第1話「おはようございます」
シュークリームの中にクリームしか入っていないのはおかしい、だと。じゃあ何が欲しかったんだ。からしか。
「くそ、いつも難癖つけやがって!」
思わず飛び起きて安心し、そして絶望した。まず安心したこと。今のは夢だった。過去の苦い体験だったけど。さて、絶望だ。
時計を見ずに確信する。寝坊した。ヤバい、今日はダメなんだって。本当に今日だけは。いつなら大丈夫かって聞かれると万年そんな感じなんだけど。とにかく、昼からの会議に向けた資料作成の最終調整があるから今日だけはご勘弁願いたい。マッハで仕事に行くしかない。
「……あれ?」
目を開けると真っ黒だった。黒い天井、壁、それに床。黒水晶のような艶のある材質は、淡く黒い光を発している。窓も明かりも無いというのに、ぼんやりとした独特の明るさがあった。見間違えるはずがない、ここは。
「ここは……ドミニオンズ……か?」
VRのMMORPG、ドミニオンズ。自由度の高さは過去作の追随を許さず、最も栄えたゲームとして名を馳せている。俺も魅了されていた一人で、10年以上は廃人プレイヤーとして活動している。仕事に就いてからはそれほどでもないけど。
ここは俺の居城、オラクル・ラビリンスの自室とそっくり、いや、そのものと言っていい。この手抜き具合、誰に真似ができるだろうか。だからこそ確信できる。ここは夢かゲームの世界だと。
「……夢だな」
ドミニオンズは眠ると自動ログアウトされるゲームだ。それなのに俺は目を覚ました、要はそういうことだ。
それにしても夢から覚めてまた夢って、どれだけ俺の体は会社へ行かせまいとしているのか。生存本能が本気出しやがったらしい。絶望していると、後ろから布が擦れてベッドが軋む音がする。そっちを見ると、
「いいえ、現実でございます、我が君」
同じベッドに1人の女性、いや、正確には人ではなくドラゴンメイドが横になっていた。
黄金色の長い髪はとても美しく、鋭い碧眼は宝石のように綺麗だった。見た目は人間の女性と瓜二つだが、それでもドラゴンメイドと言えるのは腰から灼熱色の竜の翼と尻尾が生えているからだ。
ところで、べた褒めだと思うか。当然だ、だってこいつは。
「う、ウロボロスか?」
「はい、我が君。こうしてお会いできる日が来るなんて、夢のようです」
ウロボロスは死ぬ気で育成したNPCの1人だ。ゲーム内では配下と呼ばれ、本来ならば外観を作るところから始まり、ステータスの割り振りなどから、このように慕ってくれるような設定文を入力することもできる。この自由度の高さが魅力とされていた。
未だかつて、こんなにもときめいたことがあっただろうか。こんな美人に、いや、ただの美人じゃない。好き好んで延々と育て上げた思い入れのある子に好意を寄せられてみろ。端的に言うと最高だ。
「なるほど、夢っていいなぁ」
そういえば夢って願望が現れると聞く。よっぽどストレスなんだ、仕事が。そして楽園なんだ、ドミニオンズが。唯一の欠点はどれだけ愛情を注いで育成しても、配下たちは所詮データなこと。
なるほど、そう考えれば話は別なのかもしれない。これは自己防衛。現実逃避のために見た幻想。そう仮定すると手くらいは触ってもいいんじゃなかろうか。なんて、邪な考えが浮かんでくる。それにほら、見ろ、この細かな表情、生々しい息遣いを。ウロボロスは生きているぞ。むしろ触れない方がどうかしている。
「……そうも言っていられないか」
本当なら堪能したい。もうね、残りの人生全てを捧げたい。でも夢は覚めるから夢なんであって、現実が辛いからこそ夢を見られるっていうもの。ちょっと臭いけど俺はそう思う。だからこれは逃げだ。それで不幸になる人がたくさんいる。少なくとも俺の会社にはたくさんいる。ついでに俺の首も致命的に締まってしまう。
さぁ、起きろ、と念じてみる。お願いしてみる。腹に力をこめてみる。あ、おならが出た。夢の中でも出るんだなぁ、なんて感心してみるものの肝心の覚醒には至らない。
「繰り返しますが、ここは現実でございます、我が君。疑われるのでしたら……」
