからって今から呼び寄せる訳にもいかない。大体にして、他に誰がルーチェの看病をしてくれるというのだ。まさか俺が抜ける訳にはいかないし。
おっと、いけない。時間は有限だ。どんな話が飛び出してくれるのか全く予測も付かないのだから、要らない思考は置いておこう。カルマとムラクモもわかってくれたようだし、早速、色々と聞いていきたい。
「話を戻すぞ。この世界は大災厄とやらによって崩壊しかけて、聖少女リリス様なる人物が救済した。そして今の聖リリス帝国が興っている。そこから時間が飛ぶこと約5年、俺たちがこの世界にやって来て、アデルと出会い、あの村で一戦した訳だ。それから間もなく謎の人が溶け出す現象を目の当たりにして……」
俺がこの会議を開こうと思った決定打が起こった。ウロボロスの偽者が現れたのだ。しかも驚くべきことに、カルマが言うにはステータスや所持する魔法、スキルは違うものの、外観、内面は瓜二つだったらしい。もうここまで見過ごせない問題が山積みになってしまっては、俺もどうしていいのかわからなくなってしまった、というのが本音だ。
「不可思議なことが続くものじゃのう」
「まったくだ。我でさえ、師匠本人ではないと即座に言い切れないくらいに似ていた」
おおよそこんなところだろう、現状の確認としては。この話を元にこれからどうするべきか話し合っていって欲しい訳なのだが、我ながら酷い状況だな。良い言い方をすれば、どの面から切っても問題があって話題には事欠かない。逆に悪い、というか個人的な感想を言ってしまえば、どこからどう手を付けて良いのかわからない惨状である。
司会進行もままならないまま皆の反応を伺っていると、ありがたいことに、アザレアが挙手してくれる。
「早速なのですが僕からひとつ提案が御座います。まずはリリス様かもしれない人物について詳しく知る。これを最優先目標としては如何でしょう?」
「そうじゃのう。メイドたちといい、まともにこちら側にいるのはゼルエル様だけではないか。本当にリリス様か否か、それを確認せねば動き辛くてかなわぬ」
2人の言う通りだ。ゼルエルがこちらにいるからまだいいものの、だからといってリリスを軽視することはできない。あいつが戦場に立ったが最後、そこら辺にいる村人の集団にさえ俺たちは負けてしまいかねない。つまり単純なステータス差や魔法、スキルの差なんて、いくらあっても関係無いと言っていい。そのくらい脅威なのだ。早急に本人なのかどうか、そして、無いと信じてはいるものの、もしも本人ならば敵でないかどうか確認したい。
「そうだな……万が一のことがあれば目に見える最大の脅威だ。最優先目標にしてしまってもいいかもしれない」
万が一俺の配下のリリスでなかったとしても、大変に重要な情報源になってくれるだろう。聖リリス帝国などという名前の国にいるんだ。相応の地位にあるのは確実。ならば、それに応じた情報を有しているに違いない。
気になることは山ほどある。5年前の大災厄、人が溶け出すあの現象、ウロボロスの偽者。パッと思い付くだけでもこれだけ重大なものが挙がるんだ。その内、どれかひとつくらいは解決できるだろう。
「そうなると、どうやって接触するかなんだが……」
「いつぞやのように、ファントム・シーカーを潜り込ませることを提案するのじゃ。本人ならば打ち消し、偽者ならば姿を確認できるじゃろうて」
なるほど、どちらに転んでも良い結果が得られる、と。しかも、俺たち自らが敵陣へいきなり乗り込む危険を冒さなくて良くて、その上、片手間で調べられることになる。これがまた大きい。これから俺たちはアデルとルーチェに関わることになる。どのくらい時間がかかるかわからないが、その間に同時進行で調査を進められるというのはありがたい。
実に良い方法ではないか。すぐにでもファントム・シーカーを出そう、そう言おうとした時だった。アザレアから待ったがかかる。
