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魔王と配下の英雄譚  作者: るちぇ。
第1章 偽りの騎士
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第11話「ウロボロスの愛」

 呆然と黒曜石の天井を見つめていた気がする。どれくらいそうしていただろう。頭が重くて、喉がカラカラに乾いて、腰が痛む。ようやく起き上がれた。そんな気がするくらいに倦怠感が凄まじい。まだ頭がボーっとしているが、あの時の事をうっすらと思い出し始める。


「誰でもいい、ウロボロスを! 何とかしてくれっ!」


 もっとも、詳細をはっきりと思い出すことはできそうにない。それでも漠然と覚えていることをそのまま思い出せば、急にウロボロスが倒れた。まさか、あの現象の被害に遭ったのではないか。そんな恐怖を抱いて、盛大に取り乱して、それから、それから。あれ、何がどうなったんだっけ。確か、そう、託したんだ。気が付くとオラクル・ラビリンスに戻っていて、カルマと会った気がした。


「お目覚めかのう?」


 横から声がして、見るとカルマの顔があった。とても近い。密着の一歩手前と言っても過言ではないくらい近くて、吐息がかかってしまうくらいの距離しかない。どうして隣にいるんだろう。あの後、何があったんだっけ。そんなことを考えながら何となく視線を落としてみれば、


「な……何をしているんだっ!?」


 思わず飛び退いてしまう。なぜかカルマは裸だった。かけ布団すらまとっていない、生まれたままの姿だった。何があった。俺とカルマの間に何があった。わからない。思い出せない。でも、これだけは誓って言える。間違いは犯していない。俺にそんな度胸は無い。無い、無いはずだ。その証拠に、ほら、と自分の体を見てみれば、あれ、どうしてだろう。俺も裸なんだけど。嘘、嘘だ。まさか、いや、あり得ない。

 もう何もかもわからないことだらけで混乱していると、カルマは小悪魔のようにニヤリと笑った。


「昨夜は激しかったのう」

「な……何がだっ!? い、いや、待て! 待ってくれ! 言うな、頼むからみなまで言うんじゃないぞ!」


 思い出せ、俺。自分自信の身の潔白を証明するために、ほら、思い出すんだ、あれから何があったのかを。だが、必死に頭を回転させているつもりなんだが、肝心なところが全く出て来ない。どうせあれだろ。ウロボロスを託して、たぶん、いや、絶対に何とかなったからこそ、一気に力が抜けて倒れてしまったのだろう。そうだ、思い出した。俺は少なくとも丸1日は寝ていなかった。気が抜けてしまえば死んだように眠ってしまうのは当り前じゃないか。


「そうだ、俺は寝ちゃったんだ。そうだろ? なぁ、そうなんだろ!?」


 カルマは、これまた悪そうにニヤリと笑みを浮かべる。そしてそのままの表情で黙り込んでしまった。

何なの、この間は。あれか。初めてを共に過ごしてしまった相手が、気まずくて適当に流そうとしているのを見て、幸せを噛みしめながら微笑ましく眺めている。そんな感じか。そうなのか。


「うむ、激しかったぞ、イビキが。よほど疲れておったのじゃな」

「な……なんだ、脅かすなよ……」


 やっと発表された答えを聞いて、思い切り大きな溜息を吐いてしまう。良かった、本当に良かったと、とても安心してしまう。安心。そういえば、どうして安心するんだろう。変な話、俺は皆の主のはずだ。好意を持たれているのだから、その、そういう欲望をぶつけても誰にも咎められないはず。いや、いやいや、何を馬鹿なことを。皆をそういう目で見ちゃいけないだろう。主なんだから。

 なんて自分自身を説得に近い言い分で落ち着かせる。すると、あの時の光景がフラッシュバックする。ウロボロスが倒れた時の光景が。そうだ、俺の貞操ななんかどうでもいい。


「じゃなくて! そんなことはどうでもいいんだよ! それよりもウロボロスは大丈夫なのか!? どこにいる!?」


 何を呆けていたんだ、俺は。今一番大切なのはウロボロスの安否じゃないか。あいつはどこだ。ちゃんと生きているのか。生きていたとして、何か変な病気や状態異常で苦しんでいないだろうか。そもそもどうして倒れたんだ。わからない。クリスタル・バニッシュExはきちんと常時展開されているはずだったのに、なぜその恩恵を受けられなかったのか理解できない。