言いながら、ウロボロスは立ち上がろうとする。それにより体を隠していた布団がずり落ち、玉のように美しい白い肌が露出していく。
「ま、待て、ウロボロス! 見えちゃうだろうが!」
「見て頂きたいのです、触って頂きたいのです、我が君」
そのままウロボロスは生まれたままの姿になって抱き着いてきた。ダメだって、この柔らかさは反則だって。何だか甘い香りもするし。俺、魔法使いだよ。生粋の、魔術を極めんとする孤高の男の子だよ。
「さぁ、存分に私を感じて下さい。そしてあわよくば、このまま既成事実を……!」
「は、離れろ! まずは服、服だ! 装備を着けろ!」
「いいえ、離れません! 私はフィアンセではありませんか!」
フィアンセと言われてハッとする。ウロボロスの設定文にはユウを愛し末永く寄り添うと書いた。それは配下としてで、そういう意味ではない。そう思わないとやっていられない。だってウロボロスは美人で格好良くて、スタイル抜群で、今はこんなにも可愛いって思える表情も見せてくれるんだ。間違いを犯したい衝動が湧いてきて止められない。
「と、とにかく、今は一大事だ! その話はまた後で、な? な?」
「……残念です、畏まりました」
何とか自制して突き放すと、観念してくれたのか、ウロボロスは宙をなぞり始める。ややたどたどしいが手付きに迷いはない。いくつも空中にウィンドウが開かれていく。するとウロボロスの体が白く発光し、次の瞬間には巫女服に身を包んでいた。どこからも取り出さず、袖すら通さず、あの手付きだけで服を着てしまった。
「まさか……メニュー画面を呼び出せるのか?」
同じようにやってみると見慣れたウィンドウが現れる。プレイヤー名、ユウ。俺のアカウント名だ。その下にはステータス、装備、アイテム、魔法、スキルなどといった、これまた見慣れ過ぎた項目が並んでいる。ウロボロスの言動でも何となくそう思っていたが、これで確定した。俺は自分自身であるプレイヤーキャラクター、ユウになったのだ。
「我が君、全て現実でございます。それとも私のことも嘘と片付けられるおつもりですか? こうしてお会いできて、お話ができたというのに。ようやくお仕えできるというのに」
その悲しげな表情は余りにもリアルで、とてもじゃないが夢やゲームとは思えない。思えないけど、ここが現実世界じゃないのは明らかだ。ありえないことが既にいくつも起きている。ウロボロスが生きていることも、目の前にウィンドウが表示されるのも、現実では絶対に起こり得ない。
「我が君、どうぞ心ゆくまでお確かめください。私は生きています。貴方様の前で息をしています。感じてください、私の生を」
両手を握られる。その感触にただひたらすらに戸惑ってしまう。だって肌が柔らかいと認識し、その奥に確かな体温を感じているから。だからこそVRでは絶対にない。あれは空想上の世界を目の前に広げてくれるが、あくまでも視覚だけだ。こんなにもリアルにはならない。この温もりは断じて再現できない。
「なら、聞かせてくれ、ウロボロス。何があった? どうして俺はユウなんだ?」
「わかりません。気が付いた時にはこのようになっておりまして」
「そうか……それなら、何でもいいから情報が欲しいな。そうだ、みんなはいるのか?」
みんな、とは俺が育て上げた配下たち。チーム名、オラクル・ナイツ。チーム戦のオラクル杯で頂点を取った強者たちだ。
「はい。既に声をかけてあります。間もなく――」
突然、扉が豪快な音を立てて勢い良く開かれる。そこにいたのは美形の成人男性だった。名前はアザレア。スラッと高い長身にウェーブのかかった金髪、それに筋の通った鼻。超絶イケメンである。
彼は爽やかな笑みを浮かべながら、ゆっくりとこちらににじり寄って来る。もう一度言おう。にじり寄って来る。
「あぁ、魔王様。こちらにいらっしゃったのですね」
言いながら、おもむろにアザレアは上着を一枚脱ぎ始めた。それをポイと放ると床に落ちて残る。なるほど、あれは廃棄という扱いにはならないらしい。これはドミニオンズとは違うシステムなのか。