「待ってください、魔王様。万が一本物のリリス様が敵だった場合、宣戦布告と取られ、交戦状態に入る恐れがあります。いざという時に戦えるような準備を整えてからでなくては自殺行為になりかねません」
「そうか……そうだったな」
リリスが敵だなんてどうしても思えない。そう自然と考えていたのかもしれないが、忠告されてみれば、本当に大丈夫なのかと心配になってしまう。確かにゼルエルはいてくれるだろう。だからといって楽勝で勝てる相手ではない。ちょっとした何かがあればひっくり返りうる相手だ。その何か、には油断や慢心も含まれる。こんな気持ちで調査に乗り出していたら破滅したかもしれなかった。危ない。もっと慎重に事を進めるべきだ。
「しかし、それでは何も進展しない」
「……そうだな、そうなんだよな」
そう、ムラクモの言う通り。俺の何が悪いって、色々なことを気にし過ぎて臆病になっていることだと思う。あれこれと考えて、どうにか良さそうな手を思い付く癖に、デメリットを気にして尻込みしてしまっている。皆とずっと一緒にいたいから。皆が傷付くところを見たくないから。そう言えば聞こえはいいが、これでどうして事態が進展するだろう。危ない橋を渡りたくないから現状を保つ。そうして停滞した結果、俺たちはここまで追い詰められているんじゃないか。打って出なければ。今、これからは。
「よし、決めた。当面の目標はリリスと接触することとする。どんな形でも構わないが、できるだけ早期に達成できる方法を一緒に考えてくれ」
方向性は見えているんだ。ならば、そこへ至る道順を工夫すればいい。そのためには思い付く限りの方法を挙げるのが一番だろう。思い付く限り、思い付く限り。そうだ、正面切って会いに行くという王道をひとまず挙げておこう。これでひとつ目。ふたつ目は、うーん、待て、待ってくれ。ファントム・シーカーを向かわせる程の妙案、思い付く気がしないんだが。
困り果ててチラリと皆の方へ目を向けると、俺と同じような状態らしく、うんうん唸っていた。こりゃ、リスクはあるけどファントム・シーカーを出すので決まりかな。なんて考えていると、肩をトントンと叩かれる。
「あの、我が君。私からひとつ方法を提案させて頂きたいのですが、宜しいでしょうか?」
ウロボロスだった。できる限り意見を言うなとお願いしたためか、どこか申し訳なさそうにしている。
いつから思い付いていたのだろう。せっかく考えてくれたんだろうに、こんなに言いにくそうにさせて、悪いことをしてしまったな。
「是非お願いするよ。あぁ、心配しなくてもいい。これだけ難航しているんだ。ひとつでも多く意見が出た方がいい」
「畏まりました。では、僭越ながら提案させて頂きます。まず、ここ、イース・ディードは聖リリス帝国から目を付けられているのは確実でしょう。これを利用します。その原因を解決し、報告という形で正面から行くのは如何ですか?」
あぁ、それは難しい方法だな。なにせ、その原因とやら自体を俺たちは知らない訳だし。ましてその解決なんて、内容を知らない内からできるかどうかなんて判断できないだろう。しかし、だ。うまくいけば一番スマートな方法でもある。リリスが俺の配下のリリスだったとすれば、ファントム・シーカーが見付かるという危険無く堂々と会いに行ける。逆に別人だったとしても、そういう理由なら邪見にはされまい。むしろ歓迎される可能性すらある。
「うーん、うまくいけば一番良い方法だな。そうだ、カルマ。以前、ファントム・シーカーを使って大規模な一斉調査をしていたよな。その時、何か手がかりになりそうなものは無かったか?」
「うむぅ……それなのじゃが……」
