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魔王と配下の英雄譚  作者: るちぇ。
第1章 偽りの騎士
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第15話「諭すムラクモ」

 彼、ムラクモは今日も今日とて同じ場所に立っていた。村にそびえ立つ見張り台の最上部。文字通り、最上部。屋根の上である。鞘に納めたままの刀を突き立てて、両手を柄の上に置き、全く微動だにしない。

 これには訳がある。彼はユウに命じられていた。この村を守ってくれ、と。根が真面目なムラクモだ。初めの内は村の中や外周を歩き回って、これぞ警備と言わんばかりの熱心な働きをしていた。だが誰もやって来ない。敵襲はおろか、この村で暮らす者以外の出入りが全く無い。それでも有事はいつやって来るかわからないと構えていたのだが、ふと思い至たった。この辺り一帯はカルマが調べ尽くしていて、そもそも敵がいるはずがない、と。


「……今日も異常は無い。実に良いことだ」


 普通ならそこでユウに警備の必要性を打診すればいいのだろうが、今は問題が山積みで連絡を取ることすらはばかられた。それなら何も言わずに手伝いに戻る選択肢も無いことも無い。だが、今の自分に何ができるか考えてみると、これが悲しいことに何も無い。ウロボロスのような優れた知性も無ければ、カルマのような人海戦術による作業もできず、アザレアのような物作りの才能も無い。フェンリスのように武器を新調する必要も無く、はっきり言って警備以外にやることがないのである。

 それならばと、今の自分に何ができるか考えた時、これ見よがしに突っ立っていることに決めたのだ。ここは絶対的な力で守られている。そうアピールして贖罪し続けるために。


「そうは思わないか、アデル?」

「……はい。今日もお見通しですね」


 そしてもうひとつの、いや、最も重要な理由は彼女だ。本来上れるような構造になっていないのにも関わらず、こうして毎日のようにやって来るアデルの相手をすることもまた、ムラクモの大切な日課のひとつになっていた。

 アデルはいつものようにムラクモの隣に立つと、村の様子を眺めながら、まずはひとつ大きく深呼吸をする。


「……どうした、と聞けば良いのか?」

「はい、聞いて欲しかったです。そうは言っても、ある程度はご存知ですよね? どうなりましたか、その、色々と」


 ムラクモはすぐには何も答えず、ただ唸る。思案しているのだ。今、アデルが必要としていそうな情報はふたつ。ウロボロスの安否、そしてルーチェとの面会についてだろう。

 これまでのやり取りから考えるに、アデルはルーチェの面会について聞きたくて仕方ないはずである。しかしがっつくように聞いて来ないところを見ると、ウロボロスが倒れたことについて気を遣っているのだろう。しかしまだ若くて、自分の気持ちを隠し切れていない。そんなところかと考えて、またこちらの事情も考慮して適切な返答を探す。

 こちらの事情。それはつまり、アデルの扱いをどうするべきか悩んでいる、ということだ。最終的にはユウの判断待ちではあるが、ムラクモ個人の見解を言ってしまえば、アデルのことを心から信じることができなくなっている。そんな相手に、こちらの将が倒れた後について話すのは馬鹿のすることだ。


「我から語れることは無い。全ては魔王様の口から直接聞くことになるだろう」

「そう……ですか。でも、いいんですか?」


 質問の意図を考えて、ムラクモは黙ることにした。いい、というのが何にかかるのか。「ユウとまた会えるのか」という心配ならそれでいい。彼が一番懸念しているのは「そんな返答で良いのか」という場合である。語れることが無い。それはつまり、まだ何も解決していないと口にしたのと同義ではないか、という確認だったかもしれないのだ。

 それに対し、アデルは追及してくることは無かった。しかし話を終えるつもりもないらしく、別の話題を持ち出して来る。


「今朝なんですが、子牛が生まれたんですよ。お気付きになりました?」

「ほぉ、それはめでたいことだ」


 これについては、ムラクモは心から祝福の気持ちを込めたつもりだった。もっとも、彼が本心からそう言えることは未来永劫無いのだが。というのも、彼にとってはあらゆる意味で全く無関係の話だったからだ。