「落ち着くのじゃ、魔王様」

「わ、悪い……っ!」


 胸に手を押し当てられて、優しく止められて気が付く。カルマの両肩を強く握り締めていたらしい。慌てて手を離すと、ヴァンパイアのため元々やや青白い肌がより一層青くなってしまっている。

 とんでもないことをしてしまった。カルマは何も悪くない。むしろ俺を介抱してくれて、そして記憶が確かならば、ウロボロスのことも何とかしてくれた恩人であるはずなのに。


「そう心配せずとも、ウロボロスは消えてなくなったりはしておらぬ」

「そ……そうか」


 こんな酷い仕打ちをしてしまったというのに、カルマは痣が残ってしまった肩を全く気にする素振りも見せず、優しい口調で教えてくれた。

 良かった。カルマには悪いけど、何よりもまず最初にそう思ってしまった。我ながらかなり切羽詰まっていたのだろう。良い返事を聞くや否や体の力が一気に抜けてしまったらしく、ベッドへ大の字に倒れ込んでしまう。


「だ、大丈夫かのう?」

「あぁ……カッコ悪いところを見せちゃったな。ありがとう。それと、その……肩。ごめんな?」

「うむ、それは気にする程のものではないのじゃ」


 本当はすぐにでもウロボロスの容態を聞きたい。というより、場所を聞いて飛んで行きたい。強く、とても強くそう思っているものの、流石にそれではカルマに対してあんまりだ。自分の願望ばかり優先させるのではなく、カルマへの感謝と謝罪をしっかりと伝えてからでなければ。


「いや、本当に済まなかったと思っている。ごめんな」

「ふむ……ならば、それについては水に流そう。それよりも気になっていることがあるじゃろう?」


 俺はこれでも今の自分にできる最大限の感謝と謝罪をしたつもりだが、正直なところ、全然気持ちが篭っていない気がしてならない。だからこそ思ってしまう。敵わないな、カルマには、と。そんな俺の最低なところまで察しておきながら、全てを受け入れてくれて、その上で俺の望みを叶えてくれると言っているんだ。これまた最低なことだが、今は、この気遣いをただただありがたいと思ってしまっている。ウロボロスのことが気がかりで、気がかりで、頭がおかしくなってしまいそうだから。


「ならその……ウロボロスの容態を教えてくれないか?」

「疲労が原因じゃろうて。既に自室で休んで貰っておるのじゃ」


 疲労。そうか、疲れて倒れてしまったのか。それもそれで駄目なんだが、人が溶け出す怪現象の犠牲になっていないとわかっただけでも一安心だ。まだ原因の究明ができていないあれに巻き込まれたら、どうやって助ければいいのか全くわからなかったから。もしもの場合を考えれば考える程に、頭がおかしくなりそうだった。本当に良かった。

 そんな俺の顔を覗き込んでいたらしい。らしい、というのは、気が付くとカルマの顔がすぐ真上にあったからだ。いつの間にそこにいたんだろう。そんな風に思った時には、カルマはこんな質問をしてきた。


「なぜウロボロスが倒れたのか、わかるかのう?」


 妙な質問だな。さっき自分で疲労が原因と言っていたではないか。まさか嘘だったりするのだろうか。いや、普段の日常会話ならいざ知らず、この手の内容で嘘を吐くような奴は1人もいないはずだ。わからない。カルマが何を意図しているのか、さっぱりわからない。


「疲れちゃったんだろう? 疲労って言ったじゃないか」

「うむ、それはそうなのじゃが、その原因と言えば良いかのう?」


 なるほど、疲れた原因に心当たりはあるか、と聞きたかった訳か。それならそうと言ってくれればいいのに。理由は簡単、単純に仕事を任せ過ぎたんだろう。大体にして俺が集中して作業している間中、ずっと隣にいて貰ったのが間違っていた。いくらウロボロスの尋常ではない強い希望によることだったとしても、そんな暇があるのなら、もっと他にやらねばならないことをさせてあげれば良かったし、休ませても良かった。今回の一件はお互いにいい薬になっただろう。もう倒れないためにも、という理由を付けて今後はそうしていけばいい。