なぜか、今度はカルマが言いにくそうにしている。まさか、ウロボロスがまた何かを言いたげにしているのだろうか。そう思って隣を見るが、ニコリと微笑まれただけで、どうやら今回は違うらしい。他の皆がそうなのかと思ったが、誰も何かを言いたそうにはしていない。では、どうしてそんなにためらうのだろう。
「どうした、カルマ? そんなに言いにくいことでもあるのか?」
「現状、これを手がかりと言って良いのかどうかわからぬが……そうじゃな、見て頂くのが手っ取り早いじゃろう」
カルマは映像を画像にして記録するメモリーのアイテムを取り出して、ふわりと、手の平大の緑の球体を俺の前に浮かべてくれる。すると球体の上部へ光が発せられ、ウィンドウの形を成して映像を映し出す。
これらは村や町で良いのだろうか。たくさんの家々や田畑が並ぶ画像が、ひとつ、またひとつと切り替わりながら表示されていく。
このどこかに不可解な点があるのだろうか。少なくとも言えることは、文明レベルについては最初のアデルの村と同等くらいだから、外観上の異常は無さそうなことか。
「これらを見ればわかるかのう?」
ごめんなさい、俺にはわかりません。なんてすぐに認められる訳がない。カルマはこれを見て何か感じ取ったはずなのだ。主の俺が見付けられなくてどうする。よく見ろ、よく見るんだ。でも見れば見るほどに、至って普通の建物や田畑ばかりである。せめて童話に出てくるようなお菓子の家や、天へと続く豆の木でもあれば、ほら、そこそことすぐに指させるんだけどなぁ。
「普通の街並みじゃないか。まぁ、僕の手がけた村には遠く及ばないけどね」
なんて一生懸命考えていると、アザレアが先に指摘してしまった。もう少し考えさせてくれよ、と突っ込みたかったが、グッと堪える。つまらない意地を張っていても時間の無駄だ。ここはさっさと答えを聞いておいて、その不可解とやらについて考えを巡らせた方がずっと有益だろう。
「……なるほど、そういう意味でも不思議ではあるのう」
一体どんな手がかりが、と身構えていたのに、どうやらカルマはまた別の点に気付いてしまったらしい。何だ、何がある。普通の街並みだったからどうしたというんだ。もしかしてあれか。魔法がある世界なのだから、もっと発展していなくちゃおかしいとか。いやいや、そんな突拍子もないことで不思議がるはずがない。では、一体何なのだ。
「あの村はアデルに技術提供されたこともあって、あそこまで発展したのじゃろう? しかしこの街並みはどうじゃ。その技術が欠片も見えんではないか」
あぁ、言われてみればその通りだ。具体的にどのくらいアザレアが技術提供を受けたのかわからないものの、あの半分でもこの世界の技術によるものなら、もっと発展していなくてはおかしい。辺境の村だけでなく街と呼ぶに相応しそうな大きな所でさえ、道は土がむき出しででこぼこ、街灯は無く、ほとんどの建物が木造建築で、石材の家なんてほとんど無いではないか。なぜこんなにも差があるのだろう。確かに不思議な点であった。
「なるほど、そういう見方もあったね。しかし、それはアデルの父親が四大将軍とやらに選ばれる程の学者だったからと考えれば納得できなくもない話さ」
これまたアザレアに言われてみれば、アデルの父親はその頭脳を買われて四大将軍になった程の人物だ。きっと世界の最先端をいく知識と技術を持っていたのだろう。アデルの村も以前はこの画像の村や街と同等くらいだったが、それは、その知識や技術に基づいて発展させるには余りにも高コストだったからなのかもしれない。
「うむ、アザレアの話は一理あるのじゃが、その点については、これ以上の議論はできないじゃろう。問題はもっと明確なものが別にある。見方を変えれば見えてくるじゃろうて」
「見方を変える……まさか。なんだ、これは。カルマ、もしかしてこれは!」
「気付いたか、アザレア。やはりお主は優れておるのう」