 そんな気持ちを察したのか、アデルは少しだけ寂しそうな顔をする。


「冷たいんですね、貴方も」

「我も、ということは君もまた冷たいという事になるが?」

「はい、私は冷たい人ですよ。でもいいじゃないですか。例え血の繋がっていない命でも、その誕生を心から祝うのは悪いことじゃありません」

「それはそうだ」


 アデルはその言葉を受けて、じっとムラクモの顔を覗き込む。まるで甲冑の下の素顔まで見通そうとしているかのように、まじまじと。


「昔、私は今みたいに冷たくなかったと思います。自分で言っても説得力なんて無いでしょうが、これでも、もっと優しい人になりたいと願っていました」

「願っていた? 今はどうなのだ?」

「今はご覧の通りですよ」


 そう言われても、ムラクモは善悪の判断をしかねる。これまで接してきた中での彼女の言動は正しい、優しいと言えるものばかりだった。しかし、それだけでは説明の付かない事態が起こってしまっている以上、やはりどちらとも言えないのである。

 そんな困っている彼の様子を見て、アデルは小さく、そして寂しそうに笑う。


「私は……私でありたいんです。こんな風になってしまった今でも、守れるものがひとつでもあるのなら守りたい」


 アデルは胸元からひとつのペンダントを取り出した。それは何の装飾もない金色のロケットであり、中には写真が1枚入っていた。


「私が守りたかったものは、もう無くなってしまいました。たったひとつを除いて。だからこそお願いします。この子を……ルーチェを知っているんですよね?」


 ムラクモは答えない。先と同じ理由によって。しかし、そんなことは関係ないと、アデルは話を続ける。


「お願いします。どうかルーチェに、私と会うのを止めて帰って貰えないでしょうか?」

「な……んだと?」


 これには流石の彼も反応せざるを得なかった。彼もまた見ていた。ルーチェと会いたい。その一心で、アデルが尋常ではなく取り乱していたのを。だからこそユウは何とかしようと必死になっているというのに、ここにきて、まさか会うのを拒否するとは。


「その、女々しいですけど、本当は会いたいって気持ちもあるんです。ルーチェはたった1人の、本当の友達だったから」


 だったら会えばいいじゃないか、と彼は言い欠けた。しかし思い留まる。まだアデルの大切な思いはこの先があると、とても16歳とは思えない真剣な目が語っていたから。


「でも、今の私は会ってはいけないと思います。会ってしまったら、きっと、何もかもが壊れてしまうから」

「壊れる……というのは?」

「言葉通りの意味です。体も、命も、この気持ちも、何もかも失ってしまう」


 ムラクモはこう悟った。アデルは、ルーチェが殺しに来ていると思っている、と。ルーチェは聖リリス帝国の四大将軍だ。村を襲われているのだから無理もない話である。

 だが、そこまでわかっていて本心では会いたいと思っているなど、これは訳のわからない話である。いくらたった1人の友達とはいえ、それは過去のこと。今は敵だと思っているのなら、相応の敵対行動を取るのが当たり前ではないのか。これがムラクモの考えであった。


「矛盾しているな。どっちつかずな気持ちで結論を出して良いのか?」

「良いとは言えません。でも、間もなくなんですよね? その時が来るのは」


 アデルとて馬鹿ではない。今、ルーチェがどういう状況なのか想像していた。

 まず言えることは、ルーチェはユウと接触していて、アデルとの面会を強く希望した。だからこそ話がここまで来ている。しかしどうしてすぐに会わせてくれないのかといえば、ウロボロスが倒れたというのも勿論あるだろうが、すぐには会えない事情があるに違いない。それも、ルーチェ自身に関する何かが。

その理由について考えてみると、いくらもっともらしい理由を付けてもルーチェは他人だ。例えアデルが危険だとしても、なぜ会わせることをためらうだろう。答えとして有力なのは、ためらうのではなく、そもそも会わせられない状態であること。例えば交戦をして意識が戻らない可能性を挙げていた。