それよりもアザレアは暑いのだろうか。俺は全く暑くないけど、生きていると仮定するなら暑さ寒さは感じて当然。空調システムなんて無かったから対策が必要か。その辺は錬金術師であるアザレア自身に作って貰うとしよう。きっと丁度良いアイテムを作ってくれるはずだ。
なんて冷静に分析しながら必死に意味を考える。なまめかしいあの歩き方の意味を。でもわからない。わからないが、放置したら俺の貞操が危うい気がする。
「め……目が覚めたらここにいたんだ。アザレアは何か知っているか?」
「えぇ、把握しております。全てを」
それはありがたい。是非聞かせて欲しいと言おうとして、思わず言葉に詰まってしまう。あろうことか手がシャツにまでかかったのだ。
そこまで暑いだろうか。待て。頼むから待ってくれ。ウロボロスはまだ理解できる。俺のことを愛していると設定文に入れてあるから、初見だし、多少暴走してしまったとしても仕方ないかもしれない。
でもアザレアは違う。見た通りこいつは男だ。俺はノーマル。健全な男子。そんな破廉恥な設定文なんて入れていないはずだ。それなら暑いのかな、なんて、そう信じたかったけど、あの恍惚とした表情は違うと強く主張している。
「と……ところで、暑いのか?」
「はい! この身は火照っております、我が愛しき君!」
アザレアは淀みない動きでシャツを脱ぎ捨て、上体をアピールするように、両手を頭の上で艶めかしく組んだ。そして最高の笑顔でどんどん距離を詰めてくる。
美しい肉体だ。細身ながらも筋肉が少し浮き出ており、肌は白く艶やかだ。惜しいな、これで女性ならば言うこと無しなのだが。なんて、惜しがっている場合じゃない。このままでは良からぬ事態に発展するのは確定的だ。
「お、おい、アザレア! 俺はお前の主、そうだな!?」
「はい、当然でございます」
「なら、そこで待機だ! これは厳命だぞ!」
「おぉ……僕ごときに厳命を下して頂けるとは。このアザレア、感激です」
願いは届いたらしい。ポーズや服装はそのままだが止まってくれた。
これで一安心である。なぜ胸をホッとなで下ろしているのか全く理解できないし、その原因も全く想像も付かないが、とにかく安心だ。
だが、誤解を覚悟で言えば少し残念でもある。まるで彫像のように美しいだけに、これが女の子だったらなぁ、と思うと大きく息を吐いてしまう。あ、待て。隣にも超絶美女がいたな。そうか、アザレアが女の子だったとしても俺は腑抜けていただろう。なら男でも構わないか。
それよりも、なんでこうなったのかと小一時間問い詰めたい。原因、そうだ、原因を探ろう。考えられるとすれば、こいつの設定文にウイルスが紛れ込んだ可能性か。確か、心から俺を崇拝しているとはした気がする。メニューを開いて、アザレアのページに飛んでみる。
「あ……あぁっ!?」
衝撃的過ぎて、思わず変な声が出てしまった。なんだ、これは。魔王ユウを盲目的に好いている、だと。超ド級のウイルスを他でもない俺が混入させちゃっているじゃないか。バカ、俺のバカ。崇拝をタイプミスしているじゃないか。見た感じ、他の部分は間違えていない。よりにもよってそこだけを間違っちゃうの、俺。
「何を吠えておるのじゃ」
ほんのりと体温を感じて左を見ると、ピッタリと少女が寄り添っていた。真祖のヴァンパイア、カルマだ。白銀のツインテールと、赤い目が特徴的だ。配色をモノトーンにまとめるために黒く染色までしたゴスロリドレスを着て貰っている。そして彼女の乗り物というか、椅子というか、そんな感じの真っ黒な大きい特殊な狼、三つ首のケルベロスも一緒にいた。いつも通りカルマの椅子になっている。
「か……カルマ! そこはフィアンセの席です!」
ウロボロスが突っかかっていくものの、カルマは全く反応しない。俺の腕にそっと手を回し、寄りかかり、うっとりとした表情を浮かべているだけだ。どうして無反応なんだよ。なんでそんな幸せそうな笑顔なんだよ。火に油を注いじゃうでしょうが。
「聞こえていますか、カルマ!? 聞こえているなら返事をしなさい!」
「騒がしい」
金属が擦れる音がして、入り口の方を見ると紫色の甲冑に身を包んだ騎士が現れる。剣士のムラクモだ。厳格な設定にしたんだが、ちゃんと反映されて叱ってくれるとは。素晴らしい。ありがたい。この調子でカルマのことも止めてくれないだろうか。俺の大切なストッパーが外れちゃう前に。