アザレアはこれまで聞いたことがないくらい声を張り上げ、見たことがないくらい目を見開き、驚いていた。見方を変えて何がわかるというのか。上下さかさまにすればいいのだろうか、それとも鏡写しにでもしてみればいいのか。いやいや、冗談を言っている場合ではない。そんな物理的な見方の違いがあるのなら、カルマは最初からそうして見せてくれるだろう。
「なぁ、ウロボロスにはわかったか?」
「はい、私には最初からわかっておりましたよ」
小声で聞いてみると、衝撃的な発言が飛び出した。最初からわかっていた、だと。馬鹿な。まさか、カルマからこっそり事前に聞いていたとでもいうのか。いや、それはないだろう。あのウロボロスが、俺と話す機会になりそうな内容を知っておきながら黙っておける性分だろうか。絶対に教えてくれる。拒んでもすり寄って来たに違いない。
だから、つまり、あの画像を見た瞬間に気付いていて、俺の言い付けを守って何も言わないでおいたと。そういうことなのか。そうなのか。なんだ、この敗北感は。こうなるんだったら、フェンリスも呼んで話がわからない会を作るべきだった。
「我が君は聡明でいらっしゃいますから、私などよりも早く気付かれたのでしょう? ふふ、そう必死にならずとも、我が君が一番だとわかっておりますよ」
うぐ、そういう角度から打ち込んでくるとは予想外だった。でも、なるほどね。ウロボロスの中ではこのくらい気付いて当然らしい。だからなのか。例えこの場であろうとも俺と話す機会を得たはずなのに、喜々として耳打ちしてこなかったのは。何だよ、このハードルを上げて逃げ場をぶっ壊していくスタイルは。しかも一切の邪念が無いから余計に困る。どう返せばいいんだよ。
「そ、そうか。それは良かった、うん、安心した」
「心から尊敬しております、我が君」
うっとりとした表情のウロボロスに腕組みをされてしまう。要らない見栄を張ってしまったがために、こんなドキドキする状態になってしまうとは。俺の口から聞かせてくださいと言われないか、とか、他の皆が暴走しないか、とか、余計な心配事ができてしまった。頼む、頼むから穏便に済んでください。
「我にはわからぬな。アザレア、聞かせてくれないか?」
なんて絶妙なタイミングなんだ。ナイスフォローだ、ムラクモ。やっぱりお前が一番頼りになるよ。なんて口が裂けても言えないから、心の中で手を合わせて感謝の言葉を述べておく。ありがとう、ムラクモ様。
「人さ、ムラクモ。よく見てみるといい」
人だと。人がどうかしたのだろうか、と、目を凝らしてみて電流が走った気がした。そうだ、何の変哲もない家が並んでいる村や街だなぁ、としか思っていなかった。でも、それがそもそもおかしいじゃないか。
これらの画像はカルマの使役するファントム・シーカーたちの視覚情報から得たもの。撮影するからといって住民全員を退けるようなことはしていない。それにも関わらず、画像には一切人の姿が無い。これも、これも、これも。どれもこれも村や街しか写っていないではないか。
「どこもかしこも、揃って夜逃げでもしたかのような所ばかりじゃ。初めは偶然かと思ったのじゃが、こうも続くと流石にのう。まぁ、イース・ディードの総人口も首都もわからない以上、何とも言い難いのじゃ。一斉に退去させられたかもしれぬし、大災厄で死滅してしまったのかもしれぬ」
そうか、確かに気になる点ではある。だからといって手がかりになるかどうかは今のところ判断しにくい。もっと調査してから報告したかった。そう言いたい気持ちもわかる内容だった。
「つまり、それはまだ不明ということかい? 一斉に調査したのだから、何かしら判断材料になるものが見付かっていそうな気もするけどね」
「それがのう……どういう訳か、一切の痕跡が残っておらぬのじゃ。そもそも足跡が無いからのう。忽然と、それこそ魔法で消えたとしか考えられぬ。もしくは……」