 なぜその可能性を挙げているのかといえば、ルーチェがそもそもこの土地に姿を現したところから始まる。ここは少し特別だとアデルは知っていた。あの人が溶け出す現象は今に始まったことではないからだ。それでもここへやって来る理由はたったひとつ。自分。それもただでは帰らないという明確な意思があるのは確実だ。そうなると、アデルを守ってくれているユウと接触して、最悪の場合は戦闘に発展するとまで想像は付く。そしてその結果もだ。しかし、完全に殺されてはいないのだろうとも予想していた。そうでなくては、そもそも面会の話など来なかっただろうから。


「間もなくなんですよね? ルーチェが会えるようになるのは」


 回復させる手立てがある、もしくは自然回復する状態だからこそ、面会という話になっている。ならば、そう長く時間は置かれまい。それがアデルの予想であり、そのほとんどが当たっていた。


「何度も言うが、我に答えることなどできない」


 その具体的な考えまではわからないものの、ムラクモは内心、アデルがここまで見抜いていることに驚き、そして恐怖にも似た感情を覚えていた。そうでなくては、「ルーチェと会えるようになる」ではなく、「ルーチェが会えるようになる」とは言わないだろうから。


「少し意地悪く聞こえてしまうかもしれませんが、それでいいです。今大切なのは、私はできれば会いたくないと考えている、ということですから」


 これまた矛盾しているなと、ムラクモは思った。本当に会いたくないのなら、神通力ばりの想像を働かせる必要がどこにある。会いたくない。その一言で終わってもいいのではないのか。

 ムラクモは思案する。この話をどのようにユウへ伝えるべきか。アデルは明確に意思を示しているようで、その実、まだ迷っているのは明白だ。聞いた話では、ルーチェと交わした約束は会う約束を取り付けるところまで。本人が拒否したらそれで終わりということだった。これでは何とも言い難い。


「一応、確認しておきたい。ルーチェと会わない理由は、もっと具体的でなくて良いのか? そのまま伝えて納得すると思うのか?」

「……そこなんですよね」


 アデルは言い淀む。わかっているのだ。そのくらいで引っ込むようなら、そもそもこんな危険な土地にいつまでも留まっていないと。


「老婆心的な意見を言わせて貰えば、会いたくないのなら、嫌いになったとでも言ってやるのが優しさではないのか?」

「ごめんなさい、そこまで大人には……まだなれないみたいです」


 それはそうだろう。その胸に下がっているロケットもまた証拠のひとつだ。

 本当は大好きで、再会をずっと心待ちにしている。そんな大切な友人と、それでも会えない何らかの理由は一体何なのか。


「ここまで関与して良いものか判断しかねるところではあるが……」


 その理由について、ムラクモは尋ねてみたくなっていた。余りにも女々しくて見ていられないとか、最初に言ったような贖罪とか、そういう理由ではない。彼は見ていた。アデルが日々、村の復興のために努力し続けているところを。忙しなく駆け回って汗水を垂らしている姿を。そうでなくて、どうして子牛が生まれたことを把握しているものか。だが忘れてはならない。何度も言うが彼女は16歳。多感な年頃だ。それなのに誰にも弱音を吐かずに前だけを見て走り続けている。ここだけなのだ。彼女が思いを吐露している所は。


「その理由、我では解決の手助けができぬか?」

「それは……その……」


 アデルは一瞬だけ嬉しそうな表情を見せたのも束の間、すぐに首を横に振って背を向ける。そして空を見上げるようにしながら、ポツリと、涙ぐんだ声を出した。


「……無理、ですから」


 しかしすぐに走り出そうとはしない。無理、とまで言ったのにも関わらず一歩も動こうとしない。まるでそんなことはないと言って欲しそうな、そんな感じなのかとムラクモは感じていた。

 だが、残念ながら彼には不可能だ。彼にできることはこの刀を振るうことだけ。この村を外敵から守るだけなのだから。


「……そうか、不可能か」


 そう呟いてから、ムラクモは「しかし」とすぐに付け足す。ただ、そこからどんな言葉を付け足すべきか考えあぐねた。自分の立場、敵かもしれないという疑い、そしてこの力になりたいという思い。それらを天秤にかけて、がんじ絡めになってしまっている。


「……ならば心の赴くままにすると良い。後悔の無いように、自分に正直に、な」


 言ってしまってから、ムラクモは自分自身に驚いていた。この背中の押し方がアデルにどう影響するのか、簡単に想像できてしまったから。これでは教唆だ。アデルの意思を尊重するという観点から考えると、果たして正解と言えるだろうか。


「……やっぱり、会いたい、です」


 そう口にするや否や、アデルは今度こそ走り去って行ってしまった。

 ムラクモは酷く項垂れた。やってしまった、とも思っていた。そんな時だ。彼の目の前に1枚の純白の羽がふわりと舞い降りて来る。


「よく言いましたね、ムラクモ」

「……メイドか」


 いつからそこにいたのか、メイド長の神無月がムラクモの隣に立っていた。両手を前で合わせて恭しく一礼すると、わずかながら微笑む。


「どういう意味か説明して貰えるだろうか?」

「ふふ、私の権限の及ぶ範囲でなら構いません、とでも付け足しておいた方が親切でしょうね、貴方に関しては」


 その言い回しに込められた意味をすぐに理解して、ムラクモは苦笑いした。

 ムラクモは武人であり、騎士でもある。その役職に見合った厚い忠義を持ち合わせているのは勿論のこと、規則にも厳しい性格をしていた。そんな彼のことを思えば「権限の及ぶ範囲で」というのは、如何なる話であろうとも安心して聞ける内容になる、まさに魔法の言葉だろう。


「失礼。あえてこのような言い方をさせて頂いたのには訳があります。我が主はとあることを懸念されており、その改善に向けて、現在は観察を主にしておられます」

「それは一体どのような?」

「申し訳ありませんが、それについてはまだお話することができません。本来ならばこの場で話をする予定すらありませんでしたから」

「なるほど。ではその理由くらいは聞けるのか?」

「えぇ、それは勿論」


 神無月はメニュー画面を操作して、ウィンドウをムラクモの前へ表示した。そこに書かれていたのは彼の設定文だ。武人、そして騎士として義を重んじ、また規則を忠実に守ると書かれている。


「貴方の行動はこの設定文から逸脱しています」


 ムラクモは合点がいった。これから自分は罰せられるのだと。無理もない。ユウから命じられたことは、この村を守ることだけだ。アデルに関与して良いとは言われておらず、ルーチェとの面会が控えている現状、むしろ避けるべきだったはずである。それにも関わらずもはや介入と言っても過言ではないあの背中の押し方は、どう考えても褒められたものではないから。


「なるほど、それを咎めようという訳か。自分が犯した罪だ。大人しく裁かれよう」

「勘違いなさらぬように。むしろ逆ですよ」


 逆と言われてムラクモは首を傾げた。一体、どこを逆と言っているのか想像も付かないのだ。仕方なく神無月の表情を見れば、まだ微笑んだままである。では好意的な話になるだろうか。いや、そんなはずがあるまい。そうやって考えれば考える程に、ますます訳がわからなくなってしまっていた。


「ふふ、理解できないのも無理ありません。貴方に限った話ではありませんが、皆、真面目過ぎるのですよ」

「それの何がいけないのか?」

「そうですね、悪いとは言い切れません。しかし正しいと言うこともまた、できないのです」


 悪くはなく、しかし正しいと言えない。それはどういう評価になるのだろうか。どっち付かずというやつか。いや、そういう話ではあるまい。真面目かどうか。この点について聞いたから不思議になっているだけで、本質的な話ができれば理解できる内容なのかもしれない。

 ただ、ムラクモはその内容を強くは問い質せない。神無月はメイド長という役職を与えられているものの、その体はあくまでも人形だ。その操り主が別にいる。つまり、神無月に聞いたことはそのままその主に問うことになるのだ。それはできない。なぜならその主は、あの純白の羽の持ち主は、ゼルエルに並ぶ地位にいるのだから。


「正直な意見を述べるならば、我が主は、最も時間がかかるのは貴方だと推測しておられました。ところが蓋を開けてみれば、その兆候が最も早く現れたのは貴方だったので、こうしてお礼を伝えに参ったのです」

「お礼……だと?」

「はい。見えますか、あの大空の向こうが」


 神無月が指さした先には、どこまでも広がる青空が続いている。果てが無い。自然とそう思えてしまう程に広大であった。


「とても美しい景色だと思うが」

「いえ、そういう情緒的な話ではありません。あの空の向こう。山を越え、海を越えたその先に広がる世界が見えるかと聞いているのです」


 物理的な話をするのなら見えるはずがない。如何に魔法やスキル、アイテムを駆使しても、身ひとつで世界全てを見渡すなど困難極まりない。そういう話なら「見えない」と答えるべきなのだろうが、ムラクモはやや深読みして別の意味があるのではないかと思い始める。


「ふふ、そう難しい話ではありませんよ。見えるはずがない。そう思っているのならそれで良いのです」

「そうか、では言わせて貰えば困難極まりない。しかし、できないことを確認して何になる?」

「いえ、とても大切な話ですよ。この世界は広いですから」


 一陣の風が吹き抜ける。神無月は乱れた髪を手で直す。たったそれだけの仕草だけで、ムラクモは、何か大切なことを言われているような気がしていた。


「例えばこの風。もしも支配者がいるとすれば、これほど驚異的な相手はいないと思いませんか?」

「まぁ、自然現象だ。自在に操られてはたまったものではない」

「そうですね、えぇ、まったくたまったものではありません。繰り返しますが、世界はとても広いのです。どこにどんな脅威が潜んでいるのか未だに把握し切れていないこの世界で、私たちは何をすべきなのか。どうあるべきなのか。それを考えた時に、先ほどの貴方の決断は相応しかったのではないか。そう我が主は考えておいでです」


 今度こそ、ムラクモはようやく理解できた。神無月が何を伝えに来たのかを。自分で考えて行動する。それが大切なのだと諭しに来たのだ。

 先ほどのやり取りについて、彼はとても後悔していた。あのまま放っておけば、そしてもしもこの話が本当なら、今後ずっと間違い続けることになっただろう。


「しかしそれは……分裂を起こしかねないが?」


 その話、ムラクモは簡単に受け入れる訳にはいかなかった。自分で決めて行動する。なるほど、大変に良いことなのかもしれない。しかし度の過ぎた自由はモラルの崩壊をもたらし、最悪の場合は分裂してしまうこともあり得るだろう。配下の対立。そんなものをユウが望むはずがない。


「貴方たちは器用でしょう? 何より、切っても切れぬ絆もある。これでどうして心配する必要がありますか?」

「万が一に備えるという意味で我に諭したのなら、その可能性も考慮すべきでは?」

「なるほど、参考にさせて頂きます。ただし、それが貴方の本心であるならば」

「むぅ……」


 ムラクモは怒鳴ってしまいそうになっていた。「本心? 馬鹿を言うな!」と。だが言われてみればその通りで否定しようがなく、押し黙る。この胸に抱く絆が崩れるなど、どうしてあり得るだろう。そんな心配をするくらいなら、明日、この世界から空気が消滅したらどうするかでも考えていればいい。

 ひとつ、彼は大きく息を吐いた。その怒りを絞り出すように。そして、この絆は揺らがない。そう確信しているからこそ、こう返答する。


「……今日一番の嫌味だ、それは」

「えぇ、重ねて申し訳ありませんでした」


 謝られてはもうどうしようもない。先に吹っかけたのはムラクモの方なのだから。そういうことにして彼は視線を神無月から外し、アデルへと向けた。自宅へ向かって歩いている最中のようだ。


「最後にひとつ言わせて頂きます。あの子もまた、その胸に確かな絆を抱いていながら、しかし悲しい決断をしようとしていました。それを止めたのは貴方自身。魔王様やウロボロスに命じられた訳ではなく、貴方の心がそうさせたのです。その思い、どうか大切にしてください」


 そう言い残すと、神無月は一礼して音もなく姿を消した。

 気配が消えたことを確認してから、ムラクモはまたひとつ息を吐いた。そして決める。この一件、ユウに報告するのはやめようと。紆余曲折あったものの、あの子は自分の意思に従っただけ。ならばここでの出来事は俗事。ユウの貴重な時間を割く程のものではない。そんな風に表面上は思いながら、胸の内で、熱い何かを感じているのだった。

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