「魔王様! お会いできて嬉しいです!」
「お……おぉ、フェンリスも来てくれたか」
そんな願い事をしていると、絶妙なタイミングでその子はやって来た。赤色の腰まで伸びるストレートの髪と、青い素直な目が可愛い人狼の女の子だ。無邪気で天真爛漫、うん、まさに天使という訳だ。ポンチョのような赤い洋服もよく似合っている。後は、もう少し空気を読んでくれると嬉しかったかな。もう少しでムラクモがカルマのことも叱ってくれるんじゃないかって、そう思ったのに。
なんて考えていたら、気が付くとフェンリスの頭をなでていた。あれ、いつの間に。自然と手が伸びてしまっていた。可愛すぎるって罪だな。
そんな風に暢気に考えていると、ウロボロスがムラクモを怒っているところだった。激情という感じではない。教え諭すような口調であった。だがこちらに気付くと一変。
「あ……あぁっ!? おのれ、フェンリスまで! 退きなさい! そこも私の席です!」
ウロボロスは烈火の如く怒りを露わにしてきた。顔を真っ赤にして、頬を膨らませて、ズンズンと迫ってくる。それがまた可愛らしい、とは思いつつ、何だろう。この得も言われぬ恐怖感は。身の毛もよだつ感じといえばいいのだろうか。とにかく、ダラダラと嫌な汗をかき始めてしまう。
「待て、師匠。魔王様が困っているではないか」
もの凄くありがたいことに懲りる様子もなくムラクモが割り込んで止めようとしてくれる。師匠、つまりそれはウロボロスのことだが、目上に対して全く怖気づくことなく言ってくれる。
「これは我が君の今後を、ひいては私たちの未来すら左右する重大な問題です。口を挟まないで貰えますか?」
「何を大げさなことを……師匠は一体、どのような未来を思い描いたと言うのか」
「それは勿論、我が君と愛を育んだ証! あぁ、きっと我が君によく似て、利発でカッコいい御子様になるに違いありません!」
ムラクモがちらりとこちらを見たので、必死に首を振って否定しておいた。
俺はまだ一線を越えていない。知らない内に添い寝はしていたみたいだが、キスはおろか、手を繋いだこともない。それなのに色々と大切な過程をすっ飛ばして妊娠なんてさせてたまるか。
「そうです、何ならこれから既成事実を作ります! カルマ、フェンリス、そこを退きなさい! フィアンセは私なのですから!」
「何を言うておる。反対が空いておろう」
「そういう問題ではありません! 私は立場の話をしているのです!」
本当にそういう問題じゃないよね。それはウロボロス、君の言い分全てに言えることだよ。その辺、わかってくれ。
「なら、そこは僕の席にさせて貰おう!」
なぜそこで名乗りを上げる、アザレア。引っ込んでいてくれ。お前は男だ。俺と同じ側に立って幸せを感じるべき立場だろう。なんでそっちにいく。はい、俺のせいですね。本当にごめんなさい。設定文って直せるのかなぁ。
「何人たりとも我が君の隣は許しません!」
「ふむ、では両隣はいっぱいか。そうなるとワシは……」
言いながらカルマはケルベロスから降りると、テクテクと俺の前まで歩いて来る。諦めてくれたのかと少し期待しつつ、大変に残念に思いつつ見守る。すると、俺の太ももに手をかけたかと思うと、あろうことか上に乗って座ってしまう。
「ここを頂く」
カルマの体は小さくて股の間にすっぽりとハマってしまっている。ヤバい、この感触は理性を崩壊させてくれかねない。確かな密着による温かみが伝わってくるし、ギュッと足で挟む形だから柔らかさがこれでもかと味わえてしまう。少しだけ変態的な発言が許されるのなら、元気にならないか、それだけが心配でならない。
あ、言っておくが、これは羞恥心以上に、身の危険を感じてのことだ。ここで万が一のことが起これば、大惨事間違い無し。血で血を洗う争いが起こりかねない気がする。
耐えろ、俺。理性を保て。邪念を捨てろ。この世界を平穏無事に過ごしたいのなら、この一時くらい、乗り越えてみせろ。
「なら、僕は後ろを……!」
