第13話「ウロボロスとカルマ」
ぽたり、ぽたりと、しっとりとした髪や顎先から汗が垂れている。まるでシャワーを頭から浴びたように汗でずぶ濡れだ。一体、どのくらい続ければこんな状態になるのだろう。だが、本人はまだまだ満足できないらしい。荒い吐息も、振り乱れる自慢の髪も気にする素振りはなく、黙々と、一心不乱に槍を振り続ける。
「精が出るのう、ウロボロス」
そんな闘技場の一角の出来事。それに口を挟もうと決めたのはカルマだった。なぜなら、一度倒れたというのにまだ無理を続けるのかと思うと面白いはずがなく、こうして声をかけたのである。
「……カルマですか。そう心配せずとも大丈夫ですよ」
「ほほぉ、具体的に、何がどう大丈夫なのか説明して貰おうかのう?」
大丈夫だ、それは前回も聞いている。その結果を考えれば、どうして素直に引き下がれるだろう。カルマはもう二度とご免なのだ、あんな悲しい事は。あんな悔しい思いは。だからここは頑として譲らない。しかし同時に、ウロボロスのことを信じてもいる。何かしら考えがあるはずだと、心のどこかで信じている。だから何も聞かずに首根っこを掴んで引きずってでも連れて帰る、というようなことをせず、強い口調ではあるがこうして尋ねているのである。
「そ、そろそろ終わりにしようとしていましたから」
「ワシの目を見て言えぬのか?」
気まずそうに、明らかに視線を右へ外しながら、ウロボロスはそんなことを言った。というのも、ウロボロスにとってこれはとても大切な鍛錬だ。この世界に来てからというもの、ここまで寝食を削ってでも会得したいと願うものは無い程に。
しかし、だ。そうは問屋が卸さないともウロボロスはよく理解している。報告の形ではあるものの、アザレアから、カルマがどれほど心配していたのか聞かされていた。だからこうして槍を振るっていれば、その内、カルマに止められるかもしれないな、と、漠然と予想していたのだ。
ただ、そうは言っても言い訳まで考える余裕は無かった。見ろ、今の状態を。手を止めてもなお足下に水溜まりができるくらい、汗が噴き出して止まらない。トレーニング用に着ているシャツもぐっちょりと濡れていて、肌に吸い付いてしまっている。そのくらい集中していたのだ。
「はぁ……ではせめて、一体どういう風の吹き回しで鍛錬を始めたのか話してみるのじゃ」
この取り繕う嘘すら上手く吐けない性格もまたウロボロスの良さではある。そうカルマは理解しているからこそ、悪態ではなく盛大な溜め息を吐くに留めた。そして問う。なぜ鍛錬するのかと。これは純粋な疑問でもあった。
確かにウロボロスは敗れた。しかしその原因は寝不足。これは誰がどう見ても明らか。コンディションが万全だったなら、万が一にも敗北はあり得なかっただろう。仮にもっと劣悪な勝敗条件だったとしても負けはない。それくらいの隔絶した基本スペックの違いがあるのだから。敗北を悔やむのならば槍を振るうのではなく、とにかく睡眠時間を確保するべきではないのか。それがカルマの考えであった。
「そうですね……理由を説明する前に、なぜ私が敗北したのか。その原因について話さなければなりませんね」
「何を言っておる? 単なる寝不足じゃろうが。きちんと睡眠時間を確保しておれば負けはあるまい」
「それはそうかもしれませんが……」
ウロボロスは顎に手を当てて、少し悩む素振りを見せる。カルマの言うことは間違いではないと彼女自身も思っているからだ。そもそもの話、どうして敗北なんてあり得るだろう。ユウに育てて貰ったこの力をきちんと振るえてさえいれば赤子の手を捻るようなものだったろうに。
「……しかし全てではありません。あの一戦から、私はとても大切なことを学ばせて頂きましたから」
「ストップじゃ、ウロボロス」
この話は長くなると察し、ウロボロスの身を案じてカルマは一旦止めた。忘れてはいけない。ウロボロスは汗で濡れている。今はまだ槍を振るっていた熱が残っているのだろうが、いずれ冷えて凍えてしまうだろう。風邪を引いては大変だ。ここは一度、着替えるなり汗を拭くなりする方が先である。
「そうじゃ、タイムリミットはどうなっておる?」
つまり、ユウは何時頃に起きるのかという質問だ。倒れる前からそうだったが、ウロボロスはおおよその起床時間を予測し、それに合わせて勉強をしていた。いや、少しだけ訂正しよう。おおよその起床時間を予測した、なんてレベルではない。初回を除いてほぼ誤差無く予知していたのだ。具体的にどの程度の精度なのかは流石のカルマも知りたいとは思えないが、とにかく、その猶予に合わせてどうするか決めたいと考えていた。
「あと4時間といったところでしょうか」
タイムリミットまで残り4時間。その中には当然、ウロボロスが寝る時間も含まれる。今すぐに寝たとしても一般的な睡眠時間には満たないが、猶予は頑張って30分程度だろうか。いや、もっと少ないかもしれない。ウロボロスのことだ。きっとユウのベッドへ潜り込む前に、念のためにとか何とか言って、念入りに体を洗って行くだろう。そうでなくても汗だくなのだ。相応のシャワータイムは必要だ。
「では決まりじゃのう。行くぞ、ウロボロス」
「え、どこへ行くのですか?」
不思議がるウロボロスの手を強引に引っ張って、あ、いや。本当はステータス差があるから、いくらカルマが本気で引っ張ってもビクともしない。正確には手を引くような形で、闘技場から出てとある場所へと移動する。ほんのりと硫黄の香りのする温かな湯気の立つ場所へと。
「脱ぐのじゃ、ウロボロス」
「な、何を言っているのですか、カルマ!」
着いたのは大浴場だった。ウロボロスがどうしても欲しいと駄々をこねて、皆で作った娯楽施設のひとつである。
ロアと会う直前、ユウは間違えて女風呂に転移魔法で入ってしまった。その時、ウロボロスは感動したのだ。こんなにも素敵な施設があるのかと。これまでシャワーで体の汚れを洗い流すだけだったのだが、まさか、その湯に浸かるという発想があるのかと。
それからここが一番重要なのだが、あの時のユウは裸体の女性たちに囲まれて大変に赤面していた。そう、あれを見てウロボロスは、極めて合法的に裸で迫ることのできる空間でもあると間違って理解したのだ。まぁ、少なくとも法律には間違いなく抵触するのだが、自宅の風呂場なら何が起ころうと問題ないだろう。
「一番風呂は我が君と共に入るのです!」
ところで怪しい会話をした2人だったが、どちらも変な気を起こしたのでもなければ、良からぬ妄想を働かせたのでもない。カルマは時間を惜しんで急かすために、ウロボロスは最初に入るのはユウであるべきと主張しているだけである。ともに思い人はユウただ1人。残念かもしれないが間違いは起こらない。言い合いだけはこうして起こるが。
それはそうと、カルマは時短のためにここへ連れて来た。そこにユウを出されては話が進まなくなってしまう。ならば、ここはそのユウを理由にして誘うしかないと決めた。
「まぁ、待つのじゃ、ウロボロス。ここは先日ようやく完成したばかり。試運転せずに御身をお招きして、もしものことがあればどうするのじゃ?」
「もしものこと……」
あー、これは失敗したとカルマは頭を抱えた。見誤ったのだ。考えてもみて欲しい。ここは何のために作られたのだろうか。先ほども述べたように、ウロボロスにとって一番重要な理由は合法的に裸で迫れることだ。
その考えを持った上で、もしものことが起こるシーンを想像して欲しい。きっとピンク色の情事が想起されるのではないだろうか。少なくともウロボロスはそうだった。まだ湯に浸かってもいないのに、上せたようにポーっとした顔をしてしまう。
「おーい、ウロボロスやー……あぁ、駄目じゃ。完全に妄想の世界に浸っておる」
目の前で手を振ってもウロボロスはピクリとも反応しない。目は開いているはずなのに、その目に映っているのはきっとバラ色の幸せ空間なのだろう。汗を流しながら話をすることで1分1秒でも時短を図ろうというのに、なんて悠長な。そう考えると流石のカルマも腹が立ってきたが、手を上げたところでウロボロスの防御を抜いてダメージを入れるなんて無理である。ならば魔法とも考えたが、攻撃魔法なんて使ったら警報が鳴ってユウを起こしてしまいかねない。にっちもさっちもいかない状況である。
「あぁ、もう、じれったいのう」
ならば残された手段はひとつ。この環境を有効活用する以外にない。そう決断したカルマは、まずウロボロスと自分の服をはぎ取って棚に放り込んだ。そしてタオルすら持たずに浴場へと消えていき、戻って来てみれば、その両手には湯がなみなみと入った桶が抱えられていた。それをそのまま顔面にぶちまけてやる。
「な、な、何事ですかっ!? 敵襲ですかっ!?」
「お目覚めかのう、ウロボロス?」
「あぁ、カルマでしたか。驚かせないでください」
我慢、我慢である。心頭滅却し、これまで受けた恩を思い、ここはガツンと言うのではなく、早く本題へ移るべきである。そう自分自身に繰り返し言い聞かせてカルマはひとつ深呼吸すると、むんずと腕を掴んで浴場へと引っ張る。
「遊んでいる暇はないのじゃ。ここは完成したばかり。ワシらが総出で作った以上不具合はまず無いはずじゃが、それを確認するのもワシらの役目じゃろう?」
「そ、そうですね。しかし……あぁ、御身よりも一足早く利用する私をどうかお許しください」
そんなやり取りを経てようやく浴場へと足を踏み入れる。中はウロボロスの要望通り、全面ヒノキ板で覆われた、湯とはまた違う温もりを感じられる作りになっていた。洗い場は6つ。これはユウとオラクル・ナイツ5人が一度に使えるように配慮された数である。しかし浴槽は6人で済まない程に大きい。100人が自由に手足を伸ばして浸かれるほどである。そして一番の目玉は何といっても泉質だ。手を入れると、とろりとする感触のあるアルカリ性の湯で、肌がツルツルになること間違いなしの本物の温泉である。
当り前だがここはオラクル・ラビリンスの中にあり、宙に浮いている。空に温泉などありはしない。それでもこうして温泉を引けているのは、カルマがこの辺り一帯を調査するついでに温泉を探し出し、転移魔法を使って強引に運び出しているためである。
「あぁ……私たちの能力が遺憾なく発揮された素晴らしい施設ですね」
そう、この浴場の建築にはアザレアやフェンリス、それにムラクモも大いに貢献している。アザレアはここの設計とゴーレムによる労働力の提供。フェンリスは持ち前の観察眼により浴場でよくある滑りを無くしている。ほら、自宅の風呂場でもあるだろう。つるりと滑ってしまいそうになることが。あれがここでは一切起こらない。そしてムラクモはその指示を守った板を作るという完璧な仕事をこなしてくれた。
「感動しているところを悪いのじゃが、早く性能実験をせねばなるまい?」
「そうですね。早速、シャワーから試してみましょうか」
これまたムラクモの匠な技で作られた風呂椅子にウロボロスは腰を下ろし、髪を後ろで縛ると、シャワーを頭から気持ちよさそうに浴びる。降りかかる湯の量や圧は適度で、ウロボロスの注文通りである。なにせ、これはユウの身に降りかかるもの。量が足りず凍えさせてしまったり、圧が強過ぎて肌に傷を付けたりしてはならないと、入念なチェックをしている。
「どれ、ウロボロス。髪を洗ってやるのじゃ」
「そうですか? では、折角ですのでお願いします」
余りに気持ちよさそうに頬を緩めていたので、一瞬、カルマは目的を見失いかけたが気持ちを入れ直す。そう、今はさっさと体を綺麗にして、話を聞いて、あれこれと言い聞かせて、さっさと寝せないといけないのだ。のんびりしてまた倒れられたら溜まったものではない。
カルマはシャンプーを泡立たせると、頭頂部から黄金色の髪の毛先まで、入念に泡を馴染ませていく。そして頭皮マッサージをするように、自分の髪ではここまで気を遣わないだろうというくらい優しく、丁寧に洗っていく。
「……そんなに気を遣わなくても良いですよ、カルマ?」
「む、バレてしまったかのう」
普段はここまで丁寧にやらないのを無理にしたからだろう。どこか動きがぎこちなく、ウロボロスに悟られてしまう。しかし、だからといってカルマは手を止めたりしない。急がせるために始めたことだが、先ほど自分に言い聞かせたように、ウロボロスには言葉では言い表せない程の恩がある。今はその恩に多少なりとも報いる数少ない好機と言っていい。ゆっくりとする時間は無いものの丁寧にやりたいと、カルマは努めて気を払うのを止めない。
「……ありがとうございます、カルマ」
その心遣いを感じ取ったウロボロスは、それ以上は何も言わず、黙って目を閉じて身を委ねる。
会話は無い。浴場には湯が溜まっており、湯の継ぎ足しも無い。しゃわしゃわと、優しく髪を洗う音だけが静かに鳴り響く。
「……のう、ウロボロス」
この優しい静けさにもっと浸っていたい。そう思いながらも、先に破ったのはカルマだった。ふと気付いたのだ。これは甘えや逃げの類だと。いつも戦場で見慣れている大きな背中は、改めてよく見ると、とても女性らしくて小さい。そんな当たり前のことを、いつも守られながら見ていたはずなのに気付けなくて、頼ってばかりで。このままではまた縋ってしまう。また倒れさせてしまう。それだけは絶対に嫌だと、思いをぶつけることにした。
「主は……自分が大切ではないのか?」
優しかったはずの手付きに力まで篭ってしまったのだろう。髪が引っ張られてウロボロスは痛みを感じる。しかし痛がったりはしない。その思いが言葉以上に、痛い程に伝わってくるから。
ウロボロスは少しの間、思案する。何て答えるべきなのだろうと。ありがとう、ごめんなさい。いや、違う。そんな気持ちを口にしては同じことの繰り返しだ。きっとまたカルマを苦しめてしまうだろう。なら素直な気持ちを言うことにした。どう転ぶのかわからないものの、今一番求められている答えだろうから。
「私は……我が君のことが一番大切です。その次に大切なのは貴女たち。自分自身が割り込むなど、考えたこともありませんでした」
「ワシらは……まだ頼りないかのう? まだ主に守られねばならないかのう?」
カルマは言葉だけでなく全身までも酷く震わせた。
強くなった。オラクル・ナイツの称号を得て、守られるだけのお荷物ではなくなったのだと、隣に立てるだけ強くなったと、そう思ったのに。それなのに、ウロボロスはまだ自分たちを優先させていたなんて。
「いえ、とても頼りにしているつもりですよ」
「ならばもっと頼ればよかろうに……なぜ、お主はそうのじゃ。なぜ、こんなにも頼りたくなってしまうのじゃ。なぜ、そんなに強いのじゃ……っ!」
これはお湯の音ではない。もう滴るほどの汗もかいていない。それでも、ぽたり、ぽたりと雫が垂れ落ちる音がする。
ウロボロスは今、ようやく理解した気がしていた。自分は馬鹿だなぁ、とも思っていた。強く、もっと強く。そう願い努力しているのは自分だけではないのだと、もう理解していたつもりだったのに。あれだけの痛みを伴って学んだことなのに、まだ、こんなにも見えていなかったのだ。
「これを口にするのは少々恥ずかしいのですが……貴女になら聞いて貰いたいと心から思えます。どうか聞いて頂けないでしょうか?」
返答は無い。だからといってもう一度聞いたり、後ろを振り返ったりするのははばかられた。カルマなら頷いてくれている。そう信じて、ウロボロスは目を伏せて天上を仰いだ。
「私たちは……データでした。生まれも育ちも一般的な生命とは全く異なります。この体も、力も、もしかするとこの思いすら、誰かの手で作られています。私たちの幸運な出会いすら、自らの意思では叶わなかったでしょう」
言うなればウロボロスもカルマも、いや、オラクル・ナイツの全員は髪の毛一本から血の一滴に至るまで、つまり、自分が自分だと認識できるもの全てが、他人の意思によって創造されている。子が親を選べない、なんて生易しい話ではない。なぜならデータだから。何もかもを創造されて導かれて初めて存在できるから。これは絶対に逃れられない運命である。
「私は我が君と皆の盾、皆は我が君と私の頼もしい矛。如何に強大な敵すらことごとく打ち倒し、晩年の私たちは常勝無敗でした。嬉しかった。勝利をもぎ取るだけの作業ですら、その繰り返しが嬉しかったのです。だから……見誤ったのです」
ウロボロスは敗北した。一撃を入れられれば負ける、そんな一方的な条件とはいえ、こちらはありとあらゆる分野で圧倒していたから。それに何より、ユウに育まれたこの身が、常勝無敗の誇らしいチームの盾である自分が、どうして負けるはずがあろうかという自信を持っていたから。だから負けるはずがないと舐めていた。考えようともしなかった。とても大切なことを。
「私たちが常勝無敗であれたこともまた我が君のお陰であり、断じて、私たちの力は一切関係ありませんでした。一から十まで指示された通りに、髪の毛一本から血の一滴に至るまで育まれたこの力を振るうことで、勝利を掴ませていただけなのです。そのことを私は知らず、だからこそ敗北したのです」
人は、生きている者は、確かに生まれこそウロボロスたちのように自分の思う通りには一切いかなかっただろう。しかし、この世に生まれ出て第一声を上げたその時から、誰もが常に考えて行動している。親に、周囲に見守られ育まれているように見えて、どうすれば腹を満たせるか、どうすれば甘えられるか、必死に考えて泣き声を上げている。赤子ですらそうなのにウロボロスたちは違った。
「人は誰もが勝つために考えています。一方、私は我が君の真似をしていただけ。これでどうして勝利など掴めるでしょう? 仮にあの時ルーチェに負けていなかったとしても、本当に強い敵と相対した時には、もっと酷い負け方をしたに違いありません」
「……それは」
カルマは違うと言い欠けた。ユウから頂いたこの力は、そんな陳腐なものではない。常勝無敗。万全の状態なら負けはない。そう信じていたから。でも思い直した。その思い込みには何の根拠も無い。勝ち続けているという事実こそあれど、それはユウがいたから成し得たこと。それに反論することはできなかったから。
「私たちはこの世界で初めて、生きる、ということを経験しています。生きるとは何かと問われれば、我が君のためにあると即答していました。それは間違いではありません。これから先、未来永劫に渡って続いていく生きる目的なのですから。ただ、生きるとは何か、という問いに対する答えではないと、今ならばよくわかります」
「……聞かせて欲しいのじゃ。お主にとっての、生きる、とは一体何なのじゃ?」
息をして、食事をして、寝る。そんな命を明日へ繋ぐための営みのことを言っているのではない。そのくらいはカルマもわかっている。しかし、ここまで聞いてもなお想像できないでいた。ユウのために、そしてウロボロスのために。他に何も考えていなかったカルマには、敗北を経験していないカルマには、とても難しい話であった。
「考えることです。これまで我が君にして頂いていたことですが、私たちもまた、もっと考えるのです。敵も私たちと同じように勝つために考えているのではないか、それに対し、私たちはどう対処すればいいのか。予測不可能な攻撃を仕かけてこないかなど、考えて、それから行動に移すこと。それこそ私にとっての、生きる、ということだと理解したのです」
カルマは言葉を失っていた。それは当り前のこと。そのはずなのに、言葉にすることができない。考えていただろうか。ウロボロスの言うように、敵もまた勝つために考えているのだと、多少なりとも考慮したことがあっただろうか。いや無かった。雑魚に負けるはずがない。ウロボロスの敗北を知ってもなおそう思っているというのに、どうして当り前だと言えるだろう。
「この力に頼るばかりの戦い方はもう終わりです。私は、我が君に頂いたこの力を、私自身の意思で使いこなしたいのです」
先ほど、ウロボロスは汗だくになるまで槍を振るっていた。それもそのはず。イメージした敵は、繰り出す全ての攻撃を受け止めて、その上で反撃までしてくるという全く想定外の相手なのだから。その尋常ではない肉体的、精神的負荷に耐えられるようになることこそ、ウロボロスの目指した姿であった。
「なるほどのう……なるほどのう」
何度か頷いたカルマは小さな吐息を漏らした。隔絶している。発想も、行動も、自分たちとは全く別次元にある。全てはユウのために。その思いは同じはずなのに、負けないくらい思っているはずなのに、これでは届くはずがなかった。隣に並ぼうなど百年早い。
「やはり主は……ワシらの団長じゃよ。良くも悪くものう」
「ふふ、ありがとうございます」
今度はお礼を言われ、カルマは気恥ずかしくなってしまい、シャワーを手に取ると、頭からお湯をかけてしまう。乱暴だ。これまでの優しさなど微塵も感じられないくらいガシガシと髪を擦り、バシャバシャとお湯をふりかける。
「……もう、カルマったら」
そんな思いすらお見通しのウロボロスは、大切な髪が、などという発想が一切浮かばず、ただただ愛おしく感じていた。カルマのことが。こうして心置きなく色々と話すことのできる大切な仲間なのだと改めて知ったから。だから失笑混じりの、しかし心から嬉しそうな微笑みを浮かべているだけだった。
そうして少しばかり乱暴にされていると、はたと止まり、背中にコツンと、たぶん頭が押し当てられた感触があった。
「……いつかワシも行く。そこに行く。じゃから……余り無理をしてくれるな」
「……はい。共にいきましょう、カルマ」
今日はなんて幸せな日なのだろう。こんなにも大切な仲間が、ここまで自分のことを思ってくれていると、よくよく理解できたから。ウロボロスもまた余りの嬉しさに、気が付くと、頬を濡らしてしまっていた。お湯よりもずっと熱い雫が伝い落ちていったのだった。