原因不明。だが、これでひとつだけ繋がったものがある。夜逃げにしても、殺し尽くされたにしても、これだけたくさんの村や街が物抜けの殻になっているんだ。どう頑張ったって痕跡は少なからず残るはずなのに、画像を見る限り、そんなものは見付からない。いや、むしろ無い方が俺の考えは信ぴょう性を帯びてくるというものだ。
はっきり言っておこう。そんな大移動は俺には無理だ。イース・ディードの総人口はわからないものの、この画像に写っている家1軒につき1人が住んでいるとして数えてみても、その半分でさえ眩暈がする。というのも、何の痕跡も残さずに人を消すなんて転移魔法以外に考えられない。
できるじゃないか、と思うだろうか。ちょっと待って欲しい。その魔法は基本的に人にかけるのではなく、空間を指定して、そこに立つ者全てを飛ばすようになっている。だから一か所にまとめてからでないと一気に飛ばせない。一か所にまとめれば村人たちの足跡が不自然に固まってできてしまうし、反対に一軒一軒回って魔法をかけて行ったのなら、全ての家々を回っている術者の足跡が残ってしまう。痕跡を残さないようにと魔法で浮いていたのなら条件を全てクリアできるが、誰がやるものか、そんな非効率的なことを。
だから、考えられるのはひとつ。人が溶け出すあの現象。これしかない。ロアたちがそうだったように、何の痕跡も残さずに1人残らず消し去ることができるのは、現状これしかないのだ。
「あの人が溶け出す現象だろう?」
「うむ、流石は魔王様じゃ」
そう考えればまたひとつ繋がらないだろうか。なぜ、アデルの村が襲われたのか、というところに。いや、もっとはっきり言おう。あの村にだけ人間がいたのはどうしてだろう、というところに。
思い出して欲しい。ロアたちは聖戦と言っていた。読んで字のごとくの意味ならば、彼らは世界のために戦っているという自負を持っていたのだろう。無理もない。あんな怪現象すら生き抜いた者たちの暮らす村なんだぞ。その首謀者がいると考えるのが普通ではないか。
「そうなると……アデルはやっぱり怪しい、ということになるのか。実際に調査した身として、カルマはどう思う?」
「そうじゃのう……限りなく黒に違いグレーといったところじゃろうか。ただ、大規模一斉調査をしたのは確かじゃが、どこか穴倉か地下空間にでも逃げ延びた人間がいないとも限らぬ。更に調査を進めてから改めて結論を出させて頂きたいのじゃ」
そういう秘密の場所もファントム・シーカーは全て見付けてしまうものなんだが、カルマとしてはまだ調べ足りない気がしているのだろう。だったらそこは任せてしまっていいだろう。そんな大量のファントム・シーカーを更に細かく操れるのなんてカルマだけだ。それに何より、絶対に無駄足にはならない。もし生き残りを見付けられたら万々歳。丁重に保護して、一体何があったのか聞かせて貰える。誰も何も見付けられなければ、俺の推測が当たっていることの証明になるのだから。
「じゃあ、カルマには引き続き調査をお願いするとして……問題はルーチェだな」
アデルはグレーだ。今回の会議でわかったことを全て抜きにしても、まるで人格が変わってしまったかのような話し方をしていたのも気になる。加えて、あのルーチェに対する執着心は異常だった。
こんな状況で、いくら約束とはいえ、アデルと会わせて良いのだろうか。ますますルーチェの方が心配になってくる。
「魔王様、僕からひとつ提案が。ルーチェに聞いてみるのもひとつの手かもしれません。彼女は四大将軍です。もしもこのイース・ディードで過去に何かあったとすれば、何かしら耳に入っているかもしれませんよ」
「そうだな……じゃあ、こうしよう。ルーチェが目を覚まし次第、2人には面会して貰う。ただしルーチェを向かわせるのではなく、アデルを迎えに行ってくれ。その間、少し世間話でもする感じで聞いてみるから」
これは万全を期す上でも良い選択のはず。これまで、俺たちは敵のフィールドで戦わされていた。でも今回に限っては違う。もしもアデルが敵だったとしても、ルーチェと話すのはここ、オラクル・ラビリンス。俺たちのフィールドだ。戦闘になっても地の利はこちらにある。
問題はアデルに拒否される場合だが、そんな可能性があるか一瞬考えて、無いなとすぐに切り捨てる。これは絶対に拒否されない妙手だ。もしもアデルが敵だったら嫌がるだろう。だが、ルーチェは病み上がりで行かせる訳にはいかないという、もっともな言い分がこちらにはある。そしてあれだけ会いたがっていたのだから、後日改めて、とは言わせない。ルーチェ自身もそれを許さないだろう。つまり、どう足掻いてもアデルにはここへ来て貰えるのだ。
「アデルを迎えに行く役は、念のためカルマに依頼する。わかっているな、カルマ? お前自身が行くんじゃないぞ?」
「わかっておる。眷属を遣わそう」
カルマには苦労をかけてばかりだが、何かあるかもしれない相手と会うのなら、彼女以上の適任はいない。自分自身の分身を出すというのはそのくらい難しい。俺だって本気を出せばやれなくもないが、それでも1体が限界だ。しかも会話はできない。完全に戦闘用である。その点、カルマの方は何でもできる。というのも正確には分身ではなくドッペルゲンガーで、それを洗脳して使役しているためなのだが。
「アザレアは念のため、俺に代わってオラクル・ラビリンスの玉座の間へ行ってくれ。いざという時は防衛システムを起動させて、好きなように使っていい」
「おぉ……僕に任せて頂けるとは。光栄です。必ずや、ご期待に沿って御覧に入れましょう」
本来、その役目は俺かウロボロスが担うものだ。しかし、今回ばかりはそうも言っていられない。考えてもみて欲しい。オラクル・ラビリンスに招待しておいて俺が顔を出さないというのはあり得ない。そして俺がいるのなら、当然その横にはウロボロスがいるべきだろう。まぁ、ウロボロスはいなくてもいいんだろうが、余りにも俺とセットでいる印象が強く、バラバラだと不審がられるかもしれない。要らないところに気を遣うくらいならアザレアに任せた方が楽というものだ。
「ムラクモは念のため、村の警護へ。普段通りを装ってくれよ?」
「御意」
ムラクモはアデルと出会ってからというもの、ずっとあの村に常駐させて、騎士たちの襲撃に備えさせていた。結局一度も活躍する機会は無かったものの、アデルたちからすれば、いて当り前の存在にはなっているはず。今は緊急事態ということで呼び戻したのだから、戻しておいた方が無難だ。
「さて、ウロボロスは言うまでもないな?」
「はい、この身に代えても御身をお守り致します」
守るというより、取って食われちゃいそうな気もしなくもないが、ウロボロス以上に頼りになる前衛もそうそういない。盾という一点のみを見ればゼルエルをも上回る可能性すらある。病み上がりのところ申し訳ないが、あ、いや。そんな風に気遣う必要もなさそうだ。それくらい目がギラギラしている気がする。本格的に食われちゃいそうだ。
「あぁ……私を頼ってくださいました……!」
いつも頼っていたつもりなんだがな。ひょっとして、口に出したことが余り無かったのかもしれない。それともあれか。これが男女の感覚の差なのかもしれないな。好きと男は滅多に言わないけど、女性の方は毎日でも聞きたいのに、みたいな。うーん、わからない。極めて遺憾ながら実体験のない身では空想上のやり取りでしかないからな。
とにもかくにも、これで今後の方針と配置は決まった。後はルーチェが目を覚ましてからになる。なんて、思った矢先のこと。
「魔王様! ルーチェが目を覚ましました!」
バタバタとフェンリスが駆け込んで来た。尻尾を楽しそうにブンブン振りながら近寄って来て、頭をなでて欲しそうに少し屈む。思わずそっと手を頭に乗せると、嬉しそうに表情を緩めた。
「えへへー、魔王様に褒められたー」
つい手が伸びてしまってからハッとする。しまった。今、隣にはウロボロスがいる。なんなら皆もいる。こんな状況で、どうして俺はフェンリスの頭をなでてしまったのだろう。一体、いくら痛い思いをすれば覚えるというのか。えぇい、フェンリスの笑顔は化け物か。
「お、おのれ、フェンリス! そ、そこは私の席だといつも言っているでしょう!?」
「え、でも今は空いていたよ? それにほら、すぐに返すよ」
この言い分のヤバさは俺ですらわかる。空いているとか、返すとか、そういう問題ではない。自分で言うのもあれだが、俺の隣は指定席のようなもの。ほら、新幹線とかでもそうだろう。指定席が空いているからといって勝手に座ってはいけないし、貸し借りも本来は禁止されているはず。それと同じ。いや、厳密に言えば少し違って、もっと厳しい制約が課せられている。愛に燃える暴走機関車さんによって。
「そ、そういう問題ではありません! だ、大体! フィアンセであるはずの私ですら頭をなでて貰ったことなんて無いのに、どうしてフェンリスだけがそう何度も!」
あぁ、問題点は指定席云々だけじゃなかったようだ。そうだよね。言われてみるとそうだよね。どうしてフェンリスだけなんだろうと、俺ですら不思議に思うもん。ウロボロスの場合はそういう発想すら浮かばないのに、フェンリスの時はもう反射的に、本能的に手が伸びちゃう。
だから本能的に悟った。これは危ない流れだと。次の瞬間、俺は頭で考えるよりも早く脱出にかかったのだった。
「我が君! 私の頭も――!」
「――よ、よし! 早速、面会のセッティングだ! 迎えはカルマに頼む! 俺は先に行っているぞ!」
みなまで言わせず、超速の早口で指示を出して脱、兎の如く駆け出そうとする。まぁ、逃げようなんて百年早いんだけど。うん、知っていた。ガッシリと、しっかりと腕を鷲掴みにされて、そのままホールドされてしまう。
「お待ちください、我が君。せめてご一緒させて頂きます」
「は……はい」
向かう途中、一体何をされるんだろう。大好きホールドへ発展するのだろうか。それとも手が擦り切れて無くなっちゃうくらい頭をなでさせられるのだろうか。いや、ひょっとするとトイレや木陰にでも連れ込まれて、そのまま食べられちゃう恐れすらあるぞ、この目、この凄みは。あぁ、神様、大明神様。もしもいたらどうか穏便に終わるようお導きください。
「あ、じゃあ私もー!」
「やめておけ、命が惜しいなら」
良くも悪くも空気を読んでくれないフェンリスがせっかくベストタイミングで名乗りを上げてくれたのに、あっちはムラクモにがっしりと腕を掴まれていた。
おのれ、ムラクモ。その引き止めはきっと正しいよ。フェンリスの命と俺の純情、どっちが大切かなんて比べるのもおこがましいよ。でもさ、それでも最後の希望だったのは確かなのに。
「えー、どうして? 私がずっと看病したのに?」
「それはその……師匠に代わって謝ろう。すまない。だからここは譲ってやってくれ」
ぐ、そこで頭まで下げられたら、理不尽な理由でさえ憎めなくなっちゃうじゃないか、ムラクモ。どうしてくれる。どうしてくれよう。どうにかしてください、本当にどうかお願いします。
そんな祈りは誰にも通じないらしい。いや、ひょっとすると勘付いてはいてくれるのかもしれない。もうフェンリス以外は誰も目すら合わせてくれなくなっていた。
「やれやれ、ウロボロスは手に負えないねぇ」
「言っている暇があったら、この会議の記録をきちんと残しておくのじゃ。ワシは迎えに行くでのう」
会議はもう終わりらしい。皆は思い思いのことを口にする風を装いながら、そそくさと出て行ってしまう。フェンリスもムラクモによって連れ去られてしまった。残された俺はというと、ウロボロスと目が合うや否や、とりあえず頭をなでるところから要求されたのだった。