「理由は簡単。仕事を任せ過ぎたせいだ。あいつ自身の仕事もあるのに、俺のサポートばかりをさせてしまっていたから、休める時間が本当に少なかったんだと思う」

「魔王様……苦言を呈させて貰うが、それは半分近く……いや、それ以上に違うのじゃ」


 違うだと。他に何があるっていうんだ。俺の経験則から言っても、倒れてしまうおおよその原因は仕事。それも常軌を逸している仕事量。これしかないと思ったのに。

 他にあるとすれば、いや、そんなレベルではないか。倒れると聞いて真っ先に思い付くのは人間関係だ。でもウロボロスには絶対に当てはまらないと思ったから、自然と除外して考えてしまっていた。

 だってさ、あり得るだろうか。あんなに皆と楽しそうに接して、暴走気味に俺へ突っ込んで来て、あれで辛いことがあるのだろうか。いや、待てよ。そう思っているのは俺だけで、ウロボロスは負担に感じていたのだろうか。俺たちとの関係を。俺の側にいてくれることを。


「あの……まさかとは思うけど、ウロボロスって、その、俺と一緒にいるのを嫌がっていたのか?」

「それだけは絶対にないのう。あやつは魔王様のことをこの世で最も愛しておる。これは紛れもない事実じゃ」


 そ、そうか、と少し気圧されながらも、なぜかスッと納得してしまう。どんな狙いがあったのか未だにわからないものの、あれだけウロボロスにズバズバと物を言っていたカルマが、恐いくらい真剣な面持ちで言ってくれたのだ。ウロボロスに延々と好きだと聞かされるよりもずっと信じられる。そんな気がする。

 だが、そうだとするとまた問題にぶち当たってしまう。カルマは半分以上違うと言っていた。人間関係に悩んでいなかったのは素直に嬉しいが、他に何があるのだろう。過度な仕事量よりも倒れるくらい辛くて、かつ、人間関係でないものがあるのだろうか。うーん、ブラック企業に勤めていた俺ですら皆目見当も付きそうにない。


「ふむ……そうじゃのう。ある意味でこれはウロボロスの望んだ結果と言えなくもない。故に、例え仕事が全く無くなろうとも、人間関係の悩みが無かったとしても、いや、他のあらゆる負の要因が一切合切無かったとしても、何度でも倒れるじゃろう」

「ど、どういうことだ?」


 負の要因が一切合切無いって、それはつまり、人それぞれが個々に感じるはずのストレスの性質や重さによらないと言うのか。

 そんな話があるのか。人はみんな違う。嬉しいことも、悲しいことも、辛いことも、系統が似ていたとしても全て同じということはあり得ない。だからこそ人間関係に悩むのではないか。こちらが良かれと思ってやってあげても、向こうからすれば煩わしく思ってしまっているかもしれない。そんな毎日を繰り返すから思い悩むのではないのか。

 少し話がそれたが、要は、それくらい人がストレスと感じるものは多岐に渡ると思う。予想だにしない物事に対してストレスを感じてしまう。カルマは、その個人差も含めた全てが一切無かったとしても倒れると、そう言うのか。


「魔王様、無礼な物言いと承知であえて尋ねるのじゃが、ウロボロスの思いを過小評価されてはおらぬか?」


 それがこの話に関係するのだろうか。今はさっぱり繋がらない気がするものの、恐らくカルマには何か考えがあるのだろう。ウロボロスが倒れた原因に至れるのなら、ここは素直に言われたままのことを考えてみるか。

 ウロボロスの思いか。自分で設定しておきながら、正しく評価しているとは思えない。なぜなら、ウロボロスに限った話ではなくカルマたちもそうなのだが、俺の想像を超えて凄まじい働きを見せてくれるから。その中でもウロボロスは抜群に俺のことを強く思ってくれているのだと、漠然とわかった風になっているだけなのかもしれない。


「そうだなぁ……もの凄く強く俺を思ってくれている……と思うけど」

「では初めて魔王様とお会いした時、ウロボロスはどんな様子じゃった?」

「どんな……って」


 素っ裸で隣に寝ていた、丁度さっきの貴女のようにね。なんて、言えないよな。それが何だっていう話だし。でも、あの時はそれがもの凄くインパクトが強くて、残念ながら、他に何か気にするべき点があったとしても思い出せそうにない。いや、それじゃあ駄目だな。ウロボロスのためだ。何としても思い出さなくては。

 あの時、ウロボロスは凄く嬉しそうにしていた。はしゃいでいた、と言ってもいい。そうでなければ裸で俺の布団に潜り込もうとるだろうか。いや、うーん、それからほぼ毎日見た光景だな。まぁ、少なくとも言えることは、はしゃいでいた。ここが大事。自意識過剰かもしれないけど、俺たちと一緒にいられるこの世界に対して希望を抱いていたと推測できる。あ、まさか、そうやってはしゃぎ過ぎて倒れたなんて言わないよな。それは余りにも子どもっぽいし。


「この世界のシステムに気付いていたのではないかのう?」

「こ……この世界のシステム……?」

「例えば……メッセージ機能やメニュー画面、装備などじゃ」


 言われてみれば、ウロボロスはたどたどしいながらも、メニュー画面を開いて服を着たな。確かに気付いていたと言える。でも、だから何だというんだ。それが今回の件を考える手がかりになるだろうか。


「魔王様も含めて、ワシらはウロボロスがおったからこの世界で戸惑わなかったじゃろう? メニュー画面のことも、こうしてお会いできたのも、ウロボロスのお陰ではないか」


 言われてみればその通りだ。俺がこの世界で目覚めた時、隣にはウロボロスがいてくれた。戸惑う俺を気遣って、色々と教えてくれて、見せてくれて、導いてくれた。だから俺はスムーズにこの世界を受け入れられたのだと思う。

 あの時はそういうものだと思ってしまったけど、もしも目覚めた時に誰もいなかったとしたら。想像しただけでも恐ろしい。いくら見たことのある部屋だったとしても、見慣れたゲームキャラクターになっていたとしても、そう簡単に受け入れられるものか。


「御身は初め、寝室におったじゃろう? ワシらも同じじゃ。きっとウロボロスも同様。では、一番初めに目が覚めたであろうあやつは一体どんな気持ちじゃったか……ワシにはわからぬ」


 そっくりそのまま俺の想像通りだろう。そこがオラクル・ラビリンスの中だとはわかっても安全かどうかはわからない。他に誰がいるのか、武器は、防具は、そもそも自分の強さは通用するのか。何もかも不明。そんな真っ暗闇の中、メニュー画面を見付けて、俺を探し出してくれた。目が覚めるまで傍にいてくれて、皆にも声をかけてくれた。


「それら全てをたった1人で乗り越えた、その覚悟は今もなお続いておる」

「今も……?」

「ウロボロスはワシらの将じゃ。ワシらが思う以上に、あやつは将であろうとする。常に御身の傍に控え、その上で、ワシらの上に立ち続けるために見聞を広めておったのじゃ。ご存知ないかのう?」


 心当たりはある。ある朝、目を覚ますと本を抱えて眠っていた。あんな無理を続けていたのだろう。そうでなければ、コーヒーやお茶菓子、抹茶など出て来るはずがない。きっと、そうして仕入れた知識はあれらだけでは済まないだろう。この世界に関する情報もたくさん仕入れているに違いない。


「では、いつその時間を確保しておったか」

「……まさか、あいつ」


 起きている間は四六時中一緒にいた。俺と一緒にいる間、あいつは常に尽くしてくれていた。振り返ってみれば、俺はウロボロスとずっと一緒にいるのに、先に眠ったところを見たことがなかった。そしてただの一度以外、俺よりも早く起きて活動していたじゃないか。だから断言できる。本を読んで見聞を広める暇があるとすれば、俺が寝た後、それしかあり得ない。


「あやつは超が付くほどの馬鹿真面目じゃ。喜々として自分よりも魔王様を優先する。決してお傍を離れず、それでいて自己研鑽し続けるじゃろう。これまでと変わらぬ思いを持つ限り」

「それじゃあ……」


 倒れるだろう、何度でも。あんな無茶が許されるのは、それこそゲームのキャラクター。つまりデータの頃だけだ。今、あいつは生きている。間違いなく生きているのだと、この手で触れてよくわかっている。どうして気が付かなかった。きちんと休まず働き続けたらどうなるのか、俺が誰よりもよく理解しているはずなのに。


「どうして……気が付かなかった……っ! 誰が頼んだ!? そこまでやれと、一体誰がっ!」

「ワシらの性格設定は、ここに記されておるじゃろうて」


 目の前にウィンドウが突き付けられる。そこには、俺が入力したウロボロスの設定文が長々と書かれていた。その中の一文が目に留まる。魔王ユウを愛して止まない。常に研鑽を重ね、団長として相応しくあろうとする、と。確かに書いたさ。そうであって欲しいと願ったさ。でも、だからってこんな結果になるなんて。


「ストップじゃ、魔王様」


 元々の原因も、止められなかったのも、何もかも悪いのは俺だ。そこまで思い至った時、唇に人差し指を優しく当てられる。見ると、吐息がかかる程に近い所から、カルマは見上げるようにして微笑んでくれていた。そして指で唇を少しだけ押されると、そっと離れていく。


「積もる思いは多々あろうが、それをぶつけるべきはワシではない。感謝も怒りもウロボロスに届けるのじゃ。そのどれもが、あやつの糧となろう」

「……あぁ、そうだな」


 この一件、全ての責任は俺にある。待て。この一件だけだと。馬鹿を言うな。きっとそれ以上だ。ウロボロスがルーチェに遅れを取ったのだって、コンディションが最悪だったからだろう。最初から今までずっと、無自覚に倒れてしまう程の無理を強いて来たのは俺じゃないか。

 そう、全ての責任は俺にある。それにも関わらず、先に深々と頭を下げてくれたのはカルマの方だった。


「魔王様……どうか、ワシらの大切な将、ウロボロスをよろしく頼むのじゃ」


 情けなかった。なぜ謝罪を止められなかった。この期に及んでもなお、俺は自分が可愛くて仕方がないとでも言うのか。ふざけるな。認めない。そんな体たらくで、どうして魔王ユウを名乗れる。どうしてこんなにも素敵な皆の主でいられるものか。

 心を入れ替えよう。ここから再出発しよう。必ず、絶対に。いつまでも皆と一緒に居続けられるように。


「カルマ……本当にありがとう、真剣に思ってくれて。じゃあ、行ってくる!」


 急いでウロボロス用の寝室へ向かい、この世界に来て初めて中へ入る。改めて絶句した。ウロボロスの奴、恐らく、ただの一度もここへ帰って来ていないのだろう。部屋中にうっすらと埃が積もってしまっている。

 そんな一角に置かれているベッドの上で、ウロボロスは静かな寝息を立てて眠っていた。胸が上下し、小さな寝息を立てている。手を取ると温かい。


「我が君……」

「……ごめん、起こしちゃったな」

「あぁ……我が君がこんなにも近くに……」


 目を覚ましてくれたウロボロスは、目を背けたくなる程にボロボロだった。目の下には大きな隈があり、顔色も良くない。覇気も無い。それなのに俺を求めてくる。両手を俺の頬に添えて、額を合わせてきた。その表情は疲れ果てて弱々しいものの、とても幸せそうに微笑んでいる。これが俺のしてきた結果か。


「なぁ……ウロボロス。お前はどうして……そこまで俺を慕ってくれるんだ?」

「なぜ……? 我が君を愛するのは当然のことではありませんか」

「……誰が頼んだ? そんなボロボロになるまで……誰が……っ!」


 俺だよ。ここまで来て何を寝ぼけたことを言っているんだ。そう思っているはずなのに、俺じゃないと、俺であって欲しくないと、そう思ってしまっている。卑怯だな。いっそここで突き飛ばされでもすれば目が覚めるのかもしれない。そんな他人任せな思考をしている時点で、これまた卑怯だというのに、どうすればいいのかわからない。言いたいことがたくさんあったはずなのに、頭の中がグシャグシャで、言葉になってくれない。


「わ、我が君?」

「嫌なんだよ……こんな……こんな……」


 皆には幸せになって貰いたい。そのためなら何でもしたい。心からそう願っているはずのに、こんな無理をさせて倒れさせて。これで、よくもまぁそんなことを願っていると臆面も無しに思えるものだ。

 大体、設定文を作って皆の性格を決めたのは俺じゃないか。本気で懺悔するつもりがあるのなら、いっそ白紙に戻してしまえばいいのに、そんな勇気は出せそうにない。恐いんだ。皆に嫌われるかもしれなくて。はは、本格的に屑野郎じゃないか、俺は。


「泣いて……おられるのですか?」

「……何だこりゃ、一丁前に」


 泣いていた。泣きやがった。涙がボロボロと止まらない。泣きたいのはウロボロスたちの方だろう。俺の勝手な都合で心を弄られて、嬉しいことや悲しいこと、辛いことまで全て決め付けられて、それに抗うことは当然できなくて。本当に泣きたいのは皆の方だ。それすら縛り付けている俺にそんな資格は無い。


「どうなさったのですか? どこか痛みますか? 私で良ければ何でもして差し上げます」


 嬉しいと感じてしまった。あぁ、そうさ、泣きたいくらい嬉しいだろうさ。自分のことなんて二の次で、こんな状態でも心配してくれるんだぞ。嬉しくないはずがない。でも、喜ぶ自分が憎くてたまらない。そうさせているのは他でもない俺なんだから。生きていると言わせて、こんなにも慕わせて、さぞいい気分だろうな。全て思い通りになっているのだろうから。


「なぁ……本当はどう思っているんだ?」

「……申し訳ありません。仰る意味がわかりません」


 だから頼むよ。本心を聞かせてくれ。そうすればきっと夢から覚められるから。俺は弱くて、ここまで自分の醜さを理解しても相応の贖罪はできそうにないから。だから頼むよ。いっそ突き放してくれ。そんな悲しげな顔をしないでくれ。どこまで心を奪ってしまったんだ、俺は。


「頼むから……本当の気持ちを聞かせて欲しい。俺のことを……その、憎んでいるだろ?」

「な……っ! そ、そのようなこと、絶対にあり得ませんっ!」

「……あるんだよ、きっと。だって、お前たちの全ては俺が設定したんだから」


 性格、人となり、心。そういった類の全ては、俺に好意を持つよう設定文で強要しているのは紛れもない事実だ。どこまで影響しているのか正確にはわからないものの、その返答も、俺の望んだ通りになっているかもしれない。むしろそう考える方がずっと自然だろう。


「せ……設定……」

「あぁ、そうだ。俺を慕ってくれるのは、俺を愛していると設定文に入力されたからだろ? そのせいで、こんなボロボロになるまで……」


 ウロボロスはうつむき、肩を震わせた。その頬を涙が伝う。とめどなく流れ、顎から垂れて落ちていく。

 我ながら酷いな。これじゃあ魔王と罵られて当然だ。そんな称号を贈ってくれた奴らを恨んだ時期もあったが、その目に狂いは無かったのだろう。せめて罪を受け入れるために直視すればいいのに、見ていられなくて目を背けてしまう。


「私を……データと、そう申されるのですか?」

「今は生きている。それは理解している。ただ、その大本は俺が作ってしまったから……」


 ウロボロスがスッと離れていく。そうだ、これでいい。ウロボロスは生きている。ならば、俺なんかに束縛されていいはずがない。もっと自由であるべきだ。

 そうだ、ウロボロスだけでなく皆もそうであるべきだ。仕えてくれることが嬉しくて考えないようにしていたけど、根底の意思まで縛り上げるなんて、ブラック企業でもやれない悪魔の所業なのだから。


「……我が君、覚えておいでですか? 初めてお会いした時のことを」


 唐突に、ウロボロスはそんなことを聞いてきた。初めて会った時、それはきっと、ドミニオンズでの事だろう。忘れるはずがない。あの日に広場で起きていた質の悪いイベントが、俺にとって、そしてきっとウロボロスにとっても、大きな転機だったのだから。

 ドミニオンズでは、主のいなくなった配下は一定時間経つと永久にロストする。言うなれば死ぬ。その特性から、捨てられた配下が消えるのを見物するという最低最悪のイベントが度々開かれていた。

 あの時、その主役だったのはウロボロスだ。希少な天才型に生まれた故に、主は周囲から袋叩きに遭った。だから捨てられて、そして数々のプレイヤーの手に渡っていくことになる。だがその度に主は袋叩きに遭っていき、終いには不幸をもたらす配下と罵られて、誰にも拾われなくなったのだそうだ。

 そのことは風の噂で聞いていた。面白くないと感じてはいた。でも、いつも誰かが引き取っていたし、厄介ごとには巻き込まれたくないし、見て見ぬ振りをしていた。だから今回も大丈夫、そう信じていた。でもなぜか、その時は妙に心がざわついて、普段なら絶対に行かないイベントに参加してしまう。

 ウロボロスの上にはウィンドウが表示されており、そこに、永久ロストまでの残り時間が表示されている。今回は誰も引き取りに行かないらしい。皆、今か今かと消えるのを待っているだけのように見える。

 遂に、残り時間が1分を切った。おい、誰も拾わないのかよ。ガタガタに育てられたけど、それでも天才型だぞ。喉から手が出るくらい欲しい人材だろうに。それなのに、無情にも残り時間は30秒、20秒、10秒と減っていく。

 会場は静まり返った。まるで年末のカウントダウンを見守るようにして、でも実際には、間もなく迫る酷い愉悦を前に、誰もが悪い顔をしていた。


「潮時かな……」


 最悪の場合、もう二度とドミニオンズにログインできなくなるだろう。たかがデータ。そう言われるだろう。馬鹿な奴だ。そう陰で囁かれるだろう。でもだからって、こんな悲しいことがあっていいものか。例えゲームであっても、データであっても、こんな世界は嫌だと思ったんだ。


「私を拾ってくれませんか?」


 あの時はただのデータだったから、泣くことも、すがることもせず、そんな無機質なメッセージを表示してくるだけだった。残り時間3秒。この3秒で決める決断が、今後の俺の人生を大きく狂わせてしまうだろう。

 ゲーム如きに何を言っているんだ、と笑われるだろうか。ならこう返そう。ゲーム如きにすら本気になれないで、どうして現実世界で本気になれるだろうか、と。


「あぁ、お前は最後の希望なのかもしれない」


 だから迷わなかった。誓ったんだ。例え心中することになっても構わないから、こんな悲しいことはあって欲しくないんだと、ためらいなくイエスを押して、そして――。

 懐かしいことを思い出したものだ。あれからの日々も鮮明に思い出すことができることばかりである。風当りは強くて、たくさんのトラブルが起きたけど、それら全てを乗り越えてウロボロスを育て上げたんだ。


「あの時、私は初めて救われました。我が君に拾って頂いて、育てて頂いて……とても、とても幸せでした。設定して頂くずっと前からこの思いは変わっていません。だから――」


 ウロボロスは顔を上げる。悲痛な顔で、涙も拭わず、全身を震わせている。本心だった。設定なんかでは決められないと思えるくらいに、それは、紛れもない本心だった。


「――大好きです! 愛しています! データでも、下僕でも構いません! ですが、この思いだけは……私だけのものです!」


 本当に俺は最低だな。それすらも設定文で操作した可能性がある、なんて思ってしまった。いや、そもそも、もはやそんな話はどうでもいいじゃないか。設定なんか無くったって、俺とウロボロスが過ごしてきた日々は間違いなくある。そうして積み重ねてきたものがあればこその、本心なんだろうから。


「……俺も、そう信じる」


 抱き締めてしまう。強く、強く。ウロボロスの体はとても華奢だった。でもしっかりとした芯の強さもあった。これだけ強く抱き締めても絶対に折れないだろうと思えるくらいの強さが、確かにあった。だから大丈夫。その思いに嘘偽りなんて無いんだって心から信じられる。もう疑わない、絶対に。


「例え設定をどのように弄られようと、誰が何と言おうと、私の思いはあの時から始まっています。きっと一目惚れだったんですから。ずっと、ずっと……お傍にいさせてください」

「ありがとう……本当に、ありがとう」


 どれくらいそうしていただろう。感極まって抱き着いてしまったことが何となく恥ずかしくなって、バッと離れた時には、もう涙は乾き切っていた。今度は気まずくて顔を見られそうにない。俺はなんて大胆なことをしてしまったんだろう。あぁ、穴があったら入りたい。

 でも、どうせ恥ずかしい思いをするのなら一度で済ませておいた方が身のためだ。それに、ここでこれを言っておくのはウロボロスのためでもある。もうひと踏ん張りだ、頑張れ、俺。


「なぁ、ウロボロス。お願いだ。俺を慕ってくれるのは嬉しいけどさ、倒れるのはやめてくれ。生きているんだろ? 万が一のことがあったら……」

「ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。この身はもう私1人のものではありません。以後、気を付けます」

「そ……そうか、それなら……いいんだ」


 何はともあれ、言いたいことは伝えた。随分な返しをされた気がするものの、ここまでしたら、そう思われても仕方あるまい。ウロボロスとなら、まぁ、そういう関係になっても嫌ではない。


「これからも末永くお仕えさせて頂きますね、我が君」


 そう言ってくれたウロボロスは、これまで見た中で最高の笑みを見せてくれた。一瞬、ゼルエルの顔が頭の中でチラついたのだが、それはまぁ、今は考えるのを止めておこう。今だけはウロボロスのことを一番に考えてあげたい。

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