だから、どうしてそこで名乗りを上げる。それは危険かつ救世主的な発言で、とてもじゃないが聞き逃せない。
だが、馬鹿とハサミは使いようとも言う。何を言いたいかといえば、アザレアの裸体を想像すれば冷静になれるという訳だ。この諸刃の剣を物にすれば、この難所、きっと越えられるに違いない。
「それはダメだ」
そうは言っても、アザレアに体を許すつもりは毛頭ない。キッパリと断るのは忘れない。
「なんと、魔王様は前をお望みか!」
「言ったはずだぞ、アザレア。お前はそこで待機だ。これは厳命、そうだったな?」
「おぉ……そうでありました。このアザレア、一生の不覚であります」
そんな大それたことじゃないけど、そう思ってくれるなら俺の貞操は守られそうだな。訂正しないでおこう。
何はともあれ、努めて威厳ある発言をしたこともあり、少しばかり心臓の鼓動が落ち着いた気がする。中二病臭い台詞の方がマシって、この状況はどれだけ危機的な天国かわかる気もするが、そういう方向に思考を進めると墓穴を掘るだけだから止めておく。ここは一気に別の話に切り替えてしまうのが吉。
「それはそうと、なるほど、オラクル・ナイツの面々は揃った訳か。後は……」
あの3人とメイドたちだな。そう言おうとした時、1人のメイドが現れる。メイド長の神無月だ。緑色のショートヘアーとアクアマリン色の目が特徴的で、人間の女性にとても近い外観をしている。近い、と言ったのには関節の節々を見ればわかる。彼女らは人形だ。マリオネットというアイテム的な、武器的な、ようはそういうものだ。
神無月は優雅に一礼すると、生暖かい目でこちらを見た。
「魔王様、お楽しみ中のところを失礼します」
「どこをどう見たら楽しそうなんだ?」
「失礼しました。鼻の下が伸びていましたので」
それは男として正常な反応だ、と言おうとしたけど、また暴走される気がしてぐっと堪えた。そんなことよりわざわざ神無月だけが来たんだ。あの3人の使いでやって来たのだろう。
3人とは、俺自身がイチから創造したオリジナル配下たちのこと。彼らはウロボロスと同等かそれ以上の好意を持っているはずであり、この皆の反応から察するに、誰よりも早く駆けつけてくれてもいいだろう。でも未だに姿を見せてくれない。きっと何かしら理由があるに違いない。それを聞かせてくれるんじゃないか、なんて想像しながら話を促す。
「報告致します。ここにいない者は皆、既に調査へ乗り出しました。何分急な出来事でしたので独断行動を取っております。事後承諾となってしまい申し訳ありませんが、お許し頂けるでしょうか?」
なるほどな。浮かれて失念していたが、もしもこの世界が現実なのだとすれば知りたいことは山ほどある。周囲の環境、俺たち以外の生命体の有無、無機物も含めた目下脅威になりそうな存在はいるのかどうか、などなど。パッと思い付くだけでもこれだけある。細かいものまで挙げればキリがないだろう。そこにいち早く気付き、動いてくれている。とても頼りになるじゃないか。
「あぁ、いい――」
むしろありがたい、なんて思いを込めて言いかけた時、爆弾でも爆発したような音が鳴り響き、床が大きく揺れる。恐る恐るその音源の方を見ると、ウロボロスがもの凄い足音を立てて歩き出していた。一歩、また一歩と踏み出すごとに、その轟音と揺れが発生する。
余りの恐怖で俺は固まって動けなくなってしまう。指先すら動かせそうにない。だってさ、未だかつて見たことがないんだよ。あんなにも笑顔なのに一切目が笑っていない表情を見たのは。
そんなウロボロスの行き先は神無月の方らしい。ズンズンと詰め寄ると、上から見下ろすような形で威圧的に質問を投げつけ始める。
「我が君の決定無くして独断行動を取ったと。なるほど、どうやら死にたいようですね?」
質問、なんて穏やかじゃなかった。一方的過ぎる言い分、死刑宣告をしている。ただ、そう聞こえるのは俺が恐怖でガチガチになっているためかもしれない。文面だけ見れば、弁明の余地は与えられているように捉えられなくもない、のかもしれない。いや、ない。どう好意的に解釈すれば死刑宣告以外の物言いに思えるだろう。
