第12話「激昂のカルマ」
鈍い音を立てて会議室の扉が開かれる。そこには既にアザレアとフェンリスがいた。ムラクモの姿は無い。念のため、アデルの村を守るために出ているためだ。当然、ユウやウロボロスもいなかった。それもそのはず。今頃は2人、色々と積もる話をしているだろうから。
一番遅れてやって来たカルマは、乗り物のケルベロスを適当に空いている所へ座らせる。その上で足を組むと、高圧的な口調で、実に不愉快そうに言葉を発する。
「何の冗談か説明して貰おうかのう?」
そう、内容が内容だけに、カルマは冗談だと心の底から信じて疑っていない。しかしだ。万が一など天地がひっくり返っても無いのだろうが、ならば、一体なぜそんな奇妙な話になっているのかと、問いたださざるを得ない内容でもある。だからこそ彼女は不愉快さを全く隠す様子はなかった。
「論より証拠。言葉よりも実際の映像を見ると早いかな」
アザレアはウィンドウを空中へ拡大表示し、その光景をカルマにも見せる。
映ったのは見下ろす形の草原だ。徹底調査をしたカルマならば、ここが具体的にどの辺りなのか一目でわかる。アデルの村から西へおよそ30キロ離れた所である。
そのカメラの画面中央に、しっかりと、問題のそれは捉えられていた。巧みに槍を振り回し、次々とファントム・シーカーを薙ぎ払いながら、真っすぐにアデルの村へと突き進むその者は、
「……間違いない、のう」
カルマが、ユウ以外に絶対に見間違えるはずがないと胸を張って言える唯一の人物、ウロボロスであった。天文学的確率でたまたまこの世界にいたそっくりさん、ということもあり得ない。武器や防具、戦い方まで、どれを取っても本人だったから。
否定しようのない事実。アザレアが嘘を吐くはずがないのだが、それでも信じられなかった。いや、正確には信じたくなかった現実は確かにあった、というのが正しい。余りの衝撃に、カルマはこの世界に来てから初めて眩暈を覚えて、一瞬、よろめいてしまう。
「カルマ、大丈夫?」
「うむ、心配せずとも良い」
さっと後ろに回って支えてくれたフェンリスに、カルマは気丈に振舞って見せた。それでもなお心配そうにしているため、頭をなでてもやった。そうしてやっと離れて貰えたのだが、お陰で少しばかり冷静な気持ちになれたので、心の中でひとつお礼を言ってから居住まいを正す。
「可能性をひとつずつ潰していこうではないか」
「そうだね。まずは、絶対にあり得ないとわかり切っていることから。確認したい。ウロボロスは今、どこにいるんだい?」
「魔王様と寝室におる」
カルマはつい先ほどユウと別れたばかり。流石に後をつけるような無粋な真似はしていないものの、その直前には眠ったままのウロボロスの傍にいた。だから、あんな所にウロボロスがいるはずがない。仮にそうだとすれば自室にいないのだから、ユウが血相を変えて探し回っているはずである。当然、カルマたちにも連絡が入っているだろう。
「……悩ましいものだ」
ただ、それは絶対的な信頼に基づいた願望という名の推測だ。可能性が皆無とはどうしても言い切れない。そう指摘するべきなのだろう、本来ならば。しかしアザレアもまたウロボロスに対して返し切れない恩を感じ、尊敬もしているからこそ、そう言い出せず頭を悩ませる。
「悩むことの程でもあるまい。ウロボロスがこんなヘマをするはずがないのじゃ」
だが、カルマはその悩みをバッサリと切り捨てる。そもそもだ。仮にウロボロスがもう目覚めて出かけていたとしても、ファントム・シーカーを殺害するなんて考えられない。そんな反逆行為をするはずがない、という感情的な話ではない。あれらは全てユウへと通じている。当然、殺されればユウへ通知がいく。キル・カメラ、つまり、ファントム・シーカーたちが最期に見た光景と共に情報が送られるのだ。例え倒したのが1体だろうとも居場所が露見してしまうのだから、ユウを釣り出すつもりでもない限り、こんなヘマはしないだろう。
「それに、魔王様がおらぬのじゃ。まず間違いなく、ウロボロスと会って大切な話をしておるのじゃろう」
それにファントム・シーカーが殺されたという通知は、敵が明確な敵意を持って攻め込んで来たという警報でもある。そんな一大事に姿を見せないということは、もっと大事な何かをしているということ。あの安全第一、身の保全を何よりも重んじるユウがそうするのは、今ならば、ウロボロスと会っている以外にあり得ないのである。
「一応、まだお部屋にいるか確認に行ってきますか?」
「フェンリス、それは俗に言う野暮なことじゃ。やめておくがよい」
「そうなんですか? わかりました」
純真無垢なフェンリスはわかったと言ったものの小首を傾げており、本気で理解できていないのだが、今はそんな大人の空気の読み方を指導する暇はない。あれがウロボロス本人でないとしても、敵がこちらへ迫って来ているのは事実なのだ。まずはあれの対処法を検討しなければならない。
それはカルマだけでなくアザレアもよく理解している。これ見よがしに咳払いしてから真面目な話に戻す。
「さて、状況を整理しようか。ウロボロスは魔王様と共におられる。そうなると、この者はウロボロスを模した敵ということになる」
「そうなるじゃろうな。して、こやつのデータは把握しておるのか?」
「それについては――」
アザレアが言いかけた時、空からひらり、はらりと1枚の白い天使の羽が舞い降りてきた。羽が床に着くかどうかのタイミングで、そこに1人の美人女性が現れる。現れる、というのは語弊があるのかもしれない。彼女はずっと前からそこに佇んでおり、機を見て姿を見せただけなのだから。
「如月から報告があるそうだよ」
もっとも、そのことはこの場にいる誰もが知らない。アザレアは事前に連絡を受けていただけであり、ずっとそこにいたなんて気付かなかった。フェンリス、カルマも同様だ。オラクル・ナイツとしてドミニオンズの団体戦で頂点を取った彼らですら察知できない高位の魔法によって姿を隠せる人物、それが如月である。
「隠密メイド衆が1人、如月。我が主に代わり、調査結果を報告致します」
白と黒を基調としたオードソックスなメイド服を着た純和風の女性、如月は、一礼すると別のウィンドウを拡大して皆の前へ展開する。そこにはウロボロスのステータス画面が2つ表示されていた。
「まず始めに、この者はウロボロス様の偽者に間違いございません。様々な憶測をされたようですが、これらのデータが何よりの証拠です」
体力、MP、攻撃力、防御力。とにかく、ありとあらゆるステータスがウロボロスの1割にも満たなかった。比べることすら愚かしい天地の差があり、姿形だけが瓜二つの粗悪な偽者なのだと、皆は理解して少し安堵する。
その反応を見届けてから如月は補足説明をする。
「ステータスだけを見ればさしたる脅威にはなり得ません。ただ、未だ接敵はしていないため把握しているのはステータスだけです。もしも魔法やスキルまで模倣されていたとすれば、その限りではないでしょう。今のところそういった類いは使用されておりませんので、必要とあらば仕かけて引き出させますが、如何なさいますか?」
如月の提案は完璧かつとても魅力的だった。ユウがそうしているように、敵の全ての情報を抜き取るためには、どうしても面と向かってステータスチェックをする必要がある。今回のように遠く離れた所からではステータスを知るのが精一杯。だからまず偽者だと証明したのだ。そうすれば心置きなく交戦できる。面と向かうのだから全て見ることができるし、仮に抜き取れなくても、魔法やスキルを使わせられれば同じこと。
「その前にひとつ問う」
対応が早く、かつ的確。このまま任せてしまえばどんなに楽か。なんて思えるだろう、普通は。しかしそうは問屋が卸さない。この情報源がアザレアだったならば、カルマは信じて一任しただろう。生憎とそうもいかないのは、別件について、カルマはある疑念を持っていたからである。
「お主らはこれまでほぼ姿を見せなかったのう。なぜじゃ?」
そう、如月を初めとするメイドたちは、最初に調査をすると言った切りただの一度も現れなかった。そんないなかった奴が突然やって来て、パッとそれらしい事を言った。どうして手放しで信じられるだろう。
「魔王様のため、最優先で取り組む任務が御座いました。近く、我が主より報告が上がるでしょう」
「それは魔王様へ直々に、ということで間違いないかのう?」
「はい。我が主も、魔王様とお会いすることを楽しみにしておられます」
この殊勝とすら思えてしまう返答に、カルマは毒気を抜かれてしまう。そう、何を熱くなっていたのか。確かに姿を現さなかったのはメイドたちだが、その原因は彼女らではない。責める相手が違うではないか。
それに、常にクールに振舞うことは他でもないユウの望みだ。カルマの設定文に込められた願望だ。ならば、ここでこれ以上怒りを露わにするのは忠義に反するだろう。
「まぁ、今ここでお主に詰問しても意味はないのじゃ。悪かったのう」
そうしている内にも、偽ウロボロスはどんどんこちらへ迫って来ている。まだ多少の距離はあるものの、実際に接触して情報収集するのなら、もう行かねばならないだろう。本当ならもっと情報を得てから出たいところではあるが、これ以上、この場で情報を得るのは難しい。そう判断したカルマはケルベロスの頭をなでて立ち上がらせる。
「ワシが行く。可能なら、そのまま排除してくれよう」
「私も行きたいです!」
フェンリスが挙手して参戦を希望する。彼女は余り賢くなく、ここまでの話は半分も理解できていない。それでもウロボロスを思う気持ちなら誰にも遅れを取っていない。そしてそれはカルマに対しても同じだ。勿論、思い切り戦いたいという欲望もあってのことだが、それ以上に仲間を思い遣っての希望だった。
「悪いのう、フェンリス。あやつはワシに任せよ」
それがわかっていながら、カルマはあえて拒否した。疎ましいのではない。とても感謝している。本当なら受け入れたいとすら思っている。しかし、そうもいかないのだ。今回に限れば、味方は誰一人としていては困るのである。
その表情を見たアザレアは自身も加わりたいという提案を飲み込む。そして任せようと決めた。設定文でクールに振舞うとされている彼女が、ここまで激昂しているのだ。その意思、どうして尊重できないだろう。
「僕も全て任せよう。何かサポートが要る時は遠慮なく言ってくれ」
「その時は素直に頼らせて貰う。じゃが、まぁ、見ておれ。ワシらの将を愚弄した贋作……絶対に許さぬ。肉片ひとつ残さず消滅してくれる……!」
早速村近くへ移動した2人は、すぐにやりたい放題している偽ウロボロスを見付ける。
本題に入る前に、2人、と言った。そう、如月だけが勝手に付いて来てしまったのだ。先も言っていた通り、カルマは戦力的な増援など欲していない。案内役すら不要だ。なにせ、草の生え方、土の色、落ちている石などから、ここがどの辺りかわかるくらいに地理を把握しているのだから。他にどんな助けが必要だろう。要らない。要るはずがない。しかし、如月はどうしてもと言って聞かないのである。流石にメイドがここまで言う以上、カルマも断固として拒否はできず、仕方なくこのような組み合わせになっている。
「ふん……邪魔だけはしてくれないよう、くれぐれもお願いするのじゃ」
「はい、我が主へ報告するために、あくまでも記録のみさせて頂きます。それ以上もそれ以下も致しませんので、ご安心ください」
きちんとした味方のはずなのに、どこまで信じられたものかとカルマは内心で悪態を吐く。だが、メイドにとやかく言っても無駄である。彼女らの主へ直接言わなければならない。その機会は追ってやって来るだろうから、今は目の前の憎い相手に集中することにした。
偽ウロボロスはそんなカルマの気の揉みようを全く知るはずがなく、次々とファントム・シーカーを凪ぎ払い、串刺しにしていた。一切のためらいが無く、爽快に、豪快に、バッサバッサとやってくれている。
当り前だが、あれらはユウが魔力を消費して召喚した使い魔だ。やられた分だけ再召喚せねばならず、このまま放置すれば、どんどんユウの負担が重くなるだろう。そうわかっているはずなのにカルマは思わず息を呑んでいた。
「……見れば見る程に、というやつじゃな」
実際に見てみれば、何が違うというのか。その姿はおろか、戦闘時の引き締まった表情も、立ち振る舞いも、果ては呼吸の仕方まで、その全てがウロボロスに見えるのだ。双子でもあそこまでは似ないだろうというくらい、全く同じに見えるのだ。
思わずカルマは目を擦る。しかしどこも変わってくれない。改めて全く同じに思えてしまい、肩を震わせ、拳を握り、それでも足りずに唇を噛み切りもした。
「忌々しい……あぁ、忌々しい。見れば見るほどに瓜二つじゃのう」
「先ほども申し上げたように、外観はほぼ遜色ないと言って……」
「ウロボロスを愚弄するでないわっ!」
カルマが思わず叫んでしまったせいで、偽ウロボロスもこちらに気が付いたらしい。最後に大きくひと薙ぎしてファントム・シーカーたちを蹴散らすと、急いで駆け寄って来る。
何というミスだろう。もう少し様子を伺ってから慎重に接触すればいいのに、これでは分別のない子どものようではないか。カルマは、なんて無様なんだと失笑してしまいながらも、こうなってしまった以上やることをやるだけだと思い直して、偽ウロボロスを見据えた。
「あやつは……ウロボロスはあのような面にはならぬ。どれ、化けの皮を剥ぎ取ってやるとするか」
そして2人は接触した。しかし接敵した、とは言えない雰囲気である。偽ウロボロスの方はとても驚いた顔をしている。思いもよらない敵を発見した時のような驚きではない。ずっと会いたかった大切な人に思いがけず出会ってしまったような、そんな歓喜が色濃く混じっていたからだ。
「か……カルマ……。まさか貴女もここにいるとは。心から嬉しく思います」
「――黙れ」
カルマは自分でも驚く程に静かな怒りを覚えていた。これまでの猛る炎のような激昂とは違い、氷のようにとても冷たい怒りであった。それは、こいつがウロボロスに化けたから、だけではない。この世界で初めてウロボロスと出会った時に、言わば最初に聞いたはずの言葉を、一言一句そのままで言われたからだ。更に、その言葉に含まれる隠し切れない心遣いがこれでもかと感じてしまったからでもあった。
「その汚ない口を閉ざせ、タヌキめ。欺けると本気で思っておったか」
「な……何を言っているのですか? 私はウロボロス、本物ですよ?」
カルマはひとつ深呼吸すると、ケロベロスから飛び降りて足を地に着ける。舐めてかかる時は常にまたがったままなのに、今回に限っては降り立った。この意味はただひとつ。本気。そして、その目に籠った感情はたったひとつ。殺意。それだけ。それ以外には必要ない。
「よい、よいぞ……ここまでワシの心をかき乱すとは、実に不愉快極まりない」
「わ、私は貴女と敵対するつもりはありません。まずは話を――」
その瞬間、偽ウロボロスの横で大爆発が起こる。土煙が巻き上がり、それが晴れてみると、直径10メートルのクレーターができている程の威力だった。この世界の住人ならば文句なく即死するレベルの一撃だったが、仮にもウロボロスを名乗る以上、その盾性能は伊達ではないらしい。即座にシールドを展開してその脅威から逃れていた。
「これで理解できたじゃろう? さぁ、構えよ。そのくらいは待ってやるのじゃ」
この第一打を防ぎ切って調子の乗ったのだろうか。いや、そもそも自身をウロボロスと信じて疑っていない風に演技するためか。その理由は不明だが、偽ウロボロスは降伏することなく、小さく溜め息を吐くと、グングニル改12を構えた。
「単純な話をしましょう。魔法師の貴女が、盾持ちとはいえ近接職の私に敵うとでも? 冷静に話し合った方が得策かと思いますよ」
「ははは……っ! いやはや、ここまで笑ったのは初めてじゃ。感謝するぞ、ペテン師」
「何がおかしいのです――っ!?」
次の瞬間、カルマの姿が消える。単に素早く高速移動したのではなく、忽然と消滅した。そう見えているだろう、偽ウロボロスには。だが先ほどの攻防でも見せた盾性能はまぐれではないらしい。恐らく脊髄反射レベルで危険を察知し、全方位にシールドを張って迎撃態勢を取っていた。そのかいがあって、背後からの鋭い手刀をシールドで防ぐことができていた。
「温いですよ、カルマ」
無事、二撃目も防ぐことができたからだろうか。偽ウロボロスは不敵な笑みを浮かべながら後方のカルマへ言葉を発する。
それがどれくらい滑稽なことか。カルマは思わず高笑いをしてしまいそうになるのをグッと堪えて、しかし怒りに身を任せたまま、大胆不敵な行動と共に返答する。
「どこを見ておるのじゃ?」
カルマは手刀をシールドにぶつけたまま、偽ウロボロスの鼻先に顔を近付けて、悪魔の笑みを浮かべて見せた。もう一度言おう。鼻先に顔を近付けたのだ。
普通ならあり得ないことだ。当り前の話だが、シールドは敵の攻撃を防ぐ盾である。その弾く対象は攻撃に限らない。物理耐性の盾なら物理的な接触を、魔法耐性の盾なら魔法的な接触を、防げるレベルなら全てをシャットアウトする。だからこれはあり得ない。最低レベルのシールドですら阻むことのできる単なる肉体的な接触なんて、つまり、カルマが顔を近付けられるなんて絶対にあり得ない。そのはずなのに、今、偽ウロボロスの目の前にはカルマがいた。
「な……なぜ、こんなにも近くに……?」
「そう驚くほどのことでもあるまい?」
根本的な間違いを訂正しよう。偽ウロボロスはシールドでカルマの手刀を止めた、と言った。これがそもそもの間違いである。実際には、カルマはシールドに触れるかどうかのところで破壊し、同じシールドを同様に張ってあげて、わざと阻まれた風に見せていただけなのだ。そして自分自身のシールドならば通れる特性を利用して、わざわざ目と鼻の先へ顔を近付けたのである。こうして話をして、思う存分、絶望して貰うために。
「そんな……どういうこと……?」
しかし、それよりも偽ウロボロスには驚くべきことがあった。今、カルマは確かに目の前にいる。遂に鼻先が触れてしまったのだから、それは間違いない。でもちょっと待って欲しい。先ほど、ウロボロスは後方からの手刀を防いでいる。今、彼女はどこにいるだろう。
この矛盾の答えは、単に素早く動いたのではない。もっと明快かつ不可解。彼女は偽ウロボロスの背後にいる。そして眼前にもいる。それだけのことだ。
「寝惚けておるでないぞ、団長様?」
「何を言って……」
偽ウロボロスは絶句した。カルマは2人いるのだと思ったのだろうが、残念ながら、そんな生温い状況ではない。なぜなら逆鱗に触れてしまったから。ただ勝つのではなく、本気でなぶり殺しに来ている以上、2人で済むはずがないではないか。10人、100人と、次々と、合計で1000人も空中に、地上に、周囲に現れる。
「これこれ、道化。もう化けの皮が剥がれておるぞ?」
一体、どのカルマが言った言葉なのだろう。もはや偽ウロボロスはおろか、後ろで見ている如月すらわからない。ともすると、本物のカルマすら把握できないかもしれない。そのくらいこの戦場はびっしりとカルマたちで埋め尽くされており、その一言を皮切りに、クスクスと嘲笑が広がっていく。
「だ、黙りなさい! 貴女こそ、こんな不可解なことをしでかして! 一体、何をしたというのですか!?」
「よい、よいぞ。最高の褒め言葉として受け取るのじゃ」
まだ偽ウロボロスはカルマたちに気を取られ、気付いていなかった。先ほどの攻防は制したのではなく、ただ弄ばれていただけだということを。それさえきちんと理解していれば、ここで逃げるという選択肢もあっただろうに。そうすれば生き延びられたかもしれないのに。
これはカルマの策略である。最初から圧倒されていると思われれば逃がしてしまいかねない。だからこそ最初に花を持たせてやったのだ。これは舐めプではない。もうステータスチェックを終えて、知っているから。ドミニオンズでも中々に高位の魔法やスキルまでも模倣しているものの、どれをどう組み合わせようとも、到底自分には及ばないということを。
「さて、お遊びはここまでにしようかのう」
カルマたちが腰に手をやると、ドレスのスカート部分が全て外れる。その下は真っ黒なスパッツであった。上はそのまま残っていてアンバランスだが、先ほどと比べれば雲泥の差があるくらい動きに制限のかからなさそうな恰好である。そして地上、空中を問わず、皆一様に獣が獲物に狙いを定めたかのように屈み込んだ。
「待たせたのう、我が下僕共よ。舞台も役者も整った。その胸の内に秘めた殺戮の衝動……今、存分に解き放つがよい。スキル発動、エンドレス・ワルツ」
空に、大地に、あちこちにピシリと音を立てて亀裂が走り、ガラスのように砕け、異世界へと通じる闇が姿を現す。その大口が開くや否や、カルマたちは揃って悪魔のような笑みを浮かべ、ためらい無く飛び込み姿を消した。
「――そら、いくぞ」
漆黒の光が駆け抜ける。それは余りにも速く、予測不可能なタイミングで、ありとあらゆる方向から飛び出しては別の穴へと消えて行った。それが秒間1000発である。一発、二発ならまだ、いや、ウロボロス本人ならいざ知らず、偽者なぞにカルマが遅れを取るだろうか。絶対にあり得ない。つまり防御する暇すら与えず、一方的に、ズタズタに切り裂いていく。
「そんな……我が君に頂いた大切な体に――!」
「――黙れ」
偽ウロボロスは全て終わってからようやく攻撃されたことを、自分自身の体がどうなってしまったのかを認識し、絶望した。見るも無残な状態だ。あちこちに深い傷が幾重にも刻み込まれている。まだ原型を留め、こうして立っていられるのが不思議なくらいだ。
もしも彼女がウロボロスの内面まで完璧に模倣していたとすれば、絶句するのも当然だろう。なにせ、盾を突破された時用にステータスを高めてあるというのに、魔法師と信じて疑わないカルマの物理攻撃でこんな状態になったなど、信じられるはずがない。あり得ない。嘘だ。きっと、そんな言葉がグルグルと頭の中で渦巻いているだろう。そんな顔をしている。
その光景は痛快であるはずだったのだ、カルマにとっては。しかし偽者の吐いた言葉は絶対に聞き流せないもので、怒りに身を任せて更なる追撃をしかける。
「よりにもよって……その呼び名を口にするとは……っ!」
情け容赦は元より無かったのだが、それでも、ウロボロスと瓜二つな姿をしているために、カルマは程ほどにしていたつもりだった。心理的なブレーキがかかっていたのだ。そっくりさんとはいえ、ウロボロスが苦しんでいる姿など見たくないから。だからこそ1000回も攻撃を叩き込んでも原型を留められるよう努めた。しっかりと狙いを定めてそうなるように工夫したのだ。
今はそんなブレーキなんてかけていない。問答無用の殺戮ショーをフルスロットルで繰り広げる。具体的には、先ほどの3倍の速さで、今回は関節や筋肉など、破壊すれば悲惨な状態になること間違いない個所を徹底的に、丁寧に、順番に切り刻む。それら全てを破壊し尽くしてからは、地面へズルリと落ちていく肉片を確実に狙い撃っていく。
「……こんなものか」
光が過ぎ去った後には、ボロ雑巾のようになった偽ウロボロスが倒れていた。その体は、ボロボロ、という表現すら綺麗に思えるくらいにグチャグチャだった。手足なんて上等な物は当然のようにもう存在しない。まだ首から下に垂れ下がっている肉片が、数秒前にはどんな名前の肉だったのかすらわからない状態だ。
そんな惨状を見て、カルマは自分でやったことにも関わらず、少しばかり罪悪感を覚えていた。頭では偽者だとわかっていても、いくら怒りに身を任せても、それでも顔だけは綺麗に残してしまったように、非情にはなり切れないらしい。
「盾持ちでありながらこの様とは……いい気味じゃのう。今、自白するならば、命だけは助けてやろう」
だからこれは最後通告というよりも、カルマ自身の願望だったのかもしれない。こいつ自身の口から、自分は偽者だと、そう言ってくれたのなら悩むことなくひと思いに始末できるから。しかしそんな願いは届くはずもなく、
「どうして……? 私は……最強の盾になるべくして育てて頂いたのに……」
偽ウロボロスは、もう動かなくなった体を何とか動かそうと、必死にもがくように頭だけ振り回していた。ただしその理由は、生への渇望でなければ、現実への拒絶でもない。絶望だった。ユウに育てられたのに期待に応えられなかった。ただその一点についてのみ思うことがある様子で、そんなことを繰り返し呟いている。
ここまでされてはカルマも認めざるを得なかった。こいつは外観だけでなく内面まで模倣されているのだと。そうでなければ、この死が目前に迫った状況で、どうしてその内容で絶望できるだろう。偽物だと自覚していたのなら、ここはカルマにすり寄ってくる場面ではないか。助けてくれと、仲間だろうと、そんな風に情に訴えて命乞いしてくるはずだろう。
「……この期に及んでも、なお騙るか」
カルマはそんな偽ウロボロスの顎を蹴り上げ、髪を掴み、その体ごと持ち上げて顔を近付ける。もはや苦痛よりも絶望の方が強いのはやはり本当らしい。呻き声すら上げず、苦悶の表情を浮かべたままだった。
「ここまでの執念を見せられては、いささか情も湧いてくるのう」
「だから……私は……」
なんて温いことをやっているんだろうと、カルマは自分自身の振る舞いに失笑する。この戦いは皆が見ている。後ろでは如月が記録とやらをしていて、その主にも伝わるのだろう。いずれはユウにも話がいくに違いない。不届き者を完膚なきまでに叩き潰す。肉片ひとつ残さずに。そう息巻いて任せて貰っているのに、なんだ、この様は。顔だけとはいえ情けをかけて残してしまうなど、甘えているだけではないか。
「ふふ、故に遊んでやったじゃろう?」
「あ……遊び……?」
だから、せめてこの状況を生かしてできる精一杯の心理的な苦痛をプレゼントしてやることにした。いくらかズレがあるとはいえ、こいつはウロボロスの記憶や心まで持っているに違いない。ならば、盾持ちとしてのプライドはそっくりそのままユウへの敬意や感謝、愛に直結している。カルマはそこを叩くことにした。
「ワシを魔法師と言ったじゃろ? どうじゃった? 魔法師の通常攻撃でズタボロになった気分は」
「そ……そうです。貴女は、近接戦闘は苦手のはず……」
「もしもそうならお遊びではないか。貧弱な攻撃で倒れる? 盾持ちが? はは、なんじゃ、その不条理は。ウロボロスに限って、それはあり得ぬ!」
言いながらカルマは自己嫌悪に陥って、力任せに偽ウロボロスを叩き付けてしまう。無理だった。嘘でも、この不届き者を苦しめるためであろうとも、大切なウロボロスのことを悪く言うような発言をこれ以上続けるのは、どうしても無理だった。
うっ、という呻き声を上げるだけで、偽ウロボロスに抵抗する術は無かった。当り前だ。もう手足が無いのだから。逆に言えば、これ以上何かをして苦しめることは、もうカルマにはできないということになる。
「さぁ、絶望して貰ったところで種明かしじゃ。スレイヴ・オーダー、爆ぜよ、我が下僕よ」
その瞬間、カルマたちが爆発四散する。今、ウロボロスの目の前にいたカルマもまた、例外ではなかった。スレイヴ・オーダー。カルマが使役する眷属たちに強制的な命令を与えるスキルだ。身体能力の限界突破、分裂、果てはその生命まで自由自在に操れる。これはヴァンパイア特性で洗脳した者に対しても有効である。
「何が……どうなって……?」
そのくらいは偽ウロボロスも知っていたのだろう。問題はその結果だ。今、目の前で話をしていたのは本物のカルマだと思っていた。仮に違ったとしても、この大量にいる彼女らの中のどれかは本物だと信じて疑っていなかった。それなのに、辺りにいた彼女らは1人残らずいなくなってしまったのである。
「何を慌てておるのじゃ?」
すると、空間の割れ目からカルマが姿を現した。こっちこそ紛れもない本物である。一体、いつから入れ替わっていたのか偽ウロボロスにはわかるまい。だが、これだけは言える。カルマは普段のドレス姿のままケルベロスに座っていた。あろうことか、右手には本、左手にはティーカップがある。つまり、あの一斉攻撃に移るよりもずっと前から、もう騙していたのだ。
「如何なる攻撃手段を行使されるかわからぬ以上、ワシ自身を晒すような真似はせぬ。いくらウロボロスを愚弄された怒りに支配されようとも、ワシもまた魔王様への忠義を貫き通すのじゃよ……主がそうしていたようにのう」
そう、偽ウロボロスが、死が目前に迫りながらもユウへの不義理を嘆いていたように、カルマもまた負けないくらいに忠義を誓っている。彼女はオラクル・ナイツ内でも特に用心する必要のある身だ。ともすると臆病に見えてしまうくらいの対応、そして弄んでいるかのような完全勝利こそ、その証なのである。
「では……私は……眷属たちの通常攻撃で……」
「もう結構じゃ。フィナーレといこうか」
カルマが手招くと1人のカルマが現れる。言うまでもないが、これもまたドッペルゲンガーを洗脳した眷属であった。現れるや否や、何の命令も与えられていないというのに、足下へ闇色の魔法陣を展開する。
その魔法陣は得も言われぬ不気味さを醸し出している。地獄へ引きずり込まれてしまいそうな古井戸でも覗き込んでしまった、そんな死を予感させる暗闇が、陣の中央にはある。眷属のカルマはその上で浮遊しており、しかし地面を歩くような自然な足取りで、一歩、また一歩と偽ウロボロスへと近付いて行く。それに引きずられるようにして、魔法陣もまた一緒に近付いていく。
「ワシの力の一端に触れて……魔法で逝くがよい。もっとも、発動まで幾ばくかの猶予がある。そら、本物ならば挽回してみるがよい。ウロボロスならばどうにでもできよう」
しかし体がグチャグチャ、というよりほぼ残っていないウロボロスに成す術など無かった。目から即死級のビームでも出せれば違ったのかもしれないが、生憎と、血の涙が垂れ流れているだけである。
「私は……オラクル・ナイツの団長で……皆を守るべき盾で……。こんなところで……やられる訳には……」
眷属のカルマの歩みは止まらない。ゆっくりと、一歩、また一歩と近付いていく。攻撃も防御も、いや、足を動かすこと以外に何もしない。する必要がない。この魔法はそのくらい凶悪だ。しかも一度発動したら止めようのないおまけ付きである。だからもう何も要らない。
遂に手が伸びる。血と涙で汚れた偽ウロボロスの頬に向かって、容赦なく、冷酷に、冷徹に、ゆったりと死へと誘う手が伸びる。
「……ごめんなさい、我が君」
「デッド・エンド・カタストロフィー」
眷属のカルマがポツリと魔法を唱えると、闇が出た。他に表現しようがない。魔法陣中央の穴から、ポッと、闇が現れて広がった。それは眷属のカルマの足元から絡み付いていき、徐々に、まるで虫でもかじっているようにゆっくりと消滅させていく。そう、この魔法を唱えた術者は問答無用で死亡する。その代償の大きさ故に効果は確実だ。
カルマが食らい始められたのと同時に、その周囲までもが侵食されていく。闇に支配されていく。
偽ウロボロスは逃げられない。というよりも、どこまで逃げようとも関係なく闇は襲いかかっていく。逃げようとしても無駄なのだ。光は無く、音も無く、どんどん偽ウロボロスの顔が食われていく。地獄へ引きずり込まれていく。
「我が君……愛しております」
それが最期の言葉だった。繰り返し、何度も、何度もそう口ずさみながら、偽ウロボロスは消滅していった。
確認するまでもない。勝者はカルマだった。完膚なきまでの完全勝利である。それにも関わらず、カルマは血が滲み出るほど歯を食いしばり、それでも抑えきれないのか、今度は髪をかきむしる。
「本物のウロボロスだけでなくこやつまでもが……最後の最後まで助けを求めぬか。まったく不愉快じゃ」
生死の境目ではなく、本当に、確実な死を迎えてもなお偽ウロボロスは助けを求めなかった。そのことが、ウロボロスのそっくりさんを殺してしまったという罪悪感よりもずっと強く、重く、カルマの肩に圧しかかっていた。考えれば考える程にやるせなさは募っていき、カップを力任せに叩き付け、本を引き裂き跡形もなく燃やし尽くしてしまう。それでも足りないようで、カルマは声にならない声を上げたのだった。