「魔王様のためを思い行動しました。それで命を落とそうとも悔いはありません」
「よく言いました。では、そこに直りなさい」
もっと抵抗しろよ、神無月。いいのかよ、お前はそれで。どうしてそんなに満足気なんだ。あぁ、くそ。こうなったら俺が止めるしかない。恐いとか言っていられるか。仲間内で揉めるのなんて見たくないっての。
「ま、待て! 待てって、ウロボロス! そのくらいで俺は怒ったりしないから!」
「畏まりました、認識を改めます。我が君は想像以上に慈悲深い御方だと」
言いながら、ウロボロスは手をワキワキさせながら近寄ってくる。言葉遣いだけは丁寧になってくれて落ち着いたのかと安心しかけたが、ところがどっこい。確かにこれまでの鬼でも宿ったような様子ではない。でも現実は非情なり。ただの淑女ではなく、変態的な乙女の面構えになっている。鼻の下を伸ばし、鼻息を荒くし、頬を赤く染め、目尻をだらしなく垂らしているのだ。どうしてこう両極端なのか、こいつは。もっと丁度いいラインは無いのか。
「だからって、何でもかんでも許しはしないからね?」
「左様で御座いますか、残念です」
しかし理性は保たれているらしい。言って聞かせれば、大変に残念がっているものの素直に頷いてくれた。
これもこれで恐い気がする。いっそ気でも触れていたのなら原因を取り除けば解決するだろう。でもまともな精神でやっていたのだとしたら、今後、どう足掻いても俺の貞操は危うい。
まぁ、そんな近い将来に潜む危険はひとまず置いておくとしよう。大切なのは今、目の前のこと。何とか身の安全が保障されたところで、大切なことを確認するところから始めなければ。生きているのなら絶対に曖昧では済まされないことを聞くとしよう。
「……皆、答えてくれ」
ウロボロスたちを見る。中々に良い暴走っぷりを見せ付けてくれたものの、それでも、皆以上に頼りになる奴らはいるだろうか。
これまで様々な映画やアニメを観てきた。こいつら凄いなぁって思えるチームは山ほどあった。でも皆を超えるものは無い。そう確信している。なぜなら、俺自身の手で最強の椅子に着かせるまで育て上げたのだ。皆の強さも弱さも把握しているからこそ、胸を張って言える。最強は俺たちだと。
「お前たちのことは、この世の誰よりも信頼している。ただな……それでも、あえて聞かなければならないことがある」
だからこそあえて確かめたい。ここは異世界というやつなのだろう。ならば、外にはどんな危険が潜んでいるかわからない。これまでの最強という常識が覆る可能性があるのだ。こうして息をして、笑って、ふざけ合ってくれる大切な配下たちを守るために、どうしても聞いておかなければならない。
「俺は魔王ユウ。皆は配下として忠誠を誓ってくれている。依存はないか?」
皆、俺の意図を察してくれたのか、ふざけ合っていた雰囲気から一変。神妙な面持ちになるとウロボロスを先頭にしてひざまずき、頭を垂れる。その仰々しい姿勢に俺も居住まいを正してしまう。
「我らオラクル・ナイツ……」
言いながらウロボロスだけの顔が上がり、目が合った。美しい。自然とそう思ってしまった。何が、ではない。その真剣な顔つきも、凛々しい口調も、魅入られたように目が離せなくなってしまう程の瞳も、何もかも。その全てをもって、ただただ美しいと思ってしまう。
「この身この命尽きようとも最期まで、いえ、輪廻の果てまでお仕えすることを……永久の忠誠をここに誓います」
ウロボロスがそう言い終えると、誰1人として異を唱えず、静寂が訪れる。気が付くと、息をするのも忘れてしまっていたらしい。胸が高鳴り、息が荒くなっている。
こうして会話ができて、手で触れられて、忠誠を誓ってくれたことがただただ嬉しい。ここまで幸福な気持ちになったことがあるだろうか。大変だった大学受験に受かった時も、苦難を乗り越えてようやく就職が決まった時も、ここまでではなかった。
「ありがとう、大切な配下たち。これからよろしく頼むぞ」
この世界のことはわからないけど、信頼している皆となら何も恐くない。早速、情報収集に乗り出すとしよう。生きるために。こんな素敵な世界